■「一」シンプルイズベスト
一元流鍼灸術の基本のひとつはそのシンプルさにあります。このシンプルさの位
置はどこにあるのか、ということが問題となります。
なにをもってシンプルとするのか、ということです。
シンプルさと短絡とは違います。短絡というのは思いついたことにしがみついて
そこから物事の解釈を始めることです。シンプルさとは、問題の範疇を研究しつ
くしてその余分な贅肉をそぎとった果てにあるものです。
「動中に静あり」という言葉があります。軸がしっかりまっすぐに立っている駒
は、速い速度で回れば回るほどまるで動きがないかのようにすっきりと一点を保
って立ちます。この一点を保って立つということ、これが一元流の「一」の本体
です。
どのような研究の果てにも、この軸を逸れてはいけない、その位置が、一元流の
テキストの総論部分で示してあります。この一点、全体でもありゼロでもある地
点、これがこの上なく重要なものとなるわけです。
伴 尚志
一元流鍼灸術の基本のひとつはそのシンプルさにあります。このシンプルさの位
置はどこにあるのか、ということが問題となります。
なにをもってシンプルとするのか、ということです。
シンプルさと短絡とは違います。短絡というのは思いついたことにしがみついて
そこから物事の解釈を始めることです。シンプルさとは、問題の範疇を研究しつ
くしてその余分な贅肉をそぎとった果てにあるものです。
「動中に静あり」という言葉があります。軸がしっかりまっすぐに立っている駒
は、速い速度で回れば回るほどまるで動きがないかのようにすっきりと一点を保
って立ちます。この一点を保って立つということ、これが一元流の「一」の本体
です。
どのような研究の果てにも、この軸を逸れてはいけない、その位置が、一元流の
テキストの総論部分で示してあります。この一点、全体でもありゼロでもある地
点、これがこの上なく重要なものとなるわけです。
伴 尚志
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皆様には忙しい年末をお迎えでしょうか。
本年は日本史に残る出来事があり、国民の民度が試されました。
そんな時代の中で、市井の一鍼灸師として私は自身に何を問い何をなしてきたの
でしょうか。
勉強会に関わり、学び続け、得ることはありましたか?
学ぶということは、自分自身のそれまでの価値観を棚上げし相対化することによ
って初めて起こる自分自身の価値観の変化を受け入れることです。そこには非常
に繊細な感覚―自己否定をしないままに自己批判をしていく繊細さ―が求められま
す。風に吹かれている羽毛を指の先にとどめるような繊細なバランス感覚を感じ
ることができましたでしょうか。謙虚でありながら自己を否定せずに受け入れて
いくというその心の位置に私はいたいと思います。
ということはさておき、本年をもって退会される方、休まれる方、ごくろうさま
でした。またどこかで出会い、学ぶということを確認することができるときがあ
ることでしょう。機会があればまたともに学びましょう。
継続される方。学ぶということはただ勉強会とその周辺だけで起こっていること
ではないということは言うまでもありません。人生のすべての時と機会において
学ぶという事象が発生します。そのことに気づくことができるかどうか、そのよ
うな心の「余裕」を持ち続けることができるかどうか、その心の構えを作ること
深めることを「謙虚さ」と呼ぶことができます。
私たちは学ぶことを諦めることによって自分を正当化することができます。それ
はとても傲慢なことで自分の人生を傷つけることにつながります。そこを手放し
て繊細な場処にい続けること。学び考え論理を構成していくというその智の位置
に私は居続けたいと思います。
来る年もよろしくお願いします。
伴 尚志
■無明のただ中に立つ
無明―何もわからない見えない闇のただ中に、生きる意志と見続ける眼差しだけ
をもって立つ、これが毎回その臨床の場で行われている患者さんとの出会いで
す。そしてこのことは、古典を読み解く時にも、何かを真剣に理解しようとする
時にも実は、背後で働いている姿勢であり、決意です。その存在を「見たい」
「理解したい」「考えたい」と思う、その初発の気持ちが決意を伴い現れている
わけです。
好奇心―これでは他人事のようで冷え冷えとします。愛―その通りかもしれませ
ん、親の子に対するような思い、これを愛というのであればよりしっくりとしま
す。慈悲―黄帝内経にはそう書かれています。黄帝が衆生の苦しみを見て慈悲の
心を起こしたために医学が生まれたと。信仰―造物主である神への愛が、作り出
されたものへの興味の源泉となり、ついには西洋科学思想の基盤となりました。
同じ初発の動機を、真剣な眼差しを、私たちは持っているでしょうか。
「問う」ということの真剣さが「答え」を産み出します。「問い」の中には「答
え」が潜んでいます。
真剣に問う、という姿勢を私たちは持っているでしょうか。世界を当たり前のこ
ととして、何気なく生きているのではありませんか?
何も問うことのない者には何の答えも与えられることはありません。そこにある
ものはただ、怠惰な現実を遂行させる曖昧模糊とした惰性的に流れる時間だけで
す。
真剣に問うことなしに答えを探し求め、言葉の檻の中に安住してはいませんか?
東洋医学の長い伝統のほとんどは、そのような営為の積み重ねでした。
無明のまっただ中に立つことへの恐怖が、慈悲によって紡ぎ出された言葉にすが
らせ、その言葉を衣服のようにぶ厚くまとって自信のなさを補強してきたので
す。その言葉は時に、自身よりも無知な他者を裁くことにまで使われることとな
りました。
答えを探す者には答えは与えられず、真剣に問う者に答えが与えられます。答え
だけを探す者にとっては、答え探しは一つのゲームであり言葉遊びとなり得ま
す。それに対して存在をかけて真剣に問う時、そこには生命が響き合うような答
えが用意されています。
人生の客としてふるまい、自分の檻の中に住んで、与えられたメニューを選ぶよ
うに言葉を身にまとうことは、自分の檻を補強しているにすぎません。自分自身
を闇の中に閉じ込めているその檻を補強しているにすぎないのです。
心のどこかでは檻から出ようと泣き叫んでいるのに、すでに忘れたはるか昔には
自由になることを望んで泣き叫んでいたはずなのに、実際に行ってきたことは自
身を閉じ込めるための檻の補強であり、新たな言葉もその檻に新たに塗られるペ
ンキにすぎないなんて、何というパラドックスでしょうか!
その檻から出る方法は実はあるのです。自分自身の存在をかけて真剣に問うこ
と、自身に問いかけ続けること。そこで湧き起こる答えに素直に耳を傾けること
です。それこそが「道」に入る端緒となります。
もともと東洋の思想を読むということはそういうことでした。自身の行為を通じ
てその尊敬する古典と対決しながら、自分自身の心の位置を確かめ確かめ磨き続
けていくことによって、自身を成長させていく。これが古典を読むということで
した。
ところがいつの時代からか、古典がただ記憶するための言葉となり、試験に出る
古文となって、自らの魂をかけて古人と対決する姿勢を失わせてしまいました。
それがいわゆる学問となって大学を支配する段となるとすでに、古典はただ文字
の羅列となり学者は文字を正しく読み解くものとしての価値しか持たなくなりま
した。
その同じことが今、東洋医学でも起きているのではありませんか?中医学という
名の古人の言葉をまとめたものが学問として輸入されて、それを症状に対して適
用することによって処方が決まり配穴が決まるという、何という観念的な!何と
いう安易な!そんな行為が行われているのではありませんか?これがいわゆる学
問としての東洋医学となっているのではありませんか?
それに対して一元流鍼灸術で行われていることは、ほんとうの古典とするべきも
のは目の前の患者さんの身体であると見極め、その古典を読む真剣さにおいて古
人と我々との差はないのだと心を定め、古典である患者さんの身体と対決するこ
とです。ここにおいて文字で書かれている古典もその生命をまったく新しいもの
として賦活することができるでしょう。そしてこの位置にいることによって初め
て、我々がこの現代において古典を書き始めることができるようになるのです。
東洋医学の伝統を踏まえたうえで、そのような自己を鍛錬していくことこそが、
東洋医学の基礎を作り上げた古人への恩返しとなります。この恩返しを通じて蘇
った東洋医学は、これからも人類の健康に奉仕し続けることができることでしょ
う。
伴 尚志
無明―何もわからない見えない闇のただ中に、生きる意志と見続ける眼差しだけ
をもって立つ、これが毎回その臨床の場で行われている患者さんとの出会いで
す。そしてこのことは、古典を読み解く時にも、何かを真剣に理解しようとする
時にも実は、背後で働いている姿勢であり、決意です。その存在を「見たい」
「理解したい」「考えたい」と思う、その初発の気持ちが決意を伴い現れている
わけです。
好奇心―これでは他人事のようで冷え冷えとします。愛―その通りかもしれませ
ん、親の子に対するような思い、これを愛というのであればよりしっくりとしま
す。慈悲―黄帝内経にはそう書かれています。黄帝が衆生の苦しみを見て慈悲の
心を起こしたために医学が生まれたと。信仰―造物主である神への愛が、作り出
されたものへの興味の源泉となり、ついには西洋科学思想の基盤となりました。
同じ初発の動機を、真剣な眼差しを、私たちは持っているでしょうか。
「問う」ということの真剣さが「答え」を産み出します。「問い」の中には「答
え」が潜んでいます。
真剣に問う、という姿勢を私たちは持っているでしょうか。世界を当たり前のこ
ととして、何気なく生きているのではありませんか?
何も問うことのない者には何の答えも与えられることはありません。そこにある
ものはただ、怠惰な現実を遂行させる曖昧模糊とした惰性的に流れる時間だけで
す。
真剣に問うことなしに答えを探し求め、言葉の檻の中に安住してはいませんか?
東洋医学の長い伝統のほとんどは、そのような営為の積み重ねでした。
無明のまっただ中に立つことへの恐怖が、慈悲によって紡ぎ出された言葉にすが
らせ、その言葉を衣服のようにぶ厚くまとって自信のなさを補強してきたので
す。その言葉は時に、自身よりも無知な他者を裁くことにまで使われることとな
りました。
答えを探す者には答えは与えられず、真剣に問う者に答えが与えられます。答え
だけを探す者にとっては、答え探しは一つのゲームであり言葉遊びとなり得ま
す。それに対して存在をかけて真剣に問う時、そこには生命が響き合うような答
えが用意されています。
人生の客としてふるまい、自分の檻の中に住んで、与えられたメニューを選ぶよ
うに言葉を身にまとうことは、自分の檻を補強しているにすぎません。自分自身
を闇の中に閉じ込めているその檻を補強しているにすぎないのです。
心のどこかでは檻から出ようと泣き叫んでいるのに、すでに忘れたはるか昔には
自由になることを望んで泣き叫んでいたはずなのに、実際に行ってきたことは自
身を閉じ込めるための檻の補強であり、新たな言葉もその檻に新たに塗られるペ
ンキにすぎないなんて、何というパラドックスでしょうか!
その檻から出る方法は実はあるのです。自分自身の存在をかけて真剣に問うこ
と、自身に問いかけ続けること。そこで湧き起こる答えに素直に耳を傾けること
です。それこそが「道」に入る端緒となります。
もともと東洋の思想を読むということはそういうことでした。自身の行為を通じ
てその尊敬する古典と対決しながら、自分自身の心の位置を確かめ確かめ磨き続
けていくことによって、自身を成長させていく。これが古典を読むということで
した。
ところがいつの時代からか、古典がただ記憶するための言葉となり、試験に出る
古文となって、自らの魂をかけて古人と対決する姿勢を失わせてしまいました。
それがいわゆる学問となって大学を支配する段となるとすでに、古典はただ文字
の羅列となり学者は文字を正しく読み解くものとしての価値しか持たなくなりま
した。
その同じことが今、東洋医学でも起きているのではありませんか?中医学という
名の古人の言葉をまとめたものが学問として輸入されて、それを症状に対して適
用することによって処方が決まり配穴が決まるという、何という観念的な!何と
いう安易な!そんな行為が行われているのではありませんか?これがいわゆる学
問としての東洋医学となっているのではありませんか?
それに対して一元流鍼灸術で行われていることは、ほんとうの古典とするべきも
のは目の前の患者さんの身体であると見極め、その古典を読む真剣さにおいて古
人と我々との差はないのだと心を定め、古典である患者さんの身体と対決するこ
とです。ここにおいて文字で書かれている古典もその生命をまったく新しいもの
として賦活することができるでしょう。そしてこの位置にいることによって初め
て、我々がこの現代において古典を書き始めることができるようになるのです。
東洋医学の伝統を踏まえたうえで、そのような自己を鍛錬していくことこそが、
東洋医学の基礎を作り上げた古人への恩返しとなります。この恩返しを通じて蘇
った東洋医学は、これからも人類の健康に奉仕し続けることができることでしょ
う。
伴 尚志
■医学は人間学である
医学は人間学である
東洋医学は生きている人間をありのままに理解するための技術であると私は考え
ています。このことについて1989年に『臓腑経絡学ノート』の編集者序とし
て以下のように私は書いています。
『医学は人間学である。人間をどう把えているかによって、その医学体系の現在
のレベルがわかり未来への可能性が規定される。また、人間をどう把え人間とど
うかかわっていけるかということで、治療家の資質が量られる。
東洋医学は人生をいかに生きるかという道を示すものである。天地の間に育まれ
てきた生物は、天地に逆らっては生きることができない。人間もまたその生長の
過程において、天地自然とともに生きることしかできえない。ために、四季の移
ろいに沿える身体となる必要がある。また、疾病そのものも成長の糧であり、生
き方を反省するよい機会である。疾病を通じて、その生きる道を探るのであ
る。』と。
この考え方は今に至るも変わらず私の臨床と古典研究とを支えています。
伴 尚志
医学は人間学である
東洋医学は生きている人間をありのままに理解するための技術であると私は考え
ています。このことについて1989年に『臓腑経絡学ノート』の編集者序とし
て以下のように私は書いています。
『医学は人間学である。人間をどう把えているかによって、その医学体系の現在
のレベルがわかり未来への可能性が規定される。また、人間をどう把え人間とど
うかかわっていけるかということで、治療家の資質が量られる。
東洋医学は人生をいかに生きるかという道を示すものである。天地の間に育まれ
てきた生物は、天地に逆らっては生きることができない。人間もまたその生長の
過程において、天地自然とともに生きることしかできえない。ために、四季の移
ろいに沿える身体となる必要がある。また、疾病そのものも成長の糧であり、生
き方を反省するよい機会である。疾病を通じて、その生きる道を探るのであ
る。』と。
この考え方は今に至るも変わらず私の臨床と古典研究とを支えています。
伴 尚志
■病むを知り養生し、愚を知り修行す
養生するということは、自分が病んでいることを知っているということです。
自分が病んでいることを知っているので、その病から立ち直りたいと思うわけです。
修行するということは自分が愚か者であることを知っているということです。
自分が愚かであることを知っているので、その愚から立ち直りたいと思うわけです。
「健康」というのは、病んでいる自分を映す「鏡」のようなものです。
「健康」な状態に向かって養生を重ねていくわけです。
「悟り」というのは、愚かな自分を映す「鏡」のようなものです。
「悟り」の状態に向かって修行を重ねていくわけです。
お釈迦様が悟りを開いたのは実は、
自らが鏡になることを選択したということです。
そうすることによって、
「実は迷い」「実は病んでいる」人々を、
真実の世界―生命の世界に導こうとしたわけです。
健康な状態があるから病であることがわかるわけです。
健康になろうとしているということは今、病んでいるということです。
悟りの状態があるから愚者であるということがわかるわけです。
悟ろうとしているということは今、愚者であるということです。
これらの言葉から理解されなければならないことは実は、
病者であることを自覚することが、健康への萌芽であり
愚者であることを自覚することが、悟りへの萌芽である、
ということです。
養生とはとりもなおさず病者であることを自覚することであり、
修行とはとりもなおさず愚者であることを自覚することです。
生きるということは病み続けているということであり
悟るということは愚かであり続けているということであり
「病者愚者に徹すること」が実は、
健康へ悟りへの近道であると言えます。
自分は健康である、自分は悟りを開いているという言葉はとりもなおさず、
傲慢で鼻持ちならない言葉であり、
真の病者―真の愚者の言葉であるとも、また言える理由がここにあります。
この迷路をくぐり抜けて一気に悟りのただ中に立って世の鏡となった仏陀の
捨て身の救世心―慈悲心は、この深さで理解される必要があります。
伴 尚志
養生するということは、自分が病んでいることを知っているということです。
自分が病んでいることを知っているので、その病から立ち直りたいと思うわけです。
修行するということは自分が愚か者であることを知っているということです。
自分が愚かであることを知っているので、その愚から立ち直りたいと思うわけです。
「健康」というのは、病んでいる自分を映す「鏡」のようなものです。
「健康」な状態に向かって養生を重ねていくわけです。
「悟り」というのは、愚かな自分を映す「鏡」のようなものです。
「悟り」の状態に向かって修行を重ねていくわけです。
お釈迦様が悟りを開いたのは実は、
自らが鏡になることを選択したということです。
そうすることによって、
「実は迷い」「実は病んでいる」人々を、
真実の世界―生命の世界に導こうとしたわけです。
健康な状態があるから病であることがわかるわけです。
健康になろうとしているということは今、病んでいるということです。
悟りの状態があるから愚者であるということがわかるわけです。
悟ろうとしているということは今、愚者であるということです。
これらの言葉から理解されなければならないことは実は、
病者であることを自覚することが、健康への萌芽であり
愚者であることを自覚することが、悟りへの萌芽である、
ということです。
養生とはとりもなおさず病者であることを自覚することであり、
修行とはとりもなおさず愚者であることを自覚することです。
生きるということは病み続けているということであり
悟るということは愚かであり続けているということであり
「病者愚者に徹すること」が実は、
健康へ悟りへの近道であると言えます。
自分は健康である、自分は悟りを開いているという言葉はとりもなおさず、
傲慢で鼻持ちならない言葉であり、
真の病者―真の愚者の言葉であるとも、また言える理由がここにあります。
この迷路をくぐり抜けて一気に悟りのただ中に立って世の鏡となった仏陀の
捨て身の救世心―慈悲心は、この深さで理解される必要があります。
伴 尚志
■ 暝想―簡易座禅の薦め
今ここにある自己、と一言で言いますけれども、これな何なのでしょうか?
今というのはまったけき存在なのですけれども、
今をつかみとることは人にできることではありません。
こことはどこなのでしょうか。
時間を定め場所が定まることによって存在はその姿を現します。
けれども私たちは、今よりも前や後を「考えて」いて、
まさに今この瞬間にいるということはとても少ないのです。
今この瞬間にいるのではなく、ただ妄想のまっただ中に住んでいるだけです。
これは驚くべきことなのですが、事実です。
妄想の中に住んで、自他を比較して、思考の輪を回しています。
いつも相対的な自己しか見ることができません。
「浮遊する自己」しかみようとはしないのです。
どうしてなのでしょう。そういう性(サガ)なのでしょうか・・・
このような「浮遊し妄想する自己意識」を手放して
今ここにあるリアルな生命を感じ取ること。
この「今ここ」に落ちていくために、
私は暝想―座禅を薦めています。
それを通じて「相対的な自己」を手放して「絶対的な自己」を手に入れてほしいのです。
「絶対的な自己」というのは、時々刻々変化し続ける自己です。
その時その時、変化している「絶対的な自己」がここにあります。
人の絶対性というのはこの、変化し続ける中での「今ここ」の絶対性にあります。
自分を見つめつつ、「今こここ」から始めるということがとても大切なことです。
今を絶対としつつそれを毎瞬乗り越えていけるような「ゆとり」を持ち続けること。
これが、
切診の練習でも、
弁証論治を作るときでも、
治療のときでも、
養生のときにも、
もっとも大切なこととなります。
その絶対性―リアリティ―を看取するためには、止観が必要です。
止観 ― 妄想することを止めること ―
そのためには動いているよりも座っている方が少しわかりやすいので、
この「今ここ」に落ち着き、それを探っていくために、
私は暝想―座禅を薦めています。
暝想のための資料と誘導の言葉を用意していますので、
ご希望があれば私におっしゃってください。
差し上げます。
伴 尚志
今ここにある自己、と一言で言いますけれども、これな何なのでしょうか?
今というのはまったけき存在なのですけれども、
今をつかみとることは人にできることではありません。
こことはどこなのでしょうか。
時間を定め場所が定まることによって存在はその姿を現します。
けれども私たちは、今よりも前や後を「考えて」いて、
まさに今この瞬間にいるということはとても少ないのです。
今この瞬間にいるのではなく、ただ妄想のまっただ中に住んでいるだけです。
これは驚くべきことなのですが、事実です。
妄想の中に住んで、自他を比較して、思考の輪を回しています。
いつも相対的な自己しか見ることができません。
「浮遊する自己」しかみようとはしないのです。
どうしてなのでしょう。そういう性(サガ)なのでしょうか・・・
このような「浮遊し妄想する自己意識」を手放して
今ここにあるリアルな生命を感じ取ること。
この「今ここ」に落ちていくために、
私は暝想―座禅を薦めています。
それを通じて「相対的な自己」を手放して「絶対的な自己」を手に入れてほしいのです。
「絶対的な自己」というのは、時々刻々変化し続ける自己です。
その時その時、変化している「絶対的な自己」がここにあります。
人の絶対性というのはこの、変化し続ける中での「今ここ」の絶対性にあります。
自分を見つめつつ、「今こここ」から始めるということがとても大切なことです。
今を絶対としつつそれを毎瞬乗り越えていけるような「ゆとり」を持ち続けること。
これが、
切診の練習でも、
弁証論治を作るときでも、
治療のときでも、
養生のときにも、
もっとも大切なこととなります。
その絶対性―リアリティ―を看取するためには、止観が必要です。
止観 ― 妄想することを止めること ―
そのためには動いているよりも座っている方が少しわかりやすいので、
この「今ここ」に落ち着き、それを探っていくために、
私は暝想―座禅を薦めています。
暝想のための資料と誘導の言葉を用意していますので、
ご希望があれば私におっしゃってください。
差し上げます。
伴 尚志
■自他一体が般若波羅蜜多
これは、自身と同じように隣人を愛せよという聖書の言葉と同じ。
自身と同じようにしか隣人を愛することはできないとも言える。
自身に冷たければ隣人にも冷たい。
自身に差別をすれば隣人にも差別をしているのである。
隣人を軽蔑しているものは自身を軽蔑しているものである。
軽蔑が悪いわけではない
差別をすることが悪いわけではない
冷たくすることが悪いわけではない
自身の内であるそれに対して
軽蔑し冷たくし差別をしているのである
自分自身の内側の陰翳として捉えなければならない
そして、その陰翳というものは実は、
自分自身を彫塑していく上での手法
建物で言えば光と影の作成方法のようなものである。
小乗即大乗
小乗自若愚昧心 大乗自若驕慢心
小乗求自己 大乗表自己
自己即佛 般若波羅蜜多
自己即他 般若波羅蜜多
自他即通 真如一体
■超訳 讃仰 般若波羅蜜多心経
私が観音菩薩だったころに、般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)を深く行(ぎょ
う)じた時、五蘊(ごうん)〔注:色受想行識〕がすべて空であるということを
はっきりと覚ることができ、すべての苦しみや災厄から解き放たれることができ
ました。
舎利子(しゃりし)よ、色(しき)〔注:見ることができるもの〕に空(くう)
でないものはなく、空に色でないものはありません。色はすなわち空であり、空
はすなわち色なのです。受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)識(しき)もまた同
じことです。
舎利子よ、諸法が空相を呈しているわけですから、生まれることも滅ぶこともそ
もそもなく、垢(けが)れることも浄(きよ)められることもそもそもなく、増
えることも減ることもそもそもありません。ですから空の中に色はそもそもな
く、受想行識もそもそもないのです。眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜっ)心
(しん)意(い)もそもそもなく、色(しき)声(しょう)香(こう)味(み)
触(そく)法(ほう)もそもそもありません。見ることができる世界というもの
もそもそもなく、意識することができる世界というものもそもそもありません。
無明というものもそもそもないのですから、無明がなくなるということもそもそ
もありません。また、老いや死というものもそもそもないのですから、老いや死
がなくなるということもそもそもありません。苦(く)集(しゅう)滅(めつ)
道(どう)〔注:仏教の根本教理を示す語。「苦」は生・老・病・死の苦しみ、
「集」は苦の原因である迷いの心の集積、「滅」は苦集を取り去った悟りの境
地、「道」は悟りの境地に達する修行〕などそもそもないのです。
知ることができるものもそもそもないのですから、得ることができるものもそも
そもありません。ですからこれによって得るところのものというものもそもそも
ないのです。
私である菩提薩埵 (ぼだいさった)〔注:道を求めて修業している自己の本
体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、心にこだわりがなくなります。心
にこだわりがなくなることによって、恐怖がなくなり、一切の混乱した夢想から
遠く離れることができます。ですから、涅槃〔注:死生や善悪の判断を超えたこ
の世界の実相そのもの:相対界ではない絶対界〕を自由に探求することができる
ようになります。
私である過去現在未来の諸仏〔注:時代を超えて変わりなく存在する自分自身の
本体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、あーのくたーらーさんみゃくさ
んぼーだいを得ること〔注:時空を超えた世界ー大いなる生命そのものと一体と
なり、その光を帯びること〕ができます。
ですから般若波羅蜜多をよく知りなさい。ここに大いなる神呪、ここに大いなる
明呪、ここに無上の呪、ここに並ぶもののない呪があります。一切の苦しみを取
り除くことができます。本当です、嘘ではありません。
それではその般若波羅蜜多への呪〔注:じゅ:のりと〕をお伝えしましょう。今
その呪を唱えます。
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー〔注:手放しなさい:手放しなさい:
すべてを手放しなさい〕はらそーぎゃーてーぼーじーそわかー〔注:すべてを手
放して 存在そのものでいなさい〕
■般若波羅蜜多とは
時空を超えた存在そのもの。仏性の本体であり彼岸である。真実の体験であり、
人生の中でただ一つだけ体験しなければならない境地、場所である。般若波羅蜜
多を体験し、自覚し、意識し続けそれを表現するように努力すること。そこに人
生の本懐がある。
般若波羅蜜多はすべての存在の中にあり、もちろんすべての人々の中にある。生
を支えているエネルギーであり、生命の喜びそのものでもある。驚くべきことに
人々はそれが自分自身―自分の本体であることを知らない。
苦集滅道は、迷いの様相であり、迷いから覚める道筋である。けれどもそれは本
体ではない。なぜなら人は、その存在そのものがすでに覚りの中にあるのだか
ら。
般若波羅蜜多に気がつくということは、このことに気がつくということである。
一瞬の隙もなく一ミリの隙間もなく般若波羅蜜多は私を充たし世界を充たし続け
ている。
気を許すと!!! 意識は般若波羅蜜多の中に落ちていく。
深い呼吸とともにしがみついている想念を解き放ち、般若波羅蜜多の中心に落ち
ていこう。
生のなんと栄光に満ちたものであることか!
生命宇宙の真っ只中の光明の世界の中心に私はいる!
お互いのなかの佛を拝み日々暮らすことのできる仏国土とし、
お互いのなかの神性を日々讃仰しあえる世界が訪れんことを!
伴 尚志
これは、自身と同じように隣人を愛せよという聖書の言葉と同じ。
自身と同じようにしか隣人を愛することはできないとも言える。
自身に冷たければ隣人にも冷たい。
自身に差別をすれば隣人にも差別をしているのである。
隣人を軽蔑しているものは自身を軽蔑しているものである。
軽蔑が悪いわけではない
差別をすることが悪いわけではない
冷たくすることが悪いわけではない
自身の内であるそれに対して
軽蔑し冷たくし差別をしているのである
自分自身の内側の陰翳として捉えなければならない
そして、その陰翳というものは実は、
自分自身を彫塑していく上での手法
建物で言えば光と影の作成方法のようなものである。
小乗即大乗
小乗自若愚昧心 大乗自若驕慢心
小乗求自己 大乗表自己
自己即佛 般若波羅蜜多
自己即他 般若波羅蜜多
自他即通 真如一体
■超訳 讃仰 般若波羅蜜多心経
私が観音菩薩だったころに、般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)を深く行(ぎょ
う)じた時、五蘊(ごうん)〔注:色受想行識〕がすべて空であるということを
はっきりと覚ることができ、すべての苦しみや災厄から解き放たれることができ
ました。
舎利子(しゃりし)よ、色(しき)〔注:見ることができるもの〕に空(くう)
でないものはなく、空に色でないものはありません。色はすなわち空であり、空
はすなわち色なのです。受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)識(しき)もまた同
じことです。
舎利子よ、諸法が空相を呈しているわけですから、生まれることも滅ぶこともそ
もそもなく、垢(けが)れることも浄(きよ)められることもそもそもなく、増
えることも減ることもそもそもありません。ですから空の中に色はそもそもな
く、受想行識もそもそもないのです。眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜっ)心
(しん)意(い)もそもそもなく、色(しき)声(しょう)香(こう)味(み)
触(そく)法(ほう)もそもそもありません。見ることができる世界というもの
もそもそもなく、意識することができる世界というものもそもそもありません。
無明というものもそもそもないのですから、無明がなくなるということもそもそ
もありません。また、老いや死というものもそもそもないのですから、老いや死
がなくなるということもそもそもありません。苦(く)集(しゅう)滅(めつ)
道(どう)〔注:仏教の根本教理を示す語。「苦」は生・老・病・死の苦しみ、
「集」は苦の原因である迷いの心の集積、「滅」は苦集を取り去った悟りの境
地、「道」は悟りの境地に達する修行〕などそもそもないのです。
知ることができるものもそもそもないのですから、得ることができるものもそも
そもありません。ですからこれによって得るところのものというものもそもそも
ないのです。
私である菩提薩埵 (ぼだいさった)〔注:道を求めて修業している自己の本
体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、心にこだわりがなくなります。心
にこだわりがなくなることによって、恐怖がなくなり、一切の混乱した夢想から
遠く離れることができます。ですから、涅槃〔注:死生や善悪の判断を超えたこ
の世界の実相そのもの:相対界ではない絶対界〕を自由に探求することができる
ようになります。
私である過去現在未来の諸仏〔注:時代を超えて変わりなく存在する自分自身の
本体〕はこの般若波羅蜜多を知ることによって、あーのくたーらーさんみゃくさ
んぼーだいを得ること〔注:時空を超えた世界ー大いなる生命そのものと一体と
なり、その光を帯びること〕ができます。
ですから般若波羅蜜多をよく知りなさい。ここに大いなる神呪、ここに大いなる
明呪、ここに無上の呪、ここに並ぶもののない呪があります。一切の苦しみを取
り除くことができます。本当です、嘘ではありません。
それではその般若波羅蜜多への呪〔注:じゅ:のりと〕をお伝えしましょう。今
その呪を唱えます。
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー〔注:手放しなさい:手放しなさい:
すべてを手放しなさい〕はらそーぎゃーてーぼーじーそわかー〔注:すべてを手
放して 存在そのものでいなさい〕
■般若波羅蜜多とは
時空を超えた存在そのもの。仏性の本体であり彼岸である。真実の体験であり、
人生の中でただ一つだけ体験しなければならない境地、場所である。般若波羅蜜
多を体験し、自覚し、意識し続けそれを表現するように努力すること。そこに人
生の本懐がある。
般若波羅蜜多はすべての存在の中にあり、もちろんすべての人々の中にある。生
を支えているエネルギーであり、生命の喜びそのものでもある。驚くべきことに
人々はそれが自分自身―自分の本体であることを知らない。
苦集滅道は、迷いの様相であり、迷いから覚める道筋である。けれどもそれは本
体ではない。なぜなら人は、その存在そのものがすでに覚りの中にあるのだか
ら。
般若波羅蜜多に気がつくということは、このことに気がつくということである。
一瞬の隙もなく一ミリの隙間もなく般若波羅蜜多は私を充たし世界を充たし続け
ている。
気を許すと!!! 意識は般若波羅蜜多の中に落ちていく。
深い呼吸とともにしがみついている想念を解き放ち、般若波羅蜜多の中心に落ち
ていこう。
生のなんと栄光に満ちたものであることか!
生命宇宙の真っ只中の光明の世界の中心に私はいる!
お互いのなかの佛を拝み日々暮らすことのできる仏国土とし、
お互いのなかの神性を日々讃仰しあえる世界が訪れんことを!
伴 尚志
■コラム 師言:エゴイズム考
エゴイズムを悪く言ってはいけません。
エゴから人は始まるのです。
自分を愛する勇気、そこから意識としての生命が誕生します。
エゴのない人はまだ生まれていないか生きながら死んでいる人です。
エゴからはじまり、人は、エゴを深く探求して自らを深化し拡大させていきま
す。
そのことが精神の成長なのです。その成長を妨げてはいけません。
それを通じて人は、自分が世界の中で孤立して存在しているのではないというこ
とを知り、人と人とが結びつくことによって世界が構成されているということを
知ります。
エゴの深化は窮まることがありません。
ある民族はエゴを深化させることで自他の区別を設定し、その範囲内に自分たち
の存続をかけ、その民族性を設定しました。
ある民族はエゴを深化させて底が割れ、エゴがある間は成長過程であり、エゴの
枠組みが壊れた時、死がそこにあることを知りました。そこが世界の淵であると
感じたわけです。
またある民族はエゴの混沌の先に生死の超越があり、
生死を超越することで宇宙がまことに光り輝く一体の
生命そのものであることを知りました。
歓喜の踊りはそこで踊られ、生命の祭が始まりました。
美しい美しい民族の物語が語り継がれることになりました。
エゴがある人は大切な成長過程にあります。
自分の中にあるエゴを育てて大きな大きな樹にしなさい。
誰でもその下で憩うことができるような大きな大きな人になりなさい。
師はそう言われて去っていきました。
私は魂に刻むべくその言をここに残しておこうと思います。
讃仰 一言真人 やんぬるかな 役の行者 小角
伴 尚志 拝
小乗即大乗
小乗自若愚昧心 大乗自若驕慢心
小乗求自己 大乗表自己
自己即仏 般若波羅蜜多
自己即他 般若波羅蜜多
自他即通 真如一体
伴 尚志
エゴイズムを悪く言ってはいけません。
エゴから人は始まるのです。
自分を愛する勇気、そこから意識としての生命が誕生します。
エゴのない人はまだ生まれていないか生きながら死んでいる人です。
エゴからはじまり、人は、エゴを深く探求して自らを深化し拡大させていきま
す。
そのことが精神の成長なのです。その成長を妨げてはいけません。
それを通じて人は、自分が世界の中で孤立して存在しているのではないというこ
とを知り、人と人とが結びつくことによって世界が構成されているということを
知ります。
エゴの深化は窮まることがありません。
ある民族はエゴを深化させることで自他の区別を設定し、その範囲内に自分たち
の存続をかけ、その民族性を設定しました。
ある民族はエゴを深化させて底が割れ、エゴがある間は成長過程であり、エゴの
枠組みが壊れた時、死がそこにあることを知りました。そこが世界の淵であると
感じたわけです。
またある民族はエゴの混沌の先に生死の超越があり、
生死を超越することで宇宙がまことに光り輝く一体の
生命そのものであることを知りました。
歓喜の踊りはそこで踊られ、生命の祭が始まりました。
美しい美しい民族の物語が語り継がれることになりました。
エゴがある人は大切な成長過程にあります。
自分の中にあるエゴを育てて大きな大きな樹にしなさい。
誰でもその下で憩うことができるような大きな大きな人になりなさい。
師はそう言われて去っていきました。
私は魂に刻むべくその言をここに残しておこうと思います。
讃仰 一言真人 やんぬるかな 役の行者 小角
伴 尚志 拝
小乗即大乗
小乗自若愚昧心 大乗自若驕慢心
小乗求自己 大乗表自己
自己即仏 般若波羅蜜多
自己即他 般若波羅蜜多
自他即通 真如一体
伴 尚志
■コラム 師言:生きる
先生は言われました
生きることは祈ることです。
祈ることの本質は、自らを捨てきるということです。
祈りを通じてすべてを捨てきったところに祝福があります。
この祝福に感謝し歓喜し踊ることが生きるということそのものです。
生に感謝できないときにはその傲慢に対して祈りなさい。
生に歓喜し踊ることができないときにはその傲慢に対して祈りなさい。
ひれ伏し祈ることを通じてその傲慢さを手放すのです。
そしてまた、始まりの場所にやってきなさい。
はなはだ孤独な美の美たる場所、
光り輝く生命の、歓喜の中心に。
伴 尚志
先生は言われました
生きることは祈ることです。
祈ることの本質は、自らを捨てきるということです。
祈りを通じてすべてを捨てきったところに祝福があります。
この祝福に感謝し歓喜し踊ることが生きるということそのものです。
生に感謝できないときにはその傲慢に対して祈りなさい。
生に歓喜し踊ることができないときにはその傲慢に対して祈りなさい。
ひれ伏し祈ることを通じてその傲慢さを手放すのです。
そしてまた、始まりの場所にやってきなさい。
はなはだ孤独な美の美たる場所、
光り輝く生命の、歓喜の中心に。
伴 尚志
■コラム 詩人の魂
大学時代の友に聞いた「おまえは何故詩を書くのを止めたんだ。おもしろかった
のに」と。友は答えた。「おれは書き物に興味がある訳じゃないんだ。俺が本当
に興味があったのは詩人の魂なんだよ。詩が湧き出てくるその泉の根源に触れた
かったんだ。書かれた言葉や作られた造形の美しさには興味がない。そこにあ
る、触れれば命が輝きでて止まない、そのみずみずしい心に触れたかった。だか
ら俺は詩を書いていた。」
私は聞いた「じゃ、何故止めたの?」
「だって、書くということは作るということに近くて、その感じる根源から少し
離れるんだよな。俺はそこに至った。そして俺はその根源の場所にいたいだけな
んだ。だからもう言葉はいらない。それについて語り出すことがそもそも、その
場所から少し離れることだから。もう書く必要はないんだ。」
「おまえはそれを手に入れてその場所にいるってことか?詩人の魂、詩が湧き出
て言葉になる以前の場所、そこにおまえはいるということなのか」
「そうだ。誰に対して説明する必要などない。存在とともに踊る歓喜の中心に俺
はいる。」
私は証明してくれと、論証してくれと懇願したが彼は頑として受け入れなかっ
た。ただ一言「求め続けろよお前も」といい、手を振って去っていった。
なぜ、証明もなしに彼は根源に触れていると言えるのだろう。傲慢なのではない
だろうか。なぜ、言葉で表現することを拒んだのだろう。表現したものしか聞き
取ることはできないのに。
けれども確かに思う。彼こそが本当の詩人なのだと。無言の詩人なのだと。詩人
の魂そのものなのだと。
伴 尚志
大学時代の友に聞いた「おまえは何故詩を書くのを止めたんだ。おもしろかった
のに」と。友は答えた。「おれは書き物に興味がある訳じゃないんだ。俺が本当
に興味があったのは詩人の魂なんだよ。詩が湧き出てくるその泉の根源に触れた
かったんだ。書かれた言葉や作られた造形の美しさには興味がない。そこにあ
る、触れれば命が輝きでて止まない、そのみずみずしい心に触れたかった。だか
ら俺は詩を書いていた。」
私は聞いた「じゃ、何故止めたの?」
「だって、書くということは作るということに近くて、その感じる根源から少し
離れるんだよな。俺はそこに至った。そして俺はその根源の場所にいたいだけな
んだ。だからもう言葉はいらない。それについて語り出すことがそもそも、その
場所から少し離れることだから。もう書く必要はないんだ。」
「おまえはそれを手に入れてその場所にいるってことか?詩人の魂、詩が湧き出
て言葉になる以前の場所、そこにおまえはいるということなのか」
「そうだ。誰に対して説明する必要などない。存在とともに踊る歓喜の中心に俺
はいる。」
私は証明してくれと、論証してくれと懇願したが彼は頑として受け入れなかっ
た。ただ一言「求め続けろよお前も」といい、手を振って去っていった。
なぜ、証明もなしに彼は根源に触れていると言えるのだろう。傲慢なのではない
だろうか。なぜ、言葉で表現することを拒んだのだろう。表現したものしか聞き
取ることはできないのに。
けれども確かに思う。彼こそが本当の詩人なのだと。無言の詩人なのだと。詩人
の魂そのものなのだと。
伴 尚志
■統合治療の一角として
東洋医学は本来統合医療であって、その裾野の底辺は生活指導すなわち生活習慣
の教育にあり、徐々にレベルを上げていって、食事の指導、心の指導となり、最
後に富士山の十合目あたりで初めて治療行為が出てくるものです。治療行為が東
洋医学のごく一部に過ぎないということはたいへん大切なことです。このため東
洋医学の本質は未病を治することにあると言われているわけです。
東洋医学では総合的な視点で人間の生活を把えようとします。また、人間への理
解をさらに深め、心身の構造についてもひとつの見解をもつに至っています。そ
れは、単に目に見える骨格や血脉だけでのことではありません。全身の内外を結
ぶ生命力の流れとしての経脉を据え、流れの行き着く先―溜まり場として絡脉が
奇経を据え、生命力の出入する門戸として経穴を置いています。さらにその上、
魂神意智魄精志という五神が五気を結聚させて五臓を造り、その力がを身体の基
本とするという神秘的思想をも包含しているのです。
東洋医学はこのような、ゆるやかで広がりのある生命構造の概念を持っているわ
けです。
東洋医学では心身は一元のものであると捉えられています。精神的な問題が身体
に影響を及ぼし、身体の問題が精神に影響を及ぼすというように、相互に密接な
関係を持つものとして捉えられています。
そしてこの生命の状態―心身の揺らぎは四診によって非侵襲的に把握されます。
ここには繊細な技術と論理的な思想が必要となります。東洋医学ではこの揺らぎ
を調えることができます。これが未病の状態の生命力を調えるとともに、すでに
症状が出ている場合でもそれを調え治療する技術となっています。
東洋医学の身体観に基づいた四診を、現代の批判的精神によって磨いていくこ
と。これが一元流鍼灸術に課せられている課題であると考えています。このよう
な形でいわゆる統合医療の中核を担う思想体系として、東洋医学は再生されるで
しょう。
伴 尚志
東洋医学は本来統合医療であって、その裾野の底辺は生活指導すなわち生活習慣
の教育にあり、徐々にレベルを上げていって、食事の指導、心の指導となり、最
後に富士山の十合目あたりで初めて治療行為が出てくるものです。治療行為が東
洋医学のごく一部に過ぎないということはたいへん大切なことです。このため東
洋医学の本質は未病を治することにあると言われているわけです。
東洋医学では総合的な視点で人間の生活を把えようとします。また、人間への理
解をさらに深め、心身の構造についてもひとつの見解をもつに至っています。そ
れは、単に目に見える骨格や血脉だけでのことではありません。全身の内外を結
ぶ生命力の流れとしての経脉を据え、流れの行き着く先―溜まり場として絡脉が
奇経を据え、生命力の出入する門戸として経穴を置いています。さらにその上、
魂神意智魄精志という五神が五気を結聚させて五臓を造り、その力がを身体の基
本とするという神秘的思想をも包含しているのです。
東洋医学はこのような、ゆるやかで広がりのある生命構造の概念を持っているわ
けです。
東洋医学では心身は一元のものであると捉えられています。精神的な問題が身体
に影響を及ぼし、身体の問題が精神に影響を及ぼすというように、相互に密接な
関係を持つものとして捉えられています。
そしてこの生命の状態―心身の揺らぎは四診によって非侵襲的に把握されます。
ここには繊細な技術と論理的な思想が必要となります。東洋医学ではこの揺らぎ
を調えることができます。これが未病の状態の生命力を調えるとともに、すでに
症状が出ている場合でもそれを調え治療する技術となっています。
東洋医学の身体観に基づいた四診を、現代の批判的精神によって磨いていくこ
と。これが一元流鍼灸術に課せられている課題であると考えています。このよう
な形でいわゆる統合医療の中核を担う思想体系として、東洋医学は再生されるで
しょう。
伴 尚志
■附録二:『臨床哲学の知』木村敏著
精神病理学の泰斗、木村敏氏は、その『臨床哲学の知』の中で以下のように述べ
ています。
「
症状と病気のこの関係は、精神科でも同じです。患者さんは症状を出すことで一
種の自己治癒のようなことをしているところがありますし、医師はそこを見極め
なければならないわけですけれども、いまは、精神病になるのは脳が生化学的な
変化を起こして例えばドーパミンなどという物質を出し過ぎるからであって、そ
れが幻覚や妄想を引き起こすんだといった考えにとらわれている。精神医学も症
状を消すことしか考えない。脳機能の研究自体は大切なのですが、それがもっと
深いところにある心それ自体の病気の原因や病理の解明を妨げているとしたら、
これは大問題でしょう。
家族や周囲の社会に迷惑をかけているのは症状です。病気そのもので迷惑をかけ
ているわけではない。だから、症状を除去することが周囲からの期待に応えるこ
とになる。症状が消えたら治ったということになる。精神医学が症状だけを見る
というのと、患者自身のことより周囲の社会の安全を考えるというのとは、実は
同じことの両面なんですね。
わたしには非常に辛い記憶がひとつあります。薬を使って症状をきれいに取った
ら、その患者さんが自殺してしまったということがあるのです。症状を取られる
ということは、患者さんにとっては自己防衛手段を奪われるということと同じで
すから、あとは自殺するしか仕方がなかったということなのだろうと思います。
まだ若いころの出来事ですが、そのときにこれはいけないと思いました。
症状はひとりでに消えるまで無理にとってはいけないという考えは、そのとき以
来、いまもずっと変わりません。患者さんがあまりに興奮しては診察自体が成り
立たないし、妄想や幻想がひどいと患者さんの社会人としての評価にかかわりま
すから、薬はそれなりにやはり使いますけれども、それで症状をきれいに取って
しまおうなどということはまったく考えません。風邪と同じで、症状は出す必要
がなくなれば自然になくなります。症状が出るのは、生きる力、病気と闘う力が
あることの証拠なのですね。
しかし、ここ二十年、三十年、精神医学というものは、まったくそうではなくな
ってしまいました。症状をとること以外は何も考えなくなってしまっています。
いまの状態が続けば、精神病理学という学問は、日本の医学界からいずれ消滅す
るかもしれませんし、ことによると実質的にもう消滅しているのかもしれない。
病理学というのは、これは身体の病理学でも同じだと思いますが、病気そのもの
の成り立ちを研究する学問であって、症状のことは、病気の本質と関係があるか
ぎりでしか問題にすべきではないのです。脳の変化を除去して妄想をとればそこ
でお終い、精神医学が行うのはそこまでということになっていけば、精神病理学
なんて学問は必要がなくなる一方でしょう。 」〈『臨床哲学の知―臨床としての
精神病理学のために』洋泉社刊 2008年 53p〉
この言葉は、症状とそれに対する処置として考案され、症状が取れたことを確率
的に論じる「エビデンス」を安易に語る傾向がある鍼灸界においても、噛みしめ
るべき言葉でしょう。
古典において提出されているものの中で重要なものは、単なる治療技術なのでは
なく人間観です。その人間観を読み解くことなくして、東洋医学を学んだとは言
えない、行じているとは言えない、そのように私は考えます。
そしてその人間観をさらなる深みへ向けて探求する技術として、体表観察を中心
とした四診に基づいた鍼灸術があるとも考えています。いわば、臨床鍼灸を哲学
の次元にまで高めていくということが、これからの鍼灸師の目的となるべきだろ
うと考えているわけです。
木村敏氏の重い言葉は、このような目標のための基礎となるものです。
症状が出るということと、生命力との関係については、以前掲載した私の論文
「生命の医学に向けて」http://1gen.jp/1GEN/RONBUN/Life-medicine.HTMの63ペ
ージ「好循環悪循環と敏感期鈍感期」に図を用いて解説されています。大切なこ
とは、症状は氷山の一角にすぎないものであり、その症状を支えている生命の深
く大きな動きこそが大切であるということです。
伴 尚志
精神病理学の泰斗、木村敏氏は、その『臨床哲学の知』の中で以下のように述べ
ています。
「
症状と病気のこの関係は、精神科でも同じです。患者さんは症状を出すことで一
種の自己治癒のようなことをしているところがありますし、医師はそこを見極め
なければならないわけですけれども、いまは、精神病になるのは脳が生化学的な
変化を起こして例えばドーパミンなどという物質を出し過ぎるからであって、そ
れが幻覚や妄想を引き起こすんだといった考えにとらわれている。精神医学も症
状を消すことしか考えない。脳機能の研究自体は大切なのですが、それがもっと
深いところにある心それ自体の病気の原因や病理の解明を妨げているとしたら、
これは大問題でしょう。
家族や周囲の社会に迷惑をかけているのは症状です。病気そのもので迷惑をかけ
ているわけではない。だから、症状を除去することが周囲からの期待に応えるこ
とになる。症状が消えたら治ったということになる。精神医学が症状だけを見る
というのと、患者自身のことより周囲の社会の安全を考えるというのとは、実は
同じことの両面なんですね。
わたしには非常に辛い記憶がひとつあります。薬を使って症状をきれいに取った
ら、その患者さんが自殺してしまったということがあるのです。症状を取られる
ということは、患者さんにとっては自己防衛手段を奪われるということと同じで
すから、あとは自殺するしか仕方がなかったということなのだろうと思います。
まだ若いころの出来事ですが、そのときにこれはいけないと思いました。
症状はひとりでに消えるまで無理にとってはいけないという考えは、そのとき以
来、いまもずっと変わりません。患者さんがあまりに興奮しては診察自体が成り
立たないし、妄想や幻想がひどいと患者さんの社会人としての評価にかかわりま
すから、薬はそれなりにやはり使いますけれども、それで症状をきれいに取って
しまおうなどということはまったく考えません。風邪と同じで、症状は出す必要
がなくなれば自然になくなります。症状が出るのは、生きる力、病気と闘う力が
あることの証拠なのですね。
しかし、ここ二十年、三十年、精神医学というものは、まったくそうではなくな
ってしまいました。症状をとること以外は何も考えなくなってしまっています。
いまの状態が続けば、精神病理学という学問は、日本の医学界からいずれ消滅す
るかもしれませんし、ことによると実質的にもう消滅しているのかもしれない。
病理学というのは、これは身体の病理学でも同じだと思いますが、病気そのもの
の成り立ちを研究する学問であって、症状のことは、病気の本質と関係があるか
ぎりでしか問題にすべきではないのです。脳の変化を除去して妄想をとればそこ
でお終い、精神医学が行うのはそこまでということになっていけば、精神病理学
なんて学問は必要がなくなる一方でしょう。 」〈『臨床哲学の知―臨床としての
精神病理学のために』洋泉社刊 2008年 53p〉
この言葉は、症状とそれに対する処置として考案され、症状が取れたことを確率
的に論じる「エビデンス」を安易に語る傾向がある鍼灸界においても、噛みしめ
るべき言葉でしょう。
古典において提出されているものの中で重要なものは、単なる治療技術なのでは
なく人間観です。その人間観を読み解くことなくして、東洋医学を学んだとは言
えない、行じているとは言えない、そのように私は考えます。
そしてその人間観をさらなる深みへ向けて探求する技術として、体表観察を中心
とした四診に基づいた鍼灸術があるとも考えています。いわば、臨床鍼灸を哲学
の次元にまで高めていくということが、これからの鍼灸師の目的となるべきだろ
うと考えているわけです。
木村敏氏の重い言葉は、このような目標のための基礎となるものです。
症状が出るということと、生命力との関係については、以前掲載した私の論文
「生命の医学に向けて」http://1gen.jp/1GEN/RONBUN/Life-medicine.HTMの63ペ
ージ「好循環悪循環と敏感期鈍感期」に図を用いて解説されています。大切なこ
とは、症状は氷山の一角にすぎないものであり、その症状を支えている生命の深
く大きな動きこそが大切であるということです。
伴 尚志
■附録一:釈迦の悟りと難経
ある時、忘年会で私は、お釈迦様の悟りの話をしました。
お釈迦様の修業の時代、道を求め続けて自身の心身を鍛え上げ、ついにはその身
を飢えた虎の親子に捧げたりもしたのに、お釈迦様はほんとうの悟りに至ること
はできませんでした。それはどうしてなのでしょうか。ほんとうの悟りというの
はどこかにあるものなのでしょうか。お釈迦様は(その当時はゴータマシッダル
タというただの泥に汚れた修行者でしかありませんでしたが)修行の果てにとう
とう川の畔で倒れて死を待つような状態となってしまいました。そのとき、近所
の一人の少女が、その姿を見つけ、温かい山羊の乳を与えてくれました。そこで
彼の中に何が起こったのでしょう。それは、生命の歓喜が全身に走ったというこ
とです。その後、菩提樹の下で暝想し、その生命の歓喜の根源を味わい続けまし
た。
求めていた苦行の時代には得ることができず、一杯のミルクで豁然と開いた悟り
とは何だったのでしょうか。それは、自身の内側に生命があり、いつもその生命
を喜んでいるということです。ひとりひとりの中に生命があり、生命があるとい
うことこそが感動の源なわけです。そしてその生命の中心は、臍下丹田にありま
す。それは人身の中心なのですが、そこに浸ると、宇宙を覆う光の織物の中の縦
糸と横糸の交差する結び目が、私自身であるということが理解できます。この膨
大な生命の宇宙の光り輝く織物の中の一つの結び目である自分自身を感じること
ができるわけです。
そこに意識を置くということ、それが今、ここにあるということです。これを実
際的に感じ取るために、禅の修行があったのであろうと思います。この内側に潜
心するために、考えることを止め、探すことを止め、ただ今ある自分に帰るわけ
です。
この臍下丹田を中心とした人間観が、難経が劈(ひら)いた東洋医学の宝です。
このことを、私はこれからもしっかり把持し、理解を深めていきたいと思いま
す。
伴 尚志
ある時、忘年会で私は、お釈迦様の悟りの話をしました。
お釈迦様の修業の時代、道を求め続けて自身の心身を鍛え上げ、ついにはその身
を飢えた虎の親子に捧げたりもしたのに、お釈迦様はほんとうの悟りに至ること
はできませんでした。それはどうしてなのでしょうか。ほんとうの悟りというの
はどこかにあるものなのでしょうか。お釈迦様は(その当時はゴータマシッダル
タというただの泥に汚れた修行者でしかありませんでしたが)修行の果てにとう
とう川の畔で倒れて死を待つような状態となってしまいました。そのとき、近所
の一人の少女が、その姿を見つけ、温かい山羊の乳を与えてくれました。そこで
彼の中に何が起こったのでしょう。それは、生命の歓喜が全身に走ったというこ
とです。その後、菩提樹の下で暝想し、その生命の歓喜の根源を味わい続けまし
た。
求めていた苦行の時代には得ることができず、一杯のミルクで豁然と開いた悟り
とは何だったのでしょうか。それは、自身の内側に生命があり、いつもその生命
を喜んでいるということです。ひとりひとりの中に生命があり、生命があるとい
うことこそが感動の源なわけです。そしてその生命の中心は、臍下丹田にありま
す。それは人身の中心なのですが、そこに浸ると、宇宙を覆う光の織物の中の縦
糸と横糸の交差する結び目が、私自身であるということが理解できます。この膨
大な生命の宇宙の光り輝く織物の中の一つの結び目である自分自身を感じること
ができるわけです。
そこに意識を置くということ、それが今、ここにあるということです。これを実
際的に感じ取るために、禅の修行があったのであろうと思います。この内側に潜
心するために、考えることを止め、探すことを止め、ただ今ある自分に帰るわけ
です。
この臍下丹田を中心とした人間観が、難経が劈(ひら)いた東洋医学の宝です。
このことを、私はこれからもしっかり把持し、理解を深めていきたいと思いま
す。
伴 尚志
■失敗の研究
弁証論治を起てて、さぁ治療するぞというとき、ふたたび迷うことがあります。
それは、弁証論治そのものは自信を持って起てられたんだけれども、果たしてそ
の方針で主訴の解決に至るのだろうかという疑問です。
実は、歴代の医家の症例集などを読む理由の多くは、このあたりの頭の柔軟性を
広げるというところにあります。
実際に患者さんに出会うと、目の前の患者さんが困難に直面している局所に着目
してしまい、それを何とかしたいという欲が出てくるわけです。そこで、弁証論
治と実際の治療との乖離が生まれてきます。弁証論治は起てたのだけれども雑駁
な治療をしてしまい、何をやったのか実際のところはわからないという事態に陥
るわけです。
これが臨床家の一番の問題となります。治ったけれどもその理由がわからない。
治せなかったけれどもその理由がわからない。これではいつまでたっても臨床が
深まることはありません。
病因病理を考えて弁証論治を起てるときに多くの場合、全身状況の変化を追うと
いうことに主眼がおかれてきます。そのため、実際に患者さんが困苦している部
位と全身とがリンクしているのか否かというあたりに確信がもてなかったりする
という事態が起こります。また、リンクしていると思えても、実際そうなのかど
うか。果たしてそれで治療として成り立つのだろうかという不安がよぎります。
そのような時の心構えとして、
1、問題点を整理しなおす
2、臨床は失敗例の積み重ねであると腹を括る(これでだめなら次の手をといつ
も考えておく)3、治療処置を後で振り返って反省できるようなものに止める
4、ひとつひとつ自分が何をやっているのか確認しながら手を進める
ということが必要となります。上手に失敗することができると、問題の所在が明
確になります。弁証論治に問題があればそれを書き改めます。処置方法に問題が
あればそれを工夫します。治療頻度の問題であればそれを改めます。上手に失敗
することができるとそこに、さまざまな工夫の花を咲かせる事ができるわけで
す。
下手に成功すると、安心してしまい、次もこの手でいこうなどと思い、臨床が甘
くなります。反省もしにくくなり、成功例の積み重ねのみを自慢する、宗教家の
ような臨床家に成り下がってしまうわけです。
大切なことは、上手に失敗し続けること。その積み重ねが自分自身の本当の力量
を高めていくということを知ることなのです。
伴 尚志
弁証論治を起てて、さぁ治療するぞというとき、ふたたび迷うことがあります。
それは、弁証論治そのものは自信を持って起てられたんだけれども、果たしてそ
の方針で主訴の解決に至るのだろうかという疑問です。
実は、歴代の医家の症例集などを読む理由の多くは、このあたりの頭の柔軟性を
広げるというところにあります。
実際に患者さんに出会うと、目の前の患者さんが困難に直面している局所に着目
してしまい、それを何とかしたいという欲が出てくるわけです。そこで、弁証論
治と実際の治療との乖離が生まれてきます。弁証論治は起てたのだけれども雑駁
な治療をしてしまい、何をやったのか実際のところはわからないという事態に陥
るわけです。
これが臨床家の一番の問題となります。治ったけれどもその理由がわからない。
治せなかったけれどもその理由がわからない。これではいつまでたっても臨床が
深まることはありません。
病因病理を考えて弁証論治を起てるときに多くの場合、全身状況の変化を追うと
いうことに主眼がおかれてきます。そのため、実際に患者さんが困苦している部
位と全身とがリンクしているのか否かというあたりに確信がもてなかったりする
という事態が起こります。また、リンクしていると思えても、実際そうなのかど
うか。果たしてそれで治療として成り立つのだろうかという不安がよぎります。
そのような時の心構えとして、
1、問題点を整理しなおす
2、臨床は失敗例の積み重ねであると腹を括る(これでだめなら次の手をといつ
も考えておく)3、治療処置を後で振り返って反省できるようなものに止める
4、ひとつひとつ自分が何をやっているのか確認しながら手を進める
ということが必要となります。上手に失敗することができると、問題の所在が明
確になります。弁証論治に問題があればそれを書き改めます。処置方法に問題が
あればそれを工夫します。治療頻度の問題であればそれを改めます。上手に失敗
することができるとそこに、さまざまな工夫の花を咲かせる事ができるわけで
す。
下手に成功すると、安心してしまい、次もこの手でいこうなどと思い、臨床が甘
くなります。反省もしにくくなり、成功例の積み重ねのみを自慢する、宗教家の
ような臨床家に成り下がってしまうわけです。
大切なことは、上手に失敗し続けること。その積み重ねが自分自身の本当の力量
を高めていくということを知ることなのです。
伴 尚志
■「患者さんの身体から学ぶ」方法論の確立
患者さんの身体から学ぶというとき、その方法論として現代医学では、臨床検査
やレントゲンやCTなどを用います。筋肉骨格系を重視するカイロなどでは、そ
の身体のゆがみや体運動の構造を観察する方法を用います。東洋医学では望聞問
切という四診を基にしていきます。一元流でこの四診を基にし、生育歴(時間)
と体表観察(空間)とがクロスする現在の人間の状態を把握します。
これらすべては、人間をいかに理解していくのか。どうすれば人間理解の中でそ
の患者さんに発生している疾病に肉薄していけるか。そのことを通じて、その患
者さんの疾病を解決する方法を探るために行われます。
一元流鍼灸術の特徴は、生きて活動している気一元の身体がそこに存在している
のであるということを基本に据え続けるというところにあります。
東洋医学はその発生の段階からこの全体観を保持していました。そして、体表観
察を通じて臓腑の虚実を中心とした人間観を構成していきました。臓腑経絡とい
う発想に基づいたこの人間観こそが東洋医学の特徴であり、他の追随を許さない
ところであると思います。
「患者さんの身体から学ぶ」この営為は、東洋医学の伝統となっています。そも
そも、東洋医学の骨格である臓腑経絡学が構成されていった過程そのものがこの
「患者さんの身体から学ぶ」という営為の積み重ねた末の果実なのですから。
ただ、この果実には実は一つの思想的な観点があります。生命そのものを観、そ
れを解説するための観点。それが生命を丸ごと一つとして把え、それを陰陽とい
う側面、五行という側面から整理しなおし再度注意深く観ることを行う、という
ことです。
この、実在から観念へ、観念から実在へと自在に運動しながら、真の状態を把握
し解説しようとすることが、後世の医家がその臨床において苦闘しながら行って
きたことです。
一元流鍼灸術では、その位置に自身を置くこと、古典の研究家であるだけでな
く、自身が後学のために古典を書き残せる者となることを求めているわけです。
古典を学び、それを磨いて後学に手渡すことを、法燈を繋ぐと言います。
この美しい生命の学が、さらなる輝きを21世紀の世界で獲得するために、今日
の臨床を丁寧に誠実に行なっていきましょう。
伴 尚志
患者さんの身体から学ぶというとき、その方法論として現代医学では、臨床検査
やレントゲンやCTなどを用います。筋肉骨格系を重視するカイロなどでは、そ
の身体のゆがみや体運動の構造を観察する方法を用います。東洋医学では望聞問
切という四診を基にしていきます。一元流でこの四診を基にし、生育歴(時間)
と体表観察(空間)とがクロスする現在の人間の状態を把握します。
これらすべては、人間をいかに理解していくのか。どうすれば人間理解の中でそ
の患者さんに発生している疾病に肉薄していけるか。そのことを通じて、その患
者さんの疾病を解決する方法を探るために行われます。
一元流鍼灸術の特徴は、生きて活動している気一元の身体がそこに存在している
のであるということを基本に据え続けるというところにあります。
東洋医学はその発生の段階からこの全体観を保持していました。そして、体表観
察を通じて臓腑の虚実を中心とした人間観を構成していきました。臓腑経絡とい
う発想に基づいたこの人間観こそが東洋医学の特徴であり、他の追随を許さない
ところであると思います。
「患者さんの身体から学ぶ」この営為は、東洋医学の伝統となっています。そも
そも、東洋医学の骨格である臓腑経絡学が構成されていった過程そのものがこの
「患者さんの身体から学ぶ」という営為の積み重ねた末の果実なのですから。
ただ、この果実には実は一つの思想的な観点があります。生命そのものを観、そ
れを解説するための観点。それが生命を丸ごと一つとして把え、それを陰陽とい
う側面、五行という側面から整理しなおし再度注意深く観ることを行う、という
ことです。
この、実在から観念へ、観念から実在へと自在に運動しながら、真の状態を把握
し解説しようとすることが、後世の医家がその臨床において苦闘しながら行って
きたことです。
一元流鍼灸術では、その位置に自身を置くこと、古典の研究家であるだけでな
く、自身が後学のために古典を書き残せる者となることを求めているわけです。
古典を学び、それを磨いて後学に手渡すことを、法燈を繋ぐと言います。
この美しい生命の学が、さらなる輝きを21世紀の世界で獲得するために、今日
の臨床を丁寧に誠実に行なっていきましょう。
伴 尚志
■一元流鍼灸術の使い方2
古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかというと、体表観察
を重視し、決め付けずに淡々と観るということに集約されます。今生きている人
間そのものの全体性を大切にするため、問診が詳細になりますし、患者さんが生
きてきたこれまでの歴史をどのように把握しなおしていくのかということが重視
されます。これが、時系列を大切にし、今そこにある身体を拝見していくという
姿勢の基となります。
第一に見違えないこと、確実な状態把握を行うことを基本としていますので、病
因病理としても間違いのない大きな枠組みで把握するという姿勢が中心となりま
す。弁証論治において、大きく臓腑の傾きのみ示している理由はここにありま
す。そして治法も大きな枠組みを外れない大概が示されることとなります。
ここまでが基礎の基礎、臨床に向かう前提となる部分です。これをないがしろに
しない。土台を土台としてしっかりと築いていく。それが一元流鍼灸術の中核と
なっています。
それでは、実際に処置を行うにはどうするべきなのでしょうか。土台が基礎とな
りますのでその土台の上にどのような華を咲かせるのか、そこが個々の治療家の
技量ということになるわけです。
より臨床に密着するために第一に大切なことは、自身のアプローチの特徴を知る
ということです。治療家の技量はさまざまでして、実際に患者さんの身心にアプ
ローチする際、その場の雰囲気や治療家の姿勢や患者さんとの関係の持ち方な
ど、さまざまな要素が関わっています。また、治療家によっては外気功の鍛錬を
してみたり、心理学的な知識を応用してみたりと様々な技術を所持し、全人格的
な対応を患者さんに対して行うこととなります。
病因病理を考え、弁証論治を行うという基礎の上に、その様々な自身のアプロー
チを組み立てていくわけです。早く良い治療効果をあげようとするとき、まず最
初に大切なことは組み立てた基礎の上に自然で無理のないアプローチをするとい
うことです。ここまでが治療における基本です。
さらに効果をあげようとするとき、弁証論治の指示に従って様々な工夫を行うと
いうことになります。それは、正経の概念から離れて奇経を用いる。より強い傾
きを患者さんにもたらすために、処置部位を限定し強い刺激を与える。一時的に
灸などを使い補気して患者さんの全体の気を増し、気を動きやすくした上で処置
部位を工夫する。外邪と闘争している場合、生命力がその外邪との闘争に費やさ
れてしまいますので、それを排除することを先に行うと、理気であっても全身の
生命力は補気されるということになり、気が動きやすく導きやすくなる。
といったように、気の離合集散、升降出入を見極めながら、弁証論治で把握した
患者さんの身体の調整を行なっていくわけです。
一言で言えば、気一元の身体を見極めて、弁証論治に従いながら、さらにその焦
点を明確にしていくことが、治療における応用の中心課題となるわけです。この
あたりの方法論は古典における薬物の処方などで様々な工夫がされており、とく
に傷寒論の方法論は参考になるものです。
伴 尚志
古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかというと、体表観察
を重視し、決め付けずに淡々と観るということに集約されます。今生きている人
間そのものの全体性を大切にするため、問診が詳細になりますし、患者さんが生
きてきたこれまでの歴史をどのように把握しなおしていくのかということが重視
されます。これが、時系列を大切にし、今そこにある身体を拝見していくという
姿勢の基となります。
第一に見違えないこと、確実な状態把握を行うことを基本としていますので、病
因病理としても間違いのない大きな枠組みで把握するという姿勢が中心となりま
す。弁証論治において、大きく臓腑の傾きのみ示している理由はここにありま
す。そして治法も大きな枠組みを外れない大概が示されることとなります。
ここまでが基礎の基礎、臨床に向かう前提となる部分です。これをないがしろに
しない。土台を土台としてしっかりと築いていく。それが一元流鍼灸術の中核と
なっています。
それでは、実際に処置を行うにはどうするべきなのでしょうか。土台が基礎とな
りますのでその土台の上にどのような華を咲かせるのか、そこが個々の治療家の
技量ということになるわけです。
より臨床に密着するために第一に大切なことは、自身のアプローチの特徴を知る
ということです。治療家の技量はさまざまでして、実際に患者さんの身心にアプ
ローチする際、その場の雰囲気や治療家の姿勢や患者さんとの関係の持ち方な
ど、さまざまな要素が関わっています。また、治療家によっては外気功の鍛錬を
してみたり、心理学的な知識を応用してみたりと様々な技術を所持し、全人格的
な対応を患者さんに対して行うこととなります。
病因病理を考え、弁証論治を行うという基礎の上に、その様々な自身のアプロー
チを組み立てていくわけです。早く良い治療効果をあげようとするとき、まず最
初に大切なことは組み立てた基礎の上に自然で無理のないアプローチをするとい
うことです。ここまでが治療における基本です。
さらに効果をあげようとするとき、弁証論治の指示に従って様々な工夫を行うと
いうことになります。それは、正経の概念から離れて奇経を用いる。より強い傾
きを患者さんにもたらすために、処置部位を限定し強い刺激を与える。一時的に
灸などを使い補気して患者さんの全体の気を増し、気を動きやすくした上で処置
部位を工夫する。外邪と闘争している場合、生命力がその外邪との闘争に費やさ
れてしまいますので、それを排除することを先に行うと、理気であっても全身の
生命力は補気されるということになり、気が動きやすく導きやすくなる。
といったように、気の離合集散、升降出入を見極めながら、弁証論治で把握した
患者さんの身体の調整を行なっていくわけです。
一言で言えば、気一元の身体を見極めて、弁証論治に従いながら、さらにその焦
点を明確にしていくことが、治療における応用の中心課題となるわけです。この
あたりの方法論は古典における薬物の処方などで様々な工夫がされており、とく
に傷寒論の方法論は参考になるものです。
伴 尚志
■一元流鍼灸術の使い方1
一元流鍼灸術のテキストを何回か読んでみると、これが単純なことしかいってい
ないのが理解されてくると思います。通奏低音のように語り続けられているそれ
は、気一元の観点から見ていくんだよ。それが基本。それが基本。というもので
す。
基本があれば応用もあるわけです。ただ、応用を言葉で書いてしまうと、基本が
入っていない人はその応用の側面のみを追及して結局小手先の技術論に終始する
こととなり、東洋医学の大道を見失ってしまうので、これまで書いてきませんで
した。
基本の型があり、基本の型を少しづつ崩していって自分自身の型を作っていくと
いうことが安定的な着実な研究方法です。けれども臨床というものは不思議なも
ので、独断と思い込みである程度成果を得られたりするんですね。そしてそうい
う人ほど天狗になる。謙虚さを失ない、歴史に学ぶことをやめてしまう。もった
いないことです。
基本的な型は現在入手できる「一元流鍼灸術の門」に書かれています。一元流鍼
灸術は、東洋医学の根本を問いただす中から生まれています。それは、古代の人
間理解の方法論を現代に蘇らせようとしているものであるともいえます。(そう
いう意味では、中医学とはその目標と方法論とがまったく異なるわけです。)
生きている人間を目の前にしてどのようにアプローチしていくのか。そこには実
は、古代も現代もありません。ただ、現代人は知識が多く、それが邪魔をして、
裸の人間が裸の人間に対して出会うということそのものの奇跡、神秘をないがし
ろにしてしまう傾向があります。小手先の技術に陥っていくわけですね。
そこで、古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかということ
を現代に復活させようということを、一元流鍼灸術では考えているわけです。
伴 尚志
一元流鍼灸術のテキストを何回か読んでみると、これが単純なことしかいってい
ないのが理解されてくると思います。通奏低音のように語り続けられているそれ
は、気一元の観点から見ていくんだよ。それが基本。それが基本。というもので
す。
基本があれば応用もあるわけです。ただ、応用を言葉で書いてしまうと、基本が
入っていない人はその応用の側面のみを追及して結局小手先の技術論に終始する
こととなり、東洋医学の大道を見失ってしまうので、これまで書いてきませんで
した。
基本の型があり、基本の型を少しづつ崩していって自分自身の型を作っていくと
いうことが安定的な着実な研究方法です。けれども臨床というものは不思議なも
ので、独断と思い込みである程度成果を得られたりするんですね。そしてそうい
う人ほど天狗になる。謙虚さを失ない、歴史に学ぶことをやめてしまう。もった
いないことです。
基本的な型は現在入手できる「一元流鍼灸術の門」に書かれています。一元流鍼
灸術は、東洋医学の根本を問いただす中から生まれています。それは、古代の人
間理解の方法論を現代に蘇らせようとしているものであるともいえます。(そう
いう意味では、中医学とはその目標と方法論とがまったく異なるわけです。)
生きている人間を目の前にしてどのようにアプローチしていくのか。そこには実
は、古代も現代もありません。ただ、現代人は知識が多く、それが邪魔をして、
裸の人間が裸の人間に対して出会うということそのものの奇跡、神秘をないがし
ろにしてしまう傾向があります。小手先の技術に陥っていくわけですね。
そこで、古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかということ
を現代に復活させようということを、一元流鍼灸術では考えているわけです。
伴 尚志
■一元流鍼灸術の目指すもの
一元流鍼灸術の基本は、気一元の観点で観るというところにあります。
その際の人間理解における背景となる哲学のひとつに、天人合一論があります。
これは、天地を気一元の存在とし、人間を小さな気一元の存在としていわばホロ
グラムのような形で対応させて未知の身体認識を深めていこうとするものです。
天地を陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとするのと同じように、人間も陰陽
五行で切り分けて把握しなおそうとします。これは、気一元の存在を丸ごとひと
つありのままにあるがままに把握しようとすることを目的として作られた方法論
です。このことによく注意を向けていただきたいと思います。
この観点に立って、さらに詳しく診断をしていくために用いる手段として、体表
観察を用います。体表観察していく各々の空間が、さらに小さな気一元の場で
す。天地を望み観るように身体を望み観、全身を望み観るように各診断部位を望
み観る。この気一元(というどこでもドア)で統一された観点を、今日はぜひ持
って帰っていただきたいと思います。
ここを基本として一元流鍼灸術では人間理解を進めていこうとしています。確固
たる東洋医学的身体観に立って、過去の積み重ねの結果である「今」の人間その
ものを理解していこうとしているわけです。
ここを基礎として、精神と身体を統合した総合的な人間観に基づいた大いなる人
間学としての医学を構築していきたいと考えているわけです。
伴 尚志
一元流鍼灸術の基本は、気一元の観点で観るというところにあります。
その際の人間理解における背景となる哲学のひとつに、天人合一論があります。
これは、天地を気一元の存在とし、人間を小さな気一元の存在としていわばホロ
グラムのような形で対応させて未知の身体認識を深めていこうとするものです。
天地を陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとするのと同じように、人間も陰陽
五行で切り分けて把握しなおそうとします。これは、気一元の存在を丸ごとひと
つありのままにあるがままに把握しようとすることを目的として作られた方法論
です。このことによく注意を向けていただきたいと思います。
この観点に立って、さらに詳しく診断をしていくために用いる手段として、体表
観察を用います。体表観察していく各々の空間が、さらに小さな気一元の場で
す。天地を望み観るように身体を望み観、全身を望み観るように各診断部位を望
み観る。この気一元(というどこでもドア)で統一された観点を、今日はぜひ持
って帰っていただきたいと思います。
ここを基本として一元流鍼灸術では人間理解を進めていこうとしています。確固
たる東洋医学的身体観に立って、過去の積み重ねの結果である「今」の人間その
ものを理解していこうとしているわけです。
ここを基礎として、精神と身体を統合した総合的な人間観に基づいた大いなる人
間学としての医学を構築していきたいと考えているわけです。
伴 尚志
■東洋医学は生命の側に立つ医術である
東洋医学の治療効果を宣伝したいがあまり、治療技術という側面から東洋医学の
秘伝を探求する傾向があります。他の手技や治療技術あるいは民間療法でも西洋
医学でもこの同じ舞台、治療技術という側面から研究開発が行われています。そ
れと張り合いたい東洋医学家がいるということなんですね。
けれども未病を治すという言葉があるとおり、東洋医学の本態は生命力を増進さ
せるというところにあるのです。別の言葉を用いると、生命力の発条と病気とを
分離せず、生命の中に病気があり生命の涯(はて)に死があるという考え方を東
洋医学は基本的に採っているわけです。
生きている間は死んではいない、生きている。その生命をいかに生きるかという
ところが、今生きている人々の、個々人のお楽しみなわけですね。それに寄り添
うようにより活発に生きることができるように励ましていくということが、東洋
医学の本来の役目です。
そのために人間理解があり、そのために生命の中のどの部分がどのように病んで
いるのかという病態把握があるわけです。そしてこの生命を理解する方法論を
「弁証論治」と一元流鍼灸術では呼んでいます。病気はその生命の中の一部にす
ぎない。生きている生かされているから病があり困窮するところがあるのであっ
て、その逆ではないということが基本的な発想となります。
東洋医学の病気治しの基本は、病気を治すことにあるのではなくて、生命力を増
進させることによって増進された生命力が自然に病気を治していくと考えるとこ
ろにあります。そのために「東洋医学の人間学」を学び構築していこうとしてい
るわけです。
伴 尚志
東洋医学の治療効果を宣伝したいがあまり、治療技術という側面から東洋医学の
秘伝を探求する傾向があります。他の手技や治療技術あるいは民間療法でも西洋
医学でもこの同じ舞台、治療技術という側面から研究開発が行われています。そ
れと張り合いたい東洋医学家がいるということなんですね。
けれども未病を治すという言葉があるとおり、東洋医学の本態は生命力を増進さ
せるというところにあるのです。別の言葉を用いると、生命力の発条と病気とを
分離せず、生命の中に病気があり生命の涯(はて)に死があるという考え方を東
洋医学は基本的に採っているわけです。
生きている間は死んではいない、生きている。その生命をいかに生きるかという
ところが、今生きている人々の、個々人のお楽しみなわけですね。それに寄り添
うようにより活発に生きることができるように励ましていくということが、東洋
医学の本来の役目です。
そのために人間理解があり、そのために生命の中のどの部分がどのように病んで
いるのかという病態把握があるわけです。そしてこの生命を理解する方法論を
「弁証論治」と一元流鍼灸術では呼んでいます。病気はその生命の中の一部にす
ぎない。生きている生かされているから病があり困窮するところがあるのであっ
て、その逆ではないということが基本的な発想となります。
東洋医学の病気治しの基本は、病気を治すことにあるのではなくて、生命力を増
進させることによって増進された生命力が自然に病気を治していくと考えるとこ
ろにあります。そのために「東洋医学の人間学」を学び構築していこうとしてい
るわけです。
伴 尚志
■東洋医学と中医学
東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚して
いることが理解できます。
そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。
現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦
乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在して
います。
もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したこと
でしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙
の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということ
です。
それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋
医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれ
は、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。
それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想
は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医
学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。
東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなりま
す。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と
乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床
の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学
としての過渡期にあると私は考えています。
このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものする
ために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本
と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち
返って見なおそうとしているわけです。
伴 尚志
東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚して
いることが理解できます。
そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。
現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦
乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在して
います。
もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したこと
でしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙
の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということ
です。
それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋
医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれ
は、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。
それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想
は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医
学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。
東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなりま
す。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と
乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床
の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学
としての過渡期にあると私は考えています。
このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものする
ために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本
と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち
返って見なおそうとしているわけです。
伴 尚志