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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

診断地点は、全身の生命の縮図


萩谷さん 加藤さん いつも勉強会の報告をありがとうございます。m(_._)m

kさんが書かれている、「肝木の身体観と難経鉄鑑の六十六難の図(杉山流の行灯の図も)は同じものである」「どれも生命を観て描いたものだから」という言葉はとても大切です。

kさんがいわれているとおり、「どこに焦点を当てて表現するのかで、図も違ったものに見えるけれど、見ているものは生命で、すべての図の元である、」ということなのです。

生命を観るということは、私たちは日常的な臨床で行っていることです。それをどのような角度から捉えなおしていくのか、ということが、生命を構造的に観ていくということの意味です。

時代によってもっとも大切なものがなにかということが変化してきたということは、二つ前のお話しで述べています。すべては気一元の生命についての話であり、一人ひとりが臨床で捉えている生命そのものの解説です。その中で、それぞれの古人が重視しているものが異なるため、語り方が変化し、それを図にしたものが異なってくるわけです。


そして、このことに気が付くためには、図を見ても図に囚われていてはいけない。図を離れて一つの生命である人間を見、その気一元の生命を見ることのために図を利用するという視点が必
要である。ということになります。生命が先、図が後。生命が先、言葉は後からつけたものということです。生命を見ようとし、見えた生命を表現するために工夫されたものが言葉であり図である。そうでなければいけない。ということです。

「生命を見ようとし、見えた生命を表現するために工夫されたもの」ということから今回より具体的なものとして、脉診の話をすることとなりました。生命を見るというと観念的になりがちですので、脉を診るということに置きかえていったわけです。

一元流鍼灸術では、四診における診断地点を、全身の生命の縮図であると考えています。今回の話で出てきた、脉処もその一つです。背候診における背部、腹診における腹部、経穴診における十二原穴、尺膚診における尺膚、舌診における舌も、いわば小さな気一元の場所として捉えているわけです。

それぞれに表現における特徴はありますが、気一元の場所であるからこそ、先人が診断地点として遺してくれている。そう考えているわけですね。
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考えることを止め、そしてまた観る


伴「気一元の観点から胃の気の脉診、臍下丹田から肝木の身体観まで、その関連性について行っています。図示されているものとしては、杉山流の行灯の図と難経鉄鑑の六十六難の図と肝木の身体観は同じものの異なる表現である」

佐藤「私はこの3つが同じものを表現している、ということがまだ理解できていないようです。と言うか、肝木の身体観について理解できていないようです。


特に肝木の身体観と三焦との関わり、加えてこれを考えていたら、十二経絡と臓腑、三焦についても分からなくなってきて混乱してきました。」

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混乱をきたした時には、考えることを停止することをお薦めします。考えることを停止して、観ることに帰ります。そうすると、目の前の生命を観ていたということ、気一元の生命を観てこれを表現しようとしていたということがおもいだされてくることでしょう。時代によってさまざまな角度がつけられてきたわけですけれども、すべては生命を表現しようとしてきたものなのですね。

・脾胃中心の時代(先秦時代紀元前300年ころ:『素問太陰陽明論』)があり、
・仏教伝来にともなう臍下丹田―腎中心の観点を提示された時代(「後漢:紀元後100年ころ」)があり、
・人の生きる意志を重視した肝木を中心とした観点が提示された時代(清代1600年代、日本の江戸時代)があります。

臓腑を中心とする観方としては、脾胃→腎命門→肝木と推移しているようにみえますけれども、実は同じように患者さんを診、生命のありようを表現しているものであると考えています。

私たちも患者さんを診、その生命のありようを観て、「後進の得」としてすべての生命観を掌に入れて、観ることができます。そして、その多彩な観点を推し進めることもできるわけです。

言葉に囚われて、その言葉の解釈に走るようだったら、考えることそのものをやめます。考えが止んで生命を観る心の位置を確かに掴むことができたとき、古人の表現の濃淡、その表現の中心はどこにあるのかといったことを読み直ていくわけです。

一元流鍼灸術はそのようにして組み立てられていったものなのですね。
失敗の研究

弁証論治を起てて、さぁ治療するぞというとき、ふたたび迷うことがあります。
それは、弁証論治そのものは自信を持って起てられたんだけれども、果たしてその方針で主訴の解決に至るのだろうかという疑問です。

実は、歴代の医家の症例集などを読む理由の多くは、このあたりの頭の柔軟性を広げるというところにあります。

実際に患者さんに出会うと、目の前の患者さんが困難に直面している局所に着目してしまい、それを何とかしたいという欲が出てくるわけです。そこで、弁証論治と実際の治療との乖離が生まれてきます。弁証論治は起てたのだけれども雑駁な治療をしてしまい、何をやったのか実際のところはわからないという事態に陥るわけです。

これが臨床家の一番の問題となります。治ったけれどもその理由がわからない。治せなかったけれどもその理由がわからない。これではいつまでたっても臨床が深まることはありません。

病因病理を考えて弁証論治を起てるときに多くの場合、全身状況の変化を追うということに主眼がおかれてきます。そのため、実際に患者さんが困苦している部位と全身とがリンクしているのか否かというあたりに確信がもてなかったりするという事態が起こります。また、リンクしていると思えても、実際そうなのかどうか。果たしてそれで治療として成り立つのだろうかという不安がよぎります。

そのような時の心構えとして、

1、問題点を整理しなおす
2、臨床は失敗例の積み重ねであると腹を括る(これでだめなら次の手をといつも考えておく)
3、治療処置を後で振り返って反省できるようなものに止める
4、ひとつひとつ自分が何をやっているのか確認しながら手を進める

ということが必要となります。上手に失敗することができると、問題の所在が明確になります。弁証論治に問題があればそれを書き改めます。処置方法に問題があればそれを工夫します。治療頻度の問題であればそれを改めます。上手に失敗することができるとそこに、さまざまな工夫の花を咲かせる事ができるわけです。

下手に成功すると、安心してしまい、次もこの手でいこうなどと思い、臨床が甘くなります。反省もしにくくなり、成功例の積み重ねのみを自慢する、宗教家のような臨床家に成り下がってしまうわけです。

大切なことは、上手に失敗し続けること。その積み重ねが自分自身の本当の力量を高めていくということを知ることなのです。

「患者さんの身体から学ぶ」方法論の確立

患者さんの身体から学ぶというとき、その方法論として現代医学では、臨床検査やレントゲンやCTなどを用います。筋肉骨格系を重視するカイロなどでは、その身体のゆがみや体運動の構造を観察する方法を用います。東洋医学では望聞問切という四診を基にしていきます。一元流でこの四診を基にし、生育歴(時間)と体表観察(空間)とがクロスする現在の人間の状態を把握します。

これらすべては、人間をいかに理解していくのか。どうすれば人間理解の中でその患者さんに発生している疾病に肉薄していけるか。そのことを通じて、その患者さんの疾病を解決する方法を探るために行われます。

一元流鍼灸術の特徴は、生きて活動している気一元の身体がそこに存在しているのであるということを基本に据え続けるというところにあります。


東洋医学はその発生の段階からこの全体観を保持していました。そして、体表観察を通じて臓腑の虚実を中心とした人間観を構成していきました。臓腑経絡という発想に基づいたこの人間観こそが東洋医学の特徴であり、他の追随を許さないところであると思います。

「患者さんの身体から学ぶ」この営為は、東洋医学の伝統となっています。そもそも、東洋医学の骨格である臓腑経絡学が構成されていった過程そのものがこの「患者さんの身体から学ぶ」という営為の積み重ねた末の果実なのですから。

ただ、この果実には実は一つの思想的な観点があります。生命そのものを観、それを解説するための観点。それが生命を丸ごと一つとして把え、それを陰陽という側面、五行という側面から整理しなおし再度注意深く観ることを行う、ということです。

この、実在から観念へ、観念から実在へと自在に運動しながら、真の状態を把握し解説しようとすることが、後世の医家がその臨床において苦闘しながら行ってきたことです。

一元流鍼灸術では、その位置に自身を置くこと、古典の研究家であるだけでなく、自身が後学のために古典を書き残せる者となることを求めているわけです。

古典を学び、それを磨いて後学に手渡すことを、法燈を繋ぐと言います。

この美しい生命の学が、さらなる輝きを21世紀の世界で獲得するために、今日の臨床を丁寧に誠実に行なっていきましょう。
一元流鍼灸術の使い方2

古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかというと、体表観察を重視し、決め付けずに淡々と観るということに集約されます。今生きている人間そのものの全体性を大切にするため、問診が詳細になりますし、患者さんが生きてきたこれまでの歴史をどのように把握しなおしていくのかということが重視されます。これが、時系列を大切にし、今そこにある身体を拝見していくという姿勢の基となります。

第一に見違えないこと、確実な状態把握を行うことを基本としていますので、病因病理としても間違いのない大きな枠組みで把握するという姿勢が中心となります。弁証論治において、大きく臓腑の傾きのみ示している理由はここにあります。そして治法も大きな枠組みを外れない大概が示されることとなります。

ここまでが基礎の基礎、臨床に向かう前提となる部分です。これをないがしろにしない。土台を土台としてしっかりと築いていく。それが一元流鍼灸術の中核となっています。


それでは、実際に処置を行うにはどうするべきなのでしょうか。土台が基礎となりますのでその土台の上にどのような華を咲かせるのか、そこが個々の治療家の技量ということになるわけです。

より臨床に密着するために第一に大切なことは、自身のアプローチの特徴を知るということです。治療家の技量はさまざまでして、実際に患者さんの身心にアプローチする際、その場の雰囲気や治療家の姿勢や患者さんとの関係の持ち方など、さまざまな要素が関わっています。また、治療家によっては外気功の鍛錬をしてみたり、心理学的な知識を応用してみたりと様々な技術を所持し、全人格的な対応を患者さんに対して行うこととなります。

病因病理を考え、弁証論治を行うという基礎の上に、その様々な自身のアプローチを組み立てていくわけです。早く良い治療効果をあげようとするとき、まず最初に大切なことは組み立てた基礎の上に自然で無理のないアプローチをするということです。ここまでが治療における基本です。

さらに効果をあげようとするとき、弁証論治の指示に従って様々な工夫を行うということになります。それは、正経の概念から離れて奇経を用いる。より強い傾きを患者さんにもたらすために、処置部位を限定し強い刺激を与える。一時的に灸などを使い補気して患者さんの全体の気を増し、気を動きやすくした上で処置部位を工夫する。外邪と闘争している場合、生命力がその外邪との闘争に費やされてしまいますので、それを排除することを先に行うと、理気であっても全身の生命力は補気されるということになり、気が動きやすく導きやすくなる。

といったように、気の離合集散、升降出入を見極めながら、弁証論治で把握した患者さんの身体の調整を行なっていくわけです。

一言で言えば、気一元の身体を見極めて、弁証論治に従いながら、さらにその焦点を明確にしていくことが、治療における応用の中心課題となるわけです。このあたりの方法論は古典における薬物の処方などで様々な工夫がされており、とくに傷寒論の方法論は参考になるものです。


一元流鍼灸術のテキストを何回か読んでみると、これが単純なことしかいっていないのが理解されてくると思います。通奏低音のように語り続けられているそれは、気一元の観点から見ていくんだよ。それが基本。それが基本。というものです。

基本があれば応用もあるわけです。ただ、応用を言葉で書いてしまうと、基本が入っていない人はその応用の側面のみを追及して結局小手先の技術論に終始することとなり、東洋医学の大道を見失ってしまうので、これまで書いてきませんでした。

基本の型があり、基本の型を少しづつ崩していって自分自身の型を作っていくということが安定的な着実な研究方法です。けれども臨床というものは不思議なもので、独断と思い込みである程度成果を得られたりするんですね。そしてそういう人ほど天狗になる。謙虚さを失ない、歴史に学ぶことをやめてしまう。もったいないことです。

基本的な型は現在入手できる「一元流鍼灸術の門」に書かれています。一元流鍼灸術は、東洋医学の根本を問いただす中から生まれています。それは、古代の人間理解の方法論を現代に蘇らせようとしているものであるともいえます。(そういう意味では、中医学とはその目標と方法論とがまったく異なるわけです。)

生きている人間を目の前にしてどのようにアプローチしていくのか。そこには実は、古代も現代もありません。ただ、現代人は知識が多く、それが邪魔をして、裸の人間が裸の人間に対して出会うということそのものの奇跡、神秘をないがしろにしてしまう傾向があります。小手先の技術に陥っていくわけですね。

そこで、古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかということを現代に復活させようということを、一元流鍼灸術では考えているわけです。
一元流鍼灸術の目指すもの

一元流鍼灸術の基本は、気一元の観点で観るというところにあります。

その際の人間理解における背景となる哲学のひとつに、天人合一論があります。これは、天地を気一元の存在とし、人間を小さな気一元の存在としていわばホログラムのような形で対応させて未知の身体認識を深めていこうとするものです。

天地を陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとするのと同じように、人間も陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとします。これは、気一元の存在を丸ごとひとつありのままにあるがままに把握しようとすることを目的として作られた方法論です。このことによく注意を向けていただきたいと思います。


この観点に立って、さらに詳しく診断をしていくために用いる手段として、体表観察を用います。体表観察していく各々の空間が、さらに小さな気一元の場です。天地を望み観るように身体を望み観、全身を望み観るように各診断部位を望み観る。この気一元(というどこでもドア)で統一された観点を、今日はぜひ持って帰っていただきたいと思います。

ここを基本として一元流鍼灸術では人間理解を進めていこうとしています。確固たる東洋医学的身体観に立って、過去の積み重ねの結果である「今」の人間そのものを理解していこうとしているわけです。

ここを基礎として、精神と身体を統合した総合的な人間観に基づいた大いなる人間学としての医学を構築していきたいと考えているわけです。
『生命の医学 ー 伝統鍼灸の挑戦』

この文章は、紹介用頁作成のためにつくられたものです。
以下の紹介用頁に、本文であるpdfファイルのリンクが張られています。
http://1gen.jp/1GEN/RONBUN/Life medicine.HTM

【目的】

生命は言葉以前にそこに存在しているものであり、分けて考えることはできません。分けて考えることはできないということは、言葉にして表現するといつも的外れとなり、その一部しか表現していないということを意味しています。

この「表現できない」ということを自覚しつつ、それを表現することから、伝統医学の学問的伝統が発生していると、私は考えています。

ここには、言葉に言葉をつないだプラトン以来のギリシャ哲学や、戦国時代末期から漢代に発生した春秋学、そしてそれに続く「学問と呼ばれる言葉の群れ」に対する根源的な批判が存在することになります。

「言葉」に対する強い警戒があって初めて、「言葉を越えて存在している生命そのもの」が、古人によってあるいはそれを嗣ぐ人々によって描かれている状況が見えてきます。そこにおいて実は、東西の言葉の使用法の垣根が初めて乗り越えられることとなります。

東西の伝統医学を統合し、望聞問切という四診―人間観察方法を通じて、まるごと一つの生命の動きを捉え記述していく。ここにこそ次代の生命の医学を築いていくための基礎があります。この文章はその基礎を明確にすることを目的としています。



【方法】

生命そのものをみる方法として、東洋医学の四診法を基本とし、それをまとめあげて弁証論治を作成することを通じて、私は人間理解としての鍼灸治療を行ってきました。それを伝えるための勉強会を運営していく中から発生した、基本的な課題および生命についての理解を、現時点でまとめてみたものがこの文章になります。

東洋医学といっても幅がとても広いものです。生命そのものを理解しようとして四診法を用い人間理解を通じて治療処置を定めていくという方法を私は探究し、一元流鍼灸術と名づけています。これに対して、生命そのものを理解するのではなく、対症療法としての治療効果を求める、狭義の西洋医学のようなものを、古典の文献の中に探し求め、伝統医学と称している人々もたくさん存在しています。私はそのような知識の寄せ集めではなく、人間理解の智慧の記載として伝統医学を読み込み、現代への活かし方を探究してきました。

ここでは現時点での、その成果をまとめ、これからの課題を提出してあります。生命の医学についての研究は、これからの時代の医学を担うものとなるでしょう。そこに、東洋医学の伝統鍼灸の側面から、未来を開くための提案を、私はしようとしているわけです。





【目次】

        はじめに

        第一章 日本医学の原点と思想的背景

        第二章 言葉を越えて存在そのものに肉薄する
            「いのち」と言葉
            知の構造の図

        第三章 生命の揺らぎ
            一の視点
            「一」の括り

        第四章 身体観
            はじめに
            三種の身体観
            脾土の身体観
            腎水の身体観
            肝木の身体観
                天地を結び天地に養われる肝木
                肝は人の生きる意志
                肝の活動を支える脾腎
                現代社会の病
                肝鬱は邪気か
                肝の化粧
                肝鬱二態

        第五章 観るということ
            視座の変化
            寸口の脉診
            陰陽五行で脉を診る
            生命力の変化を見る
            気一元の観点から観る

        第六章 弁証論治の土台づくり
            生命があって反応がある
            四診の評価はその体質によって異なる
            一次資料の質
            五臓の弁別

        第七章 生命の病因病理
            生命の器
            理解できる範囲で論を立てる
            情報は柔らかく握る
            見る前に語るなかれ
            言葉の距離感:遠近法の大切さ
            病因病理を書くにあたって

        第八章 処置する
            生命の弁証論治チャート図
            虚実補瀉
            好循環悪循環と敏感期鈍感期
            内傷病と外感病
            生活提言
            全身の生命力を調えることを目標とする
            あるがままに診、治す

        第九章 未来への課題
            治療目標
            医学の目的
            古典の読み方
            生命の弁証論治
            四診に根拠を求める
            養生の医学
            生の奇跡
            鍼灸道の構築に向けて
            知識を得ること知恵を得ること

        おわりに 生命の医学に向けて
....弁病について

今回の読み合わせは、267ページの弁病から、291ページの弁証論治の最後まで行いました。初版の時に書いていた内容と、第二版で書き加えた内容とが少しづつ違っていて、我ながら興味深く読み進みました。


「弁病」という概念についての問題意識は初版の時からあったため、記載が簡略になっています。目の前にいる患者さんを一人の人間とみるところから東洋医学は始まるはずなのに、病気で分類してしまうなんて西洋医学みたいなことをしてもいいのだろうかという疑問があったわけです。

けれども、弁病そのものは隋の『諸病源候論』を持ち出すまでもなく、東洋医学の伝統の一角をなすものです。また、伝統的な治療法を参考にする場合、これは避けて通ることのできないところでもあります。

けれども弁病をするということには大きな欠点があります。それは、人間をみるのではなく疾病をみている、疾病のカテゴリー分けの中に人間を落とし込んでしまう危険がある、ということです。


中医学ではこのカテゴリー分けが発達して、証候鑑別診断学となって大きなウェートを占めています。そしてこれは、病気をカテゴリーに分けて症状を押さえ込むという意味での治療効果を高めようとしている西洋医学と連携しやすい部分になっています。

けれども一元流鍼灸術では、この疾病のカテゴリー分類の中に人間を入れ込んでいくことから徐々に離れ、「弁病」ではなく、人間を観る、そのための弁証論治をする、というところに現在、着地しています。さまざまな疾病を起こしている―あるいは起こす以前の―人間の生命状況に、より着目しているわけです。


だからといって、病んでいる部分をみることをまったくしなくなっているわけではありません。そのことは、290ページの「八、弁証論治」の中に「弁証は主訴に対して行います。ここには、主訴と全身状態の変化とが関連しているか否かという鑑別が非常に重要なものとなります。」という形で述べられています。これは、実は、疾病治療という観点から私が書いた、おそらく最後の言葉です。

一元流の弁証論治は、人間理解のために行われるものであって、主訴の理解のためにあるわけではない。主訴は、患者さん本人が気にしているかもしれないけれども、実は、患者さんの身体をよくする契機となるものであるかもしれず、また問題の中心にあるものではない可能性もあるから、主訴にこだわりすぎてはいけない。という地点に現在では着地しており、より全体的な観点から弁証論治を定めることを行っています。

症状をとるのが治療の目標ではなく、生命力を高めることが治療の目標である。そのためにその患者さんの全体を理解しようとするものが弁証論治の目的であると考えているわけです。


中医学は論理的か

ある書籍で、中医学は論理的で日本医学は非論理的であるという言葉を読んでびっくりしました。日本における経絡治療と呼ばれる鍼灸集団に論理というものが存在しないということには異論はないなのですが、中医学も言葉が多いだけで論理的な整合性はありません。

ここで中医学と呼んでいるのは、現代中医学すなわち上海から外国人教育のために始まった教科書的中医学について論じています。とはいっても天津の中西医合作は、より論理性が乏しいものです。上海を越えるものはおそらく、北京中医研究院あたりの弁証論治派となるのでしょうが、おそらくそれは中医学界ではマイナーな部類に入るでしょう。

なぜ、教科書的な中医学が非論理的であるかというとそれは読めばわかります。と言ってしまえばおしまいなのですが、基本理論である元気論・陰陽論・五行論についての記載はあるのですが、それが基本理論であるにも関わらず、また、中医学は理論によって構成されている部分が多いにもかかわらず、治療理論にまで反映されていないからです。

すなわち、基礎理論は基礎理論で述べました。古典に記載してあるとおりです。それを前提としているかどうかは別としてその応用である治病理論も述べました。歴史的にたくさんの解釈と治療法がありまんべんなく取り上げておきます。弁証論治に際しては、八綱弁証・衛気営血弁証・六経弁証・五臟六腑弁証などを適宜組み合わせて使ってください。そこには法則はありません。臨床家の勘によります。といった具合なのです。このどこから論理を導き出すことができるのでしょうか。

医学は患者の性急な要請すなわち「今この痛みかゆみをなんとかして欲しい」という思いによって堕落しあるいは導かれてきました。けれどもしかし《黄帝内経》はその患者の思いを乗り越えて初めて成立したものなのではないでしょうか?だからこそ未病を治す、すなわち患者の全生命状況を把握する中から治療方法を導いていくという観点が成立たのではないでしょうか。

後世の臨床家の多くはその全体観を理解できず、そのような広大な構想を持った医学から、単なる治療技術のみを抽出して伝えてきました。現代でも何の症状に効くツボは何ですかという発想しかでき得ない「治療家」がたくさんいます。

我々は何を学ぶべきなのでしょうか。それは、どのように人間を把握するのかという方法論と人間観なのではないでしょうか?

そのような人間観の把握において、中医学はまったく欠格しています。なぜなら、中医学の指導思想はどうしても毛沢東をつなぎとするマルクス主義的機械論を乗り越えることができないからです。中医学の狭さは、この機械論あるいは唯物的な人間観にあるということを理解し、用心すべきでしょう。中医学はその本来の発生において、古来から連綿と続いている東洋医学を裏切っているものだからです。
中医学からの離脱のために

では臨床家が古典を研究して書いたものは読む必要がないのでしょうか。黄帝内経とその研究書、傷寒論とその研究書、難経とその研究書などはどのように読めばよいのでしょうか。

中医学にこのような研究書がダイジェストとしてまとめられて呈示されています。また現存する原書の多くも出版されています。けれども、そこには統一された人間観が実はないため、考えれば考えるほど混乱してしまいます。それにもかかわらず、中医学がその言葉の多彩さによって教育機関に取り入れられたため、矛盾した言葉のままに、試験において正誤が定まるという事態が生じてしまいました。

古典の解説書を読みこんでいってもっとも喜びの深いことは、この、中医学の常識あるいは決めつけから脱出できるということでしょう。古典と格闘した人々は皆なそれぞれに悩み、苦闘し、あるいは自分を信じ励まして、新たな解釈を生み出して臨床に応用していったのだ、ということが理解できるためです。けれどもこれは実は、勉強することそのものを目標とはしてこなかった臨床家であれば、直感を働かせてあたりまえにやっていることだったりもします。まじめに勉強した人ほど、この既成概念の解体作業に苦労します。このような自己解体作業をするときに、多くの古人の格闘が励ましになるわけです。


古典というと、《黄帝内経》《傷寒論》《難経》あたりのことを指すのでしょうが、「古典を学ぶ」という場合にその範囲となるのは、それらの古典と格闘してきた臨床家や学者たちの解釈、試行錯誤の歴史を学ぶということになります。それが中医学を勉強してきた者にどのような衝撃を与えうるかというと、中医学の教科書的一般常識の転換、発想の自由度の確立、決め付けからの解放が得られるということになるでしょう。

ただ、これは、人間そのものをきちんと観ていこうとする姿勢の中から、古典と対決していた人々の言葉から得られるものであって、これを得るところまで学ぼうとすると、大変な労力が必要となります。


中国は文の国です。文というのは飾りという意味で、虚飾を内包しています。言葉で飾るわけですね。実態に即していないことも、言葉で飾ってごまかしてしまう。中医学を深く学んでいくと、そのような事態に直面することになります。増補を重ねている『証候鑑別診断学』などはその典型です。これは実は、古典についても言えます。一つの発想を得るとそれを基にして論理展開させ、世界のすべてを語ってしまおうとする傾向があるわけです。


臨床の場というのは実は、古典発祥の地です。それは古代であっても現代であっても同じことです。古代人が、古典を今から書き上げて千年後の人を驚かせようぜ、なんて思って書いていたわけではないと思います。これは重要なことだから忘れないように書き留めておこう、これまで聞いたこともないようなことだけれども、どうもこちらが本当っぽい。いちおう書き記して後人の参考に供そう。こんな日々の積み重ねが発酵して、陰陽五行論と経絡理論とでまとめられ、黄帝内経みたいな理念的な書物になっていったわけです。

じゃぁ、現代人の我々は、どうすればいいのでしょうか?まさに古典発祥の地である臨床の場に立ち、何を手がかりに患者さんにアプローチしていけばいいのでしょうか?実はそのあたりの腹の括り方、まとめ方を書いたものが《一元流鍼灸術の門》です。ここにはいわば、古典のエッセンスが入っています。そしてそれは、今、古典となっても恥ずかしくないものを書いていこうとする者に、発想法と手段とを提供しているものです。
中医学は東洋医学にはなり得ない

現在私の勉強内容は、一元流鍼灸術のゼミでの一元流鍼灸術の研究の他に、サブコースでの腹診の研究、個人としての刺絡の研究に入っています。(2010年当時)

このブログの副題にも書いてありますが、中医学は決して東洋医学を代表するものにはなり得ません。なぜかというと、東洋医学的な人間観を中国共産党は持ち得ないためです。

私は二十年以上中医学の勉強をしてきましたが、その初期のころ60年代の文献には必ず初めに毛沢東万歳という文章が掲載されていました。文化大革命のころで、ここで殺害された学者もたくさんいました。立派な内容の書籍で、この時期に刊行が途絶えたものがあります。

文化大革命は毛沢東が行った中国文明に対する殺戮行為でした。これは現在進行しているチベット文明・ウィグル文明・モンゴル文明に対する抹殺行為と通底するものです。

ここで歴史は断絶し、共産党が許容する中医学がはびこることとなりました。

共産党の人間観は、唯物史観であり個人主義思想です。これは儒教や道教や仏教を核とした東洋の一体思想とは異質のものです。

もし東洋医学を理解しようとするのであれば、諸子百家を学び、儒教を学び道教を学ばなければなりません。歴史的には仏教もその影響を東洋思想に与えていますので、これも学ぶ必要があります。

また、日本においては、仏教徒が中心となって医学を導入してきましたので、その人間観が日本の東洋医学には深く反映されていると見ないわけにはいきません。

日本に入ってくると、仏教も儒教もすこぶる日本的なものとなります。仏教は禅に昇華され、儒教が武士道に昇華されます。その根底には神道があるということもまた、当然理解される必要があります。

自らの汚れを祓い清めることによって「存在そのものへ」と肉薄していきそれを理解しようとする神道。このような神道があったために、仏教の本質、儒教の本質が浄化されて日本に取り入れられることができました。日本の各々の道の懐の深さは、このようにしてできあがってきたのです。
■日本の東洋医学と、大陸の東洋医学との違い

支那大陸における東洋医学と日本における東洋医学とは、原典はほぼ同じであるにもかかわらず大きく異なります。

その理由は、大陸においては受験儒教に墮した朱子学が学問すなわち人間理解の中心概念となったのに対して、日本では自己陶冶とリアリズムを探求した禅による自己省察が人間理解の中心となったことにあります。

この違いは、江戸時代に流行した日本の書籍が医学の全体観を把握できるような小冊子であったのに対して、清代に支那大陸において流行したものが、百科全書的な大部のものとなっているという違いとなり大きな差となって表れています。

全体観を把持する中から「ほんとうにこれはそうなのだろうか」と検討していく日本の東洋医学に対して、古人の記載を網羅しそれを辞書のように引いて症状に治療をあてはめてい治療を施していく大陸の東洋医学の差が、ここに生じてきます。

このおおいなる差異は現在でも続いています。

弁証論治を数多くの弁証の型に当てはめることから考えはじめようとする「証候鑑別診断学」に邁進する中医学と、全体観を重んじ病因病理を個別具体的に考えていこうとする一元流鍼灸術の違いが、もっとも端的な差となります。


■中医学は東洋医学にはなり得ない

現在私の勉強内容は、一元流鍼灸術のゼミでの一元流鍼灸術の研究の他に、サブコースでの腹診の研究、個人としての刺絡の研究に入っています。(2010年当時)

このブログの副題にも書いてありますが、中医学は決して東洋医学を代表するものにはなり得ません。なぜかというと、東洋医学的な人間観を中国共産党は持ち得ないためです。

私は二十年以上中医学の勉強をしてきましたが、その初期のころ60年代の文献には必ず初めに毛沢東万歳という文章が掲載されていました。文化大革命のころで、ここで殺害された学者もたくさんいました。立派な内容の書籍で、この時期に刊行が途絶えたものがあります。

文化大革命は毛沢東が行った中国文明に対する殺戮行為でした。これは現在進行しているチベット文明・ウィグル文明・モンゴル文明に対する抹殺行為と通底するものです。

ここで歴史は断絶し、共産党が許容する中医学がはびこることとなりました。

共産党の人間観は、唯物史観であり個人主義思想です。これは儒教や道教や仏教を核とした東洋の一体思想とは異質のものです。

もし東洋医学を理解しようとするのであれば、諸子百家を学び、儒教を学び道教を学ばなければなりません。歴史的には仏教もその影響を東洋思想に与えていますので、これも学ぶ必要があります。

また、日本においては、仏教徒が中心となって医学を導入してきましたので、その人間観が日本の東洋医学には深く反映されていると見ないわけにはいきません。

日本に入ってくると、仏教も儒教もすこぶる日本的なものとなります。仏教は禅に昇華され、儒教が武士道に昇華されます。その根底には神道があるということもまた、当然理解される必要があります。

自らの汚れを祓い清めることによって「存在そのものへ」と肉薄していきそれを理解しようとする神道。このような神道があったために、仏教の本質、儒教の本質が浄化されて日本に取り入れられることができました。日本の各々の道の懐の深さは、このようにしてできあがってきたのです。
東洋医学と中医学


東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚していることが理解できます。

そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。

現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在しています。

もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したことでしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということです。

それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれは、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。

それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。

東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなります。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学としての過渡期にあると私は考えています。

このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものするために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち返って見なおそうとしているわけです。
古典は月を指す指にすぎない


真理はここにあると指さす、その指が古典です。

人は、不安の中に生きているので、思わずその指に飛びついて、真理はここにあると語り継いでしまいます。真理はここにあると、指さされている対象こそが大切なのに、指にそのまま飛びついてしまうのです。指は目の前にあり、形になっているので飛びつきやすいためでしょう。

そしてさらには、真理はここにあると指さしている指の指し方に興味を示す人々が出てきます。
彼は語ります、「本当の指さし方はこのように、右から左に大きく流すようにして、ぴたっと位置を決めて指すものだ」と。「古人もそのように指さすことによってこの真理をつかんだのである」と。

そのようにして、真理を指さす、指さし方が定められた。その際には大いなる会議までもたれて、賢者たちが侃々諤々の大議論を行ったりもします。

あるものは左から右に指さすべきだといい、そこには陰陽の理があると根拠づけました。

あるものは天地の関係の中から天上をまず指さした後に、大きく振りかぶるように地を指すようにすること。それこそがここにある真理を指さす指のあり方であると述べました。

あるものは、真理というのは変化するものであるのだから指さす場合にもその指は止めるべきではなく動き続けているものでなければならないとしました。そしてついには真理を踊る踊りが披露されることとなりました。彼は「動きの中にこそ真理がある」と、その指の動きを定義づけ、無駄のない動きとはいかにあるべきかという研究を続けることとなりました。

このようにして、膨大な真理の「指さし方の研究」が何千年にもわたって行われ、古典として積み重ねられてきたわけです。先人の知恵と呼ばれるそれらは、偉大なる古典の集積として崇められることとなりました。勉強家の古人の中には、その「指さし方」の書物を副葬品として、死後甦った後にも勉強できるようにと、埋葬させたものまでいました。

21世紀の現在、彼の墓が発掘されてその埋葬物が出てきました。偉大なる古典の原典が出現したと大いに「指さし方」の学会を湧かせることとなったそうです。「指さし方」の原典が判明した!と。


「真理」はその隣でいつ僕を見てくれるのだろうとじっと待ち続けました。けれども、学会はそれどころではありませんでした。なにせ、世紀の発見がそこにあるのですから、真理などかまってはいられません。

輝ける真理、生命そのものが「いま、ここ」にある。それにもかかわらず、生命そのものを見ることをせず、その真理の横でまるで真理から目をそらすように指さし方の研究に励んでいる学者が大量に存在しているのはのは、なぜなのでしょうか。

これは、最初に真理はここにあると指さした者の罪なのでしょうか。それとも賢人と呼ばれた人々が、実は指先を集めるだけで、真理などには興味もなかった、その愚かさによるものなのでしょうか。


ある人は、仏典が積み上げられなければ釈迦の悟りは伝わらなかったと言いました。仏典が伝わらなければ仏教は伝来していないと信じているのです。はて、仏典がなければ真理はなかったのでしょうか?それなら仏典など一冊も存在していない時代に生きて修業していた釈迦は、決して真理に到達することはなかったということなのでしょうか。

真理が見つけられたと伝えられた時、無上の覚りがこの人生の中にあると伝えられた時、あなたはどうするでしょう。その言葉を聞きにいくでしょうか。その指さし方を眺めにそこに行くのでしょうか。それとも自らの「真理を求める力」を用いて、自らのいのちに真正面から向かい合うのでしょうか。

私たちは一人一人がこの「いのち」の真理の上に立ち、それによって生かされています。ここを掘ること。今ここに存在している私たちのいのちを探究すること。これが真理へのただ一つの道です。それ以外に真理を探究する道は存在しないのです。
■言葉の指す向き

言葉、というものは恐ろしいものだと思います。
読む言葉、語る言葉に、指す言葉。
武士道における言葉は発するものの内側に肉薄する言葉でした。
他者に対するものではなく、己に対する諫言。

この同じ言葉が、他者に向けられたとき、それは他者を支配し傷つける刃となります。
けれどもそれが己に向けられたとき、己を磨く砥石となります。

この二者の差は歴然としているものです。

道徳を説くものの醜さは、己に向けられるべきこれらの言葉を他者に向けて発して、他者を支配しようとするところにあります。

己に向けられたものの美しさは、自身の切磋琢磨の目標としてこれらの言葉を用いるところにあります。

己に向けた言葉を他者に向けぬようくれぐれも注意していきたいものです。



■己と他者


さてそれでは、己と他者とを区別する行為は道を行ずる者の行為であろうか、という疑問がここに生じます。

道を行ずるということは、自他一体の理の中に自らを投与するということでもあります。そこに、あえて他者を設けて自らと分け、道を説かずにおくという行為があり得るのでしょうか。

ここに実は、自らの分を定めるという意識が働くこととなります。

教育者として自らを定めるのであれば別ですが、道を行ずる者は先ず第一に己を極めることが義務となります。そしてこの己を極めるという行為は一生継続するものです。その行為の合間に他者を入れる隙などは実はあり得ませんしあってはならないことだと私は思います。

ところが、学ぶものには語る義務が生ずる、後進を導く責任が生ずる。そこを道を行ずるものとしてどのように乗り越えていくかということが、ここで問われていることです。

そしてそれは、他者として彼らに道を語るのではなく、自らの内なる者として、同道の者として、己自身に対すると同じように道を究める努力をともにする。このことを提示する。ということでしか有り得ないと私は考えています。



■違和感の大切さ


違和感は、自身の常識と他者の常識との間の違いによって起こります。

常識というものはそもそもその人生における自身の姿勢を決定付けているもの。いわば、ものの見方考え方の基本です。

違和感を持つということは、自分自身の常識に不安を持つということです。ここにおいて初めて、自身の概念の殻を打ち破って、他者との出会いが始まるわけです。自身の常識を疑うことによってはじめて、新たな世界がその視野に開かれることとなるわけです。

教育というのは、他者による洗脳です。これは言葉を換えると、新たな世界観を提示し修得させるということになります。

現行の教育機関において、その多くが言葉を使って行われているため、教育の基本として言葉が優位となりがちです。すなわち言葉を多く持っていることが教育者の能力とされがちなわけです。

けれども臨床家になるための教育は、そういうものでは実はありません。事実を観、それをどのように表現して他者の発した臨床の言葉とつなげて理解しなおしていくのか。このことを通じて、より深い正確な臨床へと自身の行為をつなげていこうとする。この過程を修得するということがポイントとなります。
古典を読むということ 弁証論治を作成するということ

一元流鍼灸術では文字で書かれている古典を読むことも大切にしています。けれどもその読み方には特徴があります。

以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される以前の身体です。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければならないもっとも大切なことは、目の前の患者さんの身体をどのように理解するのか、ということです。そのための道具として、先人が同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとして、ひもとき綴ってきた古典を使用するわけです。

そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返るということです。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づく陰陽五行論です。気一元の観点から把握しなおした陰陽と五行という視点を明らかにしない限り、古人の位置に立ち、古人とともに古典を形作る共同作業を担うことはできません。

ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、「気一元の観点に立った陰陽と五行の把握方法」について語られています。


何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようとしているのか、その対象を明らかにする必要があります。ことに「天人相応の関係として捉えうる人間の範囲」とは何かということを規定しなければ、天人相応の関係を持つとすることが何を意味しているのかということや、気一元のものとして捉えるということが何を意味しているのかということを理解することはできません。

「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、その場の状態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。そのことを「器の状態」としてテキストでは述べています。生きている器の状態の動き方の傾向を把握しようとするわけです。その変化の仕方の傾向をどのように把握するのかという一段高い観点がテキストでは述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大きさ小ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストではこれを、人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把握するものは実は、そのような傾向を持つ器の「中身」の状態について考えているわけです。

生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を把握しておくことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで欠かすことのできないことです。この基礎の上に立つことによって初めて弁証論治を考えるという行為が成立するということを、一元流鍼灸術では明確にしています。


「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すという行為はこの基礎の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静的に分析するといった傾向を持ちます。その中でのバランスの崩れを時間の流れという動きの中から捉えていくわけです。


一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に立った弁証論治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体をいかに理解するのか、理解したかということを明らかにしているものです。積み重ねられた古典の情報を用いますけれども、実は今目の前にある患者さんを理解する、理解しようとするその熱が言葉になっているにすぎないとも言えます。

ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論治も現時点でできあがった人間観や病理観を固定化し執着するものとしてはいけません。解釈はいつも仮の姿です。より真実に向けて、より実際の状態に向けて、弁証論治は深化し発展し続けなければならないものであると覚悟してかかるべきです。

このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供することができるわけです。


ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれているとして読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて綴られているにすぎない部分や、論理的な整合性を求めてまとめられたにすぎない部分や、とりあえず資料として収録されたにすぎない部分などが見えてきます。

古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈しなおしたり改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情熱に沿うように読み取っていきます。読み取る際には私心をなくしてただ読みます。けれども、読み取ったものに対しては厳しい批判の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくしてただ読み取り、読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢は、実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じです。

これはすなわち一元流鍼灸術で古典を読むということなのです。
古典を読み身体を読む心

鍼灸医学は、東洋思想に基づいた人間学にしたがって人間を見つめ、それを通じて、その生命医学・実証医学としての体系を作り上げてきました。

この基本とは何かというと、観ることです。観て考え、考えてまた観る。事実とは何かということを観る、とともにその底流に流れる生命原理について思いを尽す。その無窮の作業の果てに、現在古典として伝えられている『黄帝内経』などの書物が出来上がっているわけです。

鍼灸師としての我々はそれらの書物を基にしてふたたび無窮の作業の基となっている実態、古典を古典としてあらしめたものそのものである、目の前に存在する人間そのものに向かっていくわけです。そして、どうすればよりよくそれを理解できるだろうか、どうすればその生命状況をよりよい状態へと持っていくことができるだろうかと探求していくわけです。


古典というものは、いわば身体を旅するための地図の役割をしています。時代によって地域によって違いはあります。けれどもその時代その地域において、真剣に人間を見続けたその積み重ねが、現在我々が手にすることのできる資料として言葉で残されているわけです。これはまさにありがたいことであると思います。

深く重厚な歴史の積み重ねは、東洋医学の独壇場ともいえるでしょう。けれどもその書物の山に埋もれることなくそれを適宜利用していけるような人材を作るということが、学校教育に求められることです。外野としての私は、その支援の一つとして、中心概念をここ「一元流鍼灸術の門」に明確にしているわけです。それが気一元として人間を見るということと、その古代哲学における展開方法としての陰陽と五行の把握方法であるわけです。


古典という地図には読み方があります。身体は時代や地域によって異なります。現代には現代の古典となるべき地図が、実は必要となります。現代の人間観、宇宙観にしたがいながらも、目の前に存在している人間を観ることを徹底することによって、はじめて古典を綴った古人とつながることができます。そして、現代には現代の古典が再び綴られていくこととなるでしょう。これこそが澤田健先生の言われた、「死物である書物を、活物とする」技となります。


思えば、古典を読むという際の白紙の心と、身体に向かう際の白紙の心とは同じ心の状態です。無心に謙虚に、対象をありのままに尊崇する心の姿勢が基本となります。
東洋医学の先人たちへの恩返し

古典を読むということは、自分の意見の歴史的な位置づけを得ることができます。これによって、自分の意見を学問のレベルに引き上げることができるわけです。

今、臨床の場という古典発祥の地に立つことによって、東洋医学の中核である臓腑経絡学を磨き上げ書き換えていこうとすることが、東洋医学の先人たちへの一元流鍼灸術による恩返しとなります。
■経穴名に沿って経穴があるのではなく、経穴に名前が付いている

学校や素人は、この経穴がこの疾病に効果があるという言葉を信じて勉強を積んでいきます。けれども、実際に患者さんにあたると、経穴を見つけることができません。それは経穴名が体表に書いてあるわけではないためです。あたりまえのことですが。このあたりのことを乗り越えようとして経穴を探す方法が工夫されてきました。けれどもそれは体表を機械的に計測して当てはめるもので、経穴そのもの(沢田健先生のいわゆる生きて働いている経穴)を見出すための鍛錬ではありません。そのため中医学などでは体表に触れて経穴を探すこともせず、頭の中で作られた位置に基づいた場処に処置することとなっています。

会話を成立させるためあるいは情報を残すためにはその場処(体表の一点)を指し示す名前が付いていなければならず、その名前が同じ場所を指していることを前提として(特に近代は)経穴学が発展してきました。どの経穴はどのような疾病に効果があるといういわゆる特効穴治療などもこの過程で研究され、その記録が積み重ねられてきたものです。

けれどもこのての勉強を積み重ねているうちに忘れてしまうことがあります。それは、体表を観察することによって初めて、経穴の一点を手に入れることができるという単純な事実です。「名前がつけられる以前からそこに存在していた経穴表現を見出すこと」ここに古典を越えて事実そのものに立脚することのできる鍼灸師の特徴があります。体表観察こそが今生きている古典である身体を読み取るための武器であるということ、この事実を認識することから一元流の学は始まっています。


◇質疑

> 勉強会の実習で、いつもペンで印をつける経穴(陥凹・ゆるみ・
> 腫れなど)は、「生きて働いている経穴」ということなのでしょ
> うか?
>
> それはテキストにある「反応の出ている経穴」と同じものでしょ
> うか?


そうです。

> また、印をつけられない経穴は何なのでしょう?

微細な反応なので見えにくい経穴です。


> いま私の手元にある『経穴マップ』という本によれば、WHOの
> 国際標準で全身には361穴の経穴があるとのことであります。
> これは経穴の名前が361あるということで、誰でも常に361
> の経穴があるということではないわけでしょうか?

誰でも常に361の経穴があるということではありません。そのよ
うな標準化というのは無意味だということを言っています。

これはいわば、国家における町の数を数えるようなものです。体調
や状況生活習慣によって反応が出ている経穴の数も状況も変化しま
す。生命を取り扱うということはそのようなことです。国家におい
て町は生命の結節点ですが、時代によって地理によって状況によっ
て数も状況も大きく変化します。それと同じことです。

場を、面としてとらえる。その中の焦点を一点に定められる場合そ
れが経穴となり、そのあたりを指し示している経穴名を使用してそ
の位置を指示する。といった感じで経穴の探索を執り行います。

阿是穴は多くの場合経穴の正位置からの変動という発想で把えます。
そしてその変動には意味があるだろうと思います。足裏や手掌など
は古典で指示されている経穴名が少ないので、その位置が分かりや
すいように新しい名前をつけて呼ぶようにしています。

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