穴性学から一元流鍼灸術へ
穴性という概念は中国で百数十年前にそれまで集められた経穴学を参考にしながら少し抽象の度合いを上げて使いやすくしたものです。私が書いた穴性学ハンドブックには、以前ここで述べたように、循経取穴は省略して三冊の中国の書籍が引用されています。この書籍それぞれで穴性は微妙に異なるわけですが、そのことよりも大きな相違があるのは沢田流との間にあります。これは沢田流の特効穴が参考にされていないためでしょう。
それはともかく、私は1988年にあの書物を作ったとき、これが経穴学の最終段階だろうと考えていました。そしてすべてを穴性の概念の中で理解し整理していくことによって、より実態を反映した穴性を備えた経穴学が作成されていくだろうしそうしなければならないと考えていました。
けれども、人間を見るということは病名で分類された人間を見ているわけではないということに気が付いていきます。生きて動いている人間が先にあり、病気はそれに付随してさまざまに現れている過ぎません。生命があるから病があり、その逆ではないわけです。
特効穴と言われるものは、じつは病名に対して「こうすれば効くかもしれない」「効果を上げた経験がある」ということからつけられているものです。穴性はそれをさらにまとめたものなわけです。
穴性もまだ逆立ちした理論―後付の理論をまとめたものに過ぎなかったわけです。
病因病理を考えて治療の手を進めていく、生命に触れる中から初めて効果を上げることのできる経穴に出会うことができる。千差万別の存在である人の身体と、そこに表現されている経穴の表情を読み取って弁証論治としてまとめ上げていくということこそが、もっとも原初的な経穴学を作成する場―原点である、と私は気が付いていきます。黄帝内経を書き上げることができた古人のリアリティの原点はまさにここにあります。
特効穴も穴性学も実は、体表観察を進めていくうえで参考にすることができるという程度のものに過ぎません。そこに私は気が付いたわけです。
ここに基づいて、一元流鍼灸術における人間理解のための弁証論治と体表観察に基づいた治療法が確立されていきました。
穴性という概念は中国で百数十年前にそれまで集められた経穴学を参考にしながら少し抽象の度合いを上げて使いやすくしたものです。私が書いた穴性学ハンドブックには、以前ここで述べたように、循経取穴は省略して三冊の中国の書籍が引用されています。この書籍それぞれで穴性は微妙に異なるわけですが、そのことよりも大きな相違があるのは沢田流との間にあります。これは沢田流の特効穴が参考にされていないためでしょう。
それはともかく、私は1988年にあの書物を作ったとき、これが経穴学の最終段階だろうと考えていました。そしてすべてを穴性の概念の中で理解し整理していくことによって、より実態を反映した穴性を備えた経穴学が作成されていくだろうしそうしなければならないと考えていました。
けれども、人間を見るということは病名で分類された人間を見ているわけではないということに気が付いていきます。生きて動いている人間が先にあり、病気はそれに付随してさまざまに現れている過ぎません。生命があるから病があり、その逆ではないわけです。
特効穴と言われるものは、じつは病名に対して「こうすれば効くかもしれない」「効果を上げた経験がある」ということからつけられているものです。穴性はそれをさらにまとめたものなわけです。
穴性もまだ逆立ちした理論―後付の理論をまとめたものに過ぎなかったわけです。
病因病理を考えて治療の手を進めていく、生命に触れる中から初めて効果を上げることのできる経穴に出会うことができる。千差万別の存在である人の身体と、そこに表現されている経穴の表情を読み取って弁証論治としてまとめ上げていくということこそが、もっとも原初的な経穴学を作成する場―原点である、と私は気が付いていきます。黄帝内経を書き上げることができた古人のリアリティの原点はまさにここにあります。
特効穴も穴性学も実は、体表観察を進めていくうえで参考にすることができるという程度のものに過ぎません。そこに私は気が付いたわけです。
ここに基づいて、一元流鍼灸術における人間理解のための弁証論治と体表観察に基づいた治療法が確立されていきました。
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