最近古代中国思想について少し調べ物をしています。思想というものには流派というのがあるんですね。
儒家とか道家とか黄老道とか墨家とか法家とかさまざまに分けられています。これはもちろん当時最初からそれぞれの思想家群として分類されて別々に存在していたわけではなく、後世の人々がその思想傾向によって分類したものです。
戦国乱世の時代ですから、知識人や知恵ある者と自らを見せかけたかった人や仕官を望むだけの人も含めて、売り物になりそうな思想を構成して商売をしていたわけです。
本物の思想をもってすれば国が富み敵に打ち勝つことができると考えていたのか、敵に打ち勝ち得た思想こそが本物の思想であると考えたのかどうかはわかりませんが、諸子百家と後世呼ばれることとなる多種多様な思想家群がこの時期にできあがっています。
そして後世の学者は、それぞれの流派の発生時期から消滅時期までを特定しようと遺跡を発掘しながら一生懸命その能力を使っているわけです。
そういう書物やレポートを読んでいて、はて?と疑問に思ったことがあります。現代でも多くの思想家がおり、さまざまな流派があります。この時代に生きている私にとって必要なことは、本当の思想、より真実の思想であって、ある流派が生じ滅びるという経緯ではありません。そんなことどうでも良い。
今の時代に生きて、思想を実践しようとする―すなわち患者さんをいかに治すのかということに工夫を凝らそうとする―程度の私でさえこのように思うわけですから、まさに命がけで実戦的な知恵を求められる戦国時代の思想家たちはなおさら、自身の思想系統がどこに属するかということなどどーでもいいことでしょう。使える思想を手にしたい、役に立つ思想をもって売り込みたい。そうやって道を求め続けたことでしょう。
このように考えてみると、細かく文献に当たって分析を凝らして思想家の分類をすることになんの意味があるのだろうかという疑問が湧いてきます。大きな流れは思想潮流として存在するわけですから、いわば時代的な風景として捉えておくことは必要でしょうが、あまりに詳細な分析は、当時生きて他者と論争していたその思想家本人でさえ理解ができないものとなってしまうことでしょう。「俺はそんなことは言ってないのに」ってね。
学者として現代において認められるためにはこのような細かい分析能力が必要なのでしょう。学者ではない私にはそのような能力もなく、そのようなことをする必要性もないので、よかったなと思います。
正しい書籍・正しい分析が正しい判断(治療技術)を作るのではなく、正しさを求め続ける志のみが「そこ」(しっかりした治療技術)に近づくことができるのだと考えています。
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学者と道を求める者とは根本的に異なる
学者は言葉におぼれ、言葉の解釈をしてその一生を過ごす。
道を求める者は言葉を体験し、それを自己の経験と照らし合わせて純化する。
学者にあっては、言葉はそのまま言葉であるが、道を求める者にあっては言葉は導きの光となり、体験によって言葉が浄化される。
日本において、儒教を越えて武士道が置かれたのは、この道を求める志が伝統的な言葉を越えて、新たな言葉を作ったためであろう。そこには、儒仏神の求道の魂の内における融合が存在する。
学者は、魂の言葉の番人、解説者にすぎない。それは、光り輝く言葉のそばに立ってその光を遮り、解説すると称してそれを「あるいはわかりやすい言葉に代えて」曇らせて悦に入っている人々のことである。
まさに言葉の牢獄の囚人でしかない。
学者は言葉におぼれ、言葉の解釈をしてその一生を過ごす。
道を求める者は言葉を体験し、それを自己の経験と照らし合わせて純化する。
学者にあっては、言葉はそのまま言葉であるが、道を求める者にあっては言葉は導きの光となり、体験によって言葉が浄化される。
日本において、儒教を越えて武士道が置かれたのは、この道を求める志が伝統的な言葉を越えて、新たな言葉を作ったためであろう。そこには、儒仏神の求道の魂の内における融合が存在する。
学者は、魂の言葉の番人、解説者にすぎない。それは、光り輝く言葉のそばに立ってその光を遮り、解説すると称してそれを「あるいはわかりやすい言葉に代えて」曇らせて悦に入っている人々のことである。
まさに言葉の牢獄の囚人でしかない。