一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

一元流鍼灸術では文字で書かれている古典を読むことも大切にして
います。けれどもその読み方には特徴があります。


以前触れましたが、究極の古典は目の前の患者さんの言葉化される
以前の身体です。ですから、古典を読む時に念頭に置かなければな
らないもっとも大切なことは、目の前の患者さんの身体をどのよう
に理解するのか、ということです。そのための道具として、先人が
同じように目の前の患者さんの身体を理解しようとして、ひもとき
綴ってきた古典を使用するわけです。


そのような姿勢に立つとき大切なことが、古人の視点に立ち返ると
いうことです。この古人の視点とは何かというと、天人相応に基づ
く陰陽五行論です。気一元の観点から把握しなおした陰陽と五行と
いう視点を明らかにしない限り、古人の位置に立ち、古人とともに
古典を形作る共同作業を担うことはできません。


ですから一元流鍼灸術のテキストではまず、気一元の観点に立った
陰陽と五行の把握方法について語られています。



何かを解釈する際に基本的に大切なこととして、何を解釈しようと
しているのか、その対象を明らかにする必要があります。ことに天
人相応の関係として捉えうる人間の範囲とは何かということを規定
しなければ、天人相応の関係を持つとすることが何を意味している
のかということや、気一元のものとして捉えるということが何を意
味しているのかということを理解することはできません。


「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握し治すその前に、
その場の状態―包括的な傾向を把握しておく発想が必要です。その
ことを器の状態としてテキストでは述べています。生きている器の
状態の動き方の傾向を把握しようとするわけです。その変化の仕方
の傾向をどのように把握するのかという一段高い観点からテキスト
では述べられています。それが、器の敏感さ鈍感さ、器の大きさ小
ささ、器の脆さ緻密さという三方向からの観点です。テキストでは
これを、人の生成病老死に沿って解説しています。陰陽と五行で把
握するものは実は、そのような傾向を持つ器の「中身」の状態につ
いて考えているわけです。


生命が日々動いている場の状態を説明する際、その場=器の傾向を
把握しておくことは、生きている生命の弁証論治をしていくうえで
欠かすことのできないことです。この基礎の上に立つことによって
初めて弁証論治を考えるという行為が成立するということを、一元
流鍼灸術では明確にしています。



「場」の中身を陰陽の観点から五行の観点から把握しなおすという行
為はこの基礎の上に成立します。それは現在の気の濃淡の傾向を静
的に分析するといった傾向を持ちます。その中でのバランスの崩れ
を時間の流れという動きの中から捉えていくわけです。



一元流鍼灸術で現在着々と積み重ねられている、このような基礎に
立った弁証論治は、現在の目の前にある古典である患者さんの身体
をいかに理解するのか、理解したかということを明らかにしている
ものです。積み重ねられた古典の情報を用いますけれども、実は今
目の前にある患者さんを理解する、理解しようとするその熱が言葉
になっているにすぎないとも言えます。


ですから、古典が時代とともに発展し変化してきたように、弁証論
治も現時点でできあがった人間観や病理観を固定化し執着するもの
としてはいけません。解釈はいつも仮の姿です。より真実に向けて、
より実際の状態に向けて、弁証論治は深化し発展し続けなければな
らないものであると覚悟してかかるべきです。


このようにして初めて、次の時代に残すべき古典の原資を提供する
ことができるわけです。



ですから一元流鍼灸術で古典を読む時、この同じ熱で古典が書かれ
ているとして読んでいます。そのようにすると、文字に踊らされて
綴られているにすぎない部分や、論理的な整合性を求めてまとめら
れたにすぎない部分や、とりあえず資料として収録されたにすぎな
い部分などが見えてきます。


古典を大切に思っていますので、その原資料を現代的な視点で解釈
しなおしたり改変したりはしません。より書き手の心の奥に潜む情
熱に沿うように読み取っていきます。読み取る際には私心をなくし
てただ読みます。けれども、読み取ったものに対しては厳しい批判
の眼差しを向けます。読み取る際には私心をなくしてただ読み取り、
読み取ったものに対しては厳しい眼差しを向けるというこの姿勢は、
実は我々が弁証論治を作成する際に自分自身に向ける眼差しと同じ
です。

この積み重ねがすなわち、一元流鍼灸術で古典を読むということな
のです。
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