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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

般若心経を受了すると、般若心経が心の薬であったことがわかる。
受了とは、心底まで受けとりきるという意味である。

言葉の世界に住む者たちにとって、
般若心経は苦い薬であろう。
なぜならそれは言葉の虚構を一気に叩き崩すからだ。
その薬を心底、腹の底まで受けとりきらなければ、
まるで地獄の苦痛のような空しさにさいなまされるであろう。

「空」観が理解できないともがく文人のいかに多いことか。
ー切皆空の虚飾の世界に自分が立っている。
そのことことを知りたくなくて、心の目をふさぎ
虚飾の今にしがみつき、もがき苦しみ続けているのだ。

般若心経は断じてその虚飾を許しはしない。
その虚飾を断固としてはぎとり、裸にする。
されている方は、地獄に再度落とされていくカンダタのようなものだ。
蜘蛛の糸にすがりついてやっと救われるかと思ったのに、
救い主であると思っていた釈迦のまさにその手で
最後の希望が断ち切られるのだ。

般若心経は蜘蛛の糸を断ち切る鋭利な刃である。
その慈悲の刃をしっかり受け止め、
全身あます処なく死に切ること。
そこに般若心経の本願があり、
釈迦の慈悲の本体がある。

完全に全的に死にきることで
始めて我々はこの、
生命世界の真只中に生かされていることを
体感することができるのだ。
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言葉に魂が宿っているということから
日本民族は言霊という言葉を作り
言葉を軽々に発しない

言葉の危険性は、
言葉を発することによって純粋な体験から離れてしまうところにある。

言葉は分別知を産み、分別知は言葉を利用して
純粋な体験に色づけをしてしまう。
純粋な体験に分別知による方向をつけてしまうため、
体験が歪んでしまうのだ。

この危険性を知っているため、
日本民族は言葉には魂が宿るとして
「言霊」という言葉を作って言葉を大切にし、
軽々に言挙げしはしないようにしているのである。

これは純粋な体験を大切にするところから発している。
純粋な体験は言葉によってすぐに穢され、
偽善や欺瞞や嘘作り事の世界が始まる。

純粋な体験を表現することが詩なのだが
詩人は、純粋な体験を大切にすることから、
言葉の意味を越えて飛翔する
そして分別知の入りようがない
純粋な体験を表現していくのである。

これが、言霊となって真実の世界への眼を開かせる言葉となる。
涅槃の言葉は感応
涅槃の友情は応援
一体にして
結び
交わる

言葉による差別や区別のない世界
それぞれがそれぞれの役割りを担い
それぞれの喜びを生きる世界
大学時代の友に聞いた「おまえは何故詩を書くのを止めたんだ。おもしろかったのに」と。
友は答えた。「おれは書き物に興味がある訳じゃないんだ。俺が本当に興味があったのは詩人の魂なんだよ。詩が湧き出てくるその泉の根源に触れたかったんだ。書かれた言葉や作られた造形の美しさには興味がない。そこにある触れれば命が輝きでて止まないそのみずみずしい心に触れたかった。だから俺は詩を書いていた。」

私は聞いた「じゃ、何故止めたの?」

「だって、書くということは作るということに近くて、その感じる根源から少し離れるんだよな。俺はそこに至った。そして俺はその根源の場所にいたいだけなんだ。だからもう言葉はいらない。それについて語り出すことがそもそも、その場所から少し離れることだから。もう書く必要はないんだ。」

「おまえはそれを手に入れてその場所にいるってことか?詩人の魂、詩が湧き出て言葉になる以前の場所、そこにおまえはいるということなのか」

「そうだ。誰に対して説明する必要などない。存在とともに踊る歓喜の中心に俺はいる。」

私は証明してくれと、論証してくれと懇願したが彼は頑として受け入れなかった。ただ一言「求め続けろよお前も」といい、手を振って去っていった。

なぜ、証明もなしに彼は根源に触れていると言えるのだろう。傲慢なのではないだろうか。
なぜ、言葉で表現することを拒んだのだろう。表現したものしか聞き取ることはできないのに。

けれども確かに思う。彼こそが本当の詩人なのだと。無言の詩人なのだと。詩人の魂そのものなのだと。
生命の側から見るということは、善悪を超えたところ、
すなわち善悪の彼岸に立って生命を見るという位置に立つこと。

知ー庵 抱石

師は言われた。
この濁流のまっただ中に悠然と咲く蓮の華のごとくあれ、と。

私は問うた。
先生はこの世を汚れたものと言われるのでしょうか。と。

師は言われた。
豊饒たる複郁たるこの生命の世界には
清も濁もない清濁一体なること
光あれば影が生ずるがごとし
この陰影の妙こそ生命の美そのもの
生命そのものである
清濁二分の分別心をこそ棄てよ

私は拝して辞した
言霊


魂が振動して音になり
音が分かれて言葉となる

言葉は自覚と反省による表現であるが
音は魂そのものを表現できる
魂を裏切らないように音を出し
出された音を裏切らないように言葉にする
これを言霊と呼ぶ

生まれ出た場所を裏切らない
そこがポイント

心に問い
無理や違和感があればそれは言霊ではない
書き改めねばならない

エゴイズムを悪く言ってはいけません。
エゴから人は始まるのです。
自分を愛する勇気、そこから意識としての生命が誕生します。
エゴのない人はまだ生まれていないか自死している人です。

エゴからはじまり、人は、エゴを深く探求して自らを深化し拡大させていきます。

そのことが精神の成長なのです。その成長を妨げてはいけません。
それを通じて人は、自分が世界の中で孤立して存在しているのではないということを知り、
人と人とが結びつくことによって世界が構成されているということを知ります。


エゴの深化は窮まることがありません。

ある民族はエゴを深化させることで自他の区別を設定し、その範囲内に自分たちの存続をかけ、その民族性を設定しました。

ある民族はエゴを深化させて底が割れ、エゴがある間は成長過程であり、エゴの枠組みが壊れた時、死がそこにあることを知りました。
そこが世界の淵であると感じたわけです。

またある民族はエゴの混沌の先に生死の超越があり、
生死を超越することで宇宙がまことに生命一体の生命そのものであることを知りました。
歓喜の踊りはそこで踊られ、生命の祭が始まりました。
美しい美しい民族の物語が語り継がれることになりました。

エゴがある人は大切な成長過程にあります。
自分の中にあるエゴを育てて大きな大きな樹にしなさい。
誰でもその下で憩うことができるような大きな大きな人になりなさい。

師はそう言われて去っていきました。

私は魂に刻むべくその言をここに残しておこうと思います。

 讃仰 一言真人 やんぬるかな 役の行者 小角


                    伴 尚志   拝


       小乗即大乗

小乗自若愚昧心      大乗自若驕慢心
  小乗求自己        大乗表自己
 自己即仏         般若波羅蜜多
 自己即他         般若波羅蜜多
     自他即通  真如一体
先生は言われました

生きることは祈ることです。
祈ることの本質は、自らを捨てきるということです。
祈りを通じてすべてを捨てきったところに主の祝福があります。
主の祝福に感謝し歓喜し踊ることが生きるということそのものです。

生に感謝できないときにはその傲慢に対して祈りなさい。
生に歓喜し踊ることができないときにはその傲慢に対して祈りなさい。
ひれ伏し祈ることを通じてその傲慢さを手放すのです。
そしてまた、始まりの場所にやってきなさい。
それはエデンの園。美の美たるところのもの。
光り輝く生命の、歓喜の場所に。
貪瞋癡の糞溜め人生


貪瞋癡の三毒に芯まで侵され、その糞溜めのまっただ中にどっぷり浸って生きていくことが、生きるということなのかもしれない。

友人は、五十代でもう先がないからと、今できることをするんだといって欲望の走るがままに走り出している。まるで、欲望が満たされて満足するときが来ることがあるかのように、疲れた身心に鞭を打って東奔西走している。まさに貪瞋癡の三毒が悪循環を起こして相乗作用で膨らんでいっているところをみている感じだ。けれども糞溜めをまだ味わい尽くしていないからと頑張っているわけだから何も言えぬ。自らの意思で選んだ糞溜め道中、一生そこを生きていくしかないのだろう。

何かに気づくということは、自分で気づこうとしないとできないもの。こんなに情報豊富な世界に生きてわざわざ糞溜めの中を選ぶというのもまた酔狂なのかもしれない。
現に侵略されていて、同胞がさらわれているのに助けることができない。
これが平和なのですか?
憲法九条が護っているのは、侵略の自由、人さらいの自由ではないのですか?
憲法九条を守るという人は、
是非北朝鮮に行って拉致被害者を救い出し、
竹島と北方領土を取り戻してきてください

..目的


現政権の正当性を担保すること
また、将来的に権力奪取できるという予言的保証をすること


..方法

古の聖人である孔子が書いたとされる歴史書、春秋を解釈することによって、現政権の正当性を証明する。また、未来を予測し政権交代(革命)をも視野に入れた工作活動を行うための理論的基礎を作成する。

このために、春秋の解釈を変え、時にはその文言も変えて、意味づけをしていった。この解釈書が緯書であり、予言が讖。奇瑞をおこしたり、市中に護符を蒔くこともした。符呪。


..歴史


政権交代の発想は戦国時代末の鄒衍の五徳終始説に淵源を持つ。これは黄帝内経における相生相剋理論にあたる。

また、孔子が書き、漢帝国の成立を予測していたとされる春秋は、実際には讖緯説を奉じる儒者によって都合よく書き換えられていった。それによって官僚として政権内部に食い込み、黄老家を排除した。

前漢末から後漢に入ると、廷内の権力闘争に儒者は勝利を収めるに至った。

孔子を祖とする宗教としての儒教の陰の部分であるとも言える。

この讖緯説は、朱子によって完成された宋代の儒学が権力を得るまで続いた。


..古典を奉じ今を断ずることを批判する


古典を聖なる書物として無批判に奉じ、現在を断ずる傾向が学問においても医学においてもあるが、その原点がこの讖緯説であると考える。

ただ、政権抗争とは異なり医学においては真実を探求しつづけなければ治療効果があがらなくなるという状況があるため、讖緯説の滲透は浅いものであった。

しかし、五行の相生相剋を信じてそこから治療法を発想するとか、古典をまとめたにすぎない中医学を信じて、現状を強引に証候鑑別してにあてはめ治方を探すといった、パターン化された方法論は、絶えることなく現代も継続している。これは学問をする者たちの持つ癖なのであろう。

これに対して、殷代に起源を発し周代に理論化されていった黄老道は、宇宙の真実に耳を傾け言葉を紡ぎ出していくという原点に立ち続けた。王の言葉を書き留め、天文との関係性を探った瞽史たちは、言葉を語ることよりもまず見ることに重きを置いたわけである。彼らが陰陽五行を生み出したのは、陰陽五行で考えれば物事が解決するからではなく、一つのものをそのように構造的に考えていくことによって、物事が明瞭にみえてくるからである。

古典を基にその解釈を練っていく讖緯説とはその方向性が真逆であると言える。
グーグルプレイが、古典書籍の宝庫になってて驚いた。
しかも無料のものばかり。
医学系はほぼなく、哲学系が豊富だけど。

時代が変わっていく。
死者を祀り生者は祭りする


東日本大震災から一周忌が過ぎ、遅ればせながら桜が咲き誇る季節となりました。

桜は咲き誇っているのでしょうか。生命の果てがその花びらに乗り、ひらひらと落ちるとき、私は津波に呑み込まれ非業の死を遂げた人々を思わずにはいられません。

桜はしかし、彼岸の岸を乗せて咲き誇っています。非業の死者の心を乗せて散り、生者がさらに盛んに生きることを励まして、桜は咲き散ります。

今、生きている生命はまさに奇跡であるとしか私には言えません。貴重な貴重な生命です。今日、四月八日ははなまつりの日、お釈迦様の誕生の日です。お釈迦様は誕生したときに天地を指さして「天上天下唯我独尊」と言われたと言い伝えられています。この生命よりも大切なものはない。死ぬときが必ずくるということを知らない人はいない。だからこそ、この生命こそが大切。唯我独尊。このことを私は奇跡であると思うのです。

その奇跡を祝い踊る、それこそが生命のありようであり、そのためにこそ死者と生者とは悲しいですけれども、厳しく別れを告げる必要がある。そこが祀りが必要な理由であり祭が必要な理由があります。

日本は、大自然による災禍の非常に多い国です。何千年何億年ものその歴史の中で、たびかさなる災禍に寄り添うために育まれたものが祭祀王としての天皇であり、祭司王としての天皇なのでしょう。

我が国の結局のところ終局に据わっている厳しさは、この祀祭によってけじめがつけられている。そこに我が日本の美しさと悲しさ、儚さと厳しさがある、そのように私は思っています。
そのように育った村がこのたびの大地震と津波で、まるで神の手によって払われたかのように削り取られ、復興までには30年かかるかもしれないということでした。

復興。故郷が復興されるということはありがたいことではあるのですがしかし、望むことは復興なのでしょうか?同じような大震災同じような津波にあったときには再度絶望の涙を流し続けることになるのでしょうか。そのことを私たちは子孫に強いることができるのでしょうか?元通りの復興というものは、ほんとうは有り得ない、あり得るべきではない。先ず大切なことは、安全の確保なのではありませんか?確保された安全な場所で確実に住み確実に仕事をする。危険を知りいつでも待避できるような覚悟でしか、故郷に足を踏み入れるべきではないのではないでしょうか。

思い出してみると、幼稚園の上級さんのときに過ごしていた綾里の家は山の中腹にあり、民家のあるところからずいぶん離れていました。これは村人が津波から私たち家族を守ろうとしたためであろうと今になってみると思います。家から少し上った山中で椎茸栽培していたおじさんは、地震があったら山の頂上まで逃げなくてはいけないということを、何度も何度も私に言い聞かせていました。その言葉が耳についていたため、私は山の上の方にある畑の脇に生えていた椿の樹の上に登って遊んでいたものでした。そこなら安全だと言われていたからのような気がします。

日本は神の国であると言われています。その理由は実は、抗い難いこのような大自然の猛威が国土を襲うからなのではないでしょうか。抗い難いからここは神の国であるとして、注連縄(しめなわ)を張り巡らして聖別していた。

日本人は、神の国の端にに土地を借りて我々は住まわせていただいているのだ、という緊張感をいつももって生活していたのではないでしょうか。運命を感謝の心で受け入れながら、なおもその故郷で生活させていただくという心が、天災の非常に多い国土で生活する我々日本人共通の心だったのではないでしょうか。

いつでも死を覚悟し、いつでも身の回りを掃き清め、心を定めながら生きていくという人生観を、日本人は天災の中から学び、宗教へと高めていったのではないでしょうか。

この神の国の、神の手によって一度払われた大地は、もう一度深い反省と覚悟をもって住むことを始めるべきでしょう。

子孫を同じ嘆き悲しみの中に沈ませないためにも・・・
十一月の第三土曜日、都内某所で綾里の同窓会がありました。私は小学校の1年と2年だけで、3年からは東京に転校しましたが、他の人たちは少なくとも中学校卒業まで一緒だったらしく、私は異邦人だったかもしれません。

小さい頃でしたので、顏も名前もほぼ記憶にはなく、突然50年の歳月を経ての再会という感じでした。

けれども私にはふるさととして誇れる場処は綾里にしかなく、また、綾里はまさに私の精神の基盤を作ってくれた場処でもありました。おおらかな人々と暖かく厳しい大自然が私の中心に核となって存在しています。

その同じ天地に育まれた少年少女が見事にそれぞれのその個性が花咲いた異形となって今、集うことができるということはほんとうに不思議なことです。

けれどもその中心に綾里というふるさとがあるからこそ、どこか安心してともにいることができるのでしょう。
ビュッフェ展にいく


ということで、アートにちっと目覚めた私は、ホテルニューオータニのオータニ美術館でたまたま開催していたビュッフェ展にいってきたのでした。余談ですがホテルニューオータニというのは有名なわりにアクセスが悪くて、なかなか行きにくいところにあります。でも日本庭園を擁したビュッフェは、すばらしい景色でした。大きな谷を取り囲んで建っているせいなのでしょうかねぇ・・・都心とはとても思えません。

ということはさておき、ビュッフェの展覧会の話。これが衝撃でした!何が衝撃だったかというと、彼の絵画の良い時期と晩年の落差のあまりの大きさに衝撃を受けたのでした。おそらく一番良い時期は結婚前後の時の、風景画を描いていたときでしょう。それに対して晩年、日本のお相撲さんを描いたり芸者さんを描いたりしたものは、悲惨なぐらいひどいものでした。なぜか、というと、対象をきちんと見ようともしていないということが絵に出ているのですね。情けない。画家失格です。精神にたるみができちゃったのでしょうか。

でも、自分を振り返ってみると、いい仕事を続けるということは難しいことだなということはわかります。私などはあまりにも凡人なものですから、だれるなんてことは日常茶飯事。いい時を見つけ出してなんとかうんうん勉強しているといった状況です。ビュッフェの悪口なんか書けるレベルではとうていありません。

ということで、私に神に出会うがごとき感動を与えたビュッフェは、人の姿となって1999年に他界していたのでした。まる。
大船渡市三陸町 綾里の思い出


大船渡が今回の津波によって街後とながされている状況なのでおそらくその一つ北の港である綾里という小さな港町は完全になくなっているの可能性があります。私はそこに小学校入学前の一年間と入学後の二年間の合計三年間、住んでいました。

僻地治療を行いたいという希望を持っていた父が、その無医村に招かれ家族共々生活することとなったものです。家をあてがわれ、父が来るということで病院も作られ、多大なもてなしを受けました。

村はお金はないけれども自然が豊富で、竹藪を覗くとキジが鳴いており、海には鮑(あわび)や海栗(うに)がはびこっていて、浜に行くと昆布や若布や緑の藻が流れ着いていました。天気のよい日、石浜という名の石ばかりの浜で私は、その昆布を石で叩いておやつ代わりによく食べました。岩にくっついている大きな鮑を無理に引きはがしたら、鮑の身がべろんべろんと暴れ、あまりにも恐くて驚いて投げ捨てたことがあります。磯に生えているイソギンチャクに細い棒を突っ込んで遊んだりもしました。シュッと水を吐いて縮むイソギンチャクが面白かった。

患者さんは当然村人で、治療費を後払いにする人もいたのでしょう。そのような村の人々の中には、雉を撃ってそのまままるごとぶらさげてきたり、獲れたての鮭を一本持ち込んだりして母を驚かせ怖がらせたものです。台所に行くとよくムラサキウニがボールの中で動いていました。よく食べた鮑の香りは今も口の中にあります。

丘の上にある家から、三メートルはあろうかという大蛇を村人が総出で退治しているところを見たこともあります。

小学校に上がり、馬小屋があり馬糞の匂いのする友人の家の縁側に座って田圃(たんぼ)を眺めていた夕方、日が暮れると風に靡くように光の壁が揺れていることがありました。群生している蛍の光りでした。あの海の波のような蛍の光は、その後50年の歳月の中でも見たことのない、記憶の中にある感動です。蛍は人を恐れず、手に乗り移って光っていました。

海の波といえば、早朝暗いうちに浜に出ると、遠くに烏賊釣り漁船の集魚灯が輝いていてとても美しかったのを覚えています。強い潮の香りとそれを乾かす太陽の光が生命を讃えているように輝いていました。

村祭りの漆黒の夜には、大きく傾く月とオリオン座が川の土手を照らしていました。

小学校では宮沢賢治の童話に出てくるような薪ストーブが部屋の真ん中で焚かれていました。校庭には二宮尊徳像があり、まねて本を読みながら歩いてみるのが癖でした。

その村が、この津波に呑まれることになったということは未だ信じてはいません。まだ彼の地の情報が入っていないこともあります。けれども大きな街である隣の大船渡があのような惨状ですので、おそらく無理だろうと思います。

生命は一瞬の輝きです。一瞬の美しい輝きだからこそ大切に愛おしんでいきたいと思います。私のふるさとは失われることとなりましたが、私のふるさとが作った私の身心はまだ生きることを赦されてここにあり、ふるさとの生命を私の中で輝かせています。私はこの生命を大切に生きていこうと思います。

そして私は、今までよりもさらにしっかりと自分の道を歩まなければならないと、この大震災に際して思っているところです。
ベルナール・ビュッフェ


先日銀座のソニービルの裏通りを、ランプや骨董をみながらぶらぶらと歩いていたところ、立派なドアのあるビルの奥に大きなビュッフェの風景画が掛かっているのが目に止まりました。畳一畳ほどもあるでしょうか。奥にはビュッフェの騎士の絵があり、それに並んで港の風景画が掲げられていました。

何と堂々たるビュッフェ。その揺るぎない黒いエッジはまるで法の支配の大切さを語りかけ、秩序正しい支配というものが美につながり、そこに喜びと愛と平和の花が咲くということを雄弁に語りかけてくれているようでした。

沈黙の語り合いの中で私はビュッフェの魂の崇高さに触れた気がし、私の心の中に深い充足感がもたらされたのでした。何と偉大なるかなビュッフェ!一幅の絵をもって、美による秩序がもたらす深い安らぎを与えてくれるとは!

この出会いに触発されて帰宅してネットを調べてみると、ビュッフェが非常に有名な画家であることがわかりました。なおかつ、銀座が画廊の聖地と呼ばれていることも初めて知りました。なんと2000件以上の画廊が銀座にはあるのですねぇ・・・

銀座という街が華美に走らずどことなく気品があるのは、絵を理解する感応の心を持ち合わせた人々が住んでいるためなのかもしれません。
ZoffとJINS


安い眼鏡屋さんで競合しているZoffとJINS。


最近疲れ目が激しくて、パソコンはめがねなしだと視にくいのですが本はめがねをしていると視にくいという、非常にうっとうしい状態となっていました。本を読みながらパソコンに入力しようとすると、眼鏡をつけたり外したりしなくちゃなりません。でも老眼ではありません。絶対に。だって裸眼で本を読むのは楽にできるのですもの。

そこでこれまでしていた目の前全面を覆うような大きなレンズの眼鏡をやめて、ちょっと若作りの縦が狭い眼鏡にすれば、眼鏡の下から本の文字を覗くことができ、眼鏡を着けたり外したりしなくても本とパソコンを交互に参照することができるのではないだろうかと考えたわけです。

そして、お正月特価としてZoffで在庫一掃半額セールらしきものがあり、ダメ元で眼鏡を作ってもらいました。

これが素晴らしかった!夕暮れ時の交差点の信号機が小さくくっきりと見えるではありませんか。これまで使っていた眼鏡を元にしてそのままの度でレンズを作ってもらったので、度が違うということはありません。おそらくレンズが違うのでしょう。

このヒットに気をよくした私はちょこっとネットで最近の眼鏡事情について調べてみました。ちょこっとなのでなんなのですが、そこにはZoffよりもJINSの方がレンズが良いんだよと自慢げに書いてありました。そこでものは試しということでjinsに行ったところ、ここでも在庫一掃半額セールをしていたので迷わず同じタイプを注文。

1時間後にはその眼鏡をかけて通りを歩いていました。が、が、目がおかしい!クラクラするし疲れるしでとても継続してかけていることはできません。首も凝ってきました。そこでzoffの眼鏡に変えると楽になります。う~~~ん。

数日後、何度か試しても駄目だったのでJINSに行って尋ねました。
「クラクラするのですが」
「どれどれ」
度の違いはなく、乱視も軸が1ずれているだけなので誤差の範囲内らしく、これは目と眼鏡の距離の問題にちがいないということで店員さんが一所懸命調整してくれました。けれども顔を横に振るとクラクラ、縦に振るとクラクラしてしまいます。眼鏡の外の風景が視ているのよりも遅く反応するのですね。

Zoffの眼鏡ではそれが起こらず、どうしてだろうと店員さんが調べてみると、Zoffの安い眼鏡は球面レンズ(メーカーは不明)を使っているのだそうで、JINSの眼鏡は薄型の非球面レンズ(HOYAという説明)を使っているのだそうです。どうやら私の目には昔ながらの球面レンズがぴったり合っていて、現代人がかっこよくしているらしい薄型非球面レンズは合わないらしいということがわかりました。

原因がわかってホットしたのですが、どこか悔しさが残る結末でした。

現代の進むスピードは速いので、我が内なる古代人のために早速Zoffに行ってもう一個、もうなくなってしまうかもしれない球面レンズの眼鏡を作ったのはいうまでもありません。
金木犀


10月の声を聞くとともに必ずその甘い香りを放つ金木犀の花言葉は
「誠実」にちがいないと思う

暑い夏の太陽を留めるかのように燃え立つ曼珠沙華の底に潜む凄惨な秋の気配を、
その甘い香りで希望と喜びに変える金木犀は、
天高く馬肥ゆる秋へと胸を開かせ
空の高さと共にやってくる冬への準備へと
わが心を引き締め聳えさせていく

金木犀の甘い香りは夏の郷愁に向けて振られる最後のハンカチなのかもしれない。
ここを最後に
ここに励まされ
冬のさなかへと
私は
旅に出るのだから

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