死者を祀り生者は祭りする
東日本大震災から一周忌が過ぎ、遅ればせながら桜が咲き誇る季節となりました。
桜は咲き誇っているのでしょうか。生命の果てがその花びらに乗り、ひらひらと落ちるとき、私は津波に呑み込まれ非業の死を遂げた人々を思わずにはいられません。
桜はしかし、彼岸の岸を乗せて咲き誇っています。非業の死者の心を乗せて散り、生者がさらに盛んに生きることを励まして、桜は咲き散ります。
今、生きている生命はまさに奇跡であるとしか私には言えません。貴重な貴重な生命です。今日、四月八日ははなまつりの日、お釈迦様の誕生の日です。お釈迦様は誕生したときに天地を指さして「天上天下唯我独尊」と言われたと言い伝えられています。この生命よりも大切なものはない。死ぬときが必ずくるということを知らない人はいない。だからこそ、この生命こそが大切。唯我独尊。このことを私は奇跡であると思うのです。
その奇跡を祝い踊る、それこそが生命のありようであり、そのためにこそ死者と生者とは悲しいですけれども、厳しく別れを告げる必要がある。そこが祀りが必要な理由であり祭が必要な理由があります。
日本は、大自然による災禍の非常に多い国です。何千年何億年ものその歴史の中で、たびかさなる災禍に寄り添うために育まれたものが祭祀王としての天皇であり、祭司王としての天皇なのでしょう。
我が国の結局のところ終局に据わっている厳しさは、この祀祭によってけじめがつけられている。そこに我が日本の美しさと悲しさ、儚さと厳しさがある、そのように私は思っています。
東日本大震災から一周忌が過ぎ、遅ればせながら桜が咲き誇る季節となりました。
桜は咲き誇っているのでしょうか。生命の果てがその花びらに乗り、ひらひらと落ちるとき、私は津波に呑み込まれ非業の死を遂げた人々を思わずにはいられません。
桜はしかし、彼岸の岸を乗せて咲き誇っています。非業の死者の心を乗せて散り、生者がさらに盛んに生きることを励まして、桜は咲き散ります。
今、生きている生命はまさに奇跡であるとしか私には言えません。貴重な貴重な生命です。今日、四月八日ははなまつりの日、お釈迦様の誕生の日です。お釈迦様は誕生したときに天地を指さして「天上天下唯我独尊」と言われたと言い伝えられています。この生命よりも大切なものはない。死ぬときが必ずくるということを知らない人はいない。だからこそ、この生命こそが大切。唯我独尊。このことを私は奇跡であると思うのです。
その奇跡を祝い踊る、それこそが生命のありようであり、そのためにこそ死者と生者とは悲しいですけれども、厳しく別れを告げる必要がある。そこが祀りが必要な理由であり祭が必要な理由があります。
日本は、大自然による災禍の非常に多い国です。何千年何億年ものその歴史の中で、たびかさなる災禍に寄り添うために育まれたものが祭祀王としての天皇であり、祭司王としての天皇なのでしょう。
我が国の結局のところ終局に据わっている厳しさは、この祀祭によってけじめがつけられている。そこに我が日本の美しさと悲しさ、儚さと厳しさがある、そのように私は思っています。
中医学の弁証論治と一元流の弁証論治
以前、2011年1月12日付けで「古典を読むということ 弁証論治を作成するということ」の中で述べましたように、中医学の弁証論治と一元流の弁証論治の違いは、その基本的な発想法にあります。
中医学は証候鑑別診断学に現れているように、数ある証候にその人間を当てはまるものを選択するようにしていきます。そこには、患者さんの身体あるいは眼前の病気をブラックボックスとし、四診を用いてそのブラックボックスから解を引き出そうとするという発想が隠されています。このため、中医学はあたかも百科事典を引くように症状を弁別し証を鑑別していくことが弁証論治の目標となります。
それに対して一元流の弁証論治は、気一元の生命観の下、その人間の生命の流れを主として五臓の関係の変化で記述していこうとします。ここには、現在現れている生命の状態とともにその人間の歴史といったものをも記述し、その生命の流れの中で疾病が起こってくる原因を探っていこうという姿勢があります。そのため、治療技術は病気に対応する解ではなく、症状を出すまでに気の濃淡の強くなった生命のバランスを立て直すにはどうすればよいか、という実践の集積となります。
中医学を奉じる北辰会の藤本氏は弁証を「この医学としての「病」分析であり、それに基づいて治療を導き出す前提である」〈上下左右前後の法則:序〉と語っていますが、一元流鍼灸術では生命の弁証論治と名付けているのは、このような違いがあるため、それを明確にしているわけです。
以前、2011年1月12日付けで「古典を読むということ 弁証論治を作成するということ」の中で述べましたように、中医学の弁証論治と一元流の弁証論治の違いは、その基本的な発想法にあります。
中医学は証候鑑別診断学に現れているように、数ある証候にその人間を当てはまるものを選択するようにしていきます。そこには、患者さんの身体あるいは眼前の病気をブラックボックスとし、四診を用いてそのブラックボックスから解を引き出そうとするという発想が隠されています。このため、中医学はあたかも百科事典を引くように症状を弁別し証を鑑別していくことが弁証論治の目標となります。
それに対して一元流の弁証論治は、気一元の生命観の下、その人間の生命の流れを主として五臓の関係の変化で記述していこうとします。ここには、現在現れている生命の状態とともにその人間の歴史といったものをも記述し、その生命の流れの中で疾病が起こってくる原因を探っていこうという姿勢があります。そのため、治療技術は病気に対応する解ではなく、症状を出すまでに気の濃淡の強くなった生命のバランスを立て直すにはどうすればよいか、という実践の集積となります。
中医学を奉じる北辰会の藤本氏は弁証を「この医学としての「病」分析であり、それに基づいて治療を導き出す前提である」〈上下左右前後の法則:序〉と語っていますが、一元流鍼灸術では生命の弁証論治と名付けているのは、このような違いがあるため、それを明確にしているわけです。
鍼灸古典図書
http://1gen.jp/kosyo/
ここには、基本的な古典の書籍が揃っています。
けれども量も多く、読みにくい書物ばかりなので、
いちおうとっかかりが必要かなということで、
簡単に記載しておこうと思います。
必須なのは「日本医学史:富士川游」です。歴史ある医学を学ぶわ
けですからどうしてもその歴史の大枠をつかんでおくべきです。そ
れによっていつの時代にどの程度のことがあったのかといったこと
が把握できます。この書物は明治時代に書かれたものです。大部で
すが比較的読みやすく、日本医学史としては現代に至るまで基本著
作ということになります。けれども古本屋さんでしか手に入りませ
ん。これを通読しておきましょう。
鍼灸というだけでなく東洋医学の古典というと『素問』『霊枢』と
いうことになりますが、これを項目別にまとめなおしたものが『類
経:張景岳』です。ここに掲載してあるものは江戸時代の日本で刊
行された版ですので、漢文だけではなく返り点送りがながついて読
みやすくなっています。『類経』は『素問』『霊枢』の解釈もそこ
に掲載されており、その解釈の良さには定評があります。この最後
の方には『類経図翼』と『類経附翼』があり、医易を考えていくた
めには基本的な文章がここには掲載されています。
医学総合の所の『景岳全書』は、同じ張景岳の著書です。人間観や
治療概念などがバランスよく治療法が掲載されています。具体的な
治療法についても湯液を中心として掲載されています。現代中医学
でも一目置かれている貴重な書物です。この『景岳全書』は、鍼灸
古典図書の頁では『景岳全書:疾病論:張景岳』『景岳全書:本草
篇:張景岳』として上下に分けて掲載しています。
後は興味の方向に従って目次をにらみながら読んでいけばよろしい
かと思います。
字句に拘わり方向性を見失ったときには、再度『一元流鍼灸術の
門』の総論に戻ってきて下さい。読みの深さが変化していることで
しょう。
http://1gen.jp/kosyo/
ここには、基本的な古典の書籍が揃っています。
けれども量も多く、読みにくい書物ばかりなので、
いちおうとっかかりが必要かなということで、
簡単に記載しておこうと思います。
必須なのは「日本医学史:富士川游」です。歴史ある医学を学ぶわ
けですからどうしてもその歴史の大枠をつかんでおくべきです。そ
れによっていつの時代にどの程度のことがあったのかといったこと
が把握できます。この書物は明治時代に書かれたものです。大部で
すが比較的読みやすく、日本医学史としては現代に至るまで基本著
作ということになります。けれども古本屋さんでしか手に入りませ
ん。これを通読しておきましょう。
鍼灸というだけでなく東洋医学の古典というと『素問』『霊枢』と
いうことになりますが、これを項目別にまとめなおしたものが『類
経:張景岳』です。ここに掲載してあるものは江戸時代の日本で刊
行された版ですので、漢文だけではなく返り点送りがながついて読
みやすくなっています。『類経』は『素問』『霊枢』の解釈もそこ
に掲載されており、その解釈の良さには定評があります。この最後
の方には『類経図翼』と『類経附翼』があり、医易を考えていくた
めには基本的な文章がここには掲載されています。
医学総合の所の『景岳全書』は、同じ張景岳の著書です。人間観や
治療概念などがバランスよく治療法が掲載されています。具体的な
治療法についても湯液を中心として掲載されています。現代中医学
でも一目置かれている貴重な書物です。この『景岳全書』は、鍼灸
古典図書の頁では『景岳全書:疾病論:張景岳』『景岳全書:本草
篇:張景岳』として上下に分けて掲載しています。
後は興味の方向に従って目次をにらみながら読んでいけばよろしい
かと思います。
字句に拘わり方向性を見失ったときには、再度『一元流鍼灸術の
門』の総論に戻ってきて下さい。読みの深さが変化していることで
しょう。
そのように育った村がこのたびの大地震と津波で、まるで神の手によって払われたかのように削り取られ、復興までには30年かかるかもしれないということでした。
復興。故郷が復興されるということはありがたいことではあるのですがしかし、望むことは復興なのでしょうか?同じような大震災同じような津波にあったときには再度絶望の涙を流し続けることになるのでしょうか。そのことを私たちは子孫に強いることができるのでしょうか?元通りの復興というものは、ほんとうは有り得ない、あり得るべきではない。先ず大切なことは、安全の確保なのではありませんか?確保された安全な場所で確実に住み確実に仕事をする。危険を知りいつでも待避できるような覚悟でしか、故郷に足を踏み入れるべきではないのではないでしょうか。
思い出してみると、幼稚園の上級さんのときに過ごしていた綾里の家は山の中腹にあり、民家のあるところからずいぶん離れていました。これは村人が津波から私たち家族を守ろうとしたためであろうと今になってみると思います。家から少し上った山中で椎茸栽培していたおじさんは、地震があったら山の頂上まで逃げなくてはいけないということを、何度も何度も私に言い聞かせていました。その言葉が耳についていたため、私は山の上の方にある畑の脇に生えていた椿の樹の上に登って遊んでいたものでした。そこなら安全だと言われていたからのような気がします。
日本は神の国であると言われています。その理由は実は、抗い難いこのような大自然の猛威が国土を襲うからなのではないでしょうか。抗い難いからここは神の国であるとして、注連縄(しめなわ)を張り巡らして聖別していた。
日本人は、神の国の端にに土地を借りて我々は住まわせていただいているのだ、という緊張感をいつももって生活していたのではないでしょうか。運命を感謝の心で受け入れながら、なおもその故郷で生活させていただくという心が、天災の非常に多い国土で生活する我々日本人共通の心だったのではないでしょうか。
いつでも死を覚悟し、いつでも身の回りを掃き清め、心を定めながら生きていくという人生観を、日本人は天災の中から学び、宗教へと高めていったのではないでしょうか。
この神の国の、神の手によって一度払われた大地は、もう一度深い反省と覚悟をもって住むことを始めるべきでしょう。
子孫を同じ嘆き悲しみの中に沈ませないためにも・・・
復興。故郷が復興されるということはありがたいことではあるのですがしかし、望むことは復興なのでしょうか?同じような大震災同じような津波にあったときには再度絶望の涙を流し続けることになるのでしょうか。そのことを私たちは子孫に強いることができるのでしょうか?元通りの復興というものは、ほんとうは有り得ない、あり得るべきではない。先ず大切なことは、安全の確保なのではありませんか?確保された安全な場所で確実に住み確実に仕事をする。危険を知りいつでも待避できるような覚悟でしか、故郷に足を踏み入れるべきではないのではないでしょうか。
思い出してみると、幼稚園の上級さんのときに過ごしていた綾里の家は山の中腹にあり、民家のあるところからずいぶん離れていました。これは村人が津波から私たち家族を守ろうとしたためであろうと今になってみると思います。家から少し上った山中で椎茸栽培していたおじさんは、地震があったら山の頂上まで逃げなくてはいけないということを、何度も何度も私に言い聞かせていました。その言葉が耳についていたため、私は山の上の方にある畑の脇に生えていた椿の樹の上に登って遊んでいたものでした。そこなら安全だと言われていたからのような気がします。
日本は神の国であると言われています。その理由は実は、抗い難いこのような大自然の猛威が国土を襲うからなのではないでしょうか。抗い難いからここは神の国であるとして、注連縄(しめなわ)を張り巡らして聖別していた。
日本人は、神の国の端にに土地を借りて我々は住まわせていただいているのだ、という緊張感をいつももって生活していたのではないでしょうか。運命を感謝の心で受け入れながら、なおもその故郷で生活させていただくという心が、天災の非常に多い国土で生活する我々日本人共通の心だったのではないでしょうか。
いつでも死を覚悟し、いつでも身の回りを掃き清め、心を定めながら生きていくという人生観を、日本人は天災の中から学び、宗教へと高めていったのではないでしょうか。
この神の国の、神の手によって一度払われた大地は、もう一度深い反省と覚悟をもって住むことを始めるべきでしょう。
子孫を同じ嘆き悲しみの中に沈ませないためにも・・・
綾里の同窓会再び
先日同窓会があった綾里は、311の大地震と大津波の被害にあった、大船渡市にあります。以前紹介した文章は以下にあります。
http://1gen.blog101.fc2.com/blog-entry-83.html
綾里が私の故郷であるとは言っても、私が綾里にいた期間は幼稚園の上級さんから小学校2年までのわずかに三年間だけでした。綾里では幼稚園には行かなかったので、同世代との交流は二年間だけですから、私はほとんど彼らの名前を覚えていません。けれどもそんなことにもあまり気がつかなかった。その後も綾里で暮らし続けて成人になった彼らにとって私はほとんど異星人に過ぎないものだったろうに、暖かく迎え入れてくれました。
小学校に入ったとき私はどうやら半ズボンとおかっぱ頭が印象的だったらしく、聞いているとまるで自分が大正時代のいいところのお坊ちゃんになったような気持ちがしました。ε=ε=ε=ε=ε=(o・・)oブーン
私は小学校3年になるときに父の都合で綾里から引き離されて東京に引っ越しました。その時には、いつも生活を共にしていたチャコという犬とも離れることとなりました。いつも一緒に走っていたおそらく雑種の犬です。普通のごはん(といっても味噌汁かけご飯)を人間と同じように食べます。大好きというよりもそこで吸っている空気と同じような同質の生命であった友達とも別れることになりました。もしかするとあのとき以来私は、感情を自分の中から分離させ、理性と感情とが(まるで言葉を知る理性と言葉を知らない感情とに)分離しているかのような人間になっていったのかもしれません。感情があまりにも激しいためそこにコンタクトすると言葉が出てこない。一度遮断して理性で眺めなおし置き換えないと言葉として構成されない。そんな分離感を抱くようになったのかもしれません。
ずっと綾里で過ごしていた彼らは、当然の如く同じ中学校を経、それぞれの道を歩んでこられたのでしょう。ですから伺った同窓会は、中学校の同窓会でもあったようでした。
先日同窓会があった綾里は、311の大地震と大津波の被害にあった、大船渡市にあります。以前紹介した文章は以下にあります。
http://1gen.blog101.fc2.com/blog-entry-83.html
綾里が私の故郷であるとは言っても、私が綾里にいた期間は幼稚園の上級さんから小学校2年までのわずかに三年間だけでした。綾里では幼稚園には行かなかったので、同世代との交流は二年間だけですから、私はほとんど彼らの名前を覚えていません。けれどもそんなことにもあまり気がつかなかった。その後も綾里で暮らし続けて成人になった彼らにとって私はほとんど異星人に過ぎないものだったろうに、暖かく迎え入れてくれました。
小学校に入ったとき私はどうやら半ズボンとおかっぱ頭が印象的だったらしく、聞いているとまるで自分が大正時代のいいところのお坊ちゃんになったような気持ちがしました。ε=ε=ε=ε=ε=(o・・)oブーン
私は小学校3年になるときに父の都合で綾里から引き離されて東京に引っ越しました。その時には、いつも生活を共にしていたチャコという犬とも離れることとなりました。いつも一緒に走っていたおそらく雑種の犬です。普通のごはん(といっても味噌汁かけご飯)を人間と同じように食べます。大好きというよりもそこで吸っている空気と同じような同質の生命であった友達とも別れることになりました。もしかするとあのとき以来私は、感情を自分の中から分離させ、理性と感情とが(まるで言葉を知る理性と言葉を知らない感情とに)分離しているかのような人間になっていったのかもしれません。感情があまりにも激しいためそこにコンタクトすると言葉が出てこない。一度遮断して理性で眺めなおし置き換えないと言葉として構成されない。そんな分離感を抱くようになったのかもしれません。
ずっと綾里で過ごしていた彼らは、当然の如く同じ中学校を経、それぞれの道を歩んでこられたのでしょう。ですから伺った同窓会は、中学校の同窓会でもあったようでした。
十一月の第三土曜日、都内某所で綾里の同窓会がありました。私は小学校の1年と2年だけで、3年からは東京に転校しましたが、他の人たちは少なくとも中学校卒業まで一緒だったらしく、私は異邦人だったかもしれません。
小さい頃でしたので、顏も名前もほぼ記憶にはなく、突然50年の歳月を経ての再会という感じでした。
けれども私にはふるさととして誇れる場処は綾里にしかなく、また、綾里はまさに私の精神の基盤を作ってくれた場処でもありました。おおらかな人々と暖かく厳しい大自然が私の中心に核となって存在しています。
その同じ天地に育まれた少年少女が見事にそれぞれのその個性が花咲いた異形となって今、集うことができるということはほんとうに不思議なことです。
けれどもその中心に綾里というふるさとがあるからこそ、どこか安心してともにいることができるのでしょう。
小さい頃でしたので、顏も名前もほぼ記憶にはなく、突然50年の歳月を経ての再会という感じでした。
けれども私にはふるさととして誇れる場処は綾里にしかなく、また、綾里はまさに私の精神の基盤を作ってくれた場処でもありました。おおらかな人々と暖かく厳しい大自然が私の中心に核となって存在しています。
その同じ天地に育まれた少年少女が見事にそれぞれのその個性が花咲いた異形となって今、集うことができるということはほんとうに不思議なことです。
けれどもその中心に綾里というふるさとがあるからこそ、どこか安心してともにいることができるのでしょう。
ビュッフェ展にいく
ということで、アートにちっと目覚めた私は、ホテルニューオータニのオータニ美術館でたまたま開催していたビュッフェ展にいってきたのでした。余談ですがホテルニューオータニというのは有名なわりにアクセスが悪くて、なかなか行きにくいところにあります。でも日本庭園を擁したビュッフェは、すばらしい景色でした。大きな谷を取り囲んで建っているせいなのでしょうかねぇ・・・都心とはとても思えません。
ということはさておき、ビュッフェの展覧会の話。これが衝撃でした!何が衝撃だったかというと、彼の絵画の良い時期と晩年の落差のあまりの大きさに衝撃を受けたのでした。おそらく一番良い時期は結婚前後の時の、風景画を描いていたときでしょう。それに対して晩年、日本のお相撲さんを描いたり芸者さんを描いたりしたものは、悲惨なぐらいひどいものでした。なぜか、というと、対象をきちんと見ようともしていないということが絵に出ているのですね。情けない。画家失格です。精神にたるみができちゃったのでしょうか。
でも、自分を振り返ってみると、いい仕事を続けるということは難しいことだなということはわかります。私などはあまりにも凡人なものですから、だれるなんてことは日常茶飯事。いい時を見つけ出してなんとかうんうん勉強しているといった状況です。ビュッフェの悪口なんか書けるレベルではとうていありません。
ということで、私に神に出会うがごとき感動を与えたビュッフェは、人の姿となって1999年に他界していたのでした。まる。
ということで、アートにちっと目覚めた私は、ホテルニューオータニのオータニ美術館でたまたま開催していたビュッフェ展にいってきたのでした。余談ですがホテルニューオータニというのは有名なわりにアクセスが悪くて、なかなか行きにくいところにあります。でも日本庭園を擁したビュッフェは、すばらしい景色でした。大きな谷を取り囲んで建っているせいなのでしょうかねぇ・・・都心とはとても思えません。
ということはさておき、ビュッフェの展覧会の話。これが衝撃でした!何が衝撃だったかというと、彼の絵画の良い時期と晩年の落差のあまりの大きさに衝撃を受けたのでした。おそらく一番良い時期は結婚前後の時の、風景画を描いていたときでしょう。それに対して晩年、日本のお相撲さんを描いたり芸者さんを描いたりしたものは、悲惨なぐらいひどいものでした。なぜか、というと、対象をきちんと見ようともしていないということが絵に出ているのですね。情けない。画家失格です。精神にたるみができちゃったのでしょうか。
でも、自分を振り返ってみると、いい仕事を続けるということは難しいことだなということはわかります。私などはあまりにも凡人なものですから、だれるなんてことは日常茶飯事。いい時を見つけ出してなんとかうんうん勉強しているといった状況です。ビュッフェの悪口なんか書けるレベルではとうていありません。
ということで、私に神に出会うがごとき感動を与えたビュッフェは、人の姿となって1999年に他界していたのでした。まる。
はじめまして、伴 尚志と申します。
一元流鍼灸術はいわゆる中医学ではありません。けれども東洋医学
の中心を貫いている「一」の観点について述べているものです。そ
してそれは、東洋医学を理解する上で必須の基本的なものです。
(このあたり、総論で述べているとおりです。総論がもっとも大切
です)
ですから、東洋医学の基礎を学ぶためには、一とは何か存在とは何
かということに疑問と興味を持ちながら「一元流鍼灸術の門」を文
字の表面ではなく、より深く読んでいくことをおすすめしています。
二番目のご質問でもわかりますが、どうやら言葉の意味や定義を追
い求めることが勉強して知ることであると、Nさんは思われてい
るようです。
「一元流鍼灸術の門」で述べているものはそれとは異なります。言
葉を越えた生命そのものを探求する、それを古人とともに行うこと
を目標としています。このあたりのこと、私のホームページやブロ
グにさまざま述べていますので参考にしてください。
また、三焦論や営衛論の類については、私のホームページの中の
「難経鉄鑑」のページで詳細に検討されています。臓腑と経絡そし
てそれらを包括する生命そのものについて、実際の状況を想像しな
がら考えを深めて行かれると、実り多いものとなると思います。
> こんにちは。
>
> いきなりですが、板先生に質問です。
>
> 一源流鍼灸術の門を読み込んでいるのですが、どうしても基礎的なものが抜けてしまいます…
>
> 中医学の基礎を学ぶためにおすすめの本などはございませんでしょうか?
>
> もう一つは、生体を構成する基礎部物質は気・血・津液・精・神と各種の本に書いているのですが、その中でも
> 【津液】について疑問に思うことがあります。
>
> 津液は、腎陽の蒸騰気化、脾胃の運化、により飲食物から生成された水穀の精微の水液の部分ですよね。
> 一部は脈中に入り血液成分となり、他は脾の昇清によって肺に上輸されます。そして肺の宣発により三焦を通じて全身に布散されます。
>
> 「肺の宣発により三焦を通じて全身に布散されます」というところに疑問を覚えます。
>
> これを理解するには、肺に上輸された津液が六腑の三焦の経絡に入りこんで全身に循らせられるのか?
> それとも上焦、中焦、下焦としての三焦として津液が循っていくところがあると理解すればいいのでしょうか??
>
> 基礎的なことですいませんが教えてください。
一元流鍼灸術はいわゆる中医学ではありません。けれども東洋医学
の中心を貫いている「一」の観点について述べているものです。そ
してそれは、東洋医学を理解する上で必須の基本的なものです。
(このあたり、総論で述べているとおりです。総論がもっとも大切
です)
ですから、東洋医学の基礎を学ぶためには、一とは何か存在とは何
かということに疑問と興味を持ちながら「一元流鍼灸術の門」を文
字の表面ではなく、より深く読んでいくことをおすすめしています。
二番目のご質問でもわかりますが、どうやら言葉の意味や定義を追
い求めることが勉強して知ることであると、Nさんは思われてい
るようです。
「一元流鍼灸術の門」で述べているものはそれとは異なります。言
葉を越えた生命そのものを探求する、それを古人とともに行うこと
を目標としています。このあたりのこと、私のホームページやブロ
グにさまざま述べていますので参考にしてください。
また、三焦論や営衛論の類については、私のホームページの中の
「難経鉄鑑」のページで詳細に検討されています。臓腑と経絡そし
てそれらを包括する生命そのものについて、実際の状況を想像しな
がら考えを深めて行かれると、実り多いものとなると思います。
> こんにちは。
>
> いきなりですが、板先生に質問です。
>
> 一源流鍼灸術の門を読み込んでいるのですが、どうしても基礎的なものが抜けてしまいます…
>
> 中医学の基礎を学ぶためにおすすめの本などはございませんでしょうか?
>
> もう一つは、生体を構成する基礎部物質は気・血・津液・精・神と各種の本に書いているのですが、その中でも
> 【津液】について疑問に思うことがあります。
>
> 津液は、腎陽の蒸騰気化、脾胃の運化、により飲食物から生成された水穀の精微の水液の部分ですよね。
> 一部は脈中に入り血液成分となり、他は脾の昇清によって肺に上輸されます。そして肺の宣発により三焦を通じて全身に布散されます。
>
> 「肺の宣発により三焦を通じて全身に布散されます」というところに疑問を覚えます。
>
> これを理解するには、肺に上輸された津液が六腑の三焦の経絡に入りこんで全身に循らせられるのか?
> それとも上焦、中焦、下焦としての三焦として津液が循っていくところがあると理解すればいいのでしょうか??
>
> 基礎的なことですいませんが教えてください。
大船渡市三陸町 綾里の思い出
大船渡が今回の津波によって街後とながされている状況なのでおそらくその一つ北の港である綾里という小さな港町は完全になくなっているの可能性があります。私はそこに小学校入学前の一年間と入学後の二年間の合計三年間、住んでいました。
僻地治療を行いたいという希望を持っていた父が、その無医村に招かれ家族共々生活することとなったものです。家をあてがわれ、父が来るということで病院も作られ、多大なもてなしを受けました。
村はお金はないけれども自然が豊富で、竹藪を覗くとキジが鳴いており、海には鮑(あわび)や海栗(うに)がはびこっていて、浜に行くと昆布や若布や緑の藻が流れ着いていました。天気のよい日、石浜という名の石ばかりの浜で私は、その昆布を石で叩いておやつ代わりによく食べました。岩にくっついている大きな鮑を無理に引きはがしたら、鮑の身がべろんべろんと暴れ、あまりにも恐くて驚いて投げ捨てたことがあります。磯に生えているイソギンチャクに細い棒を突っ込んで遊んだりもしました。シュッと水を吐いて縮むイソギンチャクが面白かった。
患者さんは当然村人で、治療費を後払いにする人もいたのでしょう。そのような村の人々の中には、雉を撃ってそのまままるごとぶらさげてきたり、獲れたての鮭を一本持ち込んだりして母を驚かせ怖がらせたものです。台所に行くとよくムラサキウニがボールの中で動いていました。よく食べた鮑の香りは今も口の中にあります。
丘の上にある家から、三メートルはあろうかという大蛇を村人が総出で退治しているところを見たこともあります。
小学校に上がり、馬小屋があり馬糞の匂いのする友人の家の縁側に座って田圃(たんぼ)を眺めていた夕方、日が暮れると風に靡くように光の壁が揺れていることがありました。群生している蛍の光りでした。あの海の波のような蛍の光は、その後50年の歳月の中でも見たことのない、記憶の中にある感動です。蛍は人を恐れず、手に乗り移って光っていました。
海の波といえば、早朝暗いうちに浜に出ると、遠くに烏賊釣り漁船の集魚灯が輝いていてとても美しかったのを覚えています。強い潮の香りとそれを乾かす太陽の光が生命を讃えているように輝いていました。
村祭りの漆黒の夜には、大きく傾く月とオリオン座が川の土手を照らしていました。
小学校では宮沢賢治の童話に出てくるような薪ストーブが部屋の真ん中で焚かれていました。校庭には二宮尊徳像があり、まねて本を読みながら歩いてみるのが癖でした。
その村が、この津波に呑まれることになったということは未だ信じてはいません。まだ彼の地の情報が入っていないこともあります。けれども大きな街である隣の大船渡があのような惨状ですので、おそらく無理だろうと思います。
生命は一瞬の輝きです。一瞬の美しい輝きだからこそ大切に愛おしんでいきたいと思います。私のふるさとは失われることとなりましたが、私のふるさとが作った私の身心はまだ生きることを赦されてここにあり、ふるさとの生命を私の中で輝かせています。私はこの生命を大切に生きていこうと思います。
そして私は、今までよりもさらにしっかりと自分の道を歩まなければならないと、この大震災に際して思っているところです。
大船渡が今回の津波によって街後とながされている状況なのでおそらくその一つ北の港である綾里という小さな港町は完全になくなっているの可能性があります。私はそこに小学校入学前の一年間と入学後の二年間の合計三年間、住んでいました。
僻地治療を行いたいという希望を持っていた父が、その無医村に招かれ家族共々生活することとなったものです。家をあてがわれ、父が来るということで病院も作られ、多大なもてなしを受けました。
村はお金はないけれども自然が豊富で、竹藪を覗くとキジが鳴いており、海には鮑(あわび)や海栗(うに)がはびこっていて、浜に行くと昆布や若布や緑の藻が流れ着いていました。天気のよい日、石浜という名の石ばかりの浜で私は、その昆布を石で叩いておやつ代わりによく食べました。岩にくっついている大きな鮑を無理に引きはがしたら、鮑の身がべろんべろんと暴れ、あまりにも恐くて驚いて投げ捨てたことがあります。磯に生えているイソギンチャクに細い棒を突っ込んで遊んだりもしました。シュッと水を吐いて縮むイソギンチャクが面白かった。
患者さんは当然村人で、治療費を後払いにする人もいたのでしょう。そのような村の人々の中には、雉を撃ってそのまままるごとぶらさげてきたり、獲れたての鮭を一本持ち込んだりして母を驚かせ怖がらせたものです。台所に行くとよくムラサキウニがボールの中で動いていました。よく食べた鮑の香りは今も口の中にあります。
丘の上にある家から、三メートルはあろうかという大蛇を村人が総出で退治しているところを見たこともあります。
小学校に上がり、馬小屋があり馬糞の匂いのする友人の家の縁側に座って田圃(たんぼ)を眺めていた夕方、日が暮れると風に靡くように光の壁が揺れていることがありました。群生している蛍の光りでした。あの海の波のような蛍の光は、その後50年の歳月の中でも見たことのない、記憶の中にある感動です。蛍は人を恐れず、手に乗り移って光っていました。
海の波といえば、早朝暗いうちに浜に出ると、遠くに烏賊釣り漁船の集魚灯が輝いていてとても美しかったのを覚えています。強い潮の香りとそれを乾かす太陽の光が生命を讃えているように輝いていました。
村祭りの漆黒の夜には、大きく傾く月とオリオン座が川の土手を照らしていました。
小学校では宮沢賢治の童話に出てくるような薪ストーブが部屋の真ん中で焚かれていました。校庭には二宮尊徳像があり、まねて本を読みながら歩いてみるのが癖でした。
その村が、この津波に呑まれることになったということは未だ信じてはいません。まだ彼の地の情報が入っていないこともあります。けれども大きな街である隣の大船渡があのような惨状ですので、おそらく無理だろうと思います。
生命は一瞬の輝きです。一瞬の美しい輝きだからこそ大切に愛おしんでいきたいと思います。私のふるさとは失われることとなりましたが、私のふるさとが作った私の身心はまだ生きることを赦されてここにあり、ふるさとの生命を私の中で輝かせています。私はこの生命を大切に生きていこうと思います。
そして私は、今までよりもさらにしっかりと自分の道を歩まなければならないと、この大震災に際して思っているところです。
..腹診術の起源
西洋医学の腹診は内臓の臓器そのものの診断にその重点が置かれていますが、東洋医学の腹診は五臓六腑の機能が充分に発揮されいてるかどうかということを判断するために用いられます。そのため、西洋医学の腹診より繊細で応用範囲が広くなっています。
広く知られているように腹診という言葉は日本で生まれ日本で発展しました。そのもともとの示唆、起源は『難経』および『傷寒論』にあります。張仲景は『傷寒論』を著述するにあたって『難経』を参考にしていますので、『傷寒論』におけるさまざまな腹証に対する記載は、『難経』の腹診を検証する中から生まれてきたと見るのが妥当でしょう。『難経』には腹診法の概要が大まかに示されており、『傷寒論』には実際の処方と腹壁の状態とが示されています。張仲景が必死で体表観察をしていたことがわかります。
『傷寒論』の中には、心下痞、心下満、胸脇苦満など腹診証候を提示することで選薬の参考としている記載が多数あります。けれども、腹を医師に見せるのが時代を下るにつれて憚(はばか)られるようになったためか、大陸においてはその後大きな発展はありません。
それに対して日本では戦国の世の末期、室町時代に按腹の技術などをベースとして起こり、江戸時代にいたって独特の発展を遂げることになります。手技治療の部位としての腹ということから、診断部位としての腹への認識が高まり、ついには「腹診」という独特の分野を築くに至ったわけです。
日本の医学は仏教が伝来した奈良時代から、僧侶が中心となって大陸から伝えられ、僧と医を兼ねる者たちを数多く輩出しました。これを僧医と名づけています。鎌倉時代になると禅宗が武士の間で盛んになり、禅宗の僧侶が宋に留学し、その当時の医学の精華を日本国内に輸入しました。この流れは室町時代に入ってさらに深まり、禅宗を中心とした僧侶が医学を含めた学問全般の主たる担い手となっていきました。
このような日本における医学の伝承の中で、按腹および腹部打鍼術は生まれています。おそらくは禅の修行を通じて発達したものでしょう。それは、臍下丹田に気を収めることによって、心身の重心が定まり止観を修し、諸病を癒すことができるという修行の知恵に基づいていると思われます〔注:『天台小止観』治病患など〕。
自らの死を見極めつつ生きた戦国の世にあって、武士は禅をその修行法としました。ここに武士道と禅と腹診との結びつきが生まれることとなります。その結果、邪を祓う正義の剣としての鍼と槌が工夫されました。
臍下丹田の一点を定めることを重視する点で、当時の腹診法がその根本を『難経』の腎間の動気の記載に求めたことは、理において当然の帰結です。そしてこの点が非常に重視されたことが、その後の日本医学の確立においても独特の光芒を放つこととなります。いわば、中心を持つ気一元の人間観が日本医学の根本概念として確立されることとなったわけです。
日本医学の再興の祖と呼ばれている曲直瀬道三も禅僧でした。この曲直瀬道三を継いだ曲直瀬玄朔が最も古い「傷寒論系」の腹診図である五十腹図・百腹図を最初に著している〔注:大塚敬節著作集第8巻304頁〕ということも、偶然ではありません。ただこの腹診図は秘せられていたため、世の中にその存在が知られるのは、江戸時代の中期に入ってからです。
世の中に出た腹診法の始祖は松岡意斎ということになりそうです。森中虚はこれを「病人の腹を観、腎間の在所を切かに識って死生吉凶をさとる、これを腹診と言ふ」〔注:『意中玄奥』〕と述べています。
大塚敬節氏は『腹診考』の中で難経系腹診と傷寒論系腹診とがあると明確にされています。が、『傷寒論』そのものが『難経』に基づいて実地に展開されていることを考える時、より原理原則に立ち返って気の偏在を眺めることをその診察の中心におく鍼灸系の治療家たちが『難経』流の腹診を本としたのは当然のことと言えるでしょう。『傷寒論』を書いた張仲景も同じように気の偏在を観察しながら、湯液をより使いやすいように腹診結果を記述していったと私は考えています。
ここにおいて、湯液を使う際の便法としての腹診法と、生命の動きそのものを記載しようとする腹診法とが並立することとなるわけです。もし張仲景の道を真に求めるのであれば、弁証論治をして気の偏在を見極める中から『傷寒論』における腹診結果を批判的に読み直すという作業が必要となることでしょう。
西洋医学の腹診は内臓の臓器そのものの診断にその重点が置かれていますが、東洋医学の腹診は五臓六腑の機能が充分に発揮されいてるかどうかということを判断するために用いられます。そのため、西洋医学の腹診より繊細で応用範囲が広くなっています。
広く知られているように腹診という言葉は日本で生まれ日本で発展しました。そのもともとの示唆、起源は『難経』および『傷寒論』にあります。張仲景は『傷寒論』を著述するにあたって『難経』を参考にしていますので、『傷寒論』におけるさまざまな腹証に対する記載は、『難経』の腹診を検証する中から生まれてきたと見るのが妥当でしょう。『難経』には腹診法の概要が大まかに示されており、『傷寒論』には実際の処方と腹壁の状態とが示されています。張仲景が必死で体表観察をしていたことがわかります。
『傷寒論』の中には、心下痞、心下満、胸脇苦満など腹診証候を提示することで選薬の参考としている記載が多数あります。けれども、腹を医師に見せるのが時代を下るにつれて憚(はばか)られるようになったためか、大陸においてはその後大きな発展はありません。
それに対して日本では戦国の世の末期、室町時代に按腹の技術などをベースとして起こり、江戸時代にいたって独特の発展を遂げることになります。手技治療の部位としての腹ということから、診断部位としての腹への認識が高まり、ついには「腹診」という独特の分野を築くに至ったわけです。
日本の医学は仏教が伝来した奈良時代から、僧侶が中心となって大陸から伝えられ、僧と医を兼ねる者たちを数多く輩出しました。これを僧医と名づけています。鎌倉時代になると禅宗が武士の間で盛んになり、禅宗の僧侶が宋に留学し、その当時の医学の精華を日本国内に輸入しました。この流れは室町時代に入ってさらに深まり、禅宗を中心とした僧侶が医学を含めた学問全般の主たる担い手となっていきました。
このような日本における医学の伝承の中で、按腹および腹部打鍼術は生まれています。おそらくは禅の修行を通じて発達したものでしょう。それは、臍下丹田に気を収めることによって、心身の重心が定まり止観を修し、諸病を癒すことができるという修行の知恵に基づいていると思われます〔注:『天台小止観』治病患など〕。
自らの死を見極めつつ生きた戦国の世にあって、武士は禅をその修行法としました。ここに武士道と禅と腹診との結びつきが生まれることとなります。その結果、邪を祓う正義の剣としての鍼と槌が工夫されました。
臍下丹田の一点を定めることを重視する点で、当時の腹診法がその根本を『難経』の腎間の動気の記載に求めたことは、理において当然の帰結です。そしてこの点が非常に重視されたことが、その後の日本医学の確立においても独特の光芒を放つこととなります。いわば、中心を持つ気一元の人間観が日本医学の根本概念として確立されることとなったわけです。
日本医学の再興の祖と呼ばれている曲直瀬道三も禅僧でした。この曲直瀬道三を継いだ曲直瀬玄朔が最も古い「傷寒論系」の腹診図である五十腹図・百腹図を最初に著している〔注:大塚敬節著作集第8巻304頁〕ということも、偶然ではありません。ただこの腹診図は秘せられていたため、世の中にその存在が知られるのは、江戸時代の中期に入ってからです。
世の中に出た腹診法の始祖は松岡意斎ということになりそうです。森中虚はこれを「病人の腹を観、腎間の在所を切かに識って死生吉凶をさとる、これを腹診と言ふ」〔注:『意中玄奥』〕と述べています。
大塚敬節氏は『腹診考』の中で難経系腹診と傷寒論系腹診とがあると明確にされています。が、『傷寒論』そのものが『難経』に基づいて実地に展開されていることを考える時、より原理原則に立ち返って気の偏在を眺めることをその診察の中心におく鍼灸系の治療家たちが『難経』流の腹診を本としたのは当然のことと言えるでしょう。『傷寒論』を書いた張仲景も同じように気の偏在を観察しながら、湯液をより使いやすいように腹診結果を記述していったと私は考えています。
ここにおいて、湯液を使う際の便法としての腹診法と、生命の動きそのものを記載しようとする腹診法とが並立することとなるわけです。もし張仲景の道を真に求めるのであれば、弁証論治をして気の偏在を見極める中から『傷寒論』における腹診結果を批判的に読み直すという作業が必要となることでしょう。
ベルナール・ビュッフェ
先日銀座のソニービルの裏通りを、ランプや骨董をみながらぶらぶらと歩いていたところ、立派なドアのあるビルの奥に大きなビュッフェの風景画が掛かっているのが目に止まりました。畳一畳ほどもあるでしょうか。奥にはビュッフェの騎士の絵があり、それに並んで港の風景画が掲げられていました。
何と堂々たるビュッフェ。その揺るぎない黒いエッジはまるで法の支配の大切さを語りかけ、秩序正しい支配というものが美につながり、そこに喜びと愛と平和の花が咲くということを雄弁に語りかけてくれているようでした。
沈黙の語り合いの中で私はビュッフェの魂の崇高さに触れた気がし、私の心の中に深い充足感がもたらされたのでした。何と偉大なるかなビュッフェ!一幅の絵をもって、美による秩序がもたらす深い安らぎを与えてくれるとは!
この出会いに触発されて帰宅してネットを調べてみると、ビュッフェが非常に有名な画家であることがわかりました。なおかつ、銀座が画廊の聖地と呼ばれていることも初めて知りました。なんと2000件以上の画廊が銀座にはあるのですねぇ・・・
銀座という街が華美に走らずどことなく気品があるのは、絵を理解する感応の心を持ち合わせた人々が住んでいるためなのかもしれません。
先日銀座のソニービルの裏通りを、ランプや骨董をみながらぶらぶらと歩いていたところ、立派なドアのあるビルの奥に大きなビュッフェの風景画が掛かっているのが目に止まりました。畳一畳ほどもあるでしょうか。奥にはビュッフェの騎士の絵があり、それに並んで港の風景画が掲げられていました。
何と堂々たるビュッフェ。その揺るぎない黒いエッジはまるで法の支配の大切さを語りかけ、秩序正しい支配というものが美につながり、そこに喜びと愛と平和の花が咲くということを雄弁に語りかけてくれているようでした。
沈黙の語り合いの中で私はビュッフェの魂の崇高さに触れた気がし、私の心の中に深い充足感がもたらされたのでした。何と偉大なるかなビュッフェ!一幅の絵をもって、美による秩序がもたらす深い安らぎを与えてくれるとは!
この出会いに触発されて帰宅してネットを調べてみると、ビュッフェが非常に有名な画家であることがわかりました。なおかつ、銀座が画廊の聖地と呼ばれていることも初めて知りました。なんと2000件以上の画廊が銀座にはあるのですねぇ・・・
銀座という街が華美に走らずどことなく気品があるのは、絵を理解する感応の心を持ち合わせた人々が住んでいるためなのかもしれません。
..灸ペットの使い方
ここで私が述べているのは、灸ペットをプロとして治療効果をあげることのできるように使用する方法です。
この他に一般的な使用方法として慰安的に用いる用い方があります。それはより安全度の高いレベルとなります。いわゆる、全身のここがという場所を温めほぐす効果を高めていく使用法となります。使いすぎによって疲れが出るような場合は、使用時間を短くする、バランスのよい部位を用いるなどの工夫が必要となります。
灸ペットは、たにぐち書店のホームページから求めることができます。定価13,650円です。
...現代の熱鍼治療器:灸ペットの使用法について
灸ペットは、東洋医学の理念を用い、より強く深く経絡を温通させることができる道具です。
基本は遠赤外線の効果がピンポイントで発揮できる器具です。皮膚面における直接灸の温度をよく研究して作られていますから、灸の代替を基本とし、さらに圧迫にすることができるため、透熱力を高めることに成功しています。ヤケドの危険が非常に少ない点灸となり簡単に八分灸もできます。また使い方によっては無煙の棒灸の代替にもなります。
・圧のかけ方によって温めるべき深さを自由に調節することができる。
・施術部位を痛めないので、施術前後の経穴の変化やその部位の変化を観察しやすい
といった特徴があります。
灸ペットは、危険がなく使いやすく効果的です。けれども安易な使い方をしても、治療にはたいして役立ちません。的を絞ってそこを撃つ必要があります。このあたりも、鍼灸という道具を慰安の道具として按摩の代替品にさせてしまいやすいことと通じるものがあります。
けれどもここに、東洋医学の基本である弁証論治を基本とした四診術を加味し、正確な切診を行い、目標となる一点を定めて処置するならば、非常に高い効果を得ることができるようになります。
ただし、灸ペットには大きな欠点があります。それは処置している時には付きっきりでなければならないということです。置鍼やせんねん灸や灸頭鍼のように放置しておくことはできません。ですので手がない治療院やあまりにも多忙な状況で治療をしている場合には不適切です。
また欠点とは言えないかもしれませんが注意点があります。それは、最初はあまり熱さを感じなくとも、ある閾値を超えると痛みのような熱さを急に感じることです。これは遠赤外線を発する機器の特徴なのかもしれません。患者さんに対して使用する時、よくよく注意する必要があります。熱さを感じるまではしっかりと当て、熱さを感じた後は、その熱さを維持できる程度に当てたり離したりする工夫が必要です。
...基本的な使用法
かざして使用すると、遠赤外線効果を持った鍉鍼として使えます。
そのまま接触させると点刺激となり、点灸と同じような熱さを与えることができます。点灸と同じ高さの熱として設定されていますので、圧迫は瞬間的にしかできません。経穴の深さに応じて対象部位を最初に少し圧迫しておいて経穴を表面にさらすような状態にして用いると、経穴の変容を得やすくなります。
また経穴を揺らすように叩打するという使用法もできます。陽気を入れながら叩打するわけですから、その効果は普通の叩打をはるかに凌駕するものとなります。
ハンドタオルなどの布をかぶせて使用すると、熱が緩和されて圧迫しやすくなります。深い経穴に簡単に熱を入れることができるようになるわけです。かぶせる布の厚さによって、経穴という点を狙う効能から面として温めていくという深さと広がりを持ったものとなります。布の厚さを厚くしていくと熱が緩和されて圧迫しやすくなり、温めることのできる範囲が広くなるわけです。棒灸や温灸のような広がりを持つこととなります。とうぜん無煙です。
また同じ経絡上で数点あらかじめ選択し、そこを各々の深さで温めるということも簡単にできます。いわゆる温通経絡などの温補機能を簡単に発揮することができるわけです。これは治療に際して大きな武器となります。
さらに布をかぶせることによって滑りが良くなりますので、温熱の軽擦ができます。そこにオイルや薬剤などを含ませることもまたやろうと思えば自在にできるわけです。―ただ私はそこまで深い使い方はしていません。
以下、さらに詳細に述べていますけれども、これは実は贅述です。施術者を目指す方は自身で工夫しなければなりません。その部位に温熱を入れるということは何を意味しているのかということをよく考えて、頭を柔らかくし、温熱の入り具合を工夫し、経穴の反応の変化をよく観察しながら使われるとよいと思います。
...鍉鍼の替わりとして
アプローチする対象:経穴の中の緩んでいる冷えているもので、一点の明確なものに用います。感覚の敏感な人、感応しやすい人に用います。
手技:選択した経穴の側面に術者の次指と中指を置いて入っていく熱の度合いを測りながら、灸ペットを2センチほど離して垂直にかざします。脉を診、経穴の変容を確認して処置を終えます。
目的:経穴を動かすことによって、経穴効果が発揮されることを狙います。
...点灸の替わりとして
アプローチする対象:経穴の中の緩んでいる冷えているもので、一点の明確なものに用います。
手技:一点を見定め灸ペットを直角に接触させる。点灸が燃え尽きる一瞬と同じように一瞬(この長さを調節することによって刺激の強さ熱の入り方を調節することができます)、十回を1クールとして接触させ、1回指で圧して熱の入り具合経穴の変化を確認します。これを5クールから10クール行う。指で圧して経穴の側から熱が泄れ出すのを度とします。
当たる面が最も小さく、熱が速く入りやすくなります。
目的:経穴を動かすことによって、経穴効果が発揮されることを狙います。
...温通経絡
アプローチする対象:経絡経筋の走行中における緩み寒えと腫れ熱
手技:
◇冷えている部位には、その冷えの広さ深さを明らかにした後にその広さ深さを少し超える程度の範囲で暖めていきます。狭いものは上記経穴で述べた手技を用います。広さに合わせていくためには布を介します。そうすることによって、熱が少し弱くなり浸透力が増します。深いものには深く圧して行います。ことに深さはよく診て、その深さを暖めなければ効果が上がりません。
◇熱のある部位には、基本的にその熱を押し流すという発想で施術します。熱を押し流すためには熱が必要です。灸の熱を用いて押し流す力を強くさせようとするわけです。ただし、炎症部位などの強い熱に対して用いると悪化させることがありますので注意します。悪化させるようなことがあっては決していけません。アイスノンなどで冷やして直接熱を取る方が熱鬱には効果がある場合があります。用心深く選択しましょう。
◇腫れている部位には、熱の有無に注意しながら施術します。熱鬱の状態でなければ施術によって熱が取れる場合があります。先ず腫れの周囲に緩みや陥凹があるかどうか摸ります。腫れの周囲に緩みや陥凹があればそこが施術ポイントになりますので、点灸の所で述べているとおりに施術します。それで取り切れない場合、腫れの中心を灸を横にして叩打します。熱をより強く与えるためにはタタタタと速く叩打します。その部位の腫れの強さに従って調節します。腫れが取れる少し手前で終えます。
◇堅い部位は腫れている部位と同じように、先ず堅い部位の周囲に緩みや陥凹があるかどうか摸ります。堅い部位の周囲に緩みや陥凹があればそこが施術ポイントになりますので、点灸の所で述べているとおりに施術します。それで取り切れない場合、堅い部位を動かすために先ず熱をよく入れるようにします。熱をよく入れるためには、日本手ぬぐいを二枚折りにして、それを介します。日本手ぬぐいに堅い範囲に及ぶように灸のサイドを用いて圧します。堅さの深さもよく診る必要があります。それによって圧する深さを変えます。
◇四つ折りの日本手ぬぐいを灸ペットの先端に巻いておき、狙った経穴を圧します。先ず患者さんが熱感を感じるまで圧します。灸ペットを外してその部位の熱の入り方を摸るとともに堅さの変化をみるために指頭あるいは掌で圧し、再度灸ペットで5数えるということを繰り返し、熱が充分に入ることを基準として止めます。灸ペットを5圧して指頭あるいは掌で5圧するということを何クールか繰り返し、その場所から熱が泄れ出るのを度とします。いちおう20クールあるいは15分を度とします。
...全ての操作の終わりのまとめの大事
全ての施術の終了時には必ず立ち戻る位置があります。それは臍下丹田です。そこに意識を充分に納めるということが、東洋医学の基本です。またこれが治療によって起こりうる眩暈などの偏差を避ける方法でもあります。
日本手ぬぐいを四折りにして、臍下小腹の任脉上でもっとも緩んでいる部位にその緩みの深さを確かめながら灸ペットを用いて圧していきます。先ず患者さんが熱感を感じるまで圧します。灸ペットを外してその部位の熱の入り方を摸るために掌で圧し、再度灸ペットをあてて5数えます。5圧して5手掌で確認するということを1クールとして10クール行って終えます。
これは温石などで代用することもできます。
ここで私が述べているのは、灸ペットをプロとして治療効果をあげることのできるように使用する方法です。
この他に一般的な使用方法として慰安的に用いる用い方があります。それはより安全度の高いレベルとなります。いわゆる、全身のここがという場所を温めほぐす効果を高めていく使用法となります。使いすぎによって疲れが出るような場合は、使用時間を短くする、バランスのよい部位を用いるなどの工夫が必要となります。
灸ペットは、たにぐち書店のホームページから求めることができます。定価13,650円です。
...現代の熱鍼治療器:灸ペットの使用法について
灸ペットは、東洋医学の理念を用い、より強く深く経絡を温通させることができる道具です。
基本は遠赤外線の効果がピンポイントで発揮できる器具です。皮膚面における直接灸の温度をよく研究して作られていますから、灸の代替を基本とし、さらに圧迫にすることができるため、透熱力を高めることに成功しています。ヤケドの危険が非常に少ない点灸となり簡単に八分灸もできます。また使い方によっては無煙の棒灸の代替にもなります。
・圧のかけ方によって温めるべき深さを自由に調節することができる。
・施術部位を痛めないので、施術前後の経穴の変化やその部位の変化を観察しやすい
といった特徴があります。
灸ペットは、危険がなく使いやすく効果的です。けれども安易な使い方をしても、治療にはたいして役立ちません。的を絞ってそこを撃つ必要があります。このあたりも、鍼灸という道具を慰安の道具として按摩の代替品にさせてしまいやすいことと通じるものがあります。
けれどもここに、東洋医学の基本である弁証論治を基本とした四診術を加味し、正確な切診を行い、目標となる一点を定めて処置するならば、非常に高い効果を得ることができるようになります。
ただし、灸ペットには大きな欠点があります。それは処置している時には付きっきりでなければならないということです。置鍼やせんねん灸や灸頭鍼のように放置しておくことはできません。ですので手がない治療院やあまりにも多忙な状況で治療をしている場合には不適切です。
また欠点とは言えないかもしれませんが注意点があります。それは、最初はあまり熱さを感じなくとも、ある閾値を超えると痛みのような熱さを急に感じることです。これは遠赤外線を発する機器の特徴なのかもしれません。患者さんに対して使用する時、よくよく注意する必要があります。熱さを感じるまではしっかりと当て、熱さを感じた後は、その熱さを維持できる程度に当てたり離したりする工夫が必要です。
...基本的な使用法
かざして使用すると、遠赤外線効果を持った鍉鍼として使えます。
そのまま接触させると点刺激となり、点灸と同じような熱さを与えることができます。点灸と同じ高さの熱として設定されていますので、圧迫は瞬間的にしかできません。経穴の深さに応じて対象部位を最初に少し圧迫しておいて経穴を表面にさらすような状態にして用いると、経穴の変容を得やすくなります。
また経穴を揺らすように叩打するという使用法もできます。陽気を入れながら叩打するわけですから、その効果は普通の叩打をはるかに凌駕するものとなります。
ハンドタオルなどの布をかぶせて使用すると、熱が緩和されて圧迫しやすくなります。深い経穴に簡単に熱を入れることができるようになるわけです。かぶせる布の厚さによって、経穴という点を狙う効能から面として温めていくという深さと広がりを持ったものとなります。布の厚さを厚くしていくと熱が緩和されて圧迫しやすくなり、温めることのできる範囲が広くなるわけです。棒灸や温灸のような広がりを持つこととなります。とうぜん無煙です。
また同じ経絡上で数点あらかじめ選択し、そこを各々の深さで温めるということも簡単にできます。いわゆる温通経絡などの温補機能を簡単に発揮することができるわけです。これは治療に際して大きな武器となります。
さらに布をかぶせることによって滑りが良くなりますので、温熱の軽擦ができます。そこにオイルや薬剤などを含ませることもまたやろうと思えば自在にできるわけです。―ただ私はそこまで深い使い方はしていません。
以下、さらに詳細に述べていますけれども、これは実は贅述です。施術者を目指す方は自身で工夫しなければなりません。その部位に温熱を入れるということは何を意味しているのかということをよく考えて、頭を柔らかくし、温熱の入り具合を工夫し、経穴の反応の変化をよく観察しながら使われるとよいと思います。
...鍉鍼の替わりとして
アプローチする対象:経穴の中の緩んでいる冷えているもので、一点の明確なものに用います。感覚の敏感な人、感応しやすい人に用います。
手技:選択した経穴の側面に術者の次指と中指を置いて入っていく熱の度合いを測りながら、灸ペットを2センチほど離して垂直にかざします。脉を診、経穴の変容を確認して処置を終えます。
目的:経穴を動かすことによって、経穴効果が発揮されることを狙います。
...点灸の替わりとして
アプローチする対象:経穴の中の緩んでいる冷えているもので、一点の明確なものに用います。
手技:一点を見定め灸ペットを直角に接触させる。点灸が燃え尽きる一瞬と同じように一瞬(この長さを調節することによって刺激の強さ熱の入り方を調節することができます)、十回を1クールとして接触させ、1回指で圧して熱の入り具合経穴の変化を確認します。これを5クールから10クール行う。指で圧して経穴の側から熱が泄れ出すのを度とします。
当たる面が最も小さく、熱が速く入りやすくなります。
目的:経穴を動かすことによって、経穴効果が発揮されることを狙います。
...温通経絡
アプローチする対象:経絡経筋の走行中における緩み寒えと腫れ熱
手技:
◇冷えている部位には、その冷えの広さ深さを明らかにした後にその広さ深さを少し超える程度の範囲で暖めていきます。狭いものは上記経穴で述べた手技を用います。広さに合わせていくためには布を介します。そうすることによって、熱が少し弱くなり浸透力が増します。深いものには深く圧して行います。ことに深さはよく診て、その深さを暖めなければ効果が上がりません。
◇熱のある部位には、基本的にその熱を押し流すという発想で施術します。熱を押し流すためには熱が必要です。灸の熱を用いて押し流す力を強くさせようとするわけです。ただし、炎症部位などの強い熱に対して用いると悪化させることがありますので注意します。悪化させるようなことがあっては決していけません。アイスノンなどで冷やして直接熱を取る方が熱鬱には効果がある場合があります。用心深く選択しましょう。
◇腫れている部位には、熱の有無に注意しながら施術します。熱鬱の状態でなければ施術によって熱が取れる場合があります。先ず腫れの周囲に緩みや陥凹があるかどうか摸ります。腫れの周囲に緩みや陥凹があればそこが施術ポイントになりますので、点灸の所で述べているとおりに施術します。それで取り切れない場合、腫れの中心を灸を横にして叩打します。熱をより強く与えるためにはタタタタと速く叩打します。その部位の腫れの強さに従って調節します。腫れが取れる少し手前で終えます。
◇堅い部位は腫れている部位と同じように、先ず堅い部位の周囲に緩みや陥凹があるかどうか摸ります。堅い部位の周囲に緩みや陥凹があればそこが施術ポイントになりますので、点灸の所で述べているとおりに施術します。それで取り切れない場合、堅い部位を動かすために先ず熱をよく入れるようにします。熱をよく入れるためには、日本手ぬぐいを二枚折りにして、それを介します。日本手ぬぐいに堅い範囲に及ぶように灸のサイドを用いて圧します。堅さの深さもよく診る必要があります。それによって圧する深さを変えます。
◇四つ折りの日本手ぬぐいを灸ペットの先端に巻いておき、狙った経穴を圧します。先ず患者さんが熱感を感じるまで圧します。灸ペットを外してその部位の熱の入り方を摸るとともに堅さの変化をみるために指頭あるいは掌で圧し、再度灸ペットで5数えるということを繰り返し、熱が充分に入ることを基準として止めます。灸ペットを5圧して指頭あるいは掌で5圧するということを何クールか繰り返し、その場所から熱が泄れ出るのを度とします。いちおう20クールあるいは15分を度とします。
...全ての操作の終わりのまとめの大事
全ての施術の終了時には必ず立ち戻る位置があります。それは臍下丹田です。そこに意識を充分に納めるということが、東洋医学の基本です。またこれが治療によって起こりうる眩暈などの偏差を避ける方法でもあります。
日本手ぬぐいを四折りにして、臍下小腹の任脉上でもっとも緩んでいる部位にその緩みの深さを確かめながら灸ペットを用いて圧していきます。先ず患者さんが熱感を感じるまで圧します。灸ペットを外してその部位の熱の入り方を摸るために掌で圧し、再度灸ペットをあてて5数えます。5圧して5手掌で確認するということを1クールとして10クール行って終えます。
これは温石などで代用することもできます。
一元流鍼灸術では文字で書かれている古典を読むことも大切にして
います。けれどもその読み方には特徴があります。
以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される
以前の身体です。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければな
らないもっとも大切なことは、目の前の患者さんの身体をどのよう
に理解するのか、ということです。そのための道具として、先人が
同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとして、ひもとき
綴ってきた古典を使用するわけです。
そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返ると
いうことです。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づ
く陰陽五行論です。気一元の観点から把握しなおした陰陽と五行と
いう視点を明らかにしない限り、古人の位置に立ち、古人とともに
古典を形作る共同作業を担うことはできません。
ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、気一元の観点に立った
陰陽と五行の把握方法について語られています。
何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようと
しているのか、その対象を明らかにする必要があります。ことに天
人相応の関係として捉えうる人間の範囲とは何かということを規定
しなければ、天人相応の関係を持つとすることが何を意味している
のかということや、気一元のものとして捉えるということが何を意
味しているのかということを理解することはできません。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、
その場の状態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。その
ことを器の状態としてテキストでは述べています。生きている器の
状態の動き方の傾向を把握しようとするわけです。その変化の仕方
の傾向をどのように把握するのかという一段高い観点からテキスト
では述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大きさ小
ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストでは
これを、人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把
握するものは実は、そのような傾向を持つ器の「中身」の状態につ
いて考えているわけです。
生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を
把握しておくことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで
欠かすことのできないことです。この基礎の上に立つことによって
初めて弁証論治を考えるという行為が成立するということを、一元
流鍼灸術では明確にしています。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握しなおすという行
為はこの基礎の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静
的に分析するといった傾向を持ちます。その中でのバランスの崩れ
を時間の流れという動きの中から捉えていくわけです。
一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に
立った弁証論治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体
をいかに理解するのか、理解したかということを明らかにしている
ものです。積み重ねられた古典の情報を用いますけれども、実は今
目の前にある患者さんを理解する、理解しようとするその熱が言葉
になっているにすぎないとも言えます。
ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論
治も現時点でできあがった人間観や病理観を固定化し執着するもの
としてはいけません。解釈はいつも仮の姿です。より真実に向けて、
より実際の状態に向けて、弁証論治は深化し発展し続けなければな
らないものであると覚悟してかかるべきです。
このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供する
ことができるわけです。
ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれ
ているとして読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて
綴られているにすぎない部分や、論理的な整合性を求めてまとめら
れたにすぎない部分や、とりあえず資料として収録されたにすぎな
い部分などが見えてきます。
古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈
しなおしたり改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情
熱に沿うように読み取っていきます。読み取る際には私心をなくし
てただ読みます。けれども、読み取ったものに対しては厳しい批判
の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくしてただ読み取り、
読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢は、
実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じ
です。
この積み重ねがすなわち、一元流鍼灸術で古典を読むということな
のです。
います。けれどもその読み方には特徴があります。
以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される
以前の身体です。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければな
らないもっとも大切なことは、目の前の患者さんの身体をどのよう
に理解するのか、ということです。そのための道具として、先人が
同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとして、ひもとき
綴ってきた古典を使用するわけです。
そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返ると
いうことです。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づ
く陰陽五行論です。気一元の観点から把握しなおした陰陽と五行と
いう視点を明らかにしない限り、古人の位置に立ち、古人とともに
古典を形作る共同作業を担うことはできません。
ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、気一元の観点に立った
陰陽と五行の把握方法について語られています。
何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようと
しているのか、その対象を明らかにする必要があります。ことに天
人相応の関係として捉えうる人間の範囲とは何かということを規定
しなければ、天人相応の関係を持つとすることが何を意味している
のかということや、気一元のものとして捉えるということが何を意
味しているのかということを理解することはできません。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、
その場の状態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。その
ことを器の状態としてテキストでは述べています。生きている器の
状態の動き方の傾向を把握しようとするわけです。その変化の仕方
の傾向をどのように把握するのかという一段高い観点からテキスト
では述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大きさ小
ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストでは
これを、人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把
握するものは実は、そのような傾向を持つ器の「中身」の状態につ
いて考えているわけです。
生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を
把握しておくことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで
欠かすことのできないことです。この基礎の上に立つことによって
初めて弁証論治を考えるという行為が成立するということを、一元
流鍼灸術では明確にしています。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握しなおすという行
為はこの基礎の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静
的に分析するといった傾向を持ちます。その中でのバランスの崩れ
を時間の流れという動きの中から捉えていくわけです。
一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に
立った弁証論治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体
をいかに理解するのか、理解したかということを明らかにしている
ものです。積み重ねられた古典の情報を用いますけれども、実は今
目の前にある患者さんを理解する、理解しようとするその熱が言葉
になっているにすぎないとも言えます。
ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論
治も現時点でできあがった人間観や病理観を固定化し執着するもの
としてはいけません。解釈はいつも仮の姿です。より真実に向けて、
より実際の状態に向けて、弁証論治は深化し発展し続けなければな
らないものであると覚悟してかかるべきです。
このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供する
ことができるわけです。
ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれ
ているとして読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて
綴られているにすぎない部分や、論理的な整合性を求めてまとめら
れたにすぎない部分や、とりあえず資料として収録されたにすぎな
い部分などが見えてきます。
古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈
しなおしたり改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情
熱に沿うように読み取っていきます。読み取る際には私心をなくし
てただ読みます。けれども、読み取ったものに対しては厳しい批判
の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくしてただ読み取り、
読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢は、
実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じ
です。
この積み重ねがすなわち、一元流鍼灸術で古典を読むということな
のです。
気一元の観点に立って観るということ
気一元の観点を捉えることの初期に行われていた思考訓練は、陰陽で人を見る、五行で人を見るということでした。陰陽で人を見る、五行で人を見るということから学んできたことは、バランスよく観るということです。バランスが崩れるということは陰あるいは陽が、また五行の内の一つあるいはいくつかが偏って強くなりあるいは弱くなったことによって起こります。バランスが崩れるということが病むということであり、バランスを回復させることが治すということであると考えていました。
自身の観方に偏りがないかどうか、それを点検するために陰陽五行を用いて観ることをしていたわけです。
脉を取ることを用いて、この段階について解説してみましょう。
脉というものはぼやっと見ているとはっきり見えないものです。見るともなしに見ていると見えないものであるとも言えます。何かの目標を持つことによって、見たいものが見えてきます。それがたとえば六部定位の脉診であり、寸関尺の脉位によってその浮位と沈位との強弱を比較してもっとも弱い部位を定めていきます。一元流の脉診であれば、六部定位の浮位と沈位とを大きくざっと見て、その中でもっとも困っていそうな脉位を定めてそれを治療目標とします。
この大きくざっと見ることが実は大切です。脉そのものをしっかりとみることもできていないのに、脉状を云々する人がたくさんいるわけですけれども、そんなものはナンセンスです。先ず見ること。そこに言葉にする以前のそこにすべてがあります。見えているものをなんとか言葉にしていこうとうんうん呻吟した末に出てくるものが、脉状の名前でなければなりません。何かを表現したいと思う前にその実態をつかんでいなければいけないということです。このようにいうと当たり前のことですけれども、それができていないので何度も述べているわけです。
見て、そしてこれを陰陽の観点から五行の観点から言葉に代えて表現していきます。これを左関上の沈位が弦緊で右の尺中が浮にして弾、などという表現となって漏れてくるわけです。これが陰陽の観点から五行の観点から見るということです。寸口や尺中という位置が定められ表現されているのは、五行の観点から見てここが他の部位よりも困窮しているように見えるためです。濡弱とか弦緊とか表現されているのは、堅いのか柔らかいのかという陰陽の観点からその脉状をバランスよく見ているためです。
そのような脉診を少なくとも治療前と治療後にやり続けてきて徐々に理解してきたことは、実はそれよりも大きな脉の診方があるということでした。それは脉を診ることを通じて、生命力の変化を診るということです。脉診を通じてみる生命力の変化は一瞬にして大々的に変わることもありますし、微妙な変化しかしないこともあります。それは患者さんの体調にもよりますし治療の適否の問題もあります。細かく診ているだけでは表現しようのない大きな生命力の動きのことをおそらく古人も気がついていて、これを胃の気の脉と呼んだのだろうと思います。
胃の気の大きな変化こそ、脉診において中心として把握すべきものです。これは生命力の大きなうねりなのですから。そしてそれはアナログ的な流れの変化のように起こります。ですから、何という名前の脉状が胃の気が通っている脉状であると表現することはできません。より良いかより悪いかしか実はないわけです。良い脉状にはしかし目標はあります。それは、いわゆる12歳頃の健康な少年の脉状です。楊柳のようにしなやかで、拘わり滞留することがなく、輪郭が明瞭でつややかな脉状。寸関尺の浮位においても沈位においても脉力の差がなく、ざらつきもなく華美でもないしなやかで柔らかな生命の脉状。これが胃の気のもっとも充実している脉の状態です。
胃の気が少し弱るとさまざまな表情がまた出てきます。千変万化するわけです。脉位による差も出てくるでしょうし、脉圧による差も出てくるでしょう。脉状にもさまざまな違いが出てきて統一感がなくなります。輪郭も甘くなったり堅く弦を帯びたり反対に何とも言えない粘ったような柔らかい脉状を呈するようになるかもしれません。
このことが何を意味しているのかというとを、歴代の脉書は伝えていますけれども、そこに大きな意味はありません。ましてそれぞれの脉状に対して症状や証をあてるなど意味のないことです。そんなことよりもよりよい脉状に持って行くにはどうすればよいのかという観点から治療方針を定めていくようにするべきです。
これがいわゆる、脉状診から、胃の気の脉診への大きな診方の変化ということになります。そしてこのことが気一元の観点から観ることによって人間の観方が大きく生長してきたことです。
書物を読んで勉強していると生命力が「ある位置」で固まっているような感じがします。そのため、ある脉状を掴まえてその名前を決めそれに関連する症状と治し方を決めていこうとしたりするわけです。これはまるで、滔々と流れる川の流れの中の小さな渦に名前をつけて、その渦の位置と深さと強さとによって川の流れを調整する鍼の立て方を決めようとしているようなものです。あまりにも現実離れした論だとは思いませんか?
生きて動いている生命を眺めるということすなわち胃の気を眺めるということは、まさに陰陽五行論をカテゴリー分けから一段高い位置に脱して、生命の動きを見るための道具へと観方を深化させるキーとなる概念です。
そのためこれを気一元の観点から観ると表現して、一元流鍼灸術では大切にしているわけです。
気一元の観点を捉えることの初期に行われていた思考訓練は、陰陽で人を見る、五行で人を見るということでした。陰陽で人を見る、五行で人を見るということから学んできたことは、バランスよく観るということです。バランスが崩れるということは陰あるいは陽が、また五行の内の一つあるいはいくつかが偏って強くなりあるいは弱くなったことによって起こります。バランスが崩れるということが病むということであり、バランスを回復させることが治すということであると考えていました。
自身の観方に偏りがないかどうか、それを点検するために陰陽五行を用いて観ることをしていたわけです。
脉を取ることを用いて、この段階について解説してみましょう。
脉というものはぼやっと見ているとはっきり見えないものです。見るともなしに見ていると見えないものであるとも言えます。何かの目標を持つことによって、見たいものが見えてきます。それがたとえば六部定位の脉診であり、寸関尺の脉位によってその浮位と沈位との強弱を比較してもっとも弱い部位を定めていきます。一元流の脉診であれば、六部定位の浮位と沈位とを大きくざっと見て、その中でもっとも困っていそうな脉位を定めてそれを治療目標とします。
この大きくざっと見ることが実は大切です。脉そのものをしっかりとみることもできていないのに、脉状を云々する人がたくさんいるわけですけれども、そんなものはナンセンスです。先ず見ること。そこに言葉にする以前のそこにすべてがあります。見えているものをなんとか言葉にしていこうとうんうん呻吟した末に出てくるものが、脉状の名前でなければなりません。何かを表現したいと思う前にその実態をつかんでいなければいけないということです。このようにいうと当たり前のことですけれども、それができていないので何度も述べているわけです。
見て、そしてこれを陰陽の観点から五行の観点から言葉に代えて表現していきます。これを左関上の沈位が弦緊で右の尺中が浮にして弾、などという表現となって漏れてくるわけです。これが陰陽の観点から五行の観点から見るということです。寸口や尺中という位置が定められ表現されているのは、五行の観点から見てここが他の部位よりも困窮しているように見えるためです。濡弱とか弦緊とか表現されているのは、堅いのか柔らかいのかという陰陽の観点からその脉状をバランスよく見ているためです。
そのような脉診を少なくとも治療前と治療後にやり続けてきて徐々に理解してきたことは、実はそれよりも大きな脉の診方があるということでした。それは脉を診ることを通じて、生命力の変化を診るということです。脉診を通じてみる生命力の変化は一瞬にして大々的に変わることもありますし、微妙な変化しかしないこともあります。それは患者さんの体調にもよりますし治療の適否の問題もあります。細かく診ているだけでは表現しようのない大きな生命力の動きのことをおそらく古人も気がついていて、これを胃の気の脉と呼んだのだろうと思います。
胃の気の大きな変化こそ、脉診において中心として把握すべきものです。これは生命力の大きなうねりなのですから。そしてそれはアナログ的な流れの変化のように起こります。ですから、何という名前の脉状が胃の気が通っている脉状であると表現することはできません。より良いかより悪いかしか実はないわけです。良い脉状にはしかし目標はあります。それは、いわゆる12歳頃の健康な少年の脉状です。楊柳のようにしなやかで、拘わり滞留することがなく、輪郭が明瞭でつややかな脉状。寸関尺の浮位においても沈位においても脉力の差がなく、ざらつきもなく華美でもないしなやかで柔らかな生命の脉状。これが胃の気のもっとも充実している脉の状態です。
胃の気が少し弱るとさまざまな表情がまた出てきます。千変万化するわけです。脉位による差も出てくるでしょうし、脉圧による差も出てくるでしょう。脉状にもさまざまな違いが出てきて統一感がなくなります。輪郭も甘くなったり堅く弦を帯びたり反対に何とも言えない粘ったような柔らかい脉状を呈するようになるかもしれません。
このことが何を意味しているのかというとを、歴代の脉書は伝えていますけれども、そこに大きな意味はありません。ましてそれぞれの脉状に対して症状や証をあてるなど意味のないことです。そんなことよりもよりよい脉状に持って行くにはどうすればよいのかという観点から治療方針を定めていくようにするべきです。
これがいわゆる、脉状診から、胃の気の脉診への大きな診方の変化ということになります。そしてこのことが気一元の観点から観ることによって人間の観方が大きく生長してきたことです。
書物を読んで勉強していると生命力が「ある位置」で固まっているような感じがします。そのため、ある脉状を掴まえてその名前を決めそれに関連する症状と治し方を決めていこうとしたりするわけです。これはまるで、滔々と流れる川の流れの中の小さな渦に名前をつけて、その渦の位置と深さと強さとによって川の流れを調整する鍼の立て方を決めようとしているようなものです。あまりにも現実離れした論だとは思いませんか?
生きて動いている生命を眺めるということすなわち胃の気を眺めるということは、まさに陰陽五行論をカテゴリー分けから一段高い位置に脱して、生命の動きを見るための道具へと観方を深化させるキーとなる概念です。
そのためこれを気一元の観点から観ると表現して、一元流鍼灸術では大切にしているわけです。
ZoffとJINS
安い眼鏡屋さんで競合しているZoffとJINS。
最近疲れ目が激しくて、パソコンはめがねなしだと視にくいのですが本はめがねをしていると視にくいという、非常にうっとうしい状態となっていました。本を読みながらパソコンに入力しようとすると、眼鏡をつけたり外したりしなくちゃなりません。でも老眼ではありません。絶対に。だって裸眼で本を読むのは楽にできるのですもの。
そこでこれまでしていた目の前全面を覆うような大きなレンズの眼鏡をやめて、ちょっと若作りの縦が狭い眼鏡にすれば、眼鏡の下から本の文字を覗くことができ、眼鏡を着けたり外したりしなくても本とパソコンを交互に参照することができるのではないだろうかと考えたわけです。
そして、お正月特価としてZoffで在庫一掃半額セールらしきものがあり、ダメ元で眼鏡を作ってもらいました。
これが素晴らしかった!夕暮れ時の交差点の信号機が小さくくっきりと見えるではありませんか。これまで使っていた眼鏡を元にしてそのままの度でレンズを作ってもらったので、度が違うということはありません。おそらくレンズが違うのでしょう。
このヒットに気をよくした私はちょこっとネットで最近の眼鏡事情について調べてみました。ちょこっとなのでなんなのですが、そこにはZoffよりもJINSの方がレンズが良いんだよと自慢げに書いてありました。そこでものは試しということでjinsに行ったところ、ここでも在庫一掃半額セールをしていたので迷わず同じタイプを注文。
1時間後にはその眼鏡をかけて通りを歩いていました。が、が、目がおかしい!クラクラするし疲れるしでとても継続してかけていることはできません。首も凝ってきました。そこでzoffの眼鏡に変えると楽になります。う〜〜〜ん。
数日後、何度か試しても駄目だったのでJINSに行って尋ねました。
「クラクラするのですが」
「どれどれ」
度の違いはなく、乱視も軸が1ずれているだけなので誤差の範囲内らしく、これは目と眼鏡の距離の問題にちがいないということで店員さんが一所懸命調整してくれました。けれども顔を横に振るとクラクラ、縦に振るとクラクラしてしまいます。眼鏡の外の風景が視ているのよりも遅く反応するのですね。
Zoffの眼鏡ではそれが起こらず、どうしてだろうと店員さんが調べてみると、Zoffの安い眼鏡は球面レンズ(メーカーは不明)を使っているのだそうで、JINSの眼鏡は薄型の非球面レンズ(HOYAという説明)を使っているのだそうです。どうやら私の目には昔ながらの球面レンズがぴったり合っていて、現代人がかっこよくしているらしい薄型非球面レンズは合わないらしいということがわかりました。
原因がわかってホットしたのですが、どこか悔しさが残る結末でした。
現代の進むスピードは速いので、我が内なる古代人のために早速Zoffに行ってもう一個、もうなくなってしまうかもしれない球面レンズの眼鏡を作ったのはいうまでもありません。
安い眼鏡屋さんで競合しているZoffとJINS。
最近疲れ目が激しくて、パソコンはめがねなしだと視にくいのですが本はめがねをしていると視にくいという、非常にうっとうしい状態となっていました。本を読みながらパソコンに入力しようとすると、眼鏡をつけたり外したりしなくちゃなりません。でも老眼ではありません。絶対に。だって裸眼で本を読むのは楽にできるのですもの。
そこでこれまでしていた目の前全面を覆うような大きなレンズの眼鏡をやめて、ちょっと若作りの縦が狭い眼鏡にすれば、眼鏡の下から本の文字を覗くことができ、眼鏡を着けたり外したりしなくても本とパソコンを交互に参照することができるのではないだろうかと考えたわけです。
そして、お正月特価としてZoffで在庫一掃半額セールらしきものがあり、ダメ元で眼鏡を作ってもらいました。
これが素晴らしかった!夕暮れ時の交差点の信号機が小さくくっきりと見えるではありませんか。これまで使っていた眼鏡を元にしてそのままの度でレンズを作ってもらったので、度が違うということはありません。おそらくレンズが違うのでしょう。
このヒットに気をよくした私はちょこっとネットで最近の眼鏡事情について調べてみました。ちょこっとなのでなんなのですが、そこにはZoffよりもJINSの方がレンズが良いんだよと自慢げに書いてありました。そこでものは試しということでjinsに行ったところ、ここでも在庫一掃半額セールをしていたので迷わず同じタイプを注文。
1時間後にはその眼鏡をかけて通りを歩いていました。が、が、目がおかしい!クラクラするし疲れるしでとても継続してかけていることはできません。首も凝ってきました。そこでzoffの眼鏡に変えると楽になります。う〜〜〜ん。
数日後、何度か試しても駄目だったのでJINSに行って尋ねました。
「クラクラするのですが」
「どれどれ」
度の違いはなく、乱視も軸が1ずれているだけなので誤差の範囲内らしく、これは目と眼鏡の距離の問題にちがいないということで店員さんが一所懸命調整してくれました。けれども顔を横に振るとクラクラ、縦に振るとクラクラしてしまいます。眼鏡の外の風景が視ているのよりも遅く反応するのですね。
Zoffの眼鏡ではそれが起こらず、どうしてだろうと店員さんが調べてみると、Zoffの安い眼鏡は球面レンズ(メーカーは不明)を使っているのだそうで、JINSの眼鏡は薄型の非球面レンズ(HOYAという説明)を使っているのだそうです。どうやら私の目には昔ながらの球面レンズがぴったり合っていて、現代人がかっこよくしているらしい薄型非球面レンズは合わないらしいということがわかりました。
原因がわかってホットしたのですが、どこか悔しさが残る結末でした。
現代の進むスピードは速いので、我が内なる古代人のために早速Zoffに行ってもう一個、もうなくなってしまうかもしれない球面レンズの眼鏡を作ったのはいうまでもありません。
古典を読むということ 弁証論治を作成するということ
一元流鍼灸術では文字で書かれている古典を読むことも大切にしています。けれどもその読み方には特徴があります。
以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される以前の身体です。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければならないもっとも大切なことは、目の前の患者さんの身体をどのように理解するのか、ということです。そのための道具として、先人が同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとして、ひもとき綴ってきた古典を使用するわけです。
そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返るということです。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づく陰陽五行論です。気一元の観点から把握しなおした陰陽と五行という視点を明らかにしない限り、古人の位置に立ち、古人とともに古典を形作る共同作業を担うことはできません。
ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、気一元の観点に立った陰陽と五行の把握方法について語られています。
何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようとしているのか、その対象を明らかにする必要があります。ことに天人相応の関係として捉えうる人間の範囲とは何かということを規定しなければ、天人相応の関係を持つとすることが何を意味しているのかということや、気一元のものとして捉えるということが何を意味しているのかということを理解することはできません。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、その場の状態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。そのことを器の状態としてテキストでは述べています。生きている器の状態の動き方の傾向を把握しようとするわけです。その変化の仕方の傾向をどのように把握するのかという一段高い観点からテキストでは述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大きさ小ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストではこれを、人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把握するものは実は、そのような傾向を持つ器の「中身」の状態について考えているわけです。
生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を把握しておくことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで欠かすことのできないことです。この基礎の上に立つことによって初めて弁証論治を考えるという行為が成立するということを、一元流鍼灸術では明確にしています。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すという行為はこの基礎の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静的に分析するといった傾向を持ちます。その中でのバランスの崩れを時間の流れという動きの中から捉えていくわけです。
一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に立った弁証論治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体をいかに理解するのか、理解したかということを明らかにしているものです。積み重ねられた古典の情報を用いますけれども、実は今目の前にある患者さんを理解する、理解しようとするその熱が言葉になっているにすぎないとも言えます。
ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論治も現時点でできあがった人間観や病理観を固定化し執着するものとしてはいけません。解釈はいつも仮の姿です。より真実に向けて、より実際の状態に向けて、弁証論治は深化し発展し続けなければならないものであると覚悟してかかるべきです。
このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供することができるわけです。
ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれているとして読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて綴られているにすぎない部分や、論理的な整合性を求めてまとめられたにすぎない部分や、とりあえず資料として収録されたにすぎない部分などが見えてきます。
古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈しなおしたり改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情熱に沿うように読み取っていきます。読み取る際には私心をなくしてただ読みます。けれども、読み取ったものに対しては厳しい批判の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくしてただ読み取り、読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢は、実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じです。
これはすなわち一元流鍼灸術で古典を読むということなのです。
一元流鍼灸術では文字で書かれている古典を読むことも大切にしています。けれどもその読み方には特徴があります。
以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される以前の身体です。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければならないもっとも大切なことは、目の前の患者さんの身体をどのように理解するのか、ということです。そのための道具として、先人が同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとして、ひもとき綴ってきた古典を使用するわけです。
そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返るということです。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づく陰陽五行論です。気一元の観点から把握しなおした陰陽と五行という視点を明らかにしない限り、古人の位置に立ち、古人とともに古典を形作る共同作業を担うことはできません。
ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、気一元の観点に立った陰陽と五行の把握方法について語られています。
何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようとしているのか、その対象を明らかにする必要があります。ことに天人相応の関係として捉えうる人間の範囲とは何かということを規定しなければ、天人相応の関係を持つとすることが何を意味しているのかということや、気一元のものとして捉えるということが何を意味しているのかということを理解することはできません。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、その場の状態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。そのことを器の状態としてテキストでは述べています。生きている器の状態の動き方の傾向を把握しようとするわけです。その変化の仕方の傾向をどのように把握するのかという一段高い観点からテキストでは述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大きさ小ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストではこれを、人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把握するものは実は、そのような傾向を持つ器の「中身」の状態について考えているわけです。
生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を把握しておくことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで欠かすことのできないことです。この基礎の上に立つことによって初めて弁証論治を考えるという行為が成立するということを、一元流鍼灸術では明確にしています。
「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すという行為はこの基礎の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静的に分析するといった傾向を持ちます。その中でのバランスの崩れを時間の流れという動きの中から捉えていくわけです。
一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に立った弁証論治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体をいかに理解するのか、理解したかということを明らかにしているものです。積み重ねられた古典の情報を用いますけれども、実は今目の前にある患者さんを理解する、理解しようとするその熱が言葉になっているにすぎないとも言えます。
ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論治も現時点でできあがった人間観や病理観を固定化し執着するものとしてはいけません。解釈はいつも仮の姿です。より真実に向けて、より実際の状態に向けて、弁証論治は深化し発展し続けなければならないものであると覚悟してかかるべきです。
このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供することができるわけです。
ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれているとして読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて綴られているにすぎない部分や、論理的な整合性を求めてまとめられたにすぎない部分や、とりあえず資料として収録されたにすぎない部分などが見えてきます。
古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈しなおしたり改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情熱に沿うように読み取っていきます。読み取る際には私心をなくしてただ読みます。けれども、読み取ったものに対しては厳しい批判の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくしてただ読み取り、読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢は、実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じです。
これはすなわち一元流鍼灸術で古典を読むということなのです。
見る前に語るなかれ
東洋医学が記述されてきた歴史の中でおそらくもっとも重大な問題は、わかりもせずに記述が積み重ねられているということでしょう。
これは戦乱の中にありながら伝統を残していこうとしてきた先人の必死な志の精華であるとも言えます。けれども、後代の人間がそれらの言葉を鵜呑みにし、文字に文字を重ねる形で論を広げていく段になると、容認しがたい空論の積み重ねであると言わなければなりません。
日本においても未だにこのような妄想に妄想を重ねて理論らしきものを作り上げようとしている団体があることは、まことに悲しむべきことです。
惑いの中にいる人々は、たとえば脉状には名前があるべきだとしてその名称を先に覚え、それを今診ている脉状に当てはめてしまいます。疾病には名前があるべきだとしてその名称を先に覚え、それを目の前の疾病に当てはめてしまいます。
これでは正しく人間(上記の例で言えば脉や疾病)を診るということはできません。分類しているだけです。脉や疾病を分類しているだけなのです。言葉に踊らされその奴隷となり、目の前にある存在をそのまま診るのではなく、分類した箱の中に入れて安心しているのです。
この行為は、「まるごと一つとして生きている生命」をはなはだ侮辱するものです。そしてこれが大々的に行われているのが、西洋医学であるということは言うまでもありません。
人間そのものを診る。人間そのものに肉薄するという東洋医学の伝統に沿う時、このような軽薄な分類は、もっとも避けるべきことです。
診る、そしてわからずに戸惑う、診る、そしてそのわからない中から言葉を探り出し今の状況を解説しようとする。この戸惑いの中にこそ行為として東洋医学を理解していく原点が存します。
愚かにも偉そうにしたがる先達は、見えてもいないのにそれを言葉で表現してしまいます。一元流鍼灸術の勉強会でさえそれがありますから、世の中は推して知るべきでしょう。そしてこれは、東洋医学の古典に記述されている言葉もそうなのだということは押さえておかなければいけないことです。見えていないにもかかわらず愚かにもそれを語り述べ広げてしまうこの愚かな行為の走りは、実に脉経の時代から支那大陸には存在しています。
これらの言葉の群れに惑わされないためにはどうすればいいのでしょうか。
それは東洋医学における人間把握の方法の原点である黄老道について研究し、その根底にある人間観を身につけることです。そしてこれこそが天と人とが対応関係にあるという観方と、それに基づく陰陽五行理論です。これこそが無明の存在を見分け理解しようとする東洋医学的なアプローチの原点です。
そしてこれはもとより、陰陽や五行に分けることが目的なのではなく、「まるごと一つとして生きている生命」をありのままに把握し解説しようとする際の戸惑いのただ中にあって、観ているものをなんとか表現しようとする思いによって産み出された方法なのです。
東洋医学が記述されてきた歴史の中でおそらくもっとも重大な問題は、わかりもせずに記述が積み重ねられているということでしょう。
これは戦乱の中にありながら伝統を残していこうとしてきた先人の必死な志の精華であるとも言えます。けれども、後代の人間がそれらの言葉を鵜呑みにし、文字に文字を重ねる形で論を広げていく段になると、容認しがたい空論の積み重ねであると言わなければなりません。
日本においても未だにこのような妄想に妄想を重ねて理論らしきものを作り上げようとしている団体があることは、まことに悲しむべきことです。
惑いの中にいる人々は、たとえば脉状には名前があるべきだとしてその名称を先に覚え、それを今診ている脉状に当てはめてしまいます。疾病には名前があるべきだとしてその名称を先に覚え、それを目の前の疾病に当てはめてしまいます。
これでは正しく人間(上記の例で言えば脉や疾病)を診るということはできません。分類しているだけです。脉や疾病を分類しているだけなのです。言葉に踊らされその奴隷となり、目の前にある存在をそのまま診るのではなく、分類した箱の中に入れて安心しているのです。
この行為は、「まるごと一つとして生きている生命」をはなはだ侮辱するものです。そしてこれが大々的に行われているのが、西洋医学であるということは言うまでもありません。
人間そのものを診る。人間そのものに肉薄するという東洋医学の伝統に沿う時、このような軽薄な分類は、もっとも避けるべきことです。
診る、そしてわからずに戸惑う、診る、そしてそのわからない中から言葉を探り出し今の状況を解説しようとする。この戸惑いの中にこそ行為として東洋医学を理解していく原点が存します。
愚かにも偉そうにしたがる先達は、見えてもいないのにそれを言葉で表現してしまいます。一元流鍼灸術の勉強会でさえそれがありますから、世の中は推して知るべきでしょう。そしてこれは、東洋医学の古典に記述されている言葉もそうなのだということは押さえておかなければいけないことです。見えていないにもかかわらず愚かにもそれを語り述べ広げてしまうこの愚かな行為の走りは、実に脉経の時代から支那大陸には存在しています。
これらの言葉の群れに惑わされないためにはどうすればいいのでしょうか。
それは東洋医学における人間把握の方法の原点である黄老道について研究し、その根底にある人間観を身につけることです。そしてこれこそが天と人とが対応関係にあるという観方と、それに基づく陰陽五行理論です。これこそが無明の存在を見分け理解しようとする東洋医学的なアプローチの原点です。
そしてこれはもとより、陰陽や五行に分けることが目的なのではなく、「まるごと一つとして生きている生命」をありのままに把握し解説しようとする際の戸惑いのただ中にあって、観ているものをなんとか表現しようとする思いによって産み出された方法なのです。
疾病について
人の身体は、自然にバランスが取られることによってその生理的な活動を営むことができるようになっています。これをホメオスタシス(生理的な均衡)とも表現します。一般的に疾病と呼ばれているものは、身体の平衡が劫かされている状態のことを意味しています。
身体の均衡が破られている状態には、より健全な心身を獲得するために、「固定化している現状を手放している状況が表面に現れている」生理的な不安定状態のものがあります。
また、健全な心身を劫かしてその均衡を破壊し、時には生命の危機にまで至る、非生理的な不安定状態のもの、すなわち病理的なものがあります。
このあたりについてのより大きな生成病死については、テキストの一元のところで詳細に述べられていますので、まずはそちらをお読みください。ここではそのうちの病の内容について述べています。
この両者は同じように心身の均衡が破られているため、ふだん元気に生活を営んでいる状態とは異なる、なんらかの違和感が身体に表れてきます。
病者は身体に違和感があることから治療を求めます。素人ですからこれはどうしようもないことです。けれども治療家の側も患者の訴える症状に振り回されて、この両者を同じように「疾病」とし、否定して解消するべき課題としてしまうと、ここに非常に大きな問題を生ずることとなります。
この問題の小さなところでは、根本の問題を理解することができないまま対症療法が積み重ねられることによって、実はその患者さんの生命力が損傷され、寿命を短くしている可能性があるというところにあります。またこの問題の大きなところでは、歴史的に蓄積されたと言われている東洋医学の治療技術が、実は単に対症療法の積み重ねにすぎないものとして把握される可能性があるというところにあります。
もともとは人間をいかに理解しいかに生きるかという人間学として構想された東洋医学を換骨奪胎し、後世の人々が東洋医学の積み重ねを単なる大いなる人体実験として捉えて、対症療法的な治療技術を秘伝と呼んで盗み集めようとするわけです。
けれども東洋医学の実に面白いところは、この対症療法という「民間療法的なものを積み重ねてもその東洋医学的な人間観が構成されない」ということろにあります。すなわち古代、東洋医学を作り上げた人々は、単に対症療法を蓄積しただけではなかったということです。彼らは、より深く、人間をどのように捉えるべきか、人間とはいかなるものであるのかといった、その生理的な状況・病理的な状況を、生きて働いている人間のありのままの状態を観察することを通じて把握しようと試みてきました。そのような姿勢を保持することによって初めて、東洋医学の人間観ができあがっていったわけです。
この東洋医学の人間観を築き上げていく際に使用した基本的な概念は、天人相応に基づく―人身は一つの小天地であるという発想に基づく―陰陽五行理論でした。この発想を積み重ねていくことから生まれたもっとも大きな成果が、人間の生理的な状態についてまとめ、病理とは何かを明らかにしている臓腑経絡学説です。これを通じて東洋医学は、人間の生命がどのようにして養われているのか、なぜ病むのかということを明らかにしました。
生命とはいかなるものであるのかという問いこそが、東洋医学を深化発展させる鍵となったわけです。
そして、病を治療する方法のもっとも広く深いものとしてまずその人間の生き様としての養生があり、次に鍼灸があり、湯液があり、最後に治せないほど深い病があると古人は考えました。
そしてまたここにおいて疾病の二重性すなわち生命を維持していくために一時的な矛盾として起こる疾病と、生命が毀損されている状態としての疾病とがあるということが明らかにされていったわけです。
ですから、現代において東洋医学と称して対症療法のみを行って平然としていられる人々―漢方薬や鍼灸という道具を使用しながら、古人の身体観に則ることなしに、症状を目標として治療を行っている人々―は、この古人の姿勢を裏切るものであると言えます。伝統医学を自称しながら伝統を裏切っているわけです。
東洋医学は単なる病気治しの医学ではありません。その人生を応援するための養生術をその中核としている人間学です。これこそが、東洋医学がまさに「未病を治す医学」と呼ばれているゆえんであるわけです。
人の身体は、自然にバランスが取られることによってその生理的な活動を営むことができるようになっています。これをホメオスタシス(生理的な均衡)とも表現します。一般的に疾病と呼ばれているものは、身体の平衡が劫かされている状態のことを意味しています。
身体の均衡が破られている状態には、より健全な心身を獲得するために、「固定化している現状を手放している状況が表面に現れている」生理的な不安定状態のものがあります。
また、健全な心身を劫かしてその均衡を破壊し、時には生命の危機にまで至る、非生理的な不安定状態のもの、すなわち病理的なものがあります。
このあたりについてのより大きな生成病死については、テキストの一元のところで詳細に述べられていますので、まずはそちらをお読みください。ここではそのうちの病の内容について述べています。
この両者は同じように心身の均衡が破られているため、ふだん元気に生活を営んでいる状態とは異なる、なんらかの違和感が身体に表れてきます。
病者は身体に違和感があることから治療を求めます。素人ですからこれはどうしようもないことです。けれども治療家の側も患者の訴える症状に振り回されて、この両者を同じように「疾病」とし、否定して解消するべき課題としてしまうと、ここに非常に大きな問題を生ずることとなります。
この問題の小さなところでは、根本の問題を理解することができないまま対症療法が積み重ねられることによって、実はその患者さんの生命力が損傷され、寿命を短くしている可能性があるというところにあります。またこの問題の大きなところでは、歴史的に蓄積されたと言われている東洋医学の治療技術が、実は単に対症療法の積み重ねにすぎないものとして把握される可能性があるというところにあります。
もともとは人間をいかに理解しいかに生きるかという人間学として構想された東洋医学を換骨奪胎し、後世の人々が東洋医学の積み重ねを単なる大いなる人体実験として捉えて、対症療法的な治療技術を秘伝と呼んで盗み集めようとするわけです。
けれども東洋医学の実に面白いところは、この対症療法という「民間療法的なものを積み重ねてもその東洋医学的な人間観が構成されない」ということろにあります。すなわち古代、東洋医学を作り上げた人々は、単に対症療法を蓄積しただけではなかったということです。彼らは、より深く、人間をどのように捉えるべきか、人間とはいかなるものであるのかといった、その生理的な状況・病理的な状況を、生きて働いている人間のありのままの状態を観察することを通じて把握しようと試みてきました。そのような姿勢を保持することによって初めて、東洋医学の人間観ができあがっていったわけです。
この東洋医学の人間観を築き上げていく際に使用した基本的な概念は、天人相応に基づく―人身は一つの小天地であるという発想に基づく―陰陽五行理論でした。この発想を積み重ねていくことから生まれたもっとも大きな成果が、人間の生理的な状態についてまとめ、病理とは何かを明らかにしている臓腑経絡学説です。これを通じて東洋医学は、人間の生命がどのようにして養われているのか、なぜ病むのかということを明らかにしました。
生命とはいかなるものであるのかという問いこそが、東洋医学を深化発展させる鍵となったわけです。
そして、病を治療する方法のもっとも広く深いものとしてまずその人間の生き様としての養生があり、次に鍼灸があり、湯液があり、最後に治せないほど深い病があると古人は考えました。
そしてまたここにおいて疾病の二重性すなわち生命を維持していくために一時的な矛盾として起こる疾病と、生命が毀損されている状態としての疾病とがあるということが明らかにされていったわけです。
ですから、現代において東洋医学と称して対症療法のみを行って平然としていられる人々―漢方薬や鍼灸という道具を使用しながら、古人の身体観に則ることなしに、症状を目標として治療を行っている人々―は、この古人の姿勢を裏切るものであると言えます。伝統医学を自称しながら伝統を裏切っているわけです。
東洋医学は単なる病気治しの医学ではありません。その人生を応援するための養生術をその中核としている人間学です。これこそが、東洋医学がまさに「未病を治す医学」と呼ばれているゆえんであるわけです。
肥痩考
肥痩ということを考える前に、生老病死について整理しておく必要があります。けれどもこのことについては《一元流鍼灸術の門》でしっかり述べられていますので、そちらを参考にしてください。この〈肥痩考〉は、その人生行路における体重の増減の要素について考察したものです。
気一元の観点から身体が作り上げられるということをみていくと、以下のようになります。
口から入り→消化し→代謝してエネルギーに化し→吸収し→二便として出る
口から入るものとしては、飲食物と空気とがあります。飲食物は胃の系統を通じて入り、脾によって消化されます。その精気は脾の上昇作用にしたがって肺に上り肺の系統から入った呼吸とともに宗気を形成します。宗気は肺の宣散粛降作用にしたがって下って五臓を養い、さらにその清濁にしたがって栄衛に別れて全身を養います。また飲食物の糟粕は腑を通じて大小の二便として排泄されます。
六臓六腑とその生命力の流れである十二経脉と、その余得である絡脉や奇経などで形成されているものが身体のまるごとひとつの全体となります。
新陳代謝が悪いと、身体となる部分が増えて排泄部分が減ります。これは臓腑の働きが弱り、排泄能力も低くなっているわけです。けれどもこれはエネルギー効率が高いために少量のエネルギーの供給で活発な働きをすることができるとも言えます。ですから新陳代謝が悪いからといって病気であるというわけではありません。
新陳代謝が良いと、身体となる部分が減り排泄部分が増えます。これは臓腑の働きが強く、排泄能力も高くなっているわけです。けれどもこれはエネルギー効率が低いために多量のエネルギーの供給によらないと活発な働きをすることができないとも言えます。ですから新陳代謝が良いからといって病気であるというわけではありません。
新陳代謝が悪いものには、飢餓体質すなわち痩せにくい体質や橋本病などがあります。
新陳代謝が良いものには、太りにくい体質やバセドー氏病などがあります。
新陳代謝の悪いということと痩せにくいということとは相対的な問題です。ですからなかなか痩せれなくても、できるだけ代謝を上げる―すなわち外出して運動し、さまざまなことに思い巡らして気を遣い。感情を活発に働かせてできるだけ食べないようにしていると、内臓が弱り切らない範囲で痩せていくことができます。
新陳代謝の良いということと太れないということとは相対的な問題です。ですからなかなか太れなくても、できるだけ代謝を下げる―すなわち外出を控えて家でおとなしくし無駄なことを考えずに感情を安定させてぱくぱく食べるようにすることで、内臓が弱り切らない範囲で太っていくことができます。
太る痩せるという以上のような観点は、生理的なものとしてまず最初に押さえておくべきことです。
次により病的な要素として、水分代謝の不良によって起こる内湿や湿痰の問題があります。これはいわゆる、内生の邪として身体の気の巡りを阻害することとなります。これを蓄積している時には、当然のこととして排泄する力が弱くなっています。この状態に陥る初期には多くの場合、食べ過ぎや過労によって腎気が弱ったために、排泄が鈍ることが契機となります。この状態が大きな問題をはらんでいる理由は、排泄が鈍れば鈍るほど邪気が蓄りやすくなるという、悪循環に入りやすいためです。このような悪循環を是正するには大きな非生理的な力が必要となります。これを鍼で得るか漢方薬で得るかあるいは何か他のもので得るかということは選択の問題です。微温的な処置では追いつかないことが多いということは覚えておく必要があります。
太る痩せるということは、東洋医学的に考えるだけでも以上のように複雑な要素があります。中医学が述べるよう単純に、太るということは湿痰を蓄めることであるという発想は、非常に安易なものであるということが理解できるかと思います。
肥痩ということを考える前に、生老病死について整理しておく必要があります。けれどもこのことについては《一元流鍼灸術の門》でしっかり述べられていますので、そちらを参考にしてください。この〈肥痩考〉は、その人生行路における体重の増減の要素について考察したものです。
気一元の観点から身体が作り上げられるということをみていくと、以下のようになります。
口から入り→消化し→代謝してエネルギーに化し→吸収し→二便として出る
口から入るものとしては、飲食物と空気とがあります。飲食物は胃の系統を通じて入り、脾によって消化されます。その精気は脾の上昇作用にしたがって肺に上り肺の系統から入った呼吸とともに宗気を形成します。宗気は肺の宣散粛降作用にしたがって下って五臓を養い、さらにその清濁にしたがって栄衛に別れて全身を養います。また飲食物の糟粕は腑を通じて大小の二便として排泄されます。
六臓六腑とその生命力の流れである十二経脉と、その余得である絡脉や奇経などで形成されているものが身体のまるごとひとつの全体となります。
新陳代謝が悪いと、身体となる部分が増えて排泄部分が減ります。これは臓腑の働きが弱り、排泄能力も低くなっているわけです。けれどもこれはエネルギー効率が高いために少量のエネルギーの供給で活発な働きをすることができるとも言えます。ですから新陳代謝が悪いからといって病気であるというわけではありません。
新陳代謝が良いと、身体となる部分が減り排泄部分が増えます。これは臓腑の働きが強く、排泄能力も高くなっているわけです。けれどもこれはエネルギー効率が低いために多量のエネルギーの供給によらないと活発な働きをすることができないとも言えます。ですから新陳代謝が良いからといって病気であるというわけではありません。
新陳代謝が悪いものには、飢餓体質すなわち痩せにくい体質や橋本病などがあります。
新陳代謝が良いものには、太りにくい体質やバセドー氏病などがあります。
新陳代謝の悪いということと痩せにくいということとは相対的な問題です。ですからなかなか痩せれなくても、できるだけ代謝を上げる―すなわち外出して運動し、さまざまなことに思い巡らして気を遣い。感情を活発に働かせてできるだけ食べないようにしていると、内臓が弱り切らない範囲で痩せていくことができます。
新陳代謝の良いということと太れないということとは相対的な問題です。ですからなかなか太れなくても、できるだけ代謝を下げる―すなわち外出を控えて家でおとなしくし無駄なことを考えずに感情を安定させてぱくぱく食べるようにすることで、内臓が弱り切らない範囲で太っていくことができます。
太る痩せるという以上のような観点は、生理的なものとしてまず最初に押さえておくべきことです。
次により病的な要素として、水分代謝の不良によって起こる内湿や湿痰の問題があります。これはいわゆる、内生の邪として身体の気の巡りを阻害することとなります。これを蓄積している時には、当然のこととして排泄する力が弱くなっています。この状態に陥る初期には多くの場合、食べ過ぎや過労によって腎気が弱ったために、排泄が鈍ることが契機となります。この状態が大きな問題をはらんでいる理由は、排泄が鈍れば鈍るほど邪気が蓄りやすくなるという、悪循環に入りやすいためです。このような悪循環を是正するには大きな非生理的な力が必要となります。これを鍼で得るか漢方薬で得るかあるいは何か他のもので得るかということは選択の問題です。微温的な処置では追いつかないことが多いということは覚えておく必要があります。
太る痩せるということは、東洋医学的に考えるだけでも以上のように複雑な要素があります。中医学が述べるよう単純に、太るということは湿痰を蓄めることであるという発想は、非常に安易なものであるということが理解できるかと思います。
実実の体質は存在しない
先日の勉強会の帰り際にある人から「実実の状態というのは存在す
るのでしょうか」という質問を受けました。私は即座に「存在しま
せん」と答えました。彼は重ねて「外邪によって侵襲されている場
合でも実実の状態というのはないのでしょうか」と質問されました。
私はやはり即座に「ありません」と答えました。ただその理由につ
いて明確にしきれていない気がしますので、ここで述べておこうと
思います。
教科書的な実実の人というのはいわゆる体力が充実し筋骨隆々とし
た状態のプロレスラーのような人が描かれます。このような人は生
命力が充実しきっているように見えますので、実実の人と呼んでい
るわけです。
けれども生命力が充実している人というのは、内部に蓄積する力だ
けでなく排泄する力も充実している人のことを意味しています。新
陳代謝が活発に行われている生命こそがまさにもっとも充実してい
る生命です。そしてそこには排泄能力が当然含まれるわけですから、
上記したような実実の人というのは、その筋骨隆々とした外見だけ
では、充実した生命力を持つ人と呼ぶことはできないわけです。
では外邪によって侵襲された時は実実の人にならないのでしょうか。
傷寒に補法なしと言い、汗吐下という瀉法が傷寒の病を治療する方
法となっていることからも、この考え方は支持されるように思えま
す。
けれどもよく考えてみると、生命力の弱りがなければ邪気が入って
くることはありません。これが東洋医学の基本的な考え方です。で
すから、邪気に侵襲されるような人は生命力がどこかで虚している
人であると言えます。ということは邪気に侵襲されているという点
ですでに、実実の状態ではないと言えます。
充実した生命というものは、淀みなく流れ続ける生命の状態のこと
です。邪気に侵襲されても、その邪気を払いしなやかに流れ続ける
ものこそ、充実した生命なのです。

