一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

テキストには外因の問題について、239頁から書かれています。

(引用始め)
本来は生命力を育む外気がバランスを失って生命力を損傷する図は、
健康増進のためにはじめたスポーツをやりすぎ、かえって健康を損
なうことに似ています。

その、健康増進あるいは生命力を育む周辺状況はどのようなレベル
のものであるか、ということに関しては個人差が大きいものです。
そのため、私は器という概念を作り出して、これを「一元」の項目
の中で整理しました。

生命力が虚していなければ外邪が入ることはないということは、古
来言い習わされていることです。そのとおり、一元の気の器をでき
るだけ調えるということが、外邪に対する備えにはなります。けれ
ども、外邪が入るか入らないかということは、生命力の充実度とい
う要素の外に外邪の強さという要素がありますので、一概に言える
ものではありません。

「人事を尽くして天命をまつ」という言葉の生きてくるところです。
(引用終わり)

一元流鍼灸術というのは、患者さんをよりよく理解するために弁証
論治をたててその心身の状況を明確にしようとし、その方法論を語
っているものです。

一元流鍼灸術を構成していく時に大きな問題となったことの一つが
この外邪と内傷のことでした。中医学では何の基準もなくそれを弁
証論治の方法を分けて記載しているわけです。外邪であれば六経弁
証・衛気営血弁証・三焦弁証、内傷であれば臓腑弁証という具合で
す。

ところが、病んでいる身体は一つであり、病因はさまざまあるけれ
ども病位はこの身体の内部にあるわけです。外邪によるものである
とその侵襲速度は速く、内傷の場合よりも戦いすなわち瀉法に重き
を置く必要があります。内傷のものであればじわじわと広がる腐敗
なわけで、養いを主とする必要があります。そのような速度の違い
はあるけれども、病位はこの身体の内部にあるわけです。

さらに、内傷のある身体に外邪が侵襲した時どうなるのでしょうか。
そもそも内傷のない身体など存在しないわけですから、これは実際
の身体に外邪が侵襲した時にはどのように弁証論治すればよいのか、
という問題提起となります。

ここに考えが及んだ時、有名な「生命力が虚していなければ外邪が
入ることはない」という言葉に思い至るわけです。外邪は、虚して
いる部分を攻撃する、ということです。これは、直接虚している部
分に侵襲するという意味でもありますしまた、外邪が侵襲すると生
命力を大量に使ってそれを排泄しようとするため、虚している部分
がさらに疲れることとなるという意味でもあります。

鍼灸治療についてよく考えてみると、外邪の侵襲とか内生の邪の問
題と言ったとしても、治療対象にするものは患者さんの身体でしか
ありません。身体の抵抗力を上げることによって外邪に対処してい
くということが基本です。で、身体の抵抗力を上げる最大の方法が、
最も弱いところで動きそうなところを動かす、活性化させるという
ことです。

多くの場合、この場所が邪気の侵襲している場所、あるいは正邪が
闘争している場所となります。生命力が負けているとそれは邪気の
支配領域となり冷えて生命の動きも悪くなります。生命力ががんば
って対抗しているとそれはまさに闘争の熱気に包まれています。病
位というのはこのようなもののことを言うわけです。

お年寄りの場合、衛気が弱くなっていて風邪を引き込んだと自覚し
た時にはすでに深く風寒の邪が侵襲していることが多いものです。
そうすると正邪の闘争する場所と言うよりも、最終抵抗拠点として
の腎を保つことが重要になります。このあたりのことを『難経』で
は、腎間の動気を守邪の神と呼んで尊崇してもいるわけです。
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