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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

次に掲げている図は、今ここにあるいのちと、その表現方法についての関係を表したものです。この図の外に、言葉に言葉を重ねて、虚言、妄言を吐いている人々の大いなる闇が存在しています。虚言妄言は、妄想が文字を作り出しているため、この量の多さと価値のなさとの落差には、驚くべきものがあります。最も目立つものですけれども、ここでは全く触れていないということに注意して下さい。より大切なこと、意味の裏付けのある、リアルな言葉についてだけ、この表にまとめてあります。

知の構造の図
知の構造の図

今、目の前にいる患者さんの生命の声を聴き、言葉を紡ぐこと。これが現代においてわれわれ鍼灸師が実践していることです。ここにおいて今、未来に向けた古典―基礎とする価値のある言葉が積み重ねられていくわけです。

生命の声を聴き、言葉を紡ぐというこの行為は、道を求める者たちのやり方でもありました。「今、ここ」にある「いのち」は、常に変化しているものですから、それに触れることはたいへん難しいことです。ましてやそれを表現する言葉など存在しません。そのため、誠実な求道者はただその「いのち」を楽しみ、今を生きることになります。その「いのち」を楽しみ今に生きることを日本民族は「かんながら」と表現してきました。

ただあるがままに生き、あるがままに死ぬ。その間の短い生をありがたくいただいて、生かされるままに生きることを味わってきたわけです。

そのような人々が言葉を知り、「いのち」のリアリティーから少し離れることになると、泣き始めます。その泣き声が世界に陰翳を作り出し、幸不幸という相対概念を発生させます。

そしてその同じ泣き声によって、求道、真のリアリティー―生命そのものに触れるための旅路が始まります。これが物語の始まりです。


この図は、そのような求道者のもつ言葉のありさまを表現しているものです。現代社会に氾濫している虚言や妄言は、ここでは触れていません。真実のある言葉だけを配当した地図です。

何度も述べていますが、存在そのものは言葉で表現することはできません。そのような存在そのものをここでは「いのち」と、呼んでおきます。「いのち」に触れその中身を表現しようとした人は古来たくさんいます。それがこの一番下に書かれている言葉です。「万物一体の仁」(王陽明)「仏性」(釈迦)「自他一体」(不明)というのがそれです。「仏性」以外は「いのち」の実体を表現しようとしている言葉です。概念として意味をもつ言葉を用いてしまうと、「いのち」そのものよりも狭くなってしまうのは致し方ないことです。


「いのち」に触れることも、それを表現することも、実はたいへん難しいことです。そのため、その「方法」を図に書いておきました。それが「自己を手放し存在そのものを感じ取る」という心の姿勢です。その姿勢を継続していっても、実際に時々刻々変化していく「いのち」は、触れたと思ったときには逃げていきます。そのため、それを求め続ける心を維持する必要があります。

「得た」と思った時はそれは「逃した」時です。その求める続ける心を維持するための動機となるものが「永遠の疑問」を持ち続けることです。これは、ほんとうはどうなんだろうと考え続ける、好奇心を持ち続ける、ということを意味しています。

「自己を手放し存在そのものを感じ取る」ように心がけていくと、言葉の裏に何が隠されているのか感じ取れるようになります。そして、言葉には軽重があるということが理解できます。華麗な言葉、難かしい言葉、複雑すぎ繊細すぎる言葉の多くは、事実と乖離した、空論です。「いのち」に近づけば近づくほど、言葉は失われ、存在が力を持っていきます。この辺り、言葉を手放して「いのち」そのものに肉薄していこうとする方向のことを、「求道の方向」という言葉を用いて表現してみました。


この「いのち」を、鍼灸師は自分の内側に求め、そして、患者さんの内側の動きが外側に表れているものとして観察します。

内外の別はありますが、心の用い方は同じです。「自己を手放して存在そのものを感じ取る」ということです。なぜ自己を手放さなければならないのでしょうか。あるがままの「いのち」をありのままに受け容れるためには、自己の枠組みというものが、小さすぎて邪魔になるためです。自分は分かっているという思い込みはもちろんのこと、自分の考えや感情や知識であっても「見る」ことを妨げます。じっさいの「いのち」に触れる前に答(「わかった」とか「わからない」という判断)を出してしまうためです。

じっさいの「いのち」に触れることをさせない、もっとも強い妨害者が自分自身です。あるがままにあるものをありのままに「見る」ということを、私たちは自分自身に対して赦していません。そこが大きな問題であり、問題の根源となっています。


禅でよく言われる「不立文字」『易』でいうところの「感応」の世界が、この「いのち」と共に生きている自分自身の位置を正しく表現しています。表現や理解を拒絶し、ただありのままにそこにあるものと、響き合う世界があるだけなのです。これが下段に書いてあることです。

次に、その「いのち」に触れたときの感動を表現しようと人はします。それが、詩や音楽という芸術の基となります。宗教家であればこれが、「いのち」に触れるという真理へその精神を導く、言葉や指導となるでしょう。言葉として、より客観性を帯びさせようとしたものとしては、我々がおこなう弁証論治や科学的な表現があります。感じとった「いのち」をできるだけそのまま表現しようとしているわけです。「いのち」はあるがままにあり、変化し続けています。ですからそれを表現し尽すことはできません。けれどもその不可能な行為をやり続けているものが人であると言えます。これが二段目に書かれていることです。


「いのち」は言葉を拒絶します。意味ある言葉にされたものはすでに「いのち」から隔たっています。おもしろいのは、図の上に行くほど言葉が多くなることです。真実を核としていてもこれほど多くの言葉が費やされなければならないことに私は驚くほかありません。しかも、表現されきることもないのです。なんて豊かな世界なのでしょう。

この図は誠実な人々の言葉についてのみ、述べているものです。「いのち」に触れ、それを表現し、「いのち」の実体によって世界を導こうとしている人々。「いのち」に帰ることで、人々をその視野狭窄から救い出し、安らぎの世界に導こうとしている人々が、心を尽して語っている真実のある言葉です。

これらの人々とは異なり、現代には、「いのち」を知ろうともせず言葉に言葉を重ね、あるいは虚言・妄言までをも吐く人々で満ち溢れています。このような人々の言葉は、他の人々を巻き込んで、人が「いのち」そのものに触れることを絶対に赦さないかのようです。妄想の檻を作っているのです。その妄想はとても深く厚い雲となって、世界を覆っています。

自分を見、人を見るためには、その雲を払い、檻から出る必要があります。


鍼灸師は、「いのち」の只中に立ち、四診を通じて生命の偏りや揺らぎを知り、それを調整しようとしています。ですから、「いのち」をきちんと「見る」姿勢が、その基礎になければならないわけです。
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「いのち」と言葉


さて、東洋医学的鍼灸は求道者によって創始され、江戸時代の求道的な精神を背景にして、気一元の身体観とともに花が咲きました。

探究の焦点となる、自分自身を見つめる心の位置と、四診をする心の位置はおなじです。これは、神道―仏教(禅)―儒学(古義学)を貫く一点となります。

江戸時代の知の基盤である、「自己の内面を祓い浄め、磨き出された自己の中心をもって、他者を診」ること、すなわち「究極のリアリティー」に、日本における東洋の医学の基礎をおかなければなりません。この心の位置を極めることによって、言葉を越えて存在そのものへと肉薄することができます。ここまで、前回お話ししました。


古代の聖人である、舜(しゅん)の行動様式について孟子は、「舜は仁義によりて行う、仁義を行うにあらず」と述べています。(『孟子』離婁(りろう)章句下二〇)仁義の心を内なる柱として建て、その心に従って自在に舜は行為していた。頭で考えた仁義の定義に従って行動していたのではない、と。

仁義にのっとった行為を、文字にまとめ、経典として作成し、後世に遺すことはできます。そしてそれを道徳として語りつぎ、神聖視することもできるでしょう。その道徳を実践し、それに従って人を裁くこともまたできるわけです。

けれども舜の行いはそうしたものではなかった。自分の中に仁義という正しい柱を建て、後は時と処と縁による行いに任せた。言葉を越えた行為がそこにはあったのだということを、孟子は語りたかったわけです。


このことは、伝承されている東洋医学を神聖視している人々、発掘された書物を神聖視している人々に深い反省をうながすことでしょう。日本には現在、東洋医学の経験方と呼ばれるものが非常にたくさん蓄積されています。また、その屋上屋を重ねるように、体表の反応を見もせずに経穴の意味や効果を定める人々がいます。それは、仁義というものがその時と処と縁を得た関係性の中に行われているということを理解できずに、定義だけで仁義を行うことができると思っている人々と同じなのではないでしょうか。

伝承を大切にする東洋思想には、反面、古人の言葉を神聖視し、無批判にそれを受け入れてしまう傾向があります。古人の言葉であっても、それが事実かどうか、注意深く嗅ぎ分けていかなければなりません。そのためには、真実とはなにかを探究し続けていく求道の精神が、より一層求められることになります。

伝承されてきた多くの書物に記載された記述は、今目の前にある患者さんの生命状況を理解するための道具のひとつです。鍼灸師は、それを左手に軽く握りながら、事実はどうか、という探究心の下、四診をしなければなりません。

今目の前にいる患者さんこそが、古典の原点であり、その生命の声を聴き、言葉を紡ぐことこそが、鍼灸師の仕事となっているからです。

次に掲げている図は、今ここにあるいのちと、その表現方法についての関係を表したものです。この図の外に、言葉に言葉を重ねて、虚言、妄言を吐いている人々の大いなる闇が存在しています。虚言妄言は、妄想が文字を作り出しているため、この量の多さと価値のなさとの落差には、驚くべきものがあります。最も目立つものですけれども、ここでは全く触れていないということに注意して下さい。より大切なこと、意味の裏付けのある、リアルな言葉についてだけ、この表にまとめてあります。
第二章 言葉を越えて存在そのものに肉薄する



さて、東洋医学的鍼灸は求道者によって創始され、江戸時代の求道的な精神を背景にして、気一元の身体観とともに花が咲きました。

現代と同じように、江戸時代にはさまざまな学派や流派がありました。それぞれその派閥の論にのっとって論争していましたが、自説に固執していたわけではありません。このことは現代の自分自身の心を振り返ればすぐ理解できるでしょう。我々はただほんとうのことを知りたいだけであって、そのための方法として論争をしたり意見を述べ合います。そして自説を改めることを怖れることはありません。

求道的とは何かというと、真実を求めるということです。何かを前提にしていては真実を求めることなどできません。真実を求めるということは未だ自分は真実にいたっていないということを意味しています。だからこそ求めつづけることができるのです。

自分は未だ至っていない、だからより自分自身を磨き続ける必要がある。無知を知る、という言葉の意味の本体はここにあります。求めつづけるところに求道的な精神の所在があるわけです。つまり、求道的な鍼灸師はどのような道でも良いから今の不完全な自分をより完成度の高いものへと磨き上げたいと思っているのです。

そのためには、現代であれば西洋思想であれ精神分析学であれカウンセリングであれ、手当たり次第に勉強していきます。勉強する量があまりに多くてたいへんなため、自分の好奇心の及ぶ範囲で勉強するという限界はもちろん生じます。けれども、そのような限界の中で、勉強を重ねていくわけです。そうやって、人間理解への道をさらに歩んでいきます。治療とはなにか、治療効果が上がるとはどういうことか、といったことに対する理解もまたそのように探究し続けることによって深まっていくわけです。


現代の鍼灸師にも一人一派というほど多くの流派があります。所属している団体がどうであれ、問題は目の前の患者さんとどのように向き合い、治療の手を入れていくのかというところにあります。そしてその行為の背景には必ず、なんらかの人間観があります。

西洋医学的な人間観しかもっていない鍼灸師もいます。また、患者さんの主訴に対して暗記した経穴学を順次適用していくという、経験方を中心としたものがあります。古典にはこの方法の積み重ねられたものが、処方集としてうずたかく積まれています。特効穴治療もその中に入るでしょう。経穴学としてこれを学び、まとめたものとして穴性学が考案されもしています。この背景にあるものは、ある経穴は特定の症状に対して効果があるという考え方です。生命を見るのではなく症状や証候を見ているわけです。

弁証論治を行う人々は、それよりも少し広い範囲で患者さんを捉えようとしています。望診・問診・脉診・腹診・経穴診などを通じて全体的にその生命状況を理解しようとするわけです。そのような弁証論治をおこなうグループの中にも大きく分けると、二つ流れがあります。それは、望・聞・問・切という四診を通じて、その「疾病を理解」し、病名をつけて治療法をさぐっていくという「疾病理解のため」に弁証論治をおこなう方法と、四診を通じてその「生命状況を理解」し、その生命のバランスがとれるように生命力が向上できるようにと手を入れていくという方法です。私はこの後者のグループに属しています。

私がこのグループに属しているのは別に、私が望んで選択してそういうグループに入っていったということではありません。ただ、ほんとうの治療とは何か、ほんとうの鍼灸とは何かということを暗中模索していくことを通じて、徐々に理解が深まり、このような位置におさまっていっただけのことです。


中国の医書が大量に導入された江戸時代の医家も、同じように書物の海と実践の狭間であえぎながら、真実を求めていたのだと思います。そのころは、まず伝統的な医学の歴史を受容した上で、さらにそれを越えて、基本的な概念である陰陽五行論を否定したり、四診の基礎でもある脉診を否定したり、さらには経絡をも否定する人々も出現することとなりました。

現代よりもさらに過激で自由で原理的な批判が、江戸時代にはあったのだということは押さえておく必要があります。


そこには、実際に目の前にいる人間を診ながら人間理解を深めていくという姿勢がありました。別の言葉を使うならば、文字を通じて文字を越え、さらなるリアリティーを探究していったと言えるでしょう。そこにはまた、見えていないものを見えてないとするという正直さがありました。そのおかげで大陸風の観念論を越えていくことができたわけです。そしてそれでもなお見ていこうとする姿勢によって、外には経穴探索の勉強会を開くこととなり、内には上記した知の一点の確認に及ぶこととなります。


さて、前回までで明らかにしてきたように、求道に始まった鍼灸医学は江戸時代の日本の求道者たちの前に、気一元の生命観に基づいた新たな展開をもたらしました。その背景には、「陽明学の致良知と、禅の悟りの一点と、神道における禊跋とは「共通する一点」」を懐胎している江戸時代の知の結晶が基盤としてあります。

一個の求道的な生命において、仏教の本質と儒教の本質と神道の本質とが一つの無言の真理として自覚されたわけです。それによって、「自分自身の本体を磨き出」していきました。自分自身を磨き出すためには、今の自分自身を手放す必要があります。

そのはじめの一歩が、禊跋で行われます。神道の叡智が自らの穢れを払うということを啓示しています。自らの穢れ、その根本は何かというと、言葉とそれへの執着です。

よく考えていただきたいのですが、人間が生活していく上でもっとも頼りにしているものは言葉です。感情であれ理性であれ、すべて言葉を通じて構成されています。そしてこの文章も言葉を通じて語りかけています。

この文章を読んでいるあなたは、あなたがすでに理解している言葉の意味でこの文章を読んでいます。つまり多くの場合、あなた自身がすでにもっている言葉のカテゴリーの中にこの文章の内容を組み入れて、理解したつもりになっているわけです。

もし私が完全無欠に日本語を用いて表現できたとしても、それを理解するのはあなたの頭です。ということは多くの場合、あなたはすでに理解していることの中に私の言葉を組み入れ、理解できないことを排除しているわけです。より強くいえば、理解したいことだけをつまみ食いしているわけです。自分の理解できる言葉の範囲を越えることはいつもたいへん難しいことです。

けれども、この文章によって語られていることをほんとうに理解しようとするときには、自分自身の言葉の組成と異なるものがそこに存在していることを覚悟しなければなりません。理解とは実は自己の変革によってしか起こらないものなのです。そのような理解があって始めて、あなたは自分自身の限界をこえることができます。

このことを、「言葉を越えた理解」と表現しています。自分自身が作り上げている定義の牢屋、それが言葉です。その言葉を越えて存在そのものに触れる。そこに自分の意識の位置を建てつづける。これが「自分自身の本体を磨き出す」ということの内容です。自身がほんとうの意味で無知であることを知る、それが始まりなのです。


この、言葉を越えて存在そのものに肉薄する同じ姿勢が、四診においてもとられなければなりません。

勉強会をやっていると、自分自身の手を信じられない人が多くいることに気がつきます。このような自己の矮小化は、自分自身を磨いていく上では大切なことです。今に止まっていることはできないからこそ、勉強会にきているわけです。けれども、今見えている範囲を見えていると受け入れないと、それを拡充することはできません。師匠のようには見えてはいないけれども自分なりに確かに見えている、その積み重ねによって、より見えるようになっていくわけです。

今の自分を受け入れながら、それに止まることなくさらに自分を磨くということが、四診をする上で必須のこととなります。このあたりのことを伊藤仁斎は、「聖人の道は誰でも入ることはできる簡単な道だけれども、極めることは非常に難しい永遠の道である」と述べています。自分を信じて一歩を踏み出してみるけれども、あまりの難しさ判らないさに呆然としてしまう。けれども今の自分がすでに、永遠の道への貴重な一歩を踏み出している。その一歩より貴重な一歩は存在しません。その一歩をすすめることができる自分を信頼し、続けていくこと、それが道を歩むということです。


この両面の行為。自分自身の中においては、自分自身がすでにもってしまっている言葉を越えて自分自身本体に肉薄しなければ、自分自身の本体を理解することはできない、ということ。四診を通じて生命を理解しようとするときには、言葉を越えて存在そのものに肉薄する覚悟をもたなければ何も診ることはできない、ということ。この両者はその対象となるものは内と外とでまった異なります。けれども、その心の位置と探究し続ける姿勢とはまったく同じであるということが、理解されなければなりません。

「自分自身の本体を磨き出すことによって、自らの良知を鏡として人生を生きていく、それが陽明学における道を歩むということです。今この瞬間のリアリティをつかむということの中に禅の悟りの本質があります。それは自分を抜けて世界の中に落ちていく、世界が自分の本質であり自分はその中で生かされている生命にすぎない。そういう自覚。そこにおいて、自他は一体のものであり、自分の痛みは他者の痛み他者の痛みは自分の痛みであるという、大いなる生命のつながりを自覚することです。その一点に気付くことが悟りであり、その一点に気付き続けることが禊跋であり、その一点を鏡として今を生きていくことが致良知ということにな」るということへの気づきが、江戸時代の知の基盤にあったわけです。

そしてこの基盤にいたるために、自己の内面を祓い浄め、磨き出された自己の中心をもって、他者を診たわけです。日本における東洋の医学の基礎は、求道の精神に従ってこの一点を磨くことを自覚した、究極のリアリティーの探究にこそおかれなければなりません。
.懸賞論文募集要項


目的:東洋医学を、四診に基づく養生医学として構築しなおすための理論を蓄積することを目的とします。

方法:先人の理論を乗り越えあるいは破砕し、よりリアリティーをもったものとして奪還すること。新たに構築したものでも構いません。

第一期 期限:2020年10月10日

■参加方法■

■一元流鍼灸術ゼミナールの会員は一論文につき五千円を添えて提出してください。

■一般の方は一論文につき一万円を添えて提出してください。

■文体は自由ですが、現代日本語に限ります。

■TXTファイルかPDFファイルで提出してください。

■選者は、疑問を明確にし文章を整理するためのアドバイスをします。

■未完成なものでも構いません。何回かにわたって完成させるつもりで、
   出していただければ、その完成へ向けて伴走をさせていただきます。


懸賞金

■特別賞:十万円

■優秀賞:一万円

■奨励賞:五千円

選者:伴 尚志

送付先:ban1gen@gmail.com

受賞論文は、一元流のホームページに掲載します。

各賞の受賞本数は定めません。


【参考論文】

参考論文として私の発表しているものを提示しておきます。この参考論文は、私の興味の及んだ範囲ですので、狭いと思います。世界がもっと拡がると嬉しいです。

自分の井戸を掘る、ただし独断ではなく他の人々が理解できるように。ということを目標にしていただけると幸甚です。


論文【肝木の身体観】

 一元流鍼灸術の身体観



論文【一元流鍼灸術とは何か】

 一元流鍼灸術の道統



論文【奇経一絡脉論とその展望】

 奇経を絡脉の一つとした人間構造



論文【『難経』は仏教の身体観を包含していた】

 『難経』に描かれている身体観



論文【日本型東洋医学の原点】
 江戸時代初期の医学について



論文【本居宣長の死生観】

 死生観について



論文【疾病分類から生命の弁証論治へ】

 養生医学の提言



論文【鍼灸医学のエビデンス】

 エビデンスを磨く上での課題と目標





..始まりの時


始まりの時


東洋医学は、先秦時代に誕生し、漢代にまとめられ、人間学、養生医学として現代に伝えられています。天地を一つの器とし、人身を一小天地と考えた天人相応の概念を基礎とし、それをよりよく理解するために陰陽五行の方法を古人は生み出しました。臓腑経絡学は、あるがままの生命である「一」天人相応の「一」を実戦的に表現した、核となる身体観となっています。

天地を「一」とし、人を小さな天地である「一」とするという発想が正しいか否かということは検証されるべきところです。けれどもこれは東洋思想の基盤である「体験」から出ているということを、押さえておいてください。

この「一」の発想は、古くは天文学とそれにともなう占筮からでています。また、多くの仏教者はこのことを「さとり」として体験しています。そして多くの儒学者の中でも突出した実践家である王陽明は明確に、「万物一体の仁」という言葉で、この「一」を表現しています。

ですので、この「一」の視点は、思想というものを支える核となる体験を表現しているものです。これは、ひとり支那大陸において思想の底流となったばかりではなく、日本においても神道―仏教(禅)―儒学(古義学)を貫く視座となっています。


視座とは、ものごとを理解し体験するための基本的な視点の位置のことです。東洋思想の真偽を見極めるためにはこの「視座」を得る必要があります。それは、真実を求めつづける求道の精神を持ち続けることによって得るしかありません。このように表現すると何か古くさい感じがしますが、実はこれこそ、科学的な真理を求める心の姿勢そのものです。

この心の位置を始めにおいて、我々はまた歩き始めます。東西の思想や医学を洗い直し、新たな一歩をすすめようとしているわけです。

医学や思想の基盤を問うこと、ここにこの勉強会の本質は存在します。

体験しそれを表現する。その体験の方法として現状では体表観察に基づいた弁証論治を用い、臨床経験を積み重ねています。それを通じて浮かび上がってくるものが、これからの臨床を支える基盤となります。いわば今この臨床こそが医学の始まりの時です。

我々の臨床は自身のうちに蓄積された東西両思想、東西両医学の果てにあるものですが、その場こそがまさに思想と医学が再始動する場所なのです。

臨床において我々は、何を基礎とし、何を目標とし、何を実践しているのでしょうか。この問いは、古典をまとめた古人も問い続けた、始まりの位置です。この始まりの問いに対し、再度、向き合っていきましょう。

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