この症例は、平成27年の全日本鍼灸学会で発表したものを作り直したものです。
患者さんは、29歳の時に交通事故に遭いました。
整形外科を卒業するので鍼灸治療を受けに来られました。
事故後1年半たっています。
来院時は半身不随の状態でした。
それが7ヶ月後には杖がとれ、
18ヶ月後は職場復帰するまでに回復しました。
一元流鍼灸術の生命の弁証論治に従った考察がまずあり、
治療がその上に乗っています。
おそらく同じような状態で苦しんでいる患者さんは多くおられるのではないかと思います。
皆様の治療の発想の手助けとなれば嬉しいです。
以下のページからどうぞ。
http://1gen.jp/1GEN/BENSYO/270523/00.HTM
患者さんは、29歳の時に交通事故に遭いました。
整形外科を卒業するので鍼灸治療を受けに来られました。
事故後1年半たっています。
来院時は半身不随の状態でした。
それが7ヶ月後には杖がとれ、
18ヶ月後は職場復帰するまでに回復しました。
一元流鍼灸術の生命の弁証論治に従った考察がまずあり、
治療がその上に乗っています。
おそらく同じような状態で苦しんでいる患者さんは多くおられるのではないかと思います。
皆様の治療の発想の手助けとなれば嬉しいです。
以下のページからどうぞ。
http://1gen.jp/1GEN/BENSYO/270523/00.HTM
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疾脉という脉状の名前を聞いたとき、その脉状の示す病状を中医学
書などで引く。このような勉強法では、生命を見ていくことはとう
ていできません。
胃の気の側から診るということは、生命の側から診るということで
もあります。そうすると同じ疾脉を診ても、この疾くてとがった感
じは陽気の過剰によるものなんだろうな。困窮度が高いかも。とい
うふうにおおざっぱに見えてきます。そうすると、この陽気の過剰
をおさめるにはどうすればいいのだろうという方向から弁証論治を
検討しなおすことになるわけです。
生命力の基盤が弱く、そこに無理を重ねて気虚の現状があり、その
土台の上に陰虚陽亢の疾脉を呈している。全体を合わせてみるとど
うみても危険な状態です。
「疾脉」というものがあるのではなく、疾脉を作りだしている生命
の状態があるのです。その生命の状態をみていくことが、生命の弁
証論治では求められるわけです。
弁証論治全体を通してその身心状況の流れを把握して、その状況の
下に出ている疾脉の意味をあらたに考えていくということが、生命
の勉強法ということになります。
現在陰虚に傾いていますので疾脉を呈しているわけです。けれども、
生命力の虚損がありますので、陽虚にも傾きやすくなります。バラ
ンスの悪い状態が継続するわけです。それを少しづつでも立て直すと
いうこと。日々の養生が大切になるところです。
気虚の人がその生命の舞台の上で疾脉を呈している。これはまた、
脉状としては変化しやすいものでしょう。ベッドに寝て鍼をして調
整すればとれるでしょう。けれども気虚が基本にあってそれを起こ
さしめている生活習慣が改まらなければ、鍼の効果などすぐになく
なりまた同じ状態となります。生命力と生活とのあいだの「継続す
る悪循環」の方が、一時的な鍼の効果よりも圧倒的に高いというこ
とになるわけです。
このような考えの進め方が、生命の勉強の流れです。
(別のパターンが現れることももちろんあります。また、鍼治療を
契機にして生活をあらためるという素直な人もまたいます。逆に鍼
をしているから少し無理をしても大丈夫なはずという場合もありま
す。)
疾脉を例にして生命の勉強法を考えてみました。このような考えか
たで貫かれているものが、一元流鍼灸術なのですね。
書などで引く。このような勉強法では、生命を見ていくことはとう
ていできません。
胃の気の側から診るということは、生命の側から診るということで
もあります。そうすると同じ疾脉を診ても、この疾くてとがった感
じは陽気の過剰によるものなんだろうな。困窮度が高いかも。とい
うふうにおおざっぱに見えてきます。そうすると、この陽気の過剰
をおさめるにはどうすればいいのだろうという方向から弁証論治を
検討しなおすことになるわけです。
生命力の基盤が弱く、そこに無理を重ねて気虚の現状があり、その
土台の上に陰虚陽亢の疾脉を呈している。全体を合わせてみるとど
うみても危険な状態です。
「疾脉」というものがあるのではなく、疾脉を作りだしている生命
の状態があるのです。その生命の状態をみていくことが、生命の弁
証論治では求められるわけです。
弁証論治全体を通してその身心状況の流れを把握して、その状況の
下に出ている疾脉の意味をあらたに考えていくということが、生命
の勉強法ということになります。
現在陰虚に傾いていますので疾脉を呈しているわけです。けれども、
生命力の虚損がありますので、陽虚にも傾きやすくなります。バラ
ンスの悪い状態が継続するわけです。それを少しづつでも立て直すと
いうこと。日々の養生が大切になるところです。
気虚の人がその生命の舞台の上で疾脉を呈している。これはまた、
脉状としては変化しやすいものでしょう。ベッドに寝て鍼をして調
整すればとれるでしょう。けれども気虚が基本にあってそれを起こ
さしめている生活習慣が改まらなければ、鍼の効果などすぐになく
なりまた同じ状態となります。生命力と生活とのあいだの「継続す
る悪循環」の方が、一時的な鍼の効果よりも圧倒的に高いというこ
とになるわけです。
このような考えの進め方が、生命の勉強の流れです。
(別のパターンが現れることももちろんあります。また、鍼治療を
契機にして生活をあらためるという素直な人もまたいます。逆に鍼
をしているから少し無理をしても大丈夫なはずという場合もありま
す。)
疾脉を例にして生命の勉強法を考えてみました。このような考えか
たで貫かれているものが、一元流鍼灸術なのですね。