一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

前回アップしたものに、石門心学の項目を加え、味岡三伯考を付し、解題と称して解説を加えました。
http://1gen.jp/1GEN/nihon-igaku.pdf
ここには、解題の部分を付しておきます。

解題

この文章は、いくつかの伏線で構成されています。

一つは、日本意識の目覚めの時代が江戸時代初期でありそれは、言葉を越えて存在そのものをみようとする意志によって推進されたということです。そしてこの意志は米国における基本思想である「反知性主義」と非常によく似ているということです。これが二つ目。この時代の成果として京都の味岡三伯医学塾が到達した地点として、気一元の身体観があります。そのことを明確に示しているものが『難経鉄鑑』です。『鍼灸真髄』で代田文誌によって描かれている大正時代の鍼灸師沢田健が称揚した『難経鉄鑑』はまさに日本の核をなす医学思想を表現していたものだったわけです。これが三つ目です。

一元流鍼灸術はこの「臍下丹田を中心とした気一元の身体観」にしたがって、生命の弁証論治を武器として、生命力の動きの側から人をとらえ養生治療を基本とした鍼灸治療を行なっていこうとしています。その基本思想―日本医学の到達点をわがものとするために、当時の学者達の志の持ち方を学ぼうということから、何人かに登場してもらい、その学問を進めていく意志の強さを学ぼうとしています。これが四つ目の伏線となります。

さらに言えば、この臍下丹田を中心とした気一元の身体観は、『難経』の作者のもっとも述べたかったことなのではないだろうかと考えています。すなわち「仏教の身体観で黄帝内経医学を解釈しなおしたかった」ということが、『難経』の作者の真の意図であろうということです。

言葉を越えて存在そのものにただ肉薄していく。その「生命力の盛衰の側から」疾病をとらえ、治療していく、そのような人間理解のできる鍼灸師になることを、一元流鍼灸術では目指しています。そしてその源流は江戸時代の初期、日本人が日本に目ざめた時にありました。


我々はこの目覚めの意志を学びます。それを通じて東洋医学は、普遍的な養生医学として甦っていくこととなるでしょう。



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