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一元流鍼灸術 勉強会のお知らせ。
一元流鍼灸術では、勉強会の場処を移動したのに伴い、常時勉強会への参加を受
け付けることになりました。ご希望の方は、はつき(pxl02541@nifty.ne.jp)ま
でメールください。
日時:毎月 第三日曜日 午後2時から
会費;1年 1万円
一回のみの参加 5000円
場処:「南馬込文化センター」です。
大森駅から来ると、春日橋の高架の信号をくぐってから環状七号線
を右に曲がり、ガソリンスタンドをこえた一本目の路地を左折突き
当りを右折して坂の上り口の三叉路を左にとり、次の右に入る路地
を右折すると着きます。グーぐるマップは以下。
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8C%BA%E5%8D%97%E9%A6%AC%E8%BE%BC3-24-9
荏原町方面行きのバス停の、坂上の隣のバス停で馬込循環に乗り、
中央一丁目で降りると、上記「春日橋の高架の信号をくぐってから
環状七号線を右に曲が」った位置まできます。そのまま、まっすぐ
大通りをきて、一本内側に入るという感じです。
コースはふたつです。
新規参加のかたは、メインコースとなります。
その後、ステップアップのためのコースとしてサブコースも開催しています。
一元流鍼灸術では、勉強会の場処を移動したのに伴い、常時勉強会への参加を受
け付けることになりました。ご希望の方は、はつき(pxl02541@nifty.ne.jp)ま
でメールください。
日時:毎月 第三日曜日 午後2時から
会費;1年 1万円
一回のみの参加 5000円
場処:「南馬込文化センター」です。
大森駅から来ると、春日橋の高架の信号をくぐってから環状七号線
を右に曲がり、ガソリンスタンドをこえた一本目の路地を左折突き
当りを右折して坂の上り口の三叉路を左にとり、次の右に入る路地
を右折すると着きます。グーぐるマップは以下。
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8C%BA%E5%8D%97%E9%A6%AC%E8%BE%BC3-24-9
荏原町方面行きのバス停の、坂上の隣のバス停で馬込循環に乗り、
中央一丁目で降りると、上記「春日橋の高架の信号をくぐってから
環状七号線を右に曲が」った位置まできます。そのまま、まっすぐ
大通りをきて、一本内側に入るという感じです。
コースはふたつです。
新規参加のかたは、メインコースとなります。
その後、ステップアップのためのコースとしてサブコースも開催しています。
◇ メインコースの内容は以下のとおりです。
● 行うこと
全体として一年を目途としたルーティーンとする
テキスト「一元流鍼灸術の門」を繰り返し読む
体表観察の習練をする
自らをモデル患者として弁証論治を作り上げる
他の参加者の弁証論治をともに考える。
このため、メイリングリストを多用しています。
パソコン環境にないと継続的な参加は難しいです。
● メインコースの参加の心構えには二層二段階あります
目標:臨床家となるための基本的な所作の獲得
言葉の学習
気一元で見る
臓腑経絡学
実践の学習
体表観察
弁証論治
処置に関して悩める段階と悩み方まで
批判的な眼差しで先輩の方法を見学する段階
教わる段階
自ら参加して行う段階
参加し習練する段階
● 行うこと
全体として一年を目途としたルーティーンとする
テキスト「一元流鍼灸術の門」を繰り返し読む
体表観察の習練をする
自らをモデル患者として弁証論治を作り上げる
他の参加者の弁証論治をともに考える。
このため、メイリングリストを多用しています。
パソコン環境にないと継続的な参加は難しいです。
● メインコースの参加の心構えには二層二段階あります
目標:臨床家となるための基本的な所作の獲得
言葉の学習
気一元で見る
臓腑経絡学
実践の学習
体表観察
弁証論治
処置に関して悩める段階と悩み方まで
批判的な眼差しで先輩の方法を見学する段階
教わる段階
自ら参加して行う段階
参加し習練する段階
鍼灸古典図書画像のベージをアップしました。
http://1gen.jp/kosyo/index.htm
主として手持ちのものと早稲田大学図書館の特別資料室(ネット上では古典籍データベース)のものです。京大医学部図書館の富士川文庫は協力を得ることができませんでした。
基本的に古典文書の画像に一ページづつリンクを作成し、目次を付したものです。古書を学ぶ際の手間がだいぶ省けます。もしかすると手持ちの古書を探すよりも便利かもしれません。
アップされているものの内容は以下の通りです。
鍼灸中心ですので、湯液関係はほとんど含まれていません。
◇医学源流
日本医学史:富士川游
先哲医話:浅田宗伯
類経:張景岳
徂徠先生素問評
素問難経解題:丹波元簡
難経抄
勿聴子俗解八十一難経:熊宗立
難経本義鈔:寿徳菴玄由
難経鉄鑑:広岡蘇仙
難経経釈:徐大椿
難経小解:高井 晰斎
難経疏証:丹波元胤
◇養生など
喫茶養生記:栄西
巻懐食鏡:香月牛山
病家須知:革谿道人
◇医学総合
医聖永田徳本伝
医学切要指南:岡本一抱子
病因精義:小森桃塢
医道日用綱目:本郷正豊
叢桂亭医事小言:原南陽
医宗金鑑:東医宝鑑:訂正東医宝鑑建設中
◇診察術
脉経:王叔和
脉語:呉崑
診極図説:瀬丘長圭
按腹図解:太田普斎
敖氏傷寒金鏡録
舌胎図説:土田敬之
◇経絡経穴
臓腑経絡詳解:岡本一抱子
十四経諺解:岡本一抱子
牛山先生経絡図
十四経絡兪穴弁解:寺尾隆純
穴名備考:浅井図南
阿是要穴:岡本一抱子
経穴彙解:原南陽
経穴纂要:小阪元祐
非十四経:広瀬白鱗
◇鍼灸術他
鍼灸遡シ回集:高津松悦齋敬節
鍼灸抜萃大成:岡本一抱子
杉山真伝流
鍼法弁惑:藤秀孟郡子
鍼灸則:菅沼周桂
鍼治極秘伝:木邨太仲
鍼治枢要:矢野白成
鍼治口訣鈔:養陽子
妙鍼流極秘書
鍼法一軸:福田氏道
鍼論:葛西清希夷
鍼術秘要:坂井豊作
鍼灸備要:青山道醇
鍼灸明鑑:大石良輔
鍼灸要法指南:岩田利齋
活物実験禄:大須賀観界
黄帝明堂灸経:竇桂芳
名家灸選
巻懐食鏡:香月牛山
灸炳要覧:堀元厚
痧脹玉衡書:郭志邃
刺絡聞見録:三輪東朔
刺絡編:萩台州
◇婦人小児
産論:賀川玄悦
産科発蒙:片倉鶴陵
顱顖経:小児科
http://1gen.jp/kosyo/index.htm
主として手持ちのものと早稲田大学図書館の特別資料室(ネット上では古典籍データベース)のものです。京大医学部図書館の富士川文庫は協力を得ることができませんでした。
基本的に古典文書の画像に一ページづつリンクを作成し、目次を付したものです。古書を学ぶ際の手間がだいぶ省けます。もしかすると手持ちの古書を探すよりも便利かもしれません。
アップされているものの内容は以下の通りです。
鍼灸中心ですので、湯液関係はほとんど含まれていません。
◇医学源流
日本医学史:富士川游
先哲医話:浅田宗伯
類経:張景岳
徂徠先生素問評
素問難経解題:丹波元簡
難経抄
勿聴子俗解八十一難経:熊宗立
難経本義鈔:寿徳菴玄由
難経鉄鑑:広岡蘇仙
難経経釈:徐大椿
難経小解:高井 晰斎
難経疏証:丹波元胤
◇養生など
喫茶養生記:栄西
巻懐食鏡:香月牛山
病家須知:革谿道人
◇医学総合
医聖永田徳本伝
医学切要指南:岡本一抱子
病因精義:小森桃塢
医道日用綱目:本郷正豊
叢桂亭医事小言:原南陽
医宗金鑑:東医宝鑑:訂正東医宝鑑建設中
◇診察術
脉経:王叔和
脉語:呉崑
診極図説:瀬丘長圭
按腹図解:太田普斎
敖氏傷寒金鏡録
舌胎図説:土田敬之
◇経絡経穴
臓腑経絡詳解:岡本一抱子
十四経諺解:岡本一抱子
牛山先生経絡図
十四経絡兪穴弁解:寺尾隆純
穴名備考:浅井図南
阿是要穴:岡本一抱子
経穴彙解:原南陽
経穴纂要:小阪元祐
非十四経:広瀬白鱗
◇鍼灸術他
鍼灸遡シ回集:高津松悦齋敬節
鍼灸抜萃大成:岡本一抱子
杉山真伝流
鍼法弁惑:藤秀孟郡子
鍼灸則:菅沼周桂
鍼治極秘伝:木邨太仲
鍼治枢要:矢野白成
鍼治口訣鈔:養陽子
妙鍼流極秘書
鍼法一軸:福田氏道
鍼論:葛西清希夷
鍼術秘要:坂井豊作
鍼灸備要:青山道醇
鍼灸明鑑:大石良輔
鍼灸要法指南:岩田利齋
活物実験禄:大須賀観界
黄帝明堂灸経:竇桂芳
名家灸選
巻懐食鏡:香月牛山
灸炳要覧:堀元厚
痧脹玉衡書:郭志邃
刺絡聞見録:三輪東朔
刺絡編:萩台州
◇婦人小児
産論:賀川玄悦
産科発蒙:片倉鶴陵
顱顖経:小児科
漢方鍼医会での講演の要旨を「一元流脉診術」と題してまとめました。
http://1gen.jp/1GEN/21HARI-I/index.html
また、余技としての古典の翻訳の一つなのですが、読み返してやっ
ぱりいいよな勉強になるよなと思ったもの、腹診に関する吉益東洞
の文章と東洞流腹診の直伝と称する奥田鳳作(1811年〜1894年)の
「長沙腹診考」の全訳をアップしてあります。
訳文がこなれていてかなり良いということはさておき、いわゆる傷
寒論派の腹診術として有名な「腹証奇覧」のいかにも型にはまって
運用のきかないものに比して、吉益東洞が自由自在にかつ繊細に手
で感じとろうとしていたその努力の跡を追うことができると思いま
す。
http://1gen.jp/1GEN/CHOSA/index.html
http://1gen.jp/1GEN/21HARI-I/index.html
また、余技としての古典の翻訳の一つなのですが、読み返してやっ
ぱりいいよな勉強になるよなと思ったもの、腹診に関する吉益東洞
の文章と東洞流腹診の直伝と称する奥田鳳作(1811年〜1894年)の
「長沙腹診考」の全訳をアップしてあります。
訳文がこなれていてかなり良いということはさておき、いわゆる傷
寒論派の腹診術として有名な「腹証奇覧」のいかにも型にはまって
運用のきかないものに比して、吉益東洞が自由自在にかつ繊細に手
で感じとろうとしていたその努力の跡を追うことができると思いま
す。
http://1gen.jp/1GEN/CHOSA/index.html
「不妊!大作戦」講演を行います。
10月4日徳島県の徳島文化センター会議室にて、
「不妊!大作戦」の講演を行います。
興味のある方は、聞きに来てくださると嬉しいです。
午前 講演 90分、質疑 30分
「不妊!大作戦」
ビッグママ治療室 米山 章子
一般の方向けに不妊についての東洋医学的な観点にたっての
お話しと、鍼灸治療についてのお話しをさせていただくつもりです。
午後 鍼灸師向け 講演、実技、質疑応答
一元流鍼灸術 伴 尚志
米山 章子
午後は、鍼灸師向けに、不妊治療について、東洋医学的身体観について、
症例検討ではモデルさんを使って、弁証論治、実技までやる予定です。
30分、鍼灸治療院における不妊治療についてー米山,
30分、問診、切診,
60分、病因病理解説、陰陽論解説ー伴先生,
30分 実技,
30分 質疑応答,
上記のように考えています(予定です)
徳島県鍼灸師会による企画ですが、一般の方でも聴講できます。
(一般の方は5000円です。)
問い合わせ先は、
櫻川治療院
TEL・FAX: 0883(24)1992
E-mail: sakuragawa@shirt.ocn.ne.jp
10月4日徳島県の徳島文化センター会議室にて、
「不妊!大作戦」の講演を行います。
興味のある方は、聞きに来てくださると嬉しいです。
午前 講演 90分、質疑 30分
「不妊!大作戦」
ビッグママ治療室 米山 章子
一般の方向けに不妊についての東洋医学的な観点にたっての
お話しと、鍼灸治療についてのお話しをさせていただくつもりです。
午後 鍼灸師向け 講演、実技、質疑応答
一元流鍼灸術 伴 尚志
米山 章子
午後は、鍼灸師向けに、不妊治療について、東洋医学的身体観について、
症例検討ではモデルさんを使って、弁証論治、実技までやる予定です。
30分、鍼灸治療院における不妊治療についてー米山,
30分、問診、切診,
60分、病因病理解説、陰陽論解説ー伴先生,
30分 実技,
30分 質疑応答,
上記のように考えています(予定です)
徳島県鍼灸師会による企画ですが、一般の方でも聴講できます。
(一般の方は5000円です。)
問い合わせ先は、
櫻川治療院
TEL・FAX: 0883(24)1992
E-mail: sakuragawa@shirt.ocn.ne.jp
《難経》は陰陽五行について詳細に説かれています。その《難経》を読み進む上でもっとも基本的な姿勢について《難経鉄鑑》で著者の広岡蘇仙は『一団の原気が、百骸を弥綸している状態の人は、健康な人です。もし少しでも充実していない部分があれば、それがすぐに病変を引き起こします。そのような時には、その人の生気をその部分に誘い導くようにすることが、その治療法となります。このような生気を候い知る方法が脉診であり、このような気の状態を説いている経典が《難経》です。』と述べています。
『一団の原気が、百骸を弥綸している状態の人は、健康な人です。』『弥綸している〔訳注:すっぽりと糊で封をしたように継ぎ目も見せず包みこんでいる〕』。この一つの生命のぴっちりとした袋の中に、すべてがある、宇宙が今ここに存在しているということがこの言葉の意味です。これをまた小宇宙と呼んでいます。この小宇宙の内側を、陰陽というものさし、五行というものさしで柔らかく眺めることが陰陽五行論です。
陰と陽とが存在しているわけではないということ、木火土金水が存在しているわけではないということが大切です。目の前に存在している宇宙を、ただ二つの観点、五つの観点から眺めているにすぎないのです。この二つは、それを構成しているものである、五つは同時にそれを構成しているものであるとも言われています。けれども正確には、あたかもそれを構成しているものであるかのような言葉を用いて、一つのものを同時に二つの観点五つの観点から見ているにすぎないわけです。
陰陽五行を生成論の視点〔注:生命の成り立ちを説明する考え方〕から書かれている厖大な書物が存在していることもまた事実です。学者はそのような妄想を好むものなのでしょう。けれども臨床家は目の前に存在している生命そのものを対象としているわけですから、そのような生成論に惑わされるわけにはいきません。今目の前に存在している生命を理解するために陰陽五行というものさしを利用していくという姿勢が必要なのです。
そしてこのことを解説しているものとして《難経》を読むという姿勢が必要であると、《難経鉄鑑》の著者である広岡蘇仙は述べているわけです。
『一団の原気が、百骸を弥綸している状態の人は、健康な人です。』『弥綸している〔訳注:すっぽりと糊で封をしたように継ぎ目も見せず包みこんでいる〕』。この一つの生命のぴっちりとした袋の中に、すべてがある、宇宙が今ここに存在しているということがこの言葉の意味です。これをまた小宇宙と呼んでいます。この小宇宙の内側を、陰陽というものさし、五行というものさしで柔らかく眺めることが陰陽五行論です。
陰と陽とが存在しているわけではないということ、木火土金水が存在しているわけではないということが大切です。目の前に存在している宇宙を、ただ二つの観点、五つの観点から眺めているにすぎないのです。この二つは、それを構成しているものである、五つは同時にそれを構成しているものであるとも言われています。けれども正確には、あたかもそれを構成しているものであるかのような言葉を用いて、一つのものを同時に二つの観点五つの観点から見ているにすぎないわけです。
陰陽五行を生成論の視点〔注:生命の成り立ちを説明する考え方〕から書かれている厖大な書物が存在していることもまた事実です。学者はそのような妄想を好むものなのでしょう。けれども臨床家は目の前に存在している生命そのものを対象としているわけですから、そのような生成論に惑わされるわけにはいきません。今目の前に存在している生命を理解するために陰陽五行というものさしを利用していくという姿勢が必要なのです。
そしてこのことを解説しているものとして《難経》を読むという姿勢が必要であると、《難経鉄鑑》の著者である広岡蘇仙は述べているわけです。
岡本一抱(1654年〜1716年)は、通称為竹、一得斎と号していました。本の姓は杉森といい、承応三年(1654年)越前国福井において杉森信義の三男として生まれています。生年、出生地には異説が多く、山口県で生まれたという説もあります。1歳上の実兄には江戸文学を代表する近松門左衛門がいます。一抱は16歳の頃、織田長頼の侍医である平井自安の養子になり、平井要安と称しました。18歳で味岡三伯に入門し、医学を学んでいます。三伯の師は饗庭東庵ですから、一抱の学系は、曲直瀬道三―曲直瀬玄朔―饗庭東庵―味岡三伯とつながることとなります。
32歳の頃、師である味岡三伯から破門され、35歳の頃には養家から去ったのか岡本姓を名乗るようになり、まもなく法橋に叙せられています。没年は享保元年(1716年)で、京都本圀寺に葬られました。戦時中の木谷蓬吟氏の調査では同寺に墓碣が存在していたようですが、戦後になって整理されたのか、不明になっています。子孫は京都に健在です。
臓腑経絡詳解:岡本一抱子35歳 1689年序
十四経諺解:岡本一抱子 1693年刊行
病因指南:岡本一抱子 1695年刊行
格致余論諺解:岡本一抱子 1696年刊行
一抱渉筆:岡本一抱子 1698年書写
和語本草綱目:岡本一抱子 1698年刊行
鍼灸抜萃大成:岡本一抱子 1698年刊行
医学三蔵弁解:岡本一抱子 1700年刊行
医方大成論和語鈔:岡本一抱子 1702年刊行
方意弁義:岡本一抱子 1703年序
阿是要穴:岡本一抱子 1703年刊行
素問入式運気論奥諺解:岡本一抱子 1704年刊行
医学入門諺解:岡本一抱子 1709年刊行
医学講談:岡本一抱子 1713年刊行
医学切要指南:岡本一抱子 1714年刊行
和語医療指南:岡本一抱子 1714年刊行
経穴密語集:岡本一抱 1715年刊行
◇岡本一抱子62歳死去 1716年享保元年
◇近松門左衛門71歳死去 1724年(一歳上の兄)
医学正伝惑問諺解:岡本一抱子 1728年刊行
日用医療指南大成:岡本一抱子 1726年刊行
溯シ回集倭語鈔:岡本一抱子 1728年刊行
黄帝内経素問諺解:岡本一抱子 1744年刊行
校正引経訣:岡本一抱子 1808年書写
岡本一抱子の著作を上に一部示してありますが、それを見ても非常に大量の著作があることがわかります。近世医人中最大のブックメーカーと言われるゆえんでしょう。基本的に古医書の注釈を中心として彼の医学研究は進められており、古医書の本義を食い貫いてその本質を明らかにせんとする気迫に満ちた多くの諺解書があります。代表的な著書として《和語本草綱目》《方意弁義》《医方大成論諺解》《医学三蔵弁解》《医学切要指南》などがあげられています。
このうち《医学三蔵弁解》は岡本一抱子が46歳の時までに書かれたものです。『右の三蔵の弁は、先天から後天に至って人の生を保つ理由の本、これを治療する医家の綱要です。人物でなければこれを妄りに授けてはいけません。その心を神にして深く探り、遠く求めてこの理を極めれば、無窮の応用をなすことができるでしょう。』と自ら述べているように、もともとは相伝されるべき秘伝の書として用意されていたものです。けれども『これを口授だけで伝えると、長い時間がたつと、その弁を失ったり、その理を少なからず誤ることになりかねません。ですから今、梓に刻ませて〔訳注:出版して〕後世に垂れ、永くこの道が絶えないようにしたいと思います。』とその心意気を伝えています。
岡本一抱子はこの《医学三蔵弁解》の中で、腎を中心とする下焦、心を中心とする上焦、胃を中心とする中焦の諸問題を明らかにし、治療法の基本までを詳述しています。人身における根本を先ず述べてその問題を整理し、さらにそれを治療において自在に応用していくための道筋を示しています。五臓をこのように三焦の概念で精密に統括していくことで、人身の統一的な観点を開いた岡本一抱子は、さらにそれを三才の概念の側から表現していきます。それが附録の営衛論と三焦論です。そしてこれでは納まらず岡本一抱子はさらにすべてを一つの観点で統合し、神明の弁を附しています。ここにおいて、生命という混沌を五行の観点から三焦の観点へ、三才の観点から気一元の観点へと統括するという形で、《医学三蔵弁解》全体を統一的に既述することに成功しています。さすがに秘伝として懐中にしまうべき完成度の高さです。
これに比して13年後(帰幽2年前)に上梓されている《医学切要指南》は、全体が統合的に書かれていない点で論文集のような印象を受けます。けれどもそれは、《医学三蔵弁解》という相伝の書を書き上げた後さらに研鑽を積んだ、岡本一抱子の膂力を看取させるものとなっています。このことは《医学切要指南》の三焦論に強く表わされています。『諸経脉は、上焦の宗気 中焦の営気 下焦の衛気の三気が循環するところです。この三気は三焦によってめぐります。三焦は腎間の動気の別使です。ですから諸十二経脉は腎間の動気を根本としています。天地の間の四季の往来や万物の造化は何によって行なわれているのかというと、冬至に来復した一陽の気によってなされています。この坎中の一陽は十二支で言うと子にあたります。人身の生化もまた、両腎の間の水中に含蔵されている一陽の気によってなされるものです。』という言葉にそれは表現されています。この腎間の動気一元の観点は、《難経》のものでありかつ仏教の修行の過程であり成果でもあります。岡本一抱子はその晩年、このもっとも単純な場所、人身における秘伝そのものの場所に到達していたわけです。
『私は《素》《難》を心に刻んで五十余年撰述し、彫刻させてきた書物は百二十余巻にのぼります。撰してまだ刻んではない書物も若干ありますが、まだ医道の奥旨には達していません。けれども心主三焦の有名無形の問題を知り、この論を述べることとしました。』と述べる岡本一抱子の謙虚さはなんでしょうか。このような言葉に触れると私は自身の怠惰に震えざるを得ません。また、この偉大な医学者を産んだ江戸時代さらには日本民族の知恵の土壌を有難く拝するばかりです。
なお、岡本一抱子の生年が《国史人名辞典》では1686年となっているようですが、上記図書目録をご覧いただけばわかるとおり、誤りです。
..腹診からみる日本医学
腹診そのものについての記載は『難経』や『傷寒論』にもあるわけですけれども、腹診という一つの診断項目を定め深めていったのは、日本における東洋医学を特徴付けるできごとです。支那大陸においては高貴な人の腹を診るということがはばかられたため、この診察方法が発達しなかったということもありますが、ここにはそれ以上に大きな文化的な特徴が存在します。
この文化的な相違の中心となるものは、江戸時代に入るまで日本における文化の担い手が僧侶であり、ことに鎌倉時代の末期以降は禅僧がその中心となっていたということです。日本の伝統的な風俗である神道と結びついた形で皇室を中心として発展した仏教は、文字情報とその思想ともに日本の隅々まで行き渡ります。この日本における悟りの探求の過程において始めて、「腹の思想」が深められ臍下丹田を意識するということの大切さが実感されていきました。
仏道修行における座禅が、病の治療方法としての腹部の認識を指し示していることに気づき、安土桃山時代までにいったんの完成をみたものが夢分流の腹診法です。
...命門の位置の移動
支那大陸における医学思想は、道教の元となる黄老道をその中心とします。黄老道の思想を一言で言うと、天と人とを対応関係として把え、天をよく見ることで人の運命がわかるという考え方に基づいて発展した天文学と、天地を分析的に解釈するための道具としての陰陽五行論とが組み合わさったものです。その思想―人間観に基づいて体表観察などをして得た情報を分析し、人の身体を捉えなおしていったものが、『黄帝内経』という東洋医学の基本経典として結実しているわけです。
前漢から後漢にかけてまとめられたこの『黄帝内経』において「命門」は目に位置づけられています。これに対して後漢の中期以降に作られた『難経』において「命門」は右腎に位置づけられています。「命門」と名づけられているもっとも大切にすべき場所の位置が目から臍下丹田に移動しているということはどういうことなのでしょうか。これは、意識の中心を置く位置が、目から臍下に移動していることを示しています。ここにおいて『黄帝内経』と『難経』の間でその身体観が大きく変化しているわけです。ここには実は、医学の背景となる人間観の変化があったのであろうと私は考えています。
すなわち『黄帝内経』の医学思想の背景にあるのは黄老道であるのに対して、『難経』が書かれた時代にはすでに仏教が入り込んでいて、この仏教思想に基づいて『難経』は医学思想を書き換えたのではないかと考えられるわけです。奇しくも『難経』が書かれたと同じ時代に道教は発生しています。これも仏教を縁として支那大陸における民間の宗教思想を守るために教義を定め教団としてまとめられたものでしょう。
それはともかく、『黄帝内経』と『難経』との間には人間観の違いが明確に存在しているわけです。『難経』は単に『黄帝内経』における難しく解釈しにくいところを解き明かした書物ではないのです。
...難経流腹診と難経鉄鑑
『難経』で展開された臍下丹田を中心とした身体観が日本において大きく開花した理由は、僧侶が文化の担い手であったためでしょう。これにしたがい、臍下丹田を命門とするという身体観に基づく難経流腹診が広く実践されるようになりました。
その身体観の大きな成果と言えるものが、『難経鉄鑑』における六十六難の図です。ここにおいて、腎間の動気・命門の火・三焦・営衛が統一的に考えられ、内なる臓腑と外なる経絡との関係の軽重が明確に理解されることとなりました。
この統一された身体認識とそれに基づいた身体観こそ、日本医学の大きな特徴をなしているものであると私は考えています。
腹診そのものについての記載は『難経』や『傷寒論』にもあるわけですけれども、腹診という一つの診断項目を定め深めていったのは、日本における東洋医学を特徴付けるできごとです。支那大陸においては高貴な人の腹を診るということがはばかられたため、この診察方法が発達しなかったということもありますが、ここにはそれ以上に大きな文化的な特徴が存在します。
この文化的な相違の中心となるものは、江戸時代に入るまで日本における文化の担い手が僧侶であり、ことに鎌倉時代の末期以降は禅僧がその中心となっていたということです。日本の伝統的な風俗である神道と結びついた形で皇室を中心として発展した仏教は、文字情報とその思想ともに日本の隅々まで行き渡ります。この日本における悟りの探求の過程において始めて、「腹の思想」が深められ臍下丹田を意識するということの大切さが実感されていきました。
仏道修行における座禅が、病の治療方法としての腹部の認識を指し示していることに気づき、安土桃山時代までにいったんの完成をみたものが夢分流の腹診法です。
...命門の位置の移動
支那大陸における医学思想は、道教の元となる黄老道をその中心とします。黄老道の思想を一言で言うと、天と人とを対応関係として把え、天をよく見ることで人の運命がわかるという考え方に基づいて発展した天文学と、天地を分析的に解釈するための道具としての陰陽五行論とが組み合わさったものです。その思想―人間観に基づいて体表観察などをして得た情報を分析し、人の身体を捉えなおしていったものが、『黄帝内経』という東洋医学の基本経典として結実しているわけです。
前漢から後漢にかけてまとめられたこの『黄帝内経』において「命門」は目に位置づけられています。これに対して後漢の中期以降に作られた『難経』において「命門」は右腎に位置づけられています。「命門」と名づけられているもっとも大切にすべき場所の位置が目から臍下丹田に移動しているということはどういうことなのでしょうか。これは、意識の中心を置く位置が、目から臍下に移動していることを示しています。ここにおいて『黄帝内経』と『難経』の間でその身体観が大きく変化しているわけです。ここには実は、医学の背景となる人間観の変化があったのであろうと私は考えています。
すなわち『黄帝内経』の医学思想の背景にあるのは黄老道であるのに対して、『難経』が書かれた時代にはすでに仏教が入り込んでいて、この仏教思想に基づいて『難経』は医学思想を書き換えたのではないかと考えられるわけです。奇しくも『難経』が書かれたと同じ時代に道教は発生しています。これも仏教を縁として支那大陸における民間の宗教思想を守るために教義を定め教団としてまとめられたものでしょう。
それはともかく、『黄帝内経』と『難経』との間には人間観の違いが明確に存在しているわけです。『難経』は単に『黄帝内経』における難しく解釈しにくいところを解き明かした書物ではないのです。
...難経流腹診と難経鉄鑑
『難経』で展開された臍下丹田を中心とした身体観が日本において大きく開花した理由は、僧侶が文化の担い手であったためでしょう。これにしたがい、臍下丹田を命門とするという身体観に基づく難経流腹診が広く実践されるようになりました。
その身体観の大きな成果と言えるものが、『難経鉄鑑』における六十六難の図です。ここにおいて、腎間の動気・命門の火・三焦・営衛が統一的に考えられ、内なる臓腑と外なる経絡との関係の軽重が明確に理解されることとなりました。
この統一された身体認識とそれに基づいた身体観こそ、日本医学の大きな特徴をなしているものであると私は考えています。
気一元の観点というのは、観るところにその中心があるのではなく、観る姿勢にその中心があります。観る姿勢とは何かというと、観る前に心を定めるということであり、観ている時にもその定めた位置から離れないということです。とうぜんそれは、弁証論治を立て、治療を進めていく際にも常時離れていないことを確認し続ける位置です。一点の場所、それは臍下丹田です。
臍下丹田の位置というのは味わってみるとご理解できると思いますが、生命そのものを確認することのできる唯一の精神の位置なのです。生まれ落ちて以来、私はこの生命を維持するため、環境との調和を維持するために、不安と戦いながら外の世界のことを学び続けてきました。その手段には、テレビや書物の他、五巻を尽くしてたどり着くことのできた、自分の行為に対する他者〔注:その初期は家族〕の反応を盗み候うということがありました。私の存在は赦されているのか否か、それが意外と課題となりました。
そのような生活姿勢を継続することによって私は大切なものを気づかないまま失っていきました。それは、今、自分が生きているという実感です。幼稚園の頃までは確かにあった生命に触れる喜びを、いつの間にか見失い、文字に流され、映像に流され、他者の言葉に囚われて、いつの間にか操り人形のようになってしまって、今ここに生命そのものを感じとるという生命感覚を失っていったのでした。
このこと、この同じことが東洋医学の勉強の中で、あるいは日々の弁証論治の中で、あるいは日々の臨床の中で繰り返されている可能性があります。
それは、別の言葉で言うと、中心を忘れて些末なものに囚われるということです。言葉というもので表現されると、それが些末なことでも大切なことのように見えるものです。愚劣なテレビや新聞であっても、その報道を目にするとさも大切なことのように思えてしまうことと同じです。情報に振り回され、言葉に振り回されて、今生きて存在している生命と生命との出会いの場を、忘れてしまうのです。その忘却の原因は何よりも自身の生命へのリアリティの欠如にあります。
リアリティとは何か。これが問題です。先ほど、臍下丹田と述べました。意識の位置を臍下丹田に置くと、思考と感情が止まります。思考と感情が止まったそのままの状態で目を上げると、自身の生命そのものの姿が見えてきます。あまりにも美しい生命そのもの、繊細で輝かしくけなげで力強いそこに、意識を解放してみると、それまでの拘りや執着がまるで背広についた埃のように取れていくことがわかります。そして理解すべきことは、言葉以前の絶対の場所が人間にはあるのだということです。
ここに意識の位置を置きます。そのまま身の回りに起こる現象を眺めていきます。患者さんの訴えを聞き病因病理を考えて弁証論治を立てるということは、このような精神の位置において行なわれるべきことです。文字を読み取り東洋医学の概念を学ぶことは、このような精神の位置において行なわれるべきことです。言葉というものはそれが原初的なものであればあるほど、述べられている言葉の前提としてこのリアリティが存在しています。言葉という不自由な表現方法をとりながら、それをも使って、感じ取ったこと見取ったこと理解したことを残したかった。その誠実さは古人においてより切実だったからでしょう。
私どもはそのようにして遺されている言葉から学んでいます。学んでいるのですが、言葉に先を越されがちになるのは、自身の中にリアリティを欠いているためです。そして迷い始めるのです。けれども、今ここに私どもは存在し、その存在のリアリティは古代も現代もありません。古人も現代人もなく、そこから言葉を紡ぎ出そうとする時、我々は苦悶しながら生命の一言を吐き出すのです。その一言のリアリティは、古人のもつものと何ら変わりがありません。それほどの誠実さを私は持ち、それほどの存在へのリアリティを私は持っているということが大切なことであり、そのことをこそ私どもは自分自身に対して毎瞬問い続けていることなのです。
弁証論治をたてる際に、確かなものを中心として考えを構築していくという
ことをよくお話します。けれどもこの「確かなもの」というのが何かという
ことは、なかなかわかりにくいのです。どうしてかというと、まじめであれ
ばあるほど細かい違いを問題にし、詳細な記述に走りやすいためです。その
ほうがわかった感を得やすいですしね。でもそうすると、記述のための記述
になり、生命の全体像を見失うことがあります。
生命の全体像というのは何なのでしょうか。眼差しとしてはひとつの生命を
括って、柔らかく愛おしむことです。これが一番最初の心。一の心です。善
悪や判断を越えて、病や生死を超えて、そこに存在している生命そのものを
愛おしむとこと。その美しさと出会ったことに感謝すること。同じ生命を自
分も保持させていただいていることに感謝することです。ここにすっぽりい
るとき、問題などは何もありません。
その次元で酔生夢死している意識を少し目覚めさせて、四診に入ります。問
題は何なのだろう、何がこの人の活力を奪っている中心なのだろう、よりよ
く生きるには何が必要なのだろう。そんな心です。まだまだ分析的ではなく、
よく聞いて心に映ったその人の姿を感じとりながら、痛みや悲しみや空洞感
を共有してみます。この時表現されているものはさまざまな症状であったり
怒りや嘆きや愚痴であったりする可能性はありますけれども、それに振り回
されないように注意して治療家の側の心を定めたまま耳を傾けます。聴く。
よりよく聴くということがこの際の課題となります。
充分に心に響いた所で記述そして五臓の弁別に、緩やかに入っていきます。
分けることが目的ではありません。理解することが目的でもありません。何
を感じたのか、何を観たのかを確かめるようにより分けていくわけです。そ
の時に、すでに言葉化されている情報に頼りすぎると、言葉化される以前の
感覚を忘れてしまいます。これが大切でこれがたいした問題ではないという
ことを、五臓の弁別をする前には確かに感じとっていたはずなのに、いつの
間にか見失ってしまうことがあります。これは、心に響いたことを忘れて理
屈に走ってしまうためによく起こる現象です。
(五臓の弁別の効用として、思い込みを排除して客観性を保つということが
あります。実はこの「心に響いた所」と「客観性」との淡いの一筋の糸の上
で五臓の弁別は記載されていきます。ここが難しい所なのですけれども、そ
れについてはまたの機会に。)
このままの感覚で病因病理を書いていくと、正しそうだけれども理屈っぽく
て、その患者さんの状態があまり浮き上がって見えてこないものとなります。
部分部分は正しそうな理屈をつけているわけですけれども、時間的空間的な
全体像を失っているものができあがるわけです。そしてこういう病因病理は、
まじめな人ほど陥りやすい罠なんですね。これは、心よりも理論を追い求め
るために起こる、深い問題です。言葉の罠とも言えます。
この解毒剤は、「充分に心に響いた所」の感覚を忘れないようにするところ
にあります。これが四診を通じて感じとった「確かなもの」を中心として論
理を構築していく病因病理につながっていきます。確かなものは、見えやす
い所にあります。無理なく見えるものを表現した言葉(大切)と、無理に見
たものを表現した言葉(あまり大切ではない)とには、軽重をつける必要が
あるわけです。けれども目の前に言葉として並んでいるとこれが難しくなり
ます。どうしてかというと、無理に見たものを表現した言葉の方が不安があ
る分だけ詳しく説明される必要があり、多くの言葉で飾られていて見栄えが
いいため、見た感じ重要に思えるためです。
このため、本当は大切な所から遠く離れている情報であっても大切に見えた
り、大切な情報であってもあまり大切ではないように見えたりします。「充
分に心に響いた所」の感覚、その心の位置をしっかりと踏み固め、近いもの
は明確にはっきりと見、遠いものは遠くに霞んで見えるという距離感を持て
るようにすると、より実態に合った弁証論治を構築していくことができるで
しょう。この遠近感は、記載されている言葉の多寡によるものではないので、
それに振り回されないよう注意する必要があるわけです。
ことをよくお話します。けれどもこの「確かなもの」というのが何かという
ことは、なかなかわかりにくいのです。どうしてかというと、まじめであれ
ばあるほど細かい違いを問題にし、詳細な記述に走りやすいためです。その
ほうがわかった感を得やすいですしね。でもそうすると、記述のための記述
になり、生命の全体像を見失うことがあります。
生命の全体像というのは何なのでしょうか。眼差しとしてはひとつの生命を
括って、柔らかく愛おしむことです。これが一番最初の心。一の心です。善
悪や判断を越えて、病や生死を超えて、そこに存在している生命そのものを
愛おしむとこと。その美しさと出会ったことに感謝すること。同じ生命を自
分も保持させていただいていることに感謝することです。ここにすっぽりい
るとき、問題などは何もありません。
その次元で酔生夢死している意識を少し目覚めさせて、四診に入ります。問
題は何なのだろう、何がこの人の活力を奪っている中心なのだろう、よりよ
く生きるには何が必要なのだろう。そんな心です。まだまだ分析的ではなく、
よく聞いて心に映ったその人の姿を感じとりながら、痛みや悲しみや空洞感
を共有してみます。この時表現されているものはさまざまな症状であったり
怒りや嘆きや愚痴であったりする可能性はありますけれども、それに振り回
されないように注意して治療家の側の心を定めたまま耳を傾けます。聴く。
よりよく聴くということがこの際の課題となります。
充分に心に響いた所で記述そして五臓の弁別に、緩やかに入っていきます。
分けることが目的ではありません。理解することが目的でもありません。何
を感じたのか、何を観たのかを確かめるようにより分けていくわけです。そ
の時に、すでに言葉化されている情報に頼りすぎると、言葉化される以前の
感覚を忘れてしまいます。これが大切でこれがたいした問題ではないという
ことを、五臓の弁別をする前には確かに感じとっていたはずなのに、いつの
間にか見失ってしまうことがあります。これは、心に響いたことを忘れて理
屈に走ってしまうためによく起こる現象です。
(五臓の弁別の効用として、思い込みを排除して客観性を保つということが
あります。実はこの「心に響いた所」と「客観性」との淡いの一筋の糸の上
で五臓の弁別は記載されていきます。ここが難しい所なのですけれども、そ
れについてはまたの機会に。)
このままの感覚で病因病理を書いていくと、正しそうだけれども理屈っぽく
て、その患者さんの状態があまり浮き上がって見えてこないものとなります。
部分部分は正しそうな理屈をつけているわけですけれども、時間的空間的な
全体像を失っているものができあがるわけです。そしてこういう病因病理は、
まじめな人ほど陥りやすい罠なんですね。これは、心よりも理論を追い求め
るために起こる、深い問題です。言葉の罠とも言えます。
この解毒剤は、「充分に心に響いた所」の感覚を忘れないようにするところ
にあります。これが四診を通じて感じとった「確かなもの」を中心として論
理を構築していく病因病理につながっていきます。確かなものは、見えやす
い所にあります。無理なく見えるものを表現した言葉(大切)と、無理に見
たものを表現した言葉(あまり大切ではない)とには、軽重をつける必要が
あるわけです。けれども目の前に言葉として並んでいるとこれが難しくなり
ます。どうしてかというと、無理に見たものを表現した言葉の方が不安があ
る分だけ詳しく説明される必要があり、多くの言葉で飾られていて見栄えが
いいため、見た感じ重要に思えるためです。
このため、本当は大切な所から遠く離れている情報であっても大切に見えた
り、大切な情報であってもあまり大切ではないように見えたりします。「充
分に心に響いた所」の感覚、その心の位置をしっかりと踏み固め、近いもの
は明確にはっきりと見、遠いものは遠くに霞んで見えるという距離感を持て
るようにすると、より実態に合った弁証論治を構築していくことができるで
しょう。この遠近感は、記載されている言葉の多寡によるものではないので、
それに振り回されないよう注意する必要があるわけです。
二十年ほど前にお世話になった鍼灸の勉強会が
書籍の出版をたくさんしていたり、
当時ともに弟子だった人が、
新たに勉強会を立ち上げてがんばっているのをみたりすると
励みになるものです。
若い頃の努力が実を結ぶというのは、
金になるとか名誉を得るとかいうことだけじゃなくて、
高齢になってから、当時の努力を思い起こして、
生きることへの応援をもらうということもあるんですね
書籍の出版をたくさんしていたり、
当時ともに弟子だった人が、
新たに勉強会を立ち上げてがんばっているのをみたりすると
励みになるものです。
若い頃の努力が実を結ぶというのは、
金になるとか名誉を得るとかいうことだけじゃなくて、
高齢になってから、当時の努力を思い起こして、
生きることへの応援をもらうということもあるんですね
テキストには外因の問題について、239頁から書かれています。
(引用始め)
本来は生命力を育む外気がバランスを失って生命力を損傷する図は、
健康増進のためにはじめたスポーツをやりすぎ、かえって健康を損
なうことに似ています。
その、健康増進あるいは生命力を育む周辺状況はどのようなレベル
のものであるか、ということに関しては個人差が大きいものです。
そのため、私は器という概念を作り出して、これを「一元」の項目
の中で整理しました。
生命力が虚していなければ外邪が入ることはないということは、古
来言い習わされていることです。そのとおり、一元の気の器をでき
るだけ調えるということが、外邪に対する備えにはなります。けれ
ども、外邪が入るか入らないかということは、生命力の充実度とい
う要素の外に外邪の強さという要素がありますので、一概に言える
ものではありません。
「人事を尽くして天命をまつ」という言葉の生きてくるところです。
(引用終わり)
一元流鍼灸術というのは、患者さんをよりよく理解するために弁証
論治をたててその心身の状況を明確にしようとし、その方法論を語
っているものです。
一元流鍼灸術を構成していく時に大きな問題となったことの一つが
この外邪と内傷のことでした。中医学では何の基準もなくそれを弁
証論治の方法を分けて記載しているわけです。外邪であれば六経弁
証・衛気営血弁証・三焦弁証、内傷であれば臓腑弁証という具合で
す。
ところが、病んでいる身体は一つであり、病因はさまざまあるけれ
ども病位はこの身体の内部にあるわけです。外邪によるものである
とその侵襲速度は速く、内傷の場合よりも戦いすなわち瀉法に重き
を置く必要があります。内傷のものであればじわじわと広がる腐敗
なわけで、養いを主とする必要があります。そのような速度の違い
はあるけれども、病位はこの身体の内部にあるわけです。
さらに、内傷のある身体に外邪が侵襲した時どうなるのでしょうか。
そもそも内傷のない身体など存在しないわけですから、これは実際
の身体に外邪が侵襲した時にはどのように弁証論治すればよいのか、
という問題提起となります。
ここに考えが及んだ時、有名な「生命力が虚していなければ外邪が
入ることはない」という言葉に思い至るわけです。外邪は、虚して
いる部分を攻撃する、ということです。これは、直接虚している部
分に侵襲するという意味でもありますしまた、外邪が侵襲すると生
命力を大量に使ってそれを排泄しようとするため、虚している部分
がさらに疲れることとなるという意味でもあります。
鍼灸治療についてよく考えてみると、外邪の侵襲とか内生の邪の問
題と言ったとしても、治療対象にするものは患者さんの身体でしか
ありません。身体の抵抗力を上げることによって外邪に対処してい
くということが基本です。で、身体の抵抗力を上げる最大の方法が、
最も弱いところで動きそうなところを動かす、活性化させるという
ことです。
多くの場合、この場所が邪気の侵襲している場所、あるいは正邪が
闘争している場所となります。生命力が負けているとそれは邪気の
支配領域となり冷えて生命の動きも悪くなります。生命力ががんば
って対抗しているとそれはまさに闘争の熱気に包まれています。病
位というのはこのようなもののことを言うわけです。
お年寄りの場合、衛気が弱くなっていて風邪を引き込んだと自覚し
た時にはすでに深く風寒の邪が侵襲していることが多いものです。
そうすると正邪の闘争する場所と言うよりも、最終抵抗拠点として
の腎を保つことが重要になります。このあたりのことを『難経』で
は、腎間の動気を守邪の神と呼んで尊崇してもいるわけです。
(引用始め)
本来は生命力を育む外気がバランスを失って生命力を損傷する図は、
健康増進のためにはじめたスポーツをやりすぎ、かえって健康を損
なうことに似ています。
その、健康増進あるいは生命力を育む周辺状況はどのようなレベル
のものであるか、ということに関しては個人差が大きいものです。
そのため、私は器という概念を作り出して、これを「一元」の項目
の中で整理しました。
生命力が虚していなければ外邪が入ることはないということは、古
来言い習わされていることです。そのとおり、一元の気の器をでき
るだけ調えるということが、外邪に対する備えにはなります。けれ
ども、外邪が入るか入らないかということは、生命力の充実度とい
う要素の外に外邪の強さという要素がありますので、一概に言える
ものではありません。
「人事を尽くして天命をまつ」という言葉の生きてくるところです。
(引用終わり)
一元流鍼灸術というのは、患者さんをよりよく理解するために弁証
論治をたててその心身の状況を明確にしようとし、その方法論を語
っているものです。
一元流鍼灸術を構成していく時に大きな問題となったことの一つが
この外邪と内傷のことでした。中医学では何の基準もなくそれを弁
証論治の方法を分けて記載しているわけです。外邪であれば六経弁
証・衛気営血弁証・三焦弁証、内傷であれば臓腑弁証という具合で
す。
ところが、病んでいる身体は一つであり、病因はさまざまあるけれ
ども病位はこの身体の内部にあるわけです。外邪によるものである
とその侵襲速度は速く、内傷の場合よりも戦いすなわち瀉法に重き
を置く必要があります。内傷のものであればじわじわと広がる腐敗
なわけで、養いを主とする必要があります。そのような速度の違い
はあるけれども、病位はこの身体の内部にあるわけです。
さらに、内傷のある身体に外邪が侵襲した時どうなるのでしょうか。
そもそも内傷のない身体など存在しないわけですから、これは実際
の身体に外邪が侵襲した時にはどのように弁証論治すればよいのか、
という問題提起となります。
ここに考えが及んだ時、有名な「生命力が虚していなければ外邪が
入ることはない」という言葉に思い至るわけです。外邪は、虚して
いる部分を攻撃する、ということです。これは、直接虚している部
分に侵襲するという意味でもありますしまた、外邪が侵襲すると生
命力を大量に使ってそれを排泄しようとするため、虚している部分
がさらに疲れることとなるという意味でもあります。
鍼灸治療についてよく考えてみると、外邪の侵襲とか内生の邪の問
題と言ったとしても、治療対象にするものは患者さんの身体でしか
ありません。身体の抵抗力を上げることによって外邪に対処してい
くということが基本です。で、身体の抵抗力を上げる最大の方法が、
最も弱いところで動きそうなところを動かす、活性化させるという
ことです。
多くの場合、この場所が邪気の侵襲している場所、あるいは正邪が
闘争している場所となります。生命力が負けているとそれは邪気の
支配領域となり冷えて生命の動きも悪くなります。生命力ががんば
って対抗しているとそれはまさに闘争の熱気に包まれています。病
位というのはこのようなもののことを言うわけです。
お年寄りの場合、衛気が弱くなっていて風邪を引き込んだと自覚し
た時にはすでに深く風寒の邪が侵襲していることが多いものです。
そうすると正邪の闘争する場所と言うよりも、最終抵抗拠点として
の腎を保つことが重要になります。このあたりのことを『難経』で
は、腎間の動気を守邪の神と呼んで尊崇してもいるわけです。
刺鍼法や手技、使用する鍼についての質問にお答えして
「この本には刺鍼法や手技、使用する鍼などの記載はないのでしょうか?
一元流は中医学の流れのようなので太い鍼で鍼管を使わずというのが通常なのでしょうか?それとも手技や鍼はどのようなものを用いてもいい、ということなのでしょうか?先生方は通常どのような鍼をどのような刺し方をされ、どのような手技を加えておられるのでしょうか? 」
刺鍼法や手技、使用する鍼などの記載はありません。
その理由には、
1、東洋医学に基づく患者さんの見立て方を中心課題としている。
2、見立てをすると何をなすべきかは自然にわかる。
3、何をなすべきかがわかれば、鍼の番手や手技などは小手先の技に過ぎないことがわかる。
4、また、刺鍼法や手技などは、個人の能力によって大きく異なる
5、人によって見立てに関係なく治療効果を挙げることができる場合があるが、そのような属人的な能力によらない治療法を目指している。
6、逆に言えば、上手な技術者でもこれを基礎とすればさらに誤治のない名人になれるところのものがこの見立てである。
7、手技に拘わらないことを基本としている。見立てが正しいかどうか、その論理を探求しようとしているため、手技という個人技が入る余地がないように工夫している。そのため鍼は置鍼お灸はせんねん灸程度。
8、東洋医学的な見立てができれば、鍼灸に拘わらず、手技治療全般に応用することができる。
といったことが挙げられます。
一元流鍼灸術は、東洋医学のオーソドックスな見立て方を探求しているものです。普通に四診合参して見立てて治療しているわけです。けれども気一元の観点に立って見立て方を統合しているというところが不思議なことに現代の東洋医学の研究家の間では重視されていないようなので、敢えて名前を「一元流鍼灸術」とつけているわけです。
「この本には刺鍼法や手技、使用する鍼などの記載はないのでしょうか?
一元流は中医学の流れのようなので太い鍼で鍼管を使わずというのが通常なのでしょうか?それとも手技や鍼はどのようなものを用いてもいい、ということなのでしょうか?先生方は通常どのような鍼をどのような刺し方をされ、どのような手技を加えておられるのでしょうか? 」
刺鍼法や手技、使用する鍼などの記載はありません。
その理由には、
1、東洋医学に基づく患者さんの見立て方を中心課題としている。
2、見立てをすると何をなすべきかは自然にわかる。
3、何をなすべきかがわかれば、鍼の番手や手技などは小手先の技に過ぎないことがわかる。
4、また、刺鍼法や手技などは、個人の能力によって大きく異なる
5、人によって見立てに関係なく治療効果を挙げることができる場合があるが、そのような属人的な能力によらない治療法を目指している。
6、逆に言えば、上手な技術者でもこれを基礎とすればさらに誤治のない名人になれるところのものがこの見立てである。
7、手技に拘わらないことを基本としている。見立てが正しいかどうか、その論理を探求しようとしているため、手技という個人技が入る余地がないように工夫している。そのため鍼は置鍼お灸はせんねん灸程度。
8、東洋医学的な見立てができれば、鍼灸に拘わらず、手技治療全般に応用することができる。
といったことが挙げられます。
一元流鍼灸術は、東洋医学のオーソドックスな見立て方を探求しているものです。普通に四診合参して見立てて治療しているわけです。けれども気一元の観点に立って見立て方を統合しているというところが不思議なことに現代の東洋医学の研究家の間では重視されていないようなので、敢えて名前を「一元流鍼灸術」とつけているわけです。
数年前に書いた文章なのですが、読み直してなお新しいものなので採録しておきます。
難経鉄鑑の解釈文の一部です。
五行論と気一元
六九難を勉強するにあたり、気一元の観点から人体を見るということと、五行の相生相剋関係から人体を見るということとの違いを明確にしておきます。
◇五行の相生相剋の観点から人体を見るという場合にも全体性、胃の気というものの重要性は何にも増してあるものでありますけれども、《難経》においても、その全体性の重要さが多くの分量をもって説かれております。胃の気の大切さ・根としての腎気の大切さ・三焦の問題・奇経の問題などがそれです。
これらの問題を包含しながら人体そのものを気一元としてみていると、そこに《難経》の著者が大自然を観想していたのだとう姿勢が感じられます。大自然の縮図としての人間観が読み取れるわけです。
大自然。大いなる生命の恵み、生きとし生けるものがその中で存在し、その微細な生命を育むことを許されている壮大なドラマ。天地があり、その間に育まれている生命たち。この大いなる生命のドラマを、私は気一元という言葉で表現しています。
大いなる生命のドラマの中には、飢えがあったり農耕があったり共食いがあったり子孫ができることに対する本能的な歓喜があったりします。吾が小さな生命の中で、絶望や希望といった感情に揺れ動かされ、あるいは正義や礼儀という伝統に貫かれながら、通奏低音として、生命がある、ありつづけるという、この歓喜の中に生命の営みがあり続けています。
一元の気という観点とは、まずこの生命がありつづけているという所に視点を合わせて身体を見ていこうという、そういう位置のことを意味しています。
◇そこから五行の相生相剋を見ていくとそれはいかにもか細いひ弱な論理であると感じないわけにはいきません。まるで生命を剥ぎ取った骸骨がその大きくなった頭を振りながら青白い顔で悩んでいるといった図が眼前に浮かんでくるのです。
ひ弱な論理は複雑さによって自己を正当化しようとします。その行為が《鍼灸補瀉要穴の図》として結実し、また現代中医学として現われてきていると、私は考えています。論理は迷路を作り、迷路に迷って遊んでいるうちに生命そのものを見る、そこに歓喜するという、入り口でありかつ出口であるところのものを見失ってしまいます。
その自分自身で作り上げた迷妄の闇をさらに糊塗するために、さらなる論理の迷路を作り上げようとする。このはかなく愚かな営為を打ち破る観点が気一元の観点で身体を見るというところに存在していると私は思います。
◇言葉とはその中にそもそも論理性を含みます。そして一語一語はいつも不完全で未熟であって、言葉を発したときにすでにそれは自身の愚かさを露呈しているともいえます。
《黄帝内経》はしかし、百姓の困苦を救いたいという黄帝のやむなき思いに突き動かされて、多くの言葉を敢えて吐き出しました。慈悲が言葉を生み出し、言葉の海という愚かさに溺れながら、その奥にある真情・慈悲の道筋を開示してくれているわけです。
発せられた言葉をどう読むのか。吐き出された言葉の論理によって読むのか、黄帝の発せられた思いによって読むのか、そこに大きな分かれ目が存在します。私は黄帝の慈悲に感謝しながら、気一元の観点から読むということを選択しました。
言葉の森の迷妄に陥らないよう注意を喚起するために、この一文をしたためました。
難経鉄鑑の解釈文の一部です。
五行論と気一元
六九難を勉強するにあたり、気一元の観点から人体を見るということと、五行の相生相剋関係から人体を見るということとの違いを明確にしておきます。
◇五行の相生相剋の観点から人体を見るという場合にも全体性、胃の気というものの重要性は何にも増してあるものでありますけれども、《難経》においても、その全体性の重要さが多くの分量をもって説かれております。胃の気の大切さ・根としての腎気の大切さ・三焦の問題・奇経の問題などがそれです。
これらの問題を包含しながら人体そのものを気一元としてみていると、そこに《難経》の著者が大自然を観想していたのだとう姿勢が感じられます。大自然の縮図としての人間観が読み取れるわけです。
大自然。大いなる生命の恵み、生きとし生けるものがその中で存在し、その微細な生命を育むことを許されている壮大なドラマ。天地があり、その間に育まれている生命たち。この大いなる生命のドラマを、私は気一元という言葉で表現しています。
大いなる生命のドラマの中には、飢えがあったり農耕があったり共食いがあったり子孫ができることに対する本能的な歓喜があったりします。吾が小さな生命の中で、絶望や希望といった感情に揺れ動かされ、あるいは正義や礼儀という伝統に貫かれながら、通奏低音として、生命がある、ありつづけるという、この歓喜の中に生命の営みがあり続けています。
一元の気という観点とは、まずこの生命がありつづけているという所に視点を合わせて身体を見ていこうという、そういう位置のことを意味しています。
◇そこから五行の相生相剋を見ていくとそれはいかにもか細いひ弱な論理であると感じないわけにはいきません。まるで生命を剥ぎ取った骸骨がその大きくなった頭を振りながら青白い顔で悩んでいるといった図が眼前に浮かんでくるのです。
ひ弱な論理は複雑さによって自己を正当化しようとします。その行為が《鍼灸補瀉要穴の図》として結実し、また現代中医学として現われてきていると、私は考えています。論理は迷路を作り、迷路に迷って遊んでいるうちに生命そのものを見る、そこに歓喜するという、入り口でありかつ出口であるところのものを見失ってしまいます。
その自分自身で作り上げた迷妄の闇をさらに糊塗するために、さらなる論理の迷路を作り上げようとする。このはかなく愚かな営為を打ち破る観点が気一元の観点で身体を見るというところに存在していると私は思います。
◇言葉とはその中にそもそも論理性を含みます。そして一語一語はいつも不完全で未熟であって、言葉を発したときにすでにそれは自身の愚かさを露呈しているともいえます。
《黄帝内経》はしかし、百姓の困苦を救いたいという黄帝のやむなき思いに突き動かされて、多くの言葉を敢えて吐き出しました。慈悲が言葉を生み出し、言葉の海という愚かさに溺れながら、その奥にある真情・慈悲の道筋を開示してくれているわけです。
発せられた言葉をどう読むのか。吐き出された言葉の論理によって読むのか、黄帝の発せられた思いによって読むのか、そこに大きな分かれ目が存在します。私は黄帝の慈悲に感謝しながら、気一元の観点から読むということを選択しました。
言葉の森の迷妄に陥らないよう注意を喚起するために、この一文をしたためました。
サブコースの説明
●参加方法など
全体としてルーティーンではなく発展型で行う
記録を必ず残すようにする
無料(メインのまま)で参加者は許可制(気一元の観点から観た
陰陽五行をしっかり理解していないと混乱するため)
●後進養成への責任を伴う
サブコース参加者は次の段階へと進んでいくわけですけれども、後
進の疑問にメインの範疇で答えることによって、基本概念への理解
を深めるように努力します。
●自分の頭で考えて道を作っていけるようになる
メインで鍛えた型を、原理原則に基づいて破壊していくようにする。
原理原則とは、すべての概念を疑い、基本に立ち戻りながら何を自
分が考え理解しているのかということを再認識するということから
得られる。
●テキストの書き換え深化のためのテキストおよび古典の講読
『一元流鍼灸術の門』の講読
臓腑経絡学の再構築
『杉山流三部書』の講読
●選穴と処置の研究
私がまとめたものの批判的な講読が基礎。
古典に書かれている歌賦などについて、どのように考えていくか検
討する。
特効穴治療についての検討。
メインコースは診ることに特化し、臓腑経絡学の基本的な理解に基づいた
治療に視点を定め、これを基礎とします。
サブコースでは、この視野をさらに拡大していこうとします。
●経穴選択の概念と実際
それぞれの症例報告に基づいた、臨床の研究。
●一元流小里方式の応用
指の鍛錬
経穴の摸り方
経穴の状態とそれへのアプロ−チ
経穴の状態が変化するとはどういうことなのか
経穴の変化を持続させるためにはどうすればよいか
症状と経穴との関係はどれほどあるのか
●参加方法など
全体としてルーティーンではなく発展型で行う
記録を必ず残すようにする
無料(メインのまま)で参加者は許可制(気一元の観点から観た
陰陽五行をしっかり理解していないと混乱するため)
●後進養成への責任を伴う
サブコース参加者は次の段階へと進んでいくわけですけれども、後
進の疑問にメインの範疇で答えることによって、基本概念への理解
を深めるように努力します。
●自分の頭で考えて道を作っていけるようになる
メインで鍛えた型を、原理原則に基づいて破壊していくようにする。
原理原則とは、すべての概念を疑い、基本に立ち戻りながら何を自
分が考え理解しているのかということを再認識するということから
得られる。
●テキストの書き換え深化のためのテキストおよび古典の講読
『一元流鍼灸術の門』の講読
臓腑経絡学の再構築
『杉山流三部書』の講読
●選穴と処置の研究
私がまとめたものの批判的な講読が基礎。
古典に書かれている歌賦などについて、どのように考えていくか検
討する。
特効穴治療についての検討。
メインコースは診ることに特化し、臓腑経絡学の基本的な理解に基づいた
治療に視点を定め、これを基礎とします。
サブコースでは、この視野をさらに拡大していこうとします。
●経穴選択の概念と実際
それぞれの症例報告に基づいた、臨床の研究。
●一元流小里方式の応用
指の鍛錬
経穴の摸り方
経穴の状態とそれへのアプロ−チ
経穴の状態が変化するとはどういうことなのか
経穴の変化を持続させるためにはどうすればよいか
症状と経穴との関係はどれほどあるのか
一元流鍼灸術では「一」ということの理解を深めることが要求されているわけですけれども「一」というのはいったい何なのでしょう。何を意味しているものなのでしょうか。
来年私はある会で講演を頼まれていますので、その会で発行している資料をすべて取り寄せてみました。とてもよく勉強されていて、独創も多いのですが、ただ一点欠けているところがあって悲しくなりました。それが「一」の視点です。
東洋医学は汗牛充棟と言われるとおり、非常に多くの言葉が積み重ねられてきました。医学を支えている人間観ということから考えると、大陸の思想全体が網羅されてきますので、一つの大いなる文明そのものを学ばなければならないのではないかと気が遠くなってきます。まぁ実際その通りなのですが・・・
けれどもここで注意を払う必要があることは、言葉はただ「何者か」を指し示している符号に過ぎないということです。古代の発語の時点においては確かにその何者かを意識していたはずなのに、時代を下り言葉を連ねるのがうまくなるにつれて、徐々に言葉はそのリアリティーを失っていきます。そして、言葉に言葉を重ねて学者然とする一群の「偉い」人々が出現しました。もちろん彼らは時代を超えるミツバチのように言葉を運ぶことはできますし、彼らの影響で私どもは今勉強することができるわけですから、たくさんの感謝を捧げる必要があります。
けれども我々が学んでいく際、とても大切なことがここにあります。それは、時代を超えるミツバチは言葉を運んでいるのであって、発語のリアリティを運んでいるわけではないということです。発語のまさにその時のリアリティを感じとることができるかどうかはということは、現在生きている我々の意識にかかっているわけです。
ここに、心を沿わせる、という必要が出てきます。あらゆる迷妄を打ち破って初心に立ち返り、初めて出会ったものとして存在そのものを見つめ直す姿勢。そこに言葉を発する時のリアリティがあります。言葉を発する時というよりも、言葉を発する直前の何とも言えない感動、ここを表現しておきたいという強い思い。それがそこには存在していて、我々はそこに心を沿わせていくのです。
「一」とは何か、というと、この存在そのもののことです。記憶している言葉によって物事を評価し分析して理解できたことにして満足するのではなく、存在そのものへの驚きと畏れ、それと出会った時の感動に寄り添うということです。存在そのものに深く耳を傾けること。このことによってはじめて、言葉を発するまさにその時の感動が私どもの中によみがえってきます。そこ。言葉の側ではなく存在そのものの側に立ってそこに表現されている言葉を理解していく。この姿勢を保つことが、一元流鍼灸術の「一」の視点の立つということです。
今年の末に少しはまったのが、目次作り
収集しているデジタル古典の内、鍼灸に関係しそうなものを
整理して、目次をつけてみました。
あ、でも類経はまだ。2000頁以上あるので眩暈が・・・
それと医宗金鑑:東医宝鑑は、PDFのままで目次なし。
忘年会でみんなに、「古典に興味がある人いる?」
と聞いてみたけど、いなくてがっくし。
自分の勉強のための整理という感じになっちゃいました。
それにしてもネットって、便利なものです。ありがたや。
収集物は、ネットと、家にあるもののデジタル化したもの。
全部で六ギガほどになる画像資料です。
漢方関係を合わせると、この十倍ほどになります。
読み込むものはほんの少しであとは資料という感じになっていくのでしょうね。
それにしても、岡本一抱子には本当に驚かされます。
それぞれの書物のできの良さ丁寧さおもしろさを確保しながら
この大量の日本語化解説書の群れはいったい!
どんな怪物なのかと思う。敬服しています。
■■医学源流■■
日本医学史:富士川游
先哲医話:浅田宗伯
徂徠先生素問評
素問難経解題:丹波元簡
類経:張景岳
難経抄
勿聴子俗解八十一難経:熊宗立
難経本義鈔:寿徳菴玄由
難経註疏:名古屋玄医
難経鉄鑑:広岡蘇仙
難経経釈:徐大椿
難経小解:高井 晰斎
難経疏証:丹波元胤
医経解惑論:内藤希哲
■■養生など■■
陰虚本病
黄帝蝦蟇経
耆婆五臓経
五臟之守護并虫之圖
喫茶養生記:栄西
巻懐食鏡:香月牛山
病家須知:革谿道人
■■医学総合■■
医聖永田徳本伝
長田徳本翁遺説方
啓迪集:曲直瀬道三
師説筆記:後藤艮山
医学切要指南:岡本一抱子
医学正伝惑問諺解:岡本一抱子
医学入門諺解:岡本一抱子
医学三蔵弁解:岡本一抱子
和語医療指南:岡本一抱子
病因指南:岡本一抱子
病因精義:小森桃塢
医道日用綱目:本郷正豊
蕉窓雑話:和田東郭
叢桂亭医事小言:原南陽
医宗金鑑:東医宝鑑
■■診察術■■
脉経:王叔和
脉語:呉崑
百腹図説:一渓道三
腹診録:和田東郭
診極図説:瀬丘長圭
診病奇侅:多紀元堅
導引口訣鈔:養陽子
按腹図解:太田普斎
敖氏傷寒金鏡録
舌胎図説:土田敬之
■■経絡経穴■■
臓腑経絡詳解:岡本一抱子
十四経諺解:岡本一抱子
校正引経訣:岡本一抱子
牛山先生経絡図
十四経絡兪穴弁解:寺尾隆純
経絡発明:菊池玄蔵
経絡弁明:中島玄春
経穴彙解:原南陽
経穴纂要:小阪元祐
穴名備考:浅井図南
阿是要穴:岡本一抱子
経穴密語集:岡本一抱子
非十四経:広瀬白鱗
■■鍼灸術他■■
鍼灸集要:曲直瀬道三
啓迪庵日用灸法:曲直瀬道三
鍼灸要論:曲直瀬玄朔
鍼灸抜萃大成:岡本一抱子
杉山真伝流
鍼法弁惑:藤秀孟郡子
吉益家伝秘法
鍼灸説約:石坂宗哲
鍼灸則:菅沼周桂
鍼治極秘伝:木邨太仲
鍼治枢要:矢野白成
鍼治口訣鈔:養陽子
鍼術秘伝書
妙鍼流極秘書
鍼法一軸:福田氏道
鍼法弁惑:藤秀孟郡子
鍼論:葛西清希夷
鍼術秘要:坂井豊作
鍼灸備要:青山道醇
鍼灸明鑑:大石良輔
鍼灸要法指南:岩田利齋
活物実験禄:大須賀観界
黄帝明堂灸経:竇桂芳
名家灸選
巻懐食鏡:香月牛山
灸炳要覧:堀元厚
痧脹玉衡書:郭志邃
刺絡聞見録:三輪東朔
吐法編:萩野台州
■■婦人小児■■
産科彙篇:香川玄悦
産論:賀川玄悦
産論翼:賀川玄迪
産科発蒙:片倉鶴陵
顱顖経:小児科
収集しているデジタル古典の内、鍼灸に関係しそうなものを
整理して、目次をつけてみました。
あ、でも類経はまだ。2000頁以上あるので眩暈が・・・
それと医宗金鑑:東医宝鑑は、PDFのままで目次なし。
忘年会でみんなに、「古典に興味がある人いる?」
と聞いてみたけど、いなくてがっくし。
自分の勉強のための整理という感じになっちゃいました。
それにしてもネットって、便利なものです。ありがたや。
収集物は、ネットと、家にあるもののデジタル化したもの。
全部で六ギガほどになる画像資料です。
漢方関係を合わせると、この十倍ほどになります。
読み込むものはほんの少しであとは資料という感じになっていくのでしょうね。
それにしても、岡本一抱子には本当に驚かされます。
それぞれの書物のできの良さ丁寧さおもしろさを確保しながら
この大量の日本語化解説書の群れはいったい!
どんな怪物なのかと思う。敬服しています。
■■医学源流■■
日本医学史:富士川游
先哲医話:浅田宗伯
徂徠先生素問評
素問難経解題:丹波元簡
類経:張景岳
難経抄
勿聴子俗解八十一難経:熊宗立
難経本義鈔:寿徳菴玄由
難経註疏:名古屋玄医
難経鉄鑑:広岡蘇仙
難経経釈:徐大椿
難経小解:高井 晰斎
難経疏証:丹波元胤
医経解惑論:内藤希哲
■■養生など■■
陰虚本病
黄帝蝦蟇経
耆婆五臓経
五臟之守護并虫之圖
喫茶養生記:栄西
巻懐食鏡:香月牛山
病家須知:革谿道人
■■医学総合■■
医聖永田徳本伝
長田徳本翁遺説方
啓迪集:曲直瀬道三
師説筆記:後藤艮山
医学切要指南:岡本一抱子
医学正伝惑問諺解:岡本一抱子
医学入門諺解:岡本一抱子
医学三蔵弁解:岡本一抱子
和語医療指南:岡本一抱子
病因指南:岡本一抱子
病因精義:小森桃塢
医道日用綱目:本郷正豊
蕉窓雑話:和田東郭
叢桂亭医事小言:原南陽
医宗金鑑:東医宝鑑
■■診察術■■
脉経:王叔和
脉語:呉崑
百腹図説:一渓道三
腹診録:和田東郭
診極図説:瀬丘長圭
診病奇侅:多紀元堅
導引口訣鈔:養陽子
按腹図解:太田普斎
敖氏傷寒金鏡録
舌胎図説:土田敬之
■■経絡経穴■■
臓腑経絡詳解:岡本一抱子
十四経諺解:岡本一抱子
校正引経訣:岡本一抱子
牛山先生経絡図
十四経絡兪穴弁解:寺尾隆純
経絡発明:菊池玄蔵
経絡弁明:中島玄春
経穴彙解:原南陽
経穴纂要:小阪元祐
穴名備考:浅井図南
阿是要穴:岡本一抱子
経穴密語集:岡本一抱子
非十四経:広瀬白鱗
■■鍼灸術他■■
鍼灸集要:曲直瀬道三
啓迪庵日用灸法:曲直瀬道三
鍼灸要論:曲直瀬玄朔
鍼灸抜萃大成:岡本一抱子
杉山真伝流
鍼法弁惑:藤秀孟郡子
吉益家伝秘法
鍼灸説約:石坂宗哲
鍼灸則:菅沼周桂
鍼治極秘伝:木邨太仲
鍼治枢要:矢野白成
鍼治口訣鈔:養陽子
鍼術秘伝書
妙鍼流極秘書
鍼法一軸:福田氏道
鍼法弁惑:藤秀孟郡子
鍼論:葛西清希夷
鍼術秘要:坂井豊作
鍼灸備要:青山道醇
鍼灸明鑑:大石良輔
鍼灸要法指南:岩田利齋
活物実験禄:大須賀観界
黄帝明堂灸経:竇桂芳
名家灸選
巻懐食鏡:香月牛山
灸炳要覧:堀元厚
痧脹玉衡書:郭志邃
刺絡聞見録:三輪東朔
吐法編:萩野台州
■■婦人小児■■
産科彙篇:香川玄悦
産論:賀川玄悦
産論翼:賀川玄迪
産科発蒙:片倉鶴陵
顱顖経:小児科
最近古代中国思想について少し調べ物をしています。思想というものには流派というのがあるんですね。
儒家とか道家とか黄老道とか墨家とか法家とかさまざまに分けられています。これはもちろん当時最初からそれぞれの思想家群として分類されて別々に存在していたわけではなく、後世の人々がその思想傾向によって分類したものです。
戦国乱世の時代ですから、知識人や知恵ある者と自らを見せかけたかった人や仕官を望むだけの人も含めて、売り物になりそうな思想を構成して商売をしていたわけです。
本物の思想をもってすれば国が富み敵に打ち勝つことができると考えていたのか、敵に打ち勝ち得た思想こそが本物の思想であると考えたのかどうかはわかりませんが、諸子百家と後世呼ばれることとなる多種多様な思想家群がこの時期にできあがっています。
そして後世の学者は、それぞれの流派の発生時期から消滅時期までを特定しようと遺跡を発掘しながら一生懸命その能力を使っているわけです。
そういう書物やレポートを読んでいて、はて?と疑問に思ったことがあります。現代でも多くの思想家がおり、さまざまな流派があります。この時代に生きている私にとって必要なことは、本当の思想、より真実の思想であって、ある流派が生じ滅びるという経緯ではありません。そんなことどうでも良い。
今の時代に生きて、思想を実践しようとする―すなわち患者さんをいかに治すのかということに工夫を凝らそうとする―程度の私でさえこのように思うわけですから、まさに命がけで実戦的な知恵を求められる戦国時代の思想家たちはなおさら、自身の思想系統がどこに属するかということなどどーでもいいことでしょう。使える思想を手にしたい、役に立つ思想をもって売り込みたい。そうやって道を求め続けたことでしょう。
このように考えてみると、細かく文献に当たって分析を凝らして思想家の分類をすることになんの意味があるのだろうかという疑問が湧いてきます。大きな流れは思想潮流として存在するわけですから、いわば時代的な風景として捉えておくことは必要でしょうが、あまりに詳細な分析は、当時生きて他者と論争していたその思想家本人でさえ理解ができないものとなってしまうことでしょう。「俺はそんなことは言ってないのに」ってね。
学者として現代において認められるためにはこのような細かい分析能力が必要なのでしょう。学者ではない私にはそのような能力もなく、そのようなことをする必要性もないので、よかったなと思います。
正しい書籍・正しい分析が正しい判断(治療技術)を作るのではなく、正しさを求め続ける志のみが「そこ」(しっかりした治療技術)に近づくことができるのだと考えています。
学者と道を求める者とは根本的に異なる
学者は言葉におぼれ、言葉の解釈をしてその一生を過ごす。
道を求める者は言葉を体験し、それを自己の経験と照らし合わせて純化する。
学者にあっては、言葉はそのまま言葉であるが、道を求める者にあっては言葉は導きの光となり、体験によって言葉が浄化される。
日本において、儒教を越えて武士道が置かれたのは、この道を求める志が伝統的な言葉を越えて、新たな言葉を作ったためであろう。そこには、儒仏神の求道の魂の内における融合が存在する。
学者は、魂の言葉の番人、解説者にすぎない。それは、光り輝く言葉のそばに立ってその光を遮り、解説すると称してそれを「あるいはわかりやすい言葉に代えて」曇らせて悦に入っている人々のことである。
まさに言葉の牢獄の囚人でしかない。
学者は言葉におぼれ、言葉の解釈をしてその一生を過ごす。
道を求める者は言葉を体験し、それを自己の経験と照らし合わせて純化する。
学者にあっては、言葉はそのまま言葉であるが、道を求める者にあっては言葉は導きの光となり、体験によって言葉が浄化される。
日本において、儒教を越えて武士道が置かれたのは、この道を求める志が伝統的な言葉を越えて、新たな言葉を作ったためであろう。そこには、儒仏神の求道の魂の内における融合が存在する。
学者は、魂の言葉の番人、解説者にすぎない。それは、光り輝く言葉のそばに立ってその光を遮り、解説すると称してそれを「あるいはわかりやすい言葉に代えて」曇らせて悦に入っている人々のことである。
まさに言葉の牢獄の囚人でしかない。
丹田というと想起されるものは、孟子(もうし、紀元前372年? - 紀元前289年)のいわゆる浩然の気です。けれどもこの言葉はもともと、丹田の力や肚の括りということを表現しているものではありません。
浩然の気(正義を行う勇猛果敢の気: 天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気: 物事にとらわれない、おおらかな心持ち)を養う方法について次のように語っています。「この気はいつも正義と人道とにつれそってこそ存在するものだから、この二つがなければ(すなわち正義と人道とにはずれたことをすれば)この気は飢えてしぼんでしまう。これはたえずこの道義を行っておるうちに自然と生まれてくるもので、外界からむりやりいっぺんに取りいれることができるものではない。」《孟子・公孫丑上:小林勝人訳注:岩波文庫》
吉田松陰はまたこれに注して、「浩然の氣は本と是れ天地間に充塞するところにして、人の得て氣とする所なり。故に人能く私心を除く時は、至大にして天地と同一體になるなり。」《講孟剳記:吉田松陰全集第三巻:岩波書店:昭和十四年刊》と述べています。
いずれにしても丹田を作るといった概念とは関係のないものということになります。
黄老道においても、丹田の概念はそこにはありません。シャーマニズム(護符や呪術)および食事療法(内服するために丹薬を作ることなど)を用いることによって延命長寿を得て仙人となろうとするものです。
〔注:ただし、戦国時代に作られた《行気玉器銘》あるいは《行気玉佩銘》には、自然界の気の運行規律について述べられており、これを丹田について述べられているように読むこともできます。けれどもこれは、仙道や道教において内丹として臍下丹田の重要性が強調されている後世の価値観で古代の遺跡を読み、あたかも秘伝が隠語で綴られてきた歴史とともにこれを解釈しようとするものであると私は思います。〕
支那への仏教の伝来は前漢の時代、紀元前の二世紀頃から徐々に伝わり、後漢の60年頃には本格的に伝来していました。
太平道(張角)や五斗米道(張良)といった道教は後漢のこの時代、後漢末の人が人を食らうような悲惨な時代にできあがっています。道教はあたかも、仏教という宗教を媒介あるいは呼び水として、それまでの支那大陸の伝統であった黄老道やシャーマニズムを組み立てなおしたような感じです。
この同じ時代、後漢末に作られ、後に製丹法の聖典となった魏伯陽の《周易参同契》になると、はじめて臍下丹田について触れているような部分が、《難経》と同じように呼吸に関連して出てきます。《難経》もまた、実にこの時代に書かれたものです。
《黄帝内経》はこれより数百年前の前漢から後漢にかけての黄老道の全盛期に作られました。
《難経》以前に臍下丹田の重要性を説いた黄老道の書物や遺跡がほぼないこと、《黄帝内経》において「命門」が目のことを意味していて《難経》では下焦の腎が割り当てられていることなどから考えると、《黄帝内経》と《難経》との間には、人間観の大きな転換があったと想定することができます。
つまり《難経》は実は、黄老道の思想にもとづいて作られていた《黄帝内経》の人間観を、仏教的なものすなわち、丹田を中心とする気一元の人間観にしたがって構成しなおしたものであったと考えることができるわけです。
《難経》において、臍下丹田の重要性が強調されたこと、三焦論が構成しなおされたこと、奇経理論を明確に提示することができたその理由は、このような、人間観の大きな転換が底流にあったためではないか、そのように今、私は考えています。

