FC2ブログ

一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

本書で詳細にお話しすることとなる肝木の身体観は、肝木の概念を中心とした身体観です。腎水の身体観として紹介した臍下丹田を中心とした身体観を基本としています。肝木の身体観は、腎水に根ざした肝木という揺らぐ生命を基幹として、「ひとくくり」の生命観を構想しているものです。

東洋医学で現在一般的に使われている五行理論は、『黄帝内経』の中でも比較的後期に考案されたものです。いわゆる五行を相生相剋として把握し機械的図式的に捉えているものです。五角形の図で表現されています。

漢代にできた東洋医学の古典である『黄帝内経』の中には、抽象的な五行の概念として、相生相剋というものがあります。五行は木→火→土→金→水の順に生じてまた木に戻るというものが相生という概念であり、木×土×水×火×金と相互に過剰を抑制しあうのが相剋という概念です。これは漢代の儒家によって研究された春秋学に基づいています。

春秋学というのは、当時までの王朝の盛衰を五行に置き直して現王朝の正当性を証明しようとしたものです。一つの王朝を五行のうちの一つ項目にあてはめて、火の王朝には水の王朝に傷られる宿命だったとか、土の王朝は火の王朝を嗣ぐ宿命だったなどと考えて、歴史を評価し現在の王朝の正当性を唱えるための理論を作っていったものです。

考えてみると人の身体はまるごと一つのものとして存在しています。そして五臓すべてをその体内に具え、協調してその生を育んでいます。ですからこの相生相剋の理論は人身に転用すべきものではありません。実際、この相生相剋理論は歴代の医家によって乗り越えられ、臓象学説あるいは臓腑経絡学説としてより具体的な生命観を与えられています。

肝木の身体観は、そのような医療の歴史を踏まえて積み上げられてきた五臓の相互関係についての理論を基にしているものです。春秋戦国時代に作成された五行論を捉えなおし、清代に作成されました。発想の基本はその名の通り、肝を中心におくところにあります。
以下の項目があります。少しづつ解説していきます。
■天地を結び天地に養われる肝木
■肝は人の生きる意志
■肝の活動を支える脾腎
■現代社会の病
■肝鬱は邪気か
■肝の化粧
■肝鬱二態
スポンサーサイト




腎水を中心とする身体観は、臍下丹田の認識とも相まって大切なものです。後天の生命力の中心である脾と対比して、腎は先天の生命力の中心であるとされています。臍下丹田を人身の中心とし、そこに意識を置くことを重視する身体観です。この身体観は、健康法の極意でもあり、仏教―ことに禅とつながりの深いものとなっています。

この腎水を中心とする身体観の起源は、後漢中期、紀元100年頃に書かれた東洋医学の古典である『難経』という書物で前面に出ました。東洋医学のそれまでの古典である『黄帝内経』では、「命門」の位置が目に置かれていましたが、『難経』では、臍下丹田に置かれています。「命門」という重要な言葉の指示するものが、目から臍下丹田へと変化しているわけです。このことは、『難経』の作者が身体観の大きな変化を表現しようとしているものです。

『難経』ではこの臍下丹田を、「腎間の動気」と名づけ、「人の生命であり、十二経の根本で亅あるとしています。(六六難)十二経というのは生命力の流れる通路です。ですからこの言葉は、臍下丹田こそが生命の根本であると断じているものです。また、「上部に脉がなく下部に脉がある場合は、もし困窮している状態であったとしても害はありません亅(十四難)と、人身の根としての脉の位置である、尺位の脉を重視しています。尺位の脉は腎を意味していますから、これもまた腎であり命門の位置である、臍下丹田を重視した言葉であると言えます。

このように、「命門」の位置が目から臍下丹田へと移動したということの背景には、支那大陸への仏教の伝来があります。仏教における座の暝想の影響が、このような身体観の大転換をもたらしたわけです。その後、時代を下るにつれてこの臍下丹田を中心とした身体観は、暝想する際に意識を置く中心だけでなく、武道における身体の中心として、また健康法における意識の中心としても重視されることとなります。
脾土の身体観


脾土を中心とする身体観は、四角形の中心に脾土を置くという、東洋思想ではもっとも古い身体観です。気一元の場の中に、東西南北の位置を想定し、中央に脾土をおくものです。これは東洋医学の最古の古典である『黄帝内経』の中でも、もっとも古い記述に属します。北を玄武、東を青龍、南を朱雀、西を白虎と、象徴的な名前を付けて呼ぶことがあります。ここには、天を見てこれを名付けているような印象があります。星座のイメージです。日本で発見されたキトラ古墳や高松塚古墳では、石室の天井に星とともに描かれています。

中央に脾土をおくのは、古代において食がいかに大切であったかを想起させます。その土地の食べ物をいただき、その土地に生きその土地に埋葬される。土人すなわち中心の人、あるいは土民の生き様を尊重したものであると思えます。中央は黄色で表現され、古代の聖王の中心が黄帝であることも、この中央脾土を重視するという、あたりまえの姿勢を想起させるものです。

東洋医学ではこの脾と胃とを、後天の生命力の中心であると考えています。食事を摂りそれを消化して全身に栄養として送り、不要なものを排泄する。脾胃の機能はまさに生きている人の身体全体を養う、大切なものです。

金元の四大家として尊称されている名医である李東垣は、この脾胃の大切さに目覚めていました。そのため、脾胃を中心とした身体観に基づく東洋医学の考え方を『脾胃論』という象徴的な題名の書物としてまとめています。
『生命にまなぶ鍼灸医学』シリーズが続きます。
今回は、身体観を三種類に分けてみています。個々の詳細については、それぞれ次回から述べていきます。
さて、東洋医学ではこの「一」の括りについて、いくつかのパターン化された考え方が提供されています。これらのことを一元流鍼灸術では「身体観」と呼んでいます。

『ー元流鍼灸術の門』の五行の篇に、その一元流鍼灸術で捉えなおした身体観が、まとめて述べられています。それは大きく分けて三種類あります。

・後天の気である土を中心とする、脾土の身体観
・先天の気である水を中心とする、腎水の身体観
・人身の天地をつなぐ木を中心とする、肝木の身体観

がそれです。

言葉にしてしまうと平面的になってしまいますが、前文で述べたとおり、言葉の裏側にある生命そのものを、リアルに認識しようと努力して下さい。このそれぞれが、まるごと一つの身体を、立体的に、かつその着眼点―重点を変えながら表現しているわけです。
ヒポクラテス―ガレノスの医学を嗣ぎ、中医学やアーユルヴェーダを取り込んでいるといわれイスラムに拡がったユーナニ医学の解釈書を読んでみるとやはりこの、言葉と実態との壁は非常に大きいことがわかります。古人が何を語ろうとしていたのかを、言葉からしか理解できていない。実際にそこに何を見、何を感じとろうとしていたのか、その言葉が発生される以前の「観察」への配慮が足りないわけです。

ちなみにこのユーナニ医学の『医学典範』は、18世紀まで西洋の医学大学で基本教科書となっていました。

そもそも東洋医学では、全身を五臓と対応する五行の配当で考えます。この五行のそのものは東洋思想においてもっとも古くから考えられているものです。臓としてはそれぞれ、肝は木、心は火、脾は土、肺は金、腎は水に配当されています。この木火土金水は、世界を構成する基本的物質ということで五行と名づけられています。

普通、人はここで疑問に思うことでしょう。木火土金水、それが何を意味するのであれ、この森羅万象のすべてがこの五つに集約されるわけがないではないかと。そしてさらに考えるのは、木火土金水というものは何を意味しているのだろうかということです。仏教では地水火風空という言葉を五大と呼びますが、それとの関連についての興味も尽きないところです。

五行を考えていく上でもっとも大切なことは何かというと、この五つで森羅万象をあえて説明しようとしているということです。言葉を換えて表現すると、森羅万象を眺めていくときにこの五種類以外の発想は一応入れないという約束事をしているということです。さらに別の言葉を用いるならば、丹田という中心をもった揺らぐ生命である「一」をより詳細に眺めようとして、五つの角度をつけて立体的に見ようとしているということになります。

木火土金水は一般的な概念ですけれども、ここでは、森羅万象すべてを分析するための言葉として使われています。森羅万象という言葉をここでは一応用いていますが、どばっと広がった世界ではなく、一つの生命のまとまりの世界として切り取る必要があります。「一」という生命の場がそこになければ、五行を使うことはできません。生命がそこにあるから、始めて生命を分析的に見ることができます。そのような生命の捉え方を、「一括りの生命のある場」「一括りのいのち」「気一元の生命」などと名づけ呼んでいます。

見ていこうとする「一」の場が定まらなければ、陰陽という概念も五行という概念も使うことができません。森羅万象という表現はもっとも大きな生命場の概念です。これを宇宙と表現することもできます。宇宙の「宇」とは空間のことであり「宙」とは時間のことです。すべての場は「時間」と「空間」とが与えられて始めてその場を得、存在しています。このことを禅では、「いま、ここ」と呼んだりします。

東洋医学が問題にしているのは生命の場ですから、「一」は「人」ということになります。一人の人が空間を占め今そこに存在している、医学はその、今、実際に存在している「人」を問題にしている学問であると東洋医学では考えられていたということになります。


五行で考えていくといいますけれども、実は、五つに分けるということが大切なのではありません。人を眺めようとするとき、どのような関係を五行相互に持たせてみようとしているのか、どのような構造で「人」を眺めようとしているのかということが大切なこととなります。その構造はもちろん、実際に存在している人を表現できるものでなければなりません。
「一」の括り


「一」の概念を把握することを難しくしているものに、それが当たり前すぎて意識されないため、言葉になっていないことが多いということがあげられます。

存在そのもの、生命そのものといったときに私たちはそこに何を見ているのかというと、生命を生命としてそこに構成している一つの宇宙(宇は空間で宙は時間。すなわち、今ここにある生命の枠組みである宇宙)を見ています。であれば生命と呼ばずに宇宙と呼べばいいわけなのですが、この言葉を使ってしまうとまた別の概念がそこに生じてきてどこか遠くにある何ものかを想像してしまうこととなります。そこで、それを表現する「以前」の躍動しているそれ―存在そのもの―をやむを得ず「一」と呼んでみたり「生命」と呼んでみたり「存在そのもの」と呼んでみたりするわけです。太極図の概念としては無極―ありのままにあるそれ―という言葉が相当します。

この「一」、生命をもっている「それ」を見る場合に、無意識のうちに大前提としているものがあります。それは「それ」が生命を生命として存在させている枠組み―宇(空間)宙(時間)をもっているということです。存在している空間的な範囲・時間的な範囲があるわけです。この範囲―あるいは限界―を「括(くく)り」と私は呼んでいます。これがこれから課題としようとしている「一」の括りです。陰陽を成り立たせるにも、五行の概念で分析を進めるにも、まず大前提としてこの「一」の括りを意識することが必要となります。

この「一つに括られているもの」を、二つの観点から眺めることを陰陽論と呼びます。二つの観点から眺めているわけですけれども、一つのものをよりよく観ていくための概念的な操作を、陰陽論ではしているわけです。

同じように、この「一つに括られているもの」を、五つの観点から見るという概念的な操作をすることを、五行論と呼んでいます。五行論は、一つのものをよりよく観ていくための、陰陽論よりも少し複雑で、立体的な構造をもたせやすい概念です。また人体における五臓との対応関係も明確なため、東洋医学ではよく用いられる概念となっています。

五臓という個別のものが生命として存在しているわけではありません。五臓すべては、まるごと一つの生命を、生命として存続させるためにあります。ですから五臓で見るとは言っても実は、まるごと一つの生命を眺めているに過ぎないのです。


陰陽論も五行論も、一つのものを無理に二つの観点から五つの観点から観ているものです。ですから、リアリティーをもってそれを理解するためには、あわい―表現されていない 陰と陽との隙間 五行の一つと五行の一つとの隙間―を意識することが大切だということになります。表現されている言葉そのものだけではなく、言葉と言葉の間にある表現されていないもの―言葉のあわい―言葉の裏側にある生命そのものを、実際にそくしてリアルに認識することが、とても大切なわけです。
一の視点


この「生命の揺らぎ」は、「一」の揺らぎです。どのように重篤な症状をもっていたとしても、生きているかぎり生命はその身心を支えています。圧倒的に生命の方が強いわけです。鍼灸医学はその生命をより充実させる発想と力とをもっています。ここが大切なところです。病気を治すというところに立ち位置をおくのではなく、生命力を充実させる、向上させるというところに東洋医学である鍼灸医学の本来の役割があります。

その発想の根源にはこれから説明する、「一」の視点を欠くことはできません。充実した生命はこの「一」を保っているものです。陰陽五行として、生命を陰陽という二つの観点、五行という五つの観点から分けて眺める方法があります。けれども大切なことは実は「一」を観ているということです。「生命」という「一」を見ているわけです。

一体感があるものはその生命力が充実しているものです。分離しているものは生命力が弱っているものです。生命力が底をついてくると、だんだん表情が硬くこわばってきて、ついには生命力を表現することができなくなります。経穴は一括りの身体という生命のなかで自己を表現しています。経穴は背景に身体全体の生命力がありますので、経穴そのものの表現を乏しくして、身体全体としてはその生命を長らえていることがあります。このことは、経穴をちゃんと診てきた鍼灸師、脉診をちゃんと行ってきた鍼灸師であればすぐ納得できることでしょう。経穴の表現を閉ざし、経絡という生命の流れの表現をも閉ざしていき、終にはその全体としての生命の統一が傷られていくこととなります。最終的に統一感を欠いていくと、陰陽がはなればなれになってしまいます。一括りの生命としては成立しなくなり、魂魄が分かれることになるのだと古人は考えました。これがすなわちその個体の「死」です。


「動中に静あり」という言葉があります。軸がしっかりまっすぐに立っているコマは、速い速度で回れば回るほどまるで動きがないかのようにすっきりと一点を保って立ちます。この一点を保って立つということ、これが勢いのある生命の状態です。

「生命の揺らぎ」というのは、回っているこのコマが内因であれ外因であれ、なんらかの原因で揺れているということです。揺れていても立っている、生きているあいだ人は揺れ―立ち直り―また揺れるということを繰り返しているわけです。


産まれるということは父母の精が合体して一つとなることから始まります。これが生命の始まりです。死ぬということはその気一元の生命が陰陽に離乖するということです。この陰陽離乖の姿を、魂魄が分かれると表現するということは上記しました。魂魄が分かれるということは、肉体と精神とが分離するということで、肉体と魂とが分かれることです。これを、肉体から魂が抜けると表現することもあります。陰陽に分離する以前が生命があるときで、生きているときです。

病気はこの、生きているときに、なります。ですから死と生とはそのあり様がまったく異なるものです。統合されているものが生であり分離されているものが死です。一としてまとまっているときは生き、分離するときは死んでいます。一としてまとまっているときに生命は、一の中で揺らぎながら生きているわけです。

この一の概念は実は、経穴の状態を見る経穴診や全身の状態を診る脉診も含めて、すべての診断法に応用することができるものです。一体感があるときは生命力の充実しているときであり、一体感を喪失しているときは生命力が弱っているときである、そういう風に見ていくわけです。


さて、鍼灸師が対象とするものは個別の生命です。生成老死、生まれ成長し老い死んでいくその生命の変化していく過程で、内的にも外的にもさまざまなストレスにさらされて人は生きています。いわば揺らぎながらその生命の範囲を定めているものが「人」であるわけです。


生きているかぎり「人」はそこに「いのち」が舎っています。「いのち」は、個体の生を完全に支えているものです。その支える過程でしかしさまざまな「揺らぎ」が現れます。硬く固定化するような形で支えているのではなく、その生命を緩やかに包むように支えているわけです。東洋医学の古典である『難経』では手首の脉状を表現することを通じて、この「いのち」のありさまが表現されています。

四診をする際には、その生命の「揺らぎ」をありのままに捉えることを目標としています。ここには、四診の一つである問診に表現されることの多い「主訴」や「副訴」「従訴」ほか不定愁訴を含みます。またこの揺らぎの中には、問診のその他の項目に出てくる日常生活の様相や、切診で出てくる「脉診」や「腹診」「舌診」「経穴診」などのさまざまな徴候も同じように包含します。

この言葉が意味しているものは何かというと、ここに挙げたすべての要素、四診に表現されているものすべてが、生命の揺らぎを表現しているものであるということです。あるいはもっというと、四診で捉えていることを通じて、その生命の揺らぎをそのまま捉えていこうとする、これが東洋医学の基本的な方法であるということです。


鍼灸師の中には、「治した」自慢をする人々もいます。また、患者さんの中にも「治してもらった」という人がいます。この「治る」ということの中身は何かというと、「主訴」などの症状や病気が和らいだということを意味しています。

けれどもよく考えなければいけないことは、その患者さんの生命の揺らぎの中心課題がその「主訴」などの症状や病気なのではない場合が多いということです。患者さんの身心がもっとも問題としていることは実は、全身状態を理解していかないと、つまりありのままの生命の揺らぎをとらえることができないと、明確になりはしないものであるとも言えます。

治療というものはほんとうは、この「生命の揺らぎ」の深さと原因とを見極め、その生命を調えることを目標とするものです。その際の参考資料として患者さんの訴えである「主訴」などの症状や病気の問題はあります。けれどもその中心課題とすべきものは、全身の生命状況を見極めていかなければ、実は分からないことなのではないでしょうか。

このことは何重にも注意が必要です。症状も切診情報もほかの四診の情報も、その生命の揺らぎを表現しているものです。このことは、症状を取ることが実は治療の目標にはならない、ということを意味しています。生命のバランスをとり、より安定した活力のある生命状況をもたらすことが、治療の目標となるものなのです。

このように考えてくると、患者さんの精神状況がいかに大切な課題であるかということにも、思いが及んでいくことでしょう。

東洋医学では身心を同じ生命表現として捉えていきます。けれども精神的な陶冶(とうや)に関しては宗教や個人的な修業に任せ、あまり触れられません。現代に生きる私としても同じで、心の用い方、人生のどこに価値をおき何を目標とするのかということは、個々人の自由意志に任せるべきであると考えています。これは実は医学の課題がどこにおかれるべきなのかという問題です。あるいは医学の範囲はどこまで及ぶのかという問題でもあります。このあたりは深く大切な課題ですが、混乱しますので今は触れません。
次に掲げている図は、今ここにあるいのちと、その表現方法についての関係を表したものです。この図の外に、言葉に言葉を重ねて、虚言、妄言を吐いている人々の大いなる闇が存在しています。虚言妄言は、妄想が文字を作り出しているため、この量の多さと価値のなさとの落差には、驚くべきものがあります。最も目立つものですけれども、ここでは全く触れていないということに注意して下さい。より大切なこと、意味の裏付けのある、リアルな言葉についてだけ、この表にまとめてあります。

知の構造の図
知の構造の図

今、目の前にいる患者さんの生命の声を聴き、言葉を紡ぐこと。これが現代においてわれわれ鍼灸師が実践していることです。ここにおいて今、未来に向けた古典―基礎とする価値のある言葉が積み重ねられていくわけです。

生命の声を聴き、言葉を紡ぐというこの行為は、道を求める者たちのやり方でもありました。「今、ここ」にある「いのち」は、常に変化しているものですから、それに触れることはたいへん難しいことです。ましてやそれを表現する言葉など存在しません。そのため、誠実な求道者はただその「いのち」を楽しみ、今を生きることになります。その「いのち」を楽しみ今に生きることを日本民族は「かんながら」と表現してきました。

ただあるがままに生き、あるがままに死ぬ。その間の短い生をありがたくいただいて、生かされるままに生きることを味わってきたわけです。

そのような人々が言葉を知り、「いのち」のリアリティーから少し離れることになると、泣き始めます。その泣き声が世界に陰翳を作り出し、幸不幸という相対概念を発生させます。

そしてその同じ泣き声によって、求道、真のリアリティー―生命そのものに触れるための旅路が始まります。これが物語の始まりです。


この図は、そのような求道者のもつ言葉のありさまを表現しているものです。現代社会に氾濫している虚言や妄言は、ここでは触れていません。真実のある言葉だけを配当した地図です。

何度も述べていますが、存在そのものは言葉で表現することはできません。そのような存在そのものをここでは「いのち」と、呼んでおきます。「いのち」に触れその中身を表現しようとした人は古来たくさんいます。それがこの一番下に書かれている言葉です。「万物一体の仁」(王陽明)「仏性」(釈迦)「自他一体」(不明)というのがそれです。「仏性」以外は「いのち」の実体を表現しようとしている言葉です。概念として意味をもつ言葉を用いてしまうと、「いのち」そのものよりも狭くなってしまうのは致し方ないことです。


「いのち」に触れることも、それを表現することも、実はたいへん難しいことです。そのため、その「方法」を図に書いておきました。それが「自己を手放し存在そのものを感じ取る」という心の姿勢です。その姿勢を継続していっても、実際に時々刻々変化していく「いのち」は、触れたと思ったときには逃げていきます。そのため、それを求め続ける心を維持する必要があります。

「得た」と思った時はそれは「逃した」時です。その求める続ける心を維持するための動機となるものが「永遠の疑問」を持ち続けることです。これは、ほんとうはどうなんだろうと考え続ける、好奇心を持ち続ける、ということを意味しています。

「自己を手放し存在そのものを感じ取る」ように心がけていくと、言葉の裏に何が隠されているのか感じ取れるようになります。そして、言葉には軽重があるということが理解できます。華麗な言葉、難かしい言葉、複雑すぎ繊細すぎる言葉の多くは、事実と乖離した、空論です。「いのち」に近づけば近づくほど、言葉は失われ、存在が力を持っていきます。この辺り、言葉を手放して「いのち」そのものに肉薄していこうとする方向のことを、「求道の方向」という言葉を用いて表現してみました。


この「いのち」を、鍼灸師は自分の内側に求め、そして、患者さんの内側の動きが外側に表れているものとして観察します。

内外の別はありますが、心の用い方は同じです。「自己を手放して存在そのものを感じ取る」ということです。なぜ自己を手放さなければならないのでしょうか。あるがままの「いのち」をありのままに受け容れるためには、自己の枠組みというものが、小さすぎて邪魔になるためです。自分は分かっているという思い込みはもちろんのこと、自分の考えや感情や知識であっても「見る」ことを妨げます。じっさいの「いのち」に触れる前に答(「わかった」とか「わからない」という判断)を出してしまうためです。

じっさいの「いのち」に触れることをさせない、もっとも強い妨害者が自分自身です。あるがままにあるものをありのままに「見る」ということを、私たちは自分自身に対して赦していません。そこが大きな問題であり、問題の根源となっています。


禅でよく言われる「不立文字」『易』でいうところの「感応」の世界が、この「いのち」と共に生きている自分自身の位置を正しく表現しています。表現や理解を拒絶し、ただありのままにそこにあるものと、響き合う世界があるだけなのです。これが下段に書いてあることです。

次に、その「いのち」に触れたときの感動を表現しようと人はします。それが、詩や音楽という芸術の基となります。宗教家であればこれが、「いのち」に触れるという真理へその精神を導く、言葉や指導となるでしょう。言葉として、より客観性を帯びさせようとしたものとしては、我々がおこなう弁証論治や科学的な表現があります。感じとった「いのち」をできるだけそのまま表現しようとしているわけです。「いのち」はあるがままにあり、変化し続けています。ですからそれを表現し尽すことはできません。けれどもその不可能な行為をやり続けているものが人であると言えます。これが二段目に書かれていることです。


「いのち」は言葉を拒絶します。意味ある言葉にされたものはすでに「いのち」から隔たっています。おもしろいのは、図の上に行くほど言葉が多くなることです。真実を核としていてもこれほど多くの言葉が費やされなければならないことに私は驚くほかありません。しかも、表現されきることもないのです。なんて豊かな世界なのでしょう。

この図は誠実な人々の言葉についてのみ、述べているものです。「いのち」に触れ、それを表現し、「いのち」の実体によって世界を導こうとしている人々。「いのち」に帰ることで、人々をその視野狭窄から救い出し、安らぎの世界に導こうとしている人々が、心を尽して語っている真実のある言葉です。

これらの人々とは異なり、現代には、「いのち」を知ろうともせず言葉に言葉を重ね、あるいは虚言・妄言までをも吐く人々で満ち溢れています。このような人々の言葉は、他の人々を巻き込んで、人が「いのち」そのものに触れることを絶対に赦さないかのようです。妄想の檻を作っているのです。その妄想はとても深く厚い雲となって、世界を覆っています。

自分を見、人を見るためには、その雲を払い、檻から出る必要があります。


鍼灸師は、「いのち」の只中に立ち、四診を通じて生命の偏りや揺らぎを知り、それを調整しようとしています。ですから、「いのち」をきちんと「見る」姿勢が、その基礎になければならないわけです。
「いのち」と言葉


さて、東洋医学的鍼灸は求道者によって創始され、江戸時代の求道的な精神を背景にして、気一元の身体観とともに花が咲きました。

探究の焦点となる、自分自身を見つめる心の位置と、四診をする心の位置はおなじです。これは、神道―仏教(禅)―儒学(古義学)を貫く一点となります。

江戸時代の知の基盤である、「自己の内面を祓い浄め、磨き出された自己の中心をもって、他者を診」ること、すなわち「究極のリアリティー」に、日本における東洋の医学の基礎をおかなければなりません。この心の位置を極めることによって、言葉を越えて存在そのものへと肉薄することができます。ここまで、前回お話ししました。


古代の聖人である、舜(しゅん)の行動様式について孟子は、「舜は仁義によりて行う、仁義を行うにあらず」と述べています。(『孟子』離婁(りろう)章句下二〇)仁義の心を内なる柱として建て、その心に従って自在に舜は行為していた。頭で考えた仁義の定義に従って行動していたのではない、と。

仁義にのっとった行為を、文字にまとめ、経典として作成し、後世に遺すことはできます。そしてそれを道徳として語りつぎ、神聖視することもできるでしょう。その道徳を実践し、それに従って人を裁くこともまたできるわけです。

けれども舜の行いはそうしたものではなかった。自分の中に仁義という正しい柱を建て、後は時と処と縁による行いに任せた。言葉を越えた行為がそこにはあったのだということを、孟子は語りたかったわけです。


このことは、伝承されている東洋医学を神聖視している人々、発掘された書物を神聖視している人々に深い反省をうながすことでしょう。日本には現在、東洋医学の経験方と呼ばれるものが非常にたくさん蓄積されています。また、その屋上屋を重ねるように、体表の反応を見もせずに経穴の意味や効果を定める人々がいます。それは、仁義というものがその時と処と縁を得た関係性の中に行われているということを理解できずに、定義だけで仁義を行うことができると思っている人々と同じなのではないでしょうか。

伝承を大切にする東洋思想には、反面、古人の言葉を神聖視し、無批判にそれを受け入れてしまう傾向があります。古人の言葉であっても、それが事実かどうか、注意深く嗅ぎ分けていかなければなりません。そのためには、真実とはなにかを探究し続けていく求道の精神が、より一層求められることになります。

伝承されてきた多くの書物に記載された記述は、今目の前にある患者さんの生命状況を理解するための道具のひとつです。鍼灸師は、それを左手に軽く握りながら、事実はどうか、という探究心の下、四診をしなければなりません。

今目の前にいる患者さんこそが、古典の原点であり、その生命の声を聴き、言葉を紡ぐことこそが、鍼灸師の仕事となっているからです。

次に掲げている図は、今ここにあるいのちと、その表現方法についての関係を表したものです。この図の外に、言葉に言葉を重ねて、虚言、妄言を吐いている人々の大いなる闇が存在しています。虚言妄言は、妄想が文字を作り出しているため、この量の多さと価値のなさとの落差には、驚くべきものがあります。最も目立つものですけれども、ここでは全く触れていないということに注意して下さい。より大切なこと、意味の裏付けのある、リアルな言葉についてだけ、この表にまとめてあります。
第二章 言葉を越えて存在そのものに肉薄する



さて、東洋医学的鍼灸は求道者によって創始され、江戸時代の求道的な精神を背景にして、気一元の身体観とともに花が咲きました。

現代と同じように、江戸時代にはさまざまな学派や流派がありました。それぞれその派閥の論にのっとって論争していましたが、自説に固執していたわけではありません。このことは現代の自分自身の心を振り返ればすぐ理解できるでしょう。我々はただほんとうのことを知りたいだけであって、そのための方法として論争をしたり意見を述べ合います。そして自説を改めることを怖れることはありません。

求道的とは何かというと、真実を求めるということです。何かを前提にしていては真実を求めることなどできません。真実を求めるということは未だ自分は真実にいたっていないということを意味しています。だからこそ求めつづけることができるのです。

自分は未だ至っていない、だからより自分自身を磨き続ける必要がある。無知を知る、という言葉の意味の本体はここにあります。求めつづけるところに求道的な精神の所在があるわけです。つまり、求道的な鍼灸師はどのような道でも良いから今の不完全な自分をより完成度の高いものへと磨き上げたいと思っているのです。

そのためには、現代であれば西洋思想であれ精神分析学であれカウンセリングであれ、手当たり次第に勉強していきます。勉強する量があまりに多くてたいへんなため、自分の好奇心の及ぶ範囲で勉強するという限界はもちろん生じます。けれども、そのような限界の中で、勉強を重ねていくわけです。そうやって、人間理解への道をさらに歩んでいきます。治療とはなにか、治療効果が上がるとはどういうことか、といったことに対する理解もまたそのように探究し続けることによって深まっていくわけです。


現代の鍼灸師にも一人一派というほど多くの流派があります。所属している団体がどうであれ、問題は目の前の患者さんとどのように向き合い、治療の手を入れていくのかというところにあります。そしてその行為の背景には必ず、なんらかの人間観があります。

西洋医学的な人間観しかもっていない鍼灸師もいます。また、患者さんの主訴に対して暗記した経穴学を順次適用していくという、経験方を中心としたものがあります。古典にはこの方法の積み重ねられたものが、処方集としてうずたかく積まれています。特効穴治療もその中に入るでしょう。経穴学としてこれを学び、まとめたものとして穴性学が考案されもしています。この背景にあるものは、ある経穴は特定の症状に対して効果があるという考え方です。生命を見るのではなく症状や証候を見ているわけです。

弁証論治を行う人々は、それよりも少し広い範囲で患者さんを捉えようとしています。望診・問診・脉診・腹診・経穴診などを通じて全体的にその生命状況を理解しようとするわけです。そのような弁証論治をおこなうグループの中にも大きく分けると、二つ流れがあります。それは、望・聞・問・切という四診を通じて、その「疾病を理解」し、病名をつけて治療法をさぐっていくという「疾病理解のため」に弁証論治をおこなう方法と、四診を通じてその「生命状況を理解」し、その生命のバランスがとれるように生命力が向上できるようにと手を入れていくという方法です。私はこの後者のグループに属しています。

私がこのグループに属しているのは別に、私が望んで選択してそういうグループに入っていったということではありません。ただ、ほんとうの治療とは何か、ほんとうの鍼灸とは何かということを暗中模索していくことを通じて、徐々に理解が深まり、このような位置におさまっていっただけのことです。


中国の医書が大量に導入された江戸時代の医家も、同じように書物の海と実践の狭間であえぎながら、真実を求めていたのだと思います。そのころは、まず伝統的な医学の歴史を受容した上で、さらにそれを越えて、基本的な概念である陰陽五行論を否定したり、四診の基礎でもある脉診を否定したり、さらには経絡をも否定する人々も出現することとなりました。

現代よりもさらに過激で自由で原理的な批判が、江戸時代にはあったのだということは押さえておく必要があります。


そこには、実際に目の前にいる人間を診ながら人間理解を深めていくという姿勢がありました。別の言葉を使うならば、文字を通じて文字を越え、さらなるリアリティーを探究していったと言えるでしょう。そこにはまた、見えていないものを見えてないとするという正直さがありました。そのおかげで大陸風の観念論を越えていくことができたわけです。そしてそれでもなお見ていこうとする姿勢によって、外には経穴探索の勉強会を開くこととなり、内には上記した知の一点の確認に及ぶこととなります。


さて、前回までで明らかにしてきたように、求道に始まった鍼灸医学は江戸時代の日本の求道者たちの前に、気一元の生命観に基づいた新たな展開をもたらしました。その背景には、「陽明学の致良知と、禅の悟りの一点と、神道における禊跋とは「共通する一点」」を懐胎している江戸時代の知の結晶が基盤としてあります。

一個の求道的な生命において、仏教の本質と儒教の本質と神道の本質とが一つの無言の真理として自覚されたわけです。それによって、「自分自身の本体を磨き出」していきました。自分自身を磨き出すためには、今の自分自身を手放す必要があります。

そのはじめの一歩が、禊跋で行われます。神道の叡智が自らの穢れを払うということを啓示しています。自らの穢れ、その根本は何かというと、言葉とそれへの執着です。

よく考えていただきたいのですが、人間が生活していく上でもっとも頼りにしているものは言葉です。感情であれ理性であれ、すべて言葉を通じて構成されています。そしてこの文章も言葉を通じて語りかけています。

この文章を読んでいるあなたは、あなたがすでに理解している言葉の意味でこの文章を読んでいます。つまり多くの場合、あなた自身がすでにもっている言葉のカテゴリーの中にこの文章の内容を組み入れて、理解したつもりになっているわけです。

もし私が完全無欠に日本語を用いて表現できたとしても、それを理解するのはあなたの頭です。ということは多くの場合、あなたはすでに理解していることの中に私の言葉を組み入れ、理解できないことを排除しているわけです。より強くいえば、理解したいことだけをつまみ食いしているわけです。自分の理解できる言葉の範囲を越えることはいつもたいへん難しいことです。

けれども、この文章によって語られていることをほんとうに理解しようとするときには、自分自身の言葉の組成と異なるものがそこに存在していることを覚悟しなければなりません。理解とは実は自己の変革によってしか起こらないものなのです。そのような理解があって始めて、あなたは自分自身の限界をこえることができます。

このことを、「言葉を越えた理解」と表現しています。自分自身が作り上げている定義の牢屋、それが言葉です。その言葉を越えて存在そのものに触れる。そこに自分の意識の位置を建てつづける。これが「自分自身の本体を磨き出す」ということの内容です。自身がほんとうの意味で無知であることを知る、それが始まりなのです。


この、言葉を越えて存在そのものに肉薄する同じ姿勢が、四診においてもとられなければなりません。

勉強会をやっていると、自分自身の手を信じられない人が多くいることに気がつきます。このような自己の矮小化は、自分自身を磨いていく上では大切なことです。今に止まっていることはできないからこそ、勉強会にきているわけです。けれども、今見えている範囲を見えていると受け入れないと、それを拡充することはできません。師匠のようには見えてはいないけれども自分なりに確かに見えている、その積み重ねによって、より見えるようになっていくわけです。

今の自分を受け入れながら、それに止まることなくさらに自分を磨くということが、四診をする上で必須のこととなります。このあたりのことを伊藤仁斎は、「聖人の道は誰でも入ることはできる簡単な道だけれども、極めることは非常に難しい永遠の道である」と述べています。自分を信じて一歩を踏み出してみるけれども、あまりの難しさ判らないさに呆然としてしまう。けれども今の自分がすでに、永遠の道への貴重な一歩を踏み出している。その一歩より貴重な一歩は存在しません。その一歩をすすめることができる自分を信頼し、続けていくこと、それが道を歩むということです。


この両面の行為。自分自身の中においては、自分自身がすでにもってしまっている言葉を越えて自分自身本体に肉薄しなければ、自分自身の本体を理解することはできない、ということ。四診を通じて生命を理解しようとするときには、言葉を越えて存在そのものに肉薄する覚悟をもたなければ何も診ることはできない、ということ。この両者はその対象となるものは内と外とでまった異なります。けれども、その心の位置と探究し続ける姿勢とはまったく同じであるということが、理解されなければなりません。

「自分自身の本体を磨き出すことによって、自らの良知を鏡として人生を生きていく、それが陽明学における道を歩むということです。今この瞬間のリアリティをつかむということの中に禅の悟りの本質があります。それは自分を抜けて世界の中に落ちていく、世界が自分の本質であり自分はその中で生かされている生命にすぎない。そういう自覚。そこにおいて、自他は一体のものであり、自分の痛みは他者の痛み他者の痛みは自分の痛みであるという、大いなる生命のつながりを自覚することです。その一点に気付くことが悟りであり、その一点に気付き続けることが禊跋であり、その一点を鏡として今を生きていくことが致良知ということにな」るということへの気づきが、江戸時代の知の基盤にあったわけです。

そしてこの基盤にいたるために、自己の内面を祓い浄め、磨き出された自己の中心をもって、他者を診たわけです。日本における東洋の医学の基礎は、求道の精神に従ってこの一点を磨くことを自覚した、究極のリアリティーの探究にこそおかれなければなりません。
.懸賞論文募集要項


目的:東洋医学を、四診に基づく養生医学として構築しなおすための理論を蓄積することを目的とします。

方法:先人の理論を乗り越えあるいは破砕し、よりリアリティーをもったものとして奪還すること。新たに構築したものでも構いません。

第一期 期限:2020年10月10日

■参加方法■

■一元流鍼灸術ゼミナールの会員は一論文につき五千円を添えて提出してください。

■一般の方は一論文につき一万円を添えて提出してください。

■文体は自由ですが、現代日本語に限ります。

■TXTファイルかPDFファイルで提出してください。

■選者は、疑問を明確にし文章を整理するためのアドバイスをします。

■未完成なものでも構いません。何回かにわたって完成させるつもりで、
   出していただければ、その完成へ向けて伴走をさせていただきます。


懸賞金

■特別賞:十万円

■優秀賞:一万円

■奨励賞:五千円

選者:伴 尚志

送付先:ban1gen@gmail.com

受賞論文は、一元流のホームページに掲載します。

各賞の受賞本数は定めません。


【参考論文】

参考論文として私の発表しているものを提示しておきます。この参考論文は、私の興味の及んだ範囲ですので、狭いと思います。世界がもっと拡がると嬉しいです。

自分の井戸を掘る、ただし独断ではなく他の人々が理解できるように。ということを目標にしていただけると幸甚です。


論文【肝木の身体観】

 一元流鍼灸術の身体観



論文【一元流鍼灸術とは何か】

 一元流鍼灸術の道統



論文【奇経一絡脉論とその展望】

 奇経を絡脉の一つとした人間構造



論文【『難経』は仏教の身体観を包含していた】

 『難経』に描かれている身体観



論文【日本型東洋医学の原点】
 江戸時代初期の医学について



論文【本居宣長の死生観】

 死生観について



論文【疾病分類から生命の弁証論治へ】

 養生医学の提言



論文【鍼灸医学のエビデンス】

 エビデンスを磨く上での課題と目標





..始まりの時


始まりの時


東洋医学は、先秦時代に誕生し、漢代にまとめられ、人間学、養生医学として現代に伝えられています。天地を一つの器とし、人身を一小天地と考えた天人相応の概念を基礎とし、それをよりよく理解するために陰陽五行の方法を古人は生み出しました。臓腑経絡学は、あるがままの生命である「一」天人相応の「一」を実戦的に表現した、核となる身体観となっています。

天地を「一」とし、人を小さな天地である「一」とするという発想が正しいか否かということは検証されるべきところです。けれどもこれは東洋思想の基盤である「体験」から出ているということを、押さえておいてください。

この「一」の発想は、古くは天文学とそれにともなう占筮からでています。また、多くの仏教者はこのことを「さとり」として体験しています。そして多くの儒学者の中でも突出した実践家である王陽明は明確に、「万物一体の仁」という言葉で、この「一」を表現しています。

ですので、この「一」の視点は、思想というものを支える核となる体験を表現しているものです。これは、ひとり支那大陸において思想の底流となったばかりではなく、日本においても神道―仏教(禅)―儒学(古義学)を貫く視座となっています。


視座とは、ものごとを理解し体験するための基本的な視点の位置のことです。東洋思想の真偽を見極めるためにはこの「視座」を得る必要があります。それは、真実を求めつづける求道の精神を持ち続けることによって得るしかありません。このように表現すると何か古くさい感じがしますが、実はこれこそ、科学的な真理を求める心の姿勢そのものです。

この心の位置を始めにおいて、我々はまた歩き始めます。東西の思想や医学を洗い直し、新たな一歩をすすめようとしているわけです。

医学や思想の基盤を問うこと、ここにこの勉強会の本質は存在します。

体験しそれを表現する。その体験の方法として現状では体表観察に基づいた弁証論治を用い、臨床経験を積み重ねています。それを通じて浮かび上がってくるものが、これからの臨床を支える基盤となります。いわば今この臨床こそが医学の始まりの時です。

我々の臨床は自身のうちに蓄積された東西両思想、東西両医学の果てにあるものですが、その場こそがまさに思想と医学が再始動する場所なのです。

臨床において我々は、何を基礎とし、何を目標とし、何を実践しているのでしょうか。この問いは、古典をまとめた古人も問い続けた、始まりの位置です。この始まりの問いに対し、再度、向き合っていきましょう。
皆さんは忘れているかもしれませんが、東洋医学などというものは実は存在しません。東洋医学という言葉は、西洋医学に対して使われている言葉であり、江戸時代末期までは、単に正統派医学だったにすぎません。

その正統派医学にはさまざまな種類がありました。紀元後すぐの後漢初期にまとめられ、古典として尊崇される『黄帝内経』の中にさえ、当時のさまざまな流派の記載があります。歴史を下るにつれて、もともとは医学の原点であった鍼灸系統についての記載よりも、より詳細な理論を展開しやすい湯液系統の記載が増えていきます。


富士川游の「日本医学史」によると、日本医学は古くは古事記の時代から存在しているとされています。また、現代の東洋医学家の多くは日本の仁和寺に『黄帝内経太素』という現代中国には残っていないような隨代の古い書物が所蔵されているのをご存知でしょう。さらには、『医心方』や『頓医抄』『万安方』という古医書もすでに日本で書かれているではないかと思われる方もおられるでしょう。

けれどもそれらの書物は、一般の学者の間でさえ共有されていませんでした。

このことは、日本医学中興の祖である田代三喜が、導道という僧侶が明国から輸入した李朱医学を学び〔注:「TSUMURA MEDICAL TODAY 2009年3月25日放送 漢方医人列伝 「田代三喜」 前・東京理科大学 薬学部薬学科 教授 遠藤 次郎」による〕、その治療効果の高さから、医聖とまで呼ばれるようになっていることからも明らかです。

田代三喜が採り入れた明代中期の医学は、現代中医学にも通じる弁証論治による治療法を日本式に勘案したものでした。それはそれまでの、症状に対して処置をしていく民間療法とは、その効果において大きな隔たりのあるものだったのです。

江戸時代につながる医学の大衆化は田代三喜を起源とし、その弟子である曲直瀬道三による医書の大量の出版によって大々的に始まりました。この時代は、日本医学が再構築された時代として銘記されなければなりません。


室町時代の戦乱が終わり、平和な江戸時代が訪れるにつれ、武士たちはその食い扶持を稼ぐ場所を失っていきました。そこで、さまざまな職業に手を染めていきました。その中に、儒教の研究実践で身を修めつつ医家として食いつなぐというというスタイルが出てきました。ここには豪商や庄屋などの知識人も参加し、江戸時代の大衆文化の基礎を形成することとなります。

その主流である京都の民間学派には、禅と陽明学を源流として日本で発展した気一元の人間観に立つ医学が生まれました。その背景には、儒教を日本的に換骨奪胎した多くの儒者、とくに伊藤仁斎の思想がありました。

> 内風が起きるということは、肝鬱は化火していると考えてしまっていいのでしょ
> うか?
> それとも化火までいっていなくても内風が起きてしまうこともあるのでしょう
> か?
>
> 肝鬱化火と肝鬱化熱では火のほうが強いと考えていいのでしょうか?
>
> ぐるぐるワールドにはまりました。

内生の邪すべてに言えることなのですが、内生の邪となる前の風寒暑湿燥火そのものは、すでに体内に存在し、生命力を構成しているものです。

その中でも風の大切さは、ライアルワトソンの『風の博物誌』に美しく描かれているように、まるで生命そのものを養い育てている本体であるかのようです。病気の初期状態として、一気留滞説を後藤艮山が唱えたわけです。

風があるからこそ、生命は循環し万物を育てていくことができる。風があるからこそ、生命は留滞することなく全身をめぐり隅々まで身体を養うことができる。

その風が少し行き渡らなくなると留滞がおこる。これが万病の元である気の留滞となります。けれども留滞にも実は意味があります。もし留滞しなければ揺らぎ、揺らぎが強くなるとコントロールしにくくなるわけです。そしてそのコントロールしにくくなったものが自身に違和感を覚えるほど強くなると、内風と呼ばれものとなります。

ですから留滞はある意味で生命力の踏ん張りであるとも言えます。留滞をとるためには、生命力がそこで踏ん張る必要がない状態に調える必要があります。それが一元流鍼灸術における治療目標としているところであるということになります。

ですから、邪気というのは、生命力がバランスを崩すことによって、気一元の場を困窮させ、その存続を劫かす状態となった生命力の状態であると言えます。


気虚や血虚でも内風がおこるように、生命力の流れがコントロールを失うことが内風の本体となります。

化熱と化火の違いは、熱化した段階であればコントロールしやすく、化火した段階になるとコントロールしにくく、延焼しやすいものです。

すべてを一元の気―すなわち生命力の変化状態という観点から見ていくようにすると、答えを得やすくなります。

⇒続きを読む

『臓腑経絡学ノート』の序文に私は、人間学として医学を捉えるべきであり、そのような角度から東洋医学を学ぶべきであると宣言しました。

「医学は人間学である。人間をどう把えているかによって、その医学体系の現在のレベルがわかり未来への可能性が規定される。また、人間をどう把え人間とどうかかわっていけるかということで、治療家の資質が量られる。

東洋医学は人生をいかに生きるかという道を示すものである。天地の間に育まれてきた生物は、天地に逆らっては生きることができない。人間もまたその生長の過程において、天地自然とともに生きることしかできえない。ために、四季の移ろいに沿える身体となる必要がある。また、疾病そのものも成長の糧であり、生き方を反省するよい機会である。疾病を通じて、その生きる道を探るのである。」(『臓腑経絡学ノート』1989年 北辰会出版部編 谷口書店刊)


同じように、精神病理学者である木村敏は、機械的な時間ではない「生きられている時間」について整理を試みています。

「すでに形成されて完了形で捉えられるようなかたちが「客観的時間」と呼ばれる観念的な「次元」の中に定位されるのに対して、つねに生成の途上にある生きたかたちは、それ自身とともに生命的時間を生み出す。かたちの生成する「いまここ」で「現在が現在自身を限定」し、アクチュアルな時間としての現在が生成する。現在の一瞬にほとばしっている時間とは、実は生命そのもののことである。それは外界の三次元につけ加わるような第四の「次元」などではない。

物理の世界に時間はない。変化はあったとしても、時間は存在しない。太陽が西の空に沈んで一日という時間がたち、時計の針が一目盛り動いて一分という時間が進んだと思うのは、それを一人の生きた、そして死すべき人間が見ているからである。人間に死ぬということがないならば、つまり人間が生きているのでないならば、時間ということはありえない。変化を時間の相のもとに見るということもありえない。死の欲動、それは時間のことである。

わたしたちを欲望させるもの、わたしたちに世界を享受させてくれるもの、わたしたちに死の恐怖をいだかせるものとしての時間、生命のかたち、かたちの生命、この「の」のところにのみ、そんな時間が流れている。」(木村敏著「生命のかたち/かたちの生命」229p:2005年第一刷)

生は、「今ここに」生きられている時間と空間が与えられて始めて存在します。木村敏は、臨床と哲学を通じてこの確信を得、「生命哲学」の構築を目指しています。


東洋には古くから「生命哲学」が存在しています。生きているということはどういうことなのかという問いとの格闘の歴史が記録されています。その中で最も有名な人物が、釈迦です。彼は生きるとはなにかという問いに明確な答を見出しました。けれども、その答は言葉にすることのできないものでした。

なぜなら、言葉は二次的なものであり、言葉には一般常識が必ずまとわりついているためです。けれども、その常識的な言葉を用いなければ生の実体を表現できません。この矛盾を解決するため釈迦がとった方法は、譬喩と、常識的な言葉の否定を言葉にすることでした。

人の概念は言葉を基礎として構成されていますから、釈迦の言葉を理解するためには、自己の概念を否定することから始めなければなりません。言葉は、その人の常識的な生活姿勢、あたりまえの生活の中から誕生しているため、常識とあたりまえがどうしようもなくまとわりついているためです。我々はそのようなものとして言葉を記憶し、そこから道徳を導き出すことによって社会を構成し、常識的な生をまっとうしています。

そのような生の常識―あたりまえに疑問を抱くことから、生の意味を問うことが始まります。「なぜ」という疑問にとらわれることから、常識的な人生を逸脱し、修行します。いわゆる求道者として人生を歩み続けることとなるわけです。そのような人の代表が釈迦でした。そして彼は明確な回答を得ることができました。しかしそれをそれまでの言葉の論理構造の中で開陳することはできなかった。そのため、譬喩と否定の否定によって、自己の概念を否定する勇気を持った求道者のみが理解し体験できるような、真実の言葉として残したのです。

それ以降、多くの求道者たちが、釈迦と同じ道を歩み、求道の果てに大いなる理解に辿り着きました。それを悟りと呼んでいます。

実はその悟りには二段階あります。その第一の悟りが、冒頭に揚げた木村敏の、生命についての解説です。「の」というのが体験される時間であるという言葉は、われわれに救いと喜びを与えてくれます。

生きている時間を、かたちを得ているわれわれのみが自覚的に感じ取ることができます。その時間は、物理的な刻々と流れる時間とは異なります。感情によって長くも短くもなる。ゆるゆると、生命そのものとして体験されている豊かな時間です。

そしてそれは実は、個としての「かたち」が体験しているだけではありません。共有体験されているものです。それがより大きな生命圏、生命場につながります。その生命場は、さらに大きな生命場につながり、とうとう、この死をも含む大いなる生命そのものに繋がっているものである、そのような気づきにいたることとなります。

生命の実体とは実にこの大いなる生命の陰翳、揺らぎつつ流れる時間の中にあります。

そのような気づき、それが第一の悟りです。生命の実相がここに与えられるわけです。生老病死という大いなる悩みが実は妄想でしかなかったということが、ここで理解され、精神的なジャンプがおきます、表と裏とが入れ替わる瞬間といってもいいでしょう。その感動は言葉に表すことができません。闇の世界の奥底に見つけたさらなる地獄への扉を強い意志と覚悟をもって押し開いたそのとき、そこには昇る朝陽のように燦々と差し込む光があった。その陽射しが闇を照らし出し全ての解答を与えてくれる。そのような知恵の光を浴びている感動です。これが第一の悟りの体験です。

個人の悟りであるためこれを、小乗の悟りと呼びます。自分一人だけしか乗ることのできない、小さな乗物という意味がここにはあります。江戸時代の有名な禅僧である白隠はこの悟りを得た時、手が舞い足が踊るほどの喜びを押さえることができなかったといいます。けれども彼は師匠にその悟りを話したとき、痛罵されます。なぜでしょうか。それはまだ世の人々を救う悟りとはなっていなかったためです。個人の中で起こった気づきにすぎなかったからです。

白隠はその後、大乗の道を歩み始めます。これが悟りの第二段階です。大乗の道、それは生命世界の本来の意図を人々に伝える道です。その行為を決意した人々を「菩薩」と仏教では呼んでいます。人々を救う、それは何と傲慢な表現でしょうか。けれども、彼らの悟りの見地から人々を見ると、生きる意味を見出せずただ惰性で生き、病を恐れ、老いを恐れ、死を恐れて、あたかも永遠の苦しみを得ているかのように生を送っているようにみえます。

そのような人々の心を救い出すことが、この地上に極楽世界を作り出すということです。あたりまえに生きあたりまえに死を受容できる世界を実現すること。それが菩薩の道でした。白隠禅師はその後、この道を歩んでいくことになります。

白隠に先だつ人々が、東洋には釈迦以来たくさんいます。そのような人々によって東洋における医学が形成されてきました。このことは、深く銘記しなければなりません。
病むとは乱れること

病むというのは乱れるということです。乱れるということの大きな原因には生命力がその統一性を失うことがあります。そしてその統一性の喪失の根本には生命力の虚損が潜んでいることが多いものです。

もちろん、その生命力の虚損の奥には、先天的な生命力の弱さ、暴飲暴食過労、心の使い方の間違いによって自ら招いた生命力の乱れというものもあるわけです。

治療をしていく際に観ていく必要があるものはそのような生命力のあり方の全体性であるということは言うまでもありません。

.....疾病について

人の身体は、自然にバランスが取られることによってその生理的な活動を営むことができるようになっています。これをホメオスタシス(生理的な均衡)とも表現します。一般的に疾病と呼ばれているものは、身体の均衡が劫かされている状態のことを意味しています。

身体の均衡が破られている状態には、より健全な心身を獲得するために、「固定化している現状を手放している状況が表面に現れている」生理的な不安定状態のものがあります。

また、健全な心身を劫かしてその均衡を破壊し、時には生命の危機にまで至る、非生理的な不安定状態のもの、すなわち病理的なものがあります。

このあたりについてのより大きな生成病死については、テキストの一元のところで詳細に述べられていますので、まずはそちらをお読みください。ここではそのうちの病の内容について述べています。

この両者は同じように心身の均衡が破られているため、ふだん元気に生活を営んでいる状態とは異なる、なんらかの違和感が身体に表れてきます。


病者は身体に違和感があることから治療を求めます。素人ですからこれはどうしようもないことです。けれども治療家の側も患者の訴える症状に振り回されて、この両者を同じように「疾病」とし、否定して解消するべき課題としてしまうと、ここに非常に大きな問題を生ずることとなります。

この問題の小さなところでは、根本の問題を理解することができないまま対症療法が積み重ねられることによって、実はその患者さんの生命力が損傷され、寿命を短くしている可能性があるというところにあります。またこの問題の大きなところでは、歴史的に蓄積されたと言われている東洋医学の治療技術が、実は単に対症療法の積み重ねにすぎないものとして把握される可能性があるというところにあります。

もともとは人間をいかに理解しいかに生きるかという人間学として構想された東洋医学を換骨奪胎し、東洋医学の積み重ねを単なる大いなる人体実験として捉えて、対症療法的な治療技術を秘伝と呼んで盗み集めようとする人々が出てくるわけです。


けれども東洋医学の実に面白いところは、この対症療法という「民間療法的なものを積み重ねてもその東洋医学的な人間観が構成されない」ということろにあります。すなわち古代、東洋医学を作り上げた人々は、単に対症療法を蓄積しただけではなかったということです。彼らは、より深く、人間をどのように捉えるべきか、人間とはいかなるものであるのかといった、その生理的な状況・病理的な状況を、生きて働いている人間のありのままの状態を観察することを通じて把握しようと試みてきました。そのような姿勢を保持することによって初めて、東洋医学の人間観ができあがっていったわけです。


この東洋医学の人間観を築き上げていく際に使用した基本的な概念は、天人相応に基づく―人身は一つの小天地であるという発想に基づく―陰陽五行理論でした。この発想を積み重ねていくことから生まれたもっとも大きな成果が、人間の生理的な状態についてまとめ、病理とは何かを明らかにしている臓腑経絡学説です。これを通じて東洋医学は、人間の生命がどのようにして養われているのか、なぜ病むのかということを明らかにしました。


生命とはいかなるものであるのかという問いこそが、東洋医学を深化発展させる鍵となったわけです。

そして、病を治療する方法のもっとも広く深いものとしてまずその人間の生き様としての養生があり、次に鍼灸があり、湯液があり、最後に治せないほど深い病があると古人は考えました。

そしてまたここにおいて疾病の二重性すなわち生命を維持していくために一時的な矛盾として起こる疾病と、生命が毀損されている状態としての疾病とがあるということが明らかにされていったわけです。


ですから、現代において東洋医学と称して対症療法のみを行って平然としていられる人々―漢方薬や鍼灸という道具を使用しながら、古人の身体観に則ることなしに、症状を目標として治療を行っている人々―は、この古人の姿勢を裏切るものであると言えます。伝統医学を自称しながら伝統を裏切っているわけです。

東洋医学は単なる病気治しの医学ではありません。その人生を応援するための養生術をその中核としている人間学です。これこそが、東洋医学がまさに「未病を治す医学」と呼ばれているゆえんであるわけです。
肝木の身体観をアップしました。ちょっと長いので、ここでは、アップしているページだけ、紹介させていただきます。17ページあります。リンクは紹介ページに飛びます。そこをクリックすると、PDFファイルを読むことができます。
肝木を中心とした身体観は、一元流鍼灸術独自のものです。他の四臟を傷つける肝気ではなく、生命力を養い励ます基本となる肝木の機能について述べています。現代に誕生した新しい肝木の蔵象と言えるものです。

ライフ・ステージ考


人が生まれてから死ぬまでの間にある、人生の結節点―イベントをライフステージと呼んでいます。恋愛や結婚や出産というイベントのほかに、事故・大病・肉親などの世話・世話からの解放・仕事関係の問題とその解決など、個人々々人それぞれのイベントが起こります。その起こっているイベントは外的には同じように見えても、その生命の器に従ってさまざまな影響をその個人に与えています。生命力を損傷して大病をもたらすような悪影響を与える場合もありますし、逆にイベントを乗り越えることによってさらに強靱な身心を獲得させる刺激となることもあります。

弁証論治を行う上で大切なことの中に、このライフ・ステージのとらえ方があります。イベントの前後で体調の変化があったのかなかったのか、あったとすればそれはいい変化となっているのか悪い変化となっているのか、というとらえ方です。


ライフステージにおいて目立たないけれども大きな問題を引き起こすものの中に風邪の内陥があります。ご本人としては風邪のような症状を記憶していない場合もありますので判然としない場合も多いものです。そのため、問診をしても明らかには出てきにくい問題となっています。風邪の内陥がどのように問診として出てくるかというと、ある時期から疲れやすくなったり、体温が低くなって寒がりになったように感じたり、背中が寒くなったり、風邪が治りにくく感じたり、風邪を引きやすくなったり、消化状態が悪くなったり、原因不明の痛みが出たりします。切診としては、風邪の内陥が浅い場合は風門肺兪の発汗や太淵列缺の発汗として表われています。また深い場合は、風門肺兪の削げ落ちとなって出ている場合があります。慢性化している場合には気虚を深めさせる原因となり、列缺の削げ落ちとして出ている場合もあります。風邪の内陥は「痺証」として症状が表面化する以前の身体の状態であると考えています。


マイナスのイベントが同時期に重なって起こることがあり、それが大病のきっかけとなります。一つのイベントであれば跳ね返してさらに強靱な自己の身心を獲得することができても、いくつも重なると乗り越えることができずに身心を本当の意味で損傷することとなるわけです。弁証論治を行う上ではこの見極めが非常に大切になります。


治療をしていく際には、現在の身心状況となった段階からさかのぼってそのライフステージを調べ、問題が起こる以前の状態にまで身心を回復させるということが一つの目標となります。このことが、生命力が一段高い状態に回復すると表現していることの中身となります。


全身の生命力の問題について一元流鍼灸術では頻繁に語っています。人間が生きるか死ぬか、その事がもっとも深い問題であると考えているためです。

しかし、人間の病というものは、その生死とは深く関係しなくとも、怪我をすれば痛み、できもができると不安になるものです。

いちおう、小さな怪我やできものなどは、小さいものですから基本的に陰陽の観点で見分けていくようにします。生命力がそこに集まるということは(一時的には)陽気が強くなるということを意味しています。陽気が強くなると熱を持ちます。陽気が強くなりすぎると欝滞して痛みとなります。全体であれ部分であれ、陰陽のバランスが取れていることが、その規模としてはもっとも生命力が充実している状態なのですが、怪我などがあるとこのような形で修復しようと身体はするわけです。修復力が過剰となると、痛みがきつくなりますけれども、怪我は速く治ります。修復力が不足していると、痛みはきつくありませんが、怪我の治りも非常に遅くなります。またあまりに修復力が不足している場合には、痛みも感じないということになります。老人の骨折などがこの代表的な例です。まぁ、老人といってもその生命力の充実度にはさまざまなレベルがあり個人差も大きいわけですけれども。


規模が大きく構造体をとっているものに対しては、このような陰陽という観点だけではなく、五行の観点を取り入れるとより説明がしやすくなります。

たとえば、子宮筋腫などは表面から触ると大きくなったり小さくなったりしているわけですけれども、病院にいってレントゲンなどで診てもらうと大きさは変わっていないと言われます。

鍼灸師が診ているものは、その中心となるできものだけではなく、それを取り巻いている生命体です。この生命は、修復作用が強くなると痛みを出し、弱くなると痛みが消え、さらに弱くなると冷えて動きが悪くなってきます。筋腫などの場合は生命力の弱りから出ているものなので、痛みが出ることはあまりありません。痛みが強いということは、それだけ隣接部位を侵襲していると考えられます。

さて、この中心にあるものを腎の位置、それを取り巻いているものを肝の位置などとして、筋腫そのものを一元の場としてみていくと、その修復状況がどのレベルのものであるかということが見て取りやすくなります。〔注:この肝腎というのは、場の深さの表現であって、五臓の肝腎とは直接的には関係ありません〕

お医者さんからは変化ないといわれている部分は要するに芯の部分、腎の位置となります。この芯が取れてこないと本当には治って行かない。けれどもその芯を取るためには、その部位に生命力が集まる必要があるわけですね。ただ、この場合、生命力が集まるということは、流れとしての生命力が集まるということになります。カレーを作るときに玉ができる、その玉を溶かすためにかき混ぜる感じです。そのようにしないと芯が溶けてこない。

鍼灸などをして筋腫の大きさが変わるというときの第一段階は、この流れをよくして玉の表面に集まっている有象無象を流し取っていくということです。そして、この状態を継続させることによって、筋腫は太りにくくなり、最後には流れる生命の渦の中に溶かされていくことになると期待するわけです。

カレーの玉などの場合も、あまりにも溶けにくいときにはお玉などでそれをつぶすようにします。同じように筋腫などがある場合にもそこに鍼をして潰れやすくすることが必要な場合もあるわけです。

まぁ、玉があまりにも大きいときは、かっこ悪いので取って捨ててしまいます。これなどはいわゆる手術して筋腫を除去するということにあたるわけです。

この人とブロともになる