中医学は論理的か
ある書籍で、中医学は論理的で日本医学は非論理的であるという言葉を読んでのけぞった。日本における経絡治療と呼ばれる鍼灸集団に論理というものが存在しない似非科学であるということには異論はないなのだが、中医学も言葉が多いだけで論理的な整合性はない。
ここで中医学と呼んでいるのは、現代中医学すなわち上海から始まった教科書的中医学について論じている。とはいっても天津の中西医合作はより論理性が乏しいものであるし、上海を越えるものとしては北京中医研究院あたりの弁証論治派ものを採り上げるしかなく、しかしそれはおそらく中医学会ではマイナーな部類なのであろう。
なぜ、教科書的な中医学が非論理的であるかというとそれは読めばわかる。と言ってしまえばおしまいなのだが、基本理論である元気論・陰陽論・五行論についての記載はある。記載はあるのだが、それが基本理論であるにも関わらず、また、中医学は理論によって構成されている部分が多いにもかかわらず、治療理論にまで統一されていないからである。
すなわち、基礎理論は基礎理論で述べました。古典に記載してあるとおりです。それを前提としているかどうかは別としてその応用である治病理論も述べました。歴史的にたくさんの解釈と治療法がありまんべんなく取り上げておきます。弁証論治に際しては、八綱弁証・衛気営血弁証・六経弁証・五臟六腑弁証などを適宜組み合わせて使ってください。そこには法則はありません。臨床家の勘によります。といった具合なのだ。このどこから論理を導き出すことができるというのだろうか。
医学は患者の性急な要請すなわち「今この痛みかゆみをなんとかして欲しい」という思いによって堕落しあるいは導かれてきた。けれどもしかし《黄帝内経》はその患者の思いを乗り越えて初めて成立したものではなかったのか?だからこそ未病を治す、すなわち患者の全生命状況を把握する中から治療方法を導いていくという観点が成立していたのではなかったのか。
愚かな後世の臨床家はその全体観を理解できず、そのような広大な構想を持った医学の中からさえ、単なる治療技術のみを抽出し、秘伝であるとほくそ笑んできたのではないか?
我々は何を学ぶべきか。それは古典に記載されている治療技術、あるいはその秘伝として伝来しているようなものではなく、どのように人間を把握するのかという人間観ではないのか?
そのような人間観の把握において、中医学はまったく欠格している。なぜなら、中医学の指導思想はどうしても毛沢東をつなぎとするマルクス主義的機械論を乗り越えることができないからである。中医学の狭さは、この機械論あるいは唯物的な人間観にあるということを理解し、用心すべきであろう。中医学はその本来の発生において、古来から連綿と続いている東洋医学を裏切っているものなのである。
ある書籍で、中医学は論理的で日本医学は非論理的であるという言葉を読んでのけぞった。日本における経絡治療と呼ばれる鍼灸集団に論理というものが存在しない似非科学であるということには異論はないなのだが、中医学も言葉が多いだけで論理的な整合性はない。
ここで中医学と呼んでいるのは、現代中医学すなわち上海から始まった教科書的中医学について論じている。とはいっても天津の中西医合作はより論理性が乏しいものであるし、上海を越えるものとしては北京中医研究院あたりの弁証論治派ものを採り上げるしかなく、しかしそれはおそらく中医学会ではマイナーな部類なのであろう。
なぜ、教科書的な中医学が非論理的であるかというとそれは読めばわかる。と言ってしまえばおしまいなのだが、基本理論である元気論・陰陽論・五行論についての記載はある。記載はあるのだが、それが基本理論であるにも関わらず、また、中医学は理論によって構成されている部分が多いにもかかわらず、治療理論にまで統一されていないからである。
すなわち、基礎理論は基礎理論で述べました。古典に記載してあるとおりです。それを前提としているかどうかは別としてその応用である治病理論も述べました。歴史的にたくさんの解釈と治療法がありまんべんなく取り上げておきます。弁証論治に際しては、八綱弁証・衛気営血弁証・六経弁証・五臟六腑弁証などを適宜組み合わせて使ってください。そこには法則はありません。臨床家の勘によります。といった具合なのだ。このどこから論理を導き出すことができるというのだろうか。
医学は患者の性急な要請すなわち「今この痛みかゆみをなんとかして欲しい」という思いによって堕落しあるいは導かれてきた。けれどもしかし《黄帝内経》はその患者の思いを乗り越えて初めて成立したものではなかったのか?だからこそ未病を治す、すなわち患者の全生命状況を把握する中から治療方法を導いていくという観点が成立していたのではなかったのか。
愚かな後世の臨床家はその全体観を理解できず、そのような広大な構想を持った医学の中からさえ、単なる治療技術のみを抽出し、秘伝であるとほくそ笑んできたのではないか?
我々は何を学ぶべきか。それは古典に記載されている治療技術、あるいはその秘伝として伝来しているようなものではなく、どのように人間を把握するのかという人間観ではないのか?
そのような人間観の把握において、中医学はまったく欠格している。なぜなら、中医学の指導思想はどうしても毛沢東をつなぎとするマルクス主義的機械論を乗り越えることができないからである。中医学の狭さは、この機械論あるいは唯物的な人間観にあるということを理解し、用心すべきであろう。中医学はその本来の発生において、古来から連綿と続いている東洋医学を裏切っているものなのである。
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三焦論のまとめ
《難経》において、もっとも大切なことは、臍下丹田を中心とする人間観が提示され、腎の陽気すなわち命門の火が上中下の全身に満ちている状態が三焦であるとされているところです。
すなわち三焦という相火は熱気であり下から上に上っていき、全身の温かさの大本となります。心主は光り輝く明るさであり上に輝き、全身を明るく照らし出す大本となるわけです。
きわめて単純で基本的なことなのですが、古来さまざまな論争が行われてきたということは、三焦論の資料をご覧になっていただければ理解できるでしょう。
また、現代の鍼灸師の間にも、三焦は陽気だから陽経を流れる。三焦が治療の極意であると言われているから、陽経治療ですべての病気が治るとのたまわる論がありますが、それがいかにナンセンスなものか、自分の頭で少しでも考えることができる方ならば理解することができると思います。
そのグループの論文には、陽経は暖かく陰経は冷たいなどといった噴飯ものの論を講師が堂々と書いており、経絡治療というもののレベルの低さを見せつけてくれるものとなっています。
武士の情けでその会がどこであるかは言いません。もしこのブログを読んでいるようであれば、密かに方針を改め、三焦論を一から勉強し治し、あたりまえの論を提供できるようにしていただきたくお願い申し上げます。
《難経》において、もっとも大切なことは、臍下丹田を中心とする人間観が提示され、腎の陽気すなわち命門の火が上中下の全身に満ちている状態が三焦であるとされているところです。
すなわち三焦という相火は熱気であり下から上に上っていき、全身の温かさの大本となります。心主は光り輝く明るさであり上に輝き、全身を明るく照らし出す大本となるわけです。
きわめて単純で基本的なことなのですが、古来さまざまな論争が行われてきたということは、三焦論の資料をご覧になっていただければ理解できるでしょう。
また、現代の鍼灸師の間にも、三焦は陽気だから陽経を流れる。三焦が治療の極意であると言われているから、陽経治療ですべての病気が治るとのたまわる論がありますが、それがいかにナンセンスなものか、自分の頭で少しでも考えることができる方ならば理解することができると思います。
そのグループの論文には、陽経は暖かく陰経は冷たいなどといった噴飯ものの論を講師が堂々と書いており、経絡治療というもののレベルの低さを見せつけてくれるものとなっています。
武士の情けでその会がどこであるかは言いません。もしこのブログを読んでいるようであれば、密かに方針を改め、三焦論を一から勉強し治し、あたりまえの論を提供できるようにしていただきたくお願い申し上げます。
孫思邈の《備急千金要方》を持ち出すまでもなく、東洋医学の歴史の積み重ねは、その基盤として民間療法すなわち何の症状にたいして何の薬方を用いたら効果があった、あるいはどの経穴を使ったら効果があったという経験の積み重ねからなっています。
その経験の積み重ねをまず最初に陰陽五行の観点からゆるやかにまとめあげたものが《黄帝内経》であると言えるでしょう。《黄帝内経》が作成された当時は同じように諸学を収集して陰陽五行の観点からまとめあげた《淮南子》もまた作成されています。諸子百家を淡々と集め、それを当時の宇宙論である陰陽五行の観点でまとめ直して眺めを良くするという作業が、黄老道の基本的な仕事となっていたのでしょう。
《黄帝内経》以降、ふたたび民間療法的な対症療法に墮していた東洋医学を弁証論治のもとに救い出した最初の人物は張仲景であり、それを継いで体質にしたがって処方を用いることを説いたのが金元の四大家とそれを継ぐ東洋医学の潮流であったと言えます。いわば民間療法的な薬方経穴の使用法を改め、より効果が上がるように、症状だけでなく患者さんの体質を加味して考えるという弁証論治の伝統が生まれたわけです。
薬方は同じでも経穴は同じでも、それを使用するための道筋がまったく異なる。それが東洋医学の眼目である弁証論治の有様です。それぞれの人間をみて処置を決めていくわけです。
一元流鍼灸術はこの伝統にしたがっています。
最近、温圧治療器を使用することが多くなりました。ある人が、温圧治療器を使用して腎虚腰痛が治ったということを話したところ、「民間療法みたい」と鍼灸師に言われたそうです。これは、ものを知らないこと甚だしいものと言わなければなりません。上に述べてたように、東洋医学を東洋医学たらしめているものは薬方や経穴にアプローチするために使用する道具(鍼や灸)なのではなく、患者さん個々に配慮した処置の決め方にあるということが理解できていないためです。
その経験の積み重ねをまず最初に陰陽五行の観点からゆるやかにまとめあげたものが《黄帝内経》であると言えるでしょう。《黄帝内経》が作成された当時は同じように諸学を収集して陰陽五行の観点からまとめあげた《淮南子》もまた作成されています。諸子百家を淡々と集め、それを当時の宇宙論である陰陽五行の観点でまとめ直して眺めを良くするという作業が、黄老道の基本的な仕事となっていたのでしょう。
《黄帝内経》以降、ふたたび民間療法的な対症療法に墮していた東洋医学を弁証論治のもとに救い出した最初の人物は張仲景であり、それを継いで体質にしたがって処方を用いることを説いたのが金元の四大家とそれを継ぐ東洋医学の潮流であったと言えます。いわば民間療法的な薬方経穴の使用法を改め、より効果が上がるように、症状だけでなく患者さんの体質を加味して考えるという弁証論治の伝統が生まれたわけです。
薬方は同じでも経穴は同じでも、それを使用するための道筋がまったく異なる。それが東洋医学の眼目である弁証論治の有様です。それぞれの人間をみて処置を決めていくわけです。
一元流鍼灸術はこの伝統にしたがっています。
最近、温圧治療器を使用することが多くなりました。ある人が、温圧治療器を使用して腎虚腰痛が治ったということを話したところ、「民間療法みたい」と鍼灸師に言われたそうです。これは、ものを知らないこと甚だしいものと言わなければなりません。上に述べてたように、東洋医学を東洋医学たらしめているものは薬方や経穴にアプローチするために使用する道具(鍼や灸)なのではなく、患者さん個々に配慮した処置の決め方にあるということが理解できていないためです。