一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/



もう一つ、大切なこと―気虚気滞についてのさまざまなヴァリエーションが話されました。それは肝鬱による手の冷えについて、冷えている手の部分としては気虚あるいは陽虚なのではないかという質問から発生しました。「その通り」というお返事をして後、話が発展していきました。

気虚がきつければ人は、今必要な部分―大切な部分にちゃんと生命力を集めようとします。気虚がきつい人は生命力そのものがあまり多くないため、バランスを崩しやすく、時には過剰にその一部分に気が集まってしまって動きがとれなくなります。過剰に気が集まっている部分が気滞という言葉で表現されます。また、もともと少ない生命力を必要な部分であれ身体の一部に集めてしまうわけですから、他の部分はより生命力が希薄になります。それが気虚という言葉で表現されているものです。

これが気虚―全身の生命力の少なさ―によって起こる生命力の厚薄―部分的な気滞と気虚です。

肝鬱による手足の冷えとは、これが全身の内と外で起きているものです。すなわち肝鬱―緊張によって内側(頭?)に生命力が過剰に集まり、手足の生命力が少なくなるわけです。そのため手足の冷えが起こります。ですから、気虚の人が肝鬱を起こすとより手足は冷えやすくなります。肝鬱が強い人ほど手足が冷えやすくなります。そして気虚でかつ肝鬱がきつい人はもっとも手足が冷えやすいということになります。


けれどもここにまた、肝気を張って生活を維持していくというタイプの人があります。生まれつき生命力が充実していないため、他の人と同じように生活しようとするとそれだけで気を張ってがんばらないといけないというタイプの人です。そのような人は、「生きるということは気を張ってがんばることなのだ」ということが習性となっているため、ちょっとみには元気はつらつに見え、バラスをとることも上手にやっています。けれどもそのような生活をしていくことができる器ではないわけですから、環境の変化や気持ちの変化によってアレッと思うほどバランスを崩しやすくなってしまいます。

身の丈―自己の器を超えて生きなければならない現代社会を生きている人には、このような人が大勢います。また医療の整わない時代であれば淘汰されていたような身体の弱い人が現代社会では生きていけます。こののような人々もまた、肝気を張って他の人々と同じような生活をしていることでしょう。


といった問題はさておき、生命力がより充実する方向性に向かっていくことが成長の状態であり、生命力を毀損しないように保持していくのが老化の状態です。その間にバランスを崩すことがままあり、それが病気として表現されます。身体の変動が起こっているわけです。

病気というのは生命の一つの様式であって、よりよい生に向かうあるいは一段階小さな生を引き受ける(その最終には死がありますが・・・)ための、矛盾が表現されている時期です。

生命力の上げ潮引き潮の時期にしたがって、そのそれぞれの瞬間における気虚と気滞という生命力の濃淡を保持している、これこそが人間の常態です。生きるということは変化するということです。治療をするということはよりよい変化をそこにもたらそうとすることなんですね。
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