一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

般若心経を受了すると、般若心経が心の薬であったことがわかる。
受了とは、心底まで受けとりきるという意味である。

言葉の世界に住む者たちにとって、
般若心経は苦い薬であろう。
なぜならそれは言葉の虚構を一気に叩き崩すからだ。
その薬を心底、腹の底まで受けとりきらなければ、
まるで地獄の苦痛のような空しさにさいなまされるであろう。

「空」観が理解できないともがく文人のいかに多いことか。
ー切皆空の虚飾の世界に自分が立っている。
そのことことを知りたくなくて、心の目をふさぎ
虚飾の今にしがみつき、もがき苦しみ続けているのだ。

般若心経は断じてその虚飾を許しはしない。
その虚飾を断固としてはぎとり、裸にする。
されている方は、地獄に再度落とされていくカンダタのようなものだ。
蜘蛛の糸にすがりついてやっと救われるかと思ったのに、
救い主であると思っていた釈迦のまさにその手で
最後の希望が断ち切られるのだ。

般若心経は蜘蛛の糸を断ち切る鋭利な刃である。
その慈悲の刃をしっかり受け止め、
全身あます処なく死に切ること。
そこに般若心経の本願があり、
釈迦の慈悲の本体がある。

完全に全的に死にきることで
始めて我々はこの、
生命世界の真只中に生かされていることを
体感することができるのだ。
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12月の勉強会は、質疑応答のあとお時間をいただいて、
一元流鍼灸術の全体像とこれからの目標についてお話ししまし
た。以下にファイルをアップしてありますので参考にしてください。

内容目次は以下の通りです765キロバイトあります。

■目標および前提
すべての疾病は気一元の身体で起こっている。
事実に即して古典を書き換える

■ー元流の原点
臍下胆田を中心とした気ー元の身体観を基本とする。
「場」を二五の観点からみる。
「場」には個性がある。それを器という。
陰陽五行は、その器の中を観る方法。
見える範囲で論を立てる

■ー元流の到達点
器の概念。括られた場を見ることの大事
気血一如、陰陽一体。課題は生命力とその偏在。
診察部位は、小さな気ー元の場。
行灯図+六六難図→肝木図
一体としての奇経ー経脈観
補瀉一体、虚実ー如。
症状治療→気一元の身体観に基づく養生治療。
症状の弁証論治→生命の弁証論治へ。
特効穴治療→穴性学→探索経穴から弁証を省みる
裏を建てる=脾腎の充実=根を付けることの大事。
永遠の未完。そこに初めて、真実を探究し続ける心が舎る。
死生観にもとづく養生とは何か―生の美学について

http://1gen.jp/1GEN/1GEN2016.pdf
ここには長方形の筒が描かれています。それが縦に三層に分かれています。三階だてて中が空洞の筒なのです。床も天井もありません。ただの筒。これは身体を表現しています。三焦という意味ですね。その底部には油を入れる小さな皿、その中に注がれている油、油に浸された灯芯灯芯の先に燃えている火が描かれています。これは先ほどの筒の一番下に置かれています。下焦の部分に置かれているわけです。下焦に置かれていますけれどもこの灯りは筒全体を照らしさらには外に溢れ部屋を照らす大元になっています。この皿が腎の器であり、油が腎精です。そしてこの燃えている火が命門の火とされているわけです。灯芯についてはとくに記載はありません。

この長方形の筒の上部には大きな帽子のような蓋がされています。この蓋には、華蓋という名前がつけられており、肺に該当するとされています。肺で上部を閉じておかないと、どんなに命門の火が強くてもその内部に蓄められることなく洩れていってしまうため、生命力が充実しないのです。

行灯の図はこのように腎と三焦と肺で構成されている全身像です。腎間の動気を命門の火と考えて構いません。生命力の根源である腎間の動気と、それを衛る外衛である肺がしっかりしていることによって、充満している三焦の生命力が充実し身体が温かくなっていくようすが一枚の絵で表現されているわけです。

この行灯の図は、「杉山流三部書」の中の医学節用集に出てくる、気一元の身体観を示しているものです。
『難経』の解説書である『難経鉄鑑』の六十六難は、このような図が掲示されています。行灯の図の経穴への展開と言えます。『鍼灸真髄』において大正の名人鍼灸師である沢田健しに絶賛された六十六難の図です。氏は、毎朝この六十六難に対面し、原気の流行および栄衛の往来を黙って座ってみていれば、身中の一太極を知ることができると述べています。さらには、万象の妙契〔伴注:森羅万象の秩序の背景に隠されている真理〕にまで思い至ることができるであろうとも。

この六十六難の図には何が描かれているのでしょうか。基本的には原穴の意味を表現している図です。原穴には十二ありますので、十二原とも題されています。上段にその十二原穴の名前が配されています。太淵・大陵・太衝・太白・太谿・兌骨(神門)・丘墟・衝陽・陽池・京骨・合谷・腕骨ですね。そして下段にはそれに対応する十二経絡の名前が書かれています。この両者の結びつきについて考察されているわけです。

十二原穴と十二経絡の間には、「原」という文字が一字真ん中に書かれていて、その言葉について解説されています。一つは三焦の尊号という言葉です。三焦を尊んで原という言葉を使っているというわけです。もう一つは三焦がめぐるところの兪という言葉が書かれています。三焦がめぐっている経穴、三焦の気が通っている経穴が原穴であると述べているわけです。原、これは三焦と関連し尊いものであり、原穴はその三焦の生命力の表現なのだと述べているわけです。

十二原穴と十二経絡との間に原という文字が書かれていてその解説がされていると述べました。実はこの図の下にはさらにもう一つ「原」という文字が真ん中に書かれています。この原にも解説が付されています。それは腎間の動気という言葉と、その解説としての、人の生命という言葉、それに十二経脉の根という三つの言葉です。つまり、一番下に書かれている原は、腎間の動気と呼ばれるもののことであり、これは人の生命の大元でありまた十二経脉の根であると述べられているわけです。先ほどの行灯の図を思い浮かべてください。同じことが書かれているということが理解できると思います。人の生命の大元は行灯の図の下焦部分に置かれている灯火であり、六十六難の図ではこれを腎間の動気と呼び原としているわけです。その原気が十二経脈を通じて表面に表れたものが原穴であるとしているわけです。行灯の表面に経穴という名前でその根元的な生命力が輝き出ている、そう書かれているわけです。

さて、この一番下の原と十二原穴を結んで線が描かれ、二つのことが書かれ解説されています。その一つは、三焦は原気の別使という言葉です。三焦は一番下の原すなわち腎間の動気の表現であるというわけです。行灯の図における灯りそのものが三焦であると考えているわけです。そしてもう一つは、三気を通行し五臓六腑を経歴すると書かれています。三気を通行しているということはもちろん三焦の気を通行しているという意味です。そして五臓六腑を経歴しているという言葉の意味は、五臓六腑を経歴して、十二原として表現されているという意味です。腎間の動気という生命力の根源とも言える最も深い位置にあるものが、三焦を通じ五臓六腑を経歴することを通じて十二原穴として表現されていると、そのように述べられているわけです。

六十六難の図はこのように、人身においてもっとも大切なものとして腎間の動気をあげ、その表現として十二原穴を捉えているわけです。行灯の図ではここに華蓋としての肺が描かれていましたが、ここではそれは省略されています。原という言葉の解説だからですね。

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