EBMエビデンスに基づいた医学ということで、ランダム比較試験
に基づいて症状に対して効果の上がる薬を用いるといった形式の医
学が盛んです。けれども、実は西洋医学領域でもこれに対抗してよ
り患者さんに寄り添う医学を研究しようではないかという勢力がで
ています。それを語りの医学などといいます。
そのことについて、臨床医である日野原重明先生が優しく書かれて
いますのでご紹介します。
一元流鍼灸術で行っている問診はこのあたりに入りますが、まだま
だ個人の内部の問題としてのみ把握されているところです。日々の
臨床の中でどこまでできるか。その可能性を示しているものである
とは言えるでしょう。
==============================
「かんじゃ想い」日野原重明・QOL研究会編:日総研出版
34P
伝統的な医療というのは語りの医療で始まったのです。昔は医師はただ患者
にどこが苦しいかを聞くだけで、診断はできなかったのです。「お具合はど
うですか、痛いところがあれば温めましょう」ということで終わっていたの
です。それがだんだん医学が進み、その近代医学の最たるものがEBMになっ
てサイエンティックな医学になったのです。しかし、それがもう一度融合し
て、患者のナレーションをもっと取り入れるようになりました。そこで私の
話をまとめますと、次のようになります。
一、今日の日本では、人間を研究するというバイオメディカルな方法論によ
る医学が起こっています。
二、たくさんの人間関係の中に生きている一人の人間としての患者、治療者
としての医師との関係で存在する患者、その患者のための癒しの術は医療学
とも呼ばれます。
人と人の関係づけの中に生まれる医療過程、これが語りの医療(NBM)と
呼ばれるものです。病歴の聴取も、もう一度見直されるべきです。病歴の聴
取というのは、今まで断片的なデータの解析、病気の経過を医療者の側から
一方的な方法で患者から聞き取ることでした。しかも、三分診療の場合には
それも略されがちです。
そこで、継続的な物語の構築が必要となります。患者の物語を患者の生活の
中に描き、患者の心理や経済的、社会的、家庭的、退陣的、そして宗教的環
境の状況の中で患者を把握すべきです。不確実性をはらみながらも、より多
くの時間を取って患者の語りから得られたデータを、どう整理し、表現して
問題解決の材料に入れるかということを私たちはもっとよく考えて、古い病
歴から新しい病歴を作ることが急務だと思います。
に基づいて症状に対して効果の上がる薬を用いるといった形式の医
学が盛んです。けれども、実は西洋医学領域でもこれに対抗してよ
り患者さんに寄り添う医学を研究しようではないかという勢力がで
ています。それを語りの医学などといいます。
そのことについて、臨床医である日野原重明先生が優しく書かれて
いますのでご紹介します。
一元流鍼灸術で行っている問診はこのあたりに入りますが、まだま
だ個人の内部の問題としてのみ把握されているところです。日々の
臨床の中でどこまでできるか。その可能性を示しているものである
とは言えるでしょう。
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「かんじゃ想い」日野原重明・QOL研究会編:日総研出版
34P
伝統的な医療というのは語りの医療で始まったのです。昔は医師はただ患者
にどこが苦しいかを聞くだけで、診断はできなかったのです。「お具合はど
うですか、痛いところがあれば温めましょう」ということで終わっていたの
です。それがだんだん医学が進み、その近代医学の最たるものがEBMになっ
てサイエンティックな医学になったのです。しかし、それがもう一度融合し
て、患者のナレーションをもっと取り入れるようになりました。そこで私の
話をまとめますと、次のようになります。
一、今日の日本では、人間を研究するというバイオメディカルな方法論によ
る医学が起こっています。
二、たくさんの人間関係の中に生きている一人の人間としての患者、治療者
としての医師との関係で存在する患者、その患者のための癒しの術は医療学
とも呼ばれます。
人と人の関係づけの中に生まれる医療過程、これが語りの医療(NBM)と
呼ばれるものです。病歴の聴取も、もう一度見直されるべきです。病歴の聴
取というのは、今まで断片的なデータの解析、病気の経過を医療者の側から
一方的な方法で患者から聞き取ることでした。しかも、三分診療の場合には
それも略されがちです。
そこで、継続的な物語の構築が必要となります。患者の物語を患者の生活の
中に描き、患者の心理や経済的、社会的、家庭的、退陣的、そして宗教的環
境の状況の中で患者を把握すべきです。不確実性をはらみながらも、より多
くの時間を取って患者の語りから得られたデータを、どう整理し、表現して
問題解決の材料に入れるかということを私たちはもっとよく考えて、古い病
歴から新しい病歴を作ることが急務だと思います。
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..目的
現政権の正当性を担保すること
また、将来的に権力奪取できるという予言的保証をすること
..方法
古の聖人である孔子が書いたとされる歴史書、春秋を解釈することによって、現政権の正当性を証明する。また、未来を予測し政権交代(革命)をも視野に入れた工作活動を行うための理論的基礎を作成する。
このために、春秋の解釈を変え、時にはその文言も変えて、意味づけをしていった。この解釈書が緯書であり、予言が讖。奇瑞をおこしたり、市中に護符を蒔くこともした。符呪。
..歴史
政権交代の発想は戦国時代末の鄒衍の五徳終始説に淵源を持つ。これは黄帝内経における相生相剋理論にあたる。
また、孔子が書き、漢帝国の成立を予測していたとされる春秋は、実際には讖緯説を奉じる儒者によって都合よく書き換えられていった。それによって官僚として政権内部に食い込み、黄老家を排除した。
前漢末から後漢に入ると、廷内の権力闘争に儒者は勝利を収めるに至った。
孔子を祖とする宗教としての儒教の陰の部分であるとも言える。
この讖緯説は、朱子によって完成された宋代の儒学が権力を得るまで続いた。
..古典を奉じ今を断ずることを批判する
古典を聖なる書物として無批判に奉じ、現在を断ずる傾向が学問においても医学においてもあるが、その原点がこの讖緯説であると考える。
ただ、政権抗争とは異なり医学においては真実を探求しつづけなければ治療効果があがらなくなるという状況があるため、讖緯説の滲透は浅いものであった。
しかし、五行の相生相剋を信じてそこから治療法を発想するとか、古典をまとめたにすぎない中医学を信じて、現状を強引に証候鑑別してにあてはめ治方を探すといった、パターン化された方法論は、絶えることなく現代も継続している。これは学問をする者たちの持つ癖なのであろう。
これに対して、殷代に起源を発し周代に理論化されていった黄老道は、宇宙の真実に耳を傾け言葉を紡ぎ出していくという原点に立ち続けた。王の言葉を書き留め、天文との関係性を探った瞽史たちは、言葉を語ることよりもまず見ることに重きを置いたわけである。彼らが陰陽五行を生み出したのは、陰陽五行で考えれば物事が解決するからではなく、一つのものをそのように構造的に考えていくことによって、物事が明瞭にみえてくるからである。
古典を基にその解釈を練っていく讖緯説とはその方向性が真逆であると言える。