肝は感情に支配されやすく、全身の生命力を動かすため、将軍の官とも呼ばれています。生命力の再配置を行っているわけです。
感情や意志との関わりが強いことを考慮に入れると、身体観というよりも生命観と呼んだ方がいいかもしれません。東洋医学では、身心を一元の生命力として捉えますので、身体観でも生命観でも同じ意味になります。
肝木の身体観の中では、心は天の精であり火に象徴されます。腎は地の精であり水に象徴されます。
この心と腎、火と水、天と地という並べ方を、陰陽関係と呼びます。心が陽で腎が陰、火が陽で水が陰、天が陽で地が陰です。精とあるのは、その場の本質というほどの意味です。
また、肺は天の本体であり金に象徴されます。脾は地の本体であり土に象徴されます。
木火土金水はこのようにして、五臓に配分され、小宇宙としての構造を持つと考えられています。これを図にすると以下のようになります。

・肝木は人の内なる小さな気一元の存在
・肝には陰陽があり、
・根を養うものが脾腎、
・枝を養うものが心肺
「人」は天地の間にあり、天地をつなぐ存在です。肝木は人の内なる小宇宙における小さな「人」として、同じように、身体内の小天地における天である心肺と地である脾腎とをつないでいます。
このことを逆から表現するなら、天に根ざして大きく枝を広げて天の清気を吸収し、地に根ざして深く根を張って地の濁気を吸収する。天地の大いなる養いによって人の内なる肝木は大きく育っていくと言うことができます。この天地に養われ、天地を結ぶものとして成長していく木のイメージが肝木の身体観であるということになります。
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本書で詳細にお話しすることとなる肝木の身体観は、肝木の概念を中心とした身体観です。腎水の身体観として紹介した臍下丹田を中心とした身体観を基本としています。肝木の身体観は、腎水に根ざした肝木という揺らぐ生命を基幹として、「ひとくくり」の生命観を構想しているものです。
東洋医学で現在一般的に使われている五行理論は、『黄帝内経』の中でも比較的後期に考案されたものです。いわゆる五行を相生相剋として把握し機械的図式的に捉えているものです。五角形の図で表現されています。
漢代にできた東洋医学の古典である『黄帝内経』の中には、抽象的な五行の概念として、相生相剋というものがあります。五行は木→火→土→金→水の順に生じてまた木に戻るというものが相生という概念であり、木×土×水×火×金と相互に過剰を抑制しあうのが相剋という概念です。これは漢代の儒家によって研究された春秋学に基づいています。
春秋学というのは、当時までの王朝の盛衰を五行に置き直して現王朝の正当性を証明しようとしたものです。一つの王朝を五行のうちの一つ項目にあてはめて、火の王朝には水の王朝に傷られる宿命だったとか、土の王朝は火の王朝を嗣ぐ宿命だったなどと考えて、歴史を評価し現在の王朝の正当性を唱えるための理論を作っていったものです。
考えてみると人の身体はまるごと一つのものとして存在しています。そして五臓すべてをその体内に具え、協調してその生を育んでいます。ですからこの相生相剋の理論は人身に転用すべきものではありません。実際、この相生相剋理論は歴代の医家によって乗り越えられ、臓象学説あるいは臓腑経絡学説としてより具体的な生命観を与えられています。
肝木の身体観は、そのような医療の歴史を踏まえて積み上げられてきた五臓の相互関係についての理論を基にしているものです。春秋戦国時代に作成された五行論を捉えなおし、清代に作成されました。発想の基本はその名の通り、肝を中心におくところにあります。
以下の項目があります。少しづつ解説していきます。
■天地を結び天地に養われる肝木
■肝は人の生きる意志
■肝の活動を支える脾腎
■現代社会の病
■肝鬱は邪気か
■肝の化粧
■肝鬱二態
東洋医学で現在一般的に使われている五行理論は、『黄帝内経』の中でも比較的後期に考案されたものです。いわゆる五行を相生相剋として把握し機械的図式的に捉えているものです。五角形の図で表現されています。
漢代にできた東洋医学の古典である『黄帝内経』の中には、抽象的な五行の概念として、相生相剋というものがあります。五行は木→火→土→金→水の順に生じてまた木に戻るというものが相生という概念であり、木×土×水×火×金と相互に過剰を抑制しあうのが相剋という概念です。これは漢代の儒家によって研究された春秋学に基づいています。
春秋学というのは、当時までの王朝の盛衰を五行に置き直して現王朝の正当性を証明しようとしたものです。一つの王朝を五行のうちの一つ項目にあてはめて、火の王朝には水の王朝に傷られる宿命だったとか、土の王朝は火の王朝を嗣ぐ宿命だったなどと考えて、歴史を評価し現在の王朝の正当性を唱えるための理論を作っていったものです。
考えてみると人の身体はまるごと一つのものとして存在しています。そして五臓すべてをその体内に具え、協調してその生を育んでいます。ですからこの相生相剋の理論は人身に転用すべきものではありません。実際、この相生相剋理論は歴代の医家によって乗り越えられ、臓象学説あるいは臓腑経絡学説としてより具体的な生命観を与えられています。
肝木の身体観は、そのような医療の歴史を踏まえて積み上げられてきた五臓の相互関係についての理論を基にしているものです。春秋戦国時代に作成された五行論を捉えなおし、清代に作成されました。発想の基本はその名の通り、肝を中心におくところにあります。
以下の項目があります。少しづつ解説していきます。
■天地を結び天地に養われる肝木
■肝は人の生きる意志
■肝の活動を支える脾腎
■現代社会の病
■肝鬱は邪気か
■肝の化粧
■肝鬱二態
腎水を中心とする身体観は、臍下丹田の認識とも相まって大切なものです。後天の生命力の中心である脾と対比して、腎は先天の生命力の中心であるとされています。臍下丹田を人身の中心とし、そこに意識を置くことを重視する身体観です。この身体観は、健康法の極意でもあり、仏教―ことに禅とつながりの深いものとなっています。
この腎水を中心とする身体観の起源は、後漢中期、紀元100年頃に書かれた東洋医学の古典である『難経』という書物で前面に出ました。東洋医学のそれまでの古典である『黄帝内経』では、「命門」の位置が目に置かれていましたが、『難経』では、臍下丹田に置かれています。「命門」という重要な言葉の指示するものが、目から臍下丹田へと変化しているわけです。このことは、『難経』の作者が身体観の大きな変化を表現しようとしているものです。
『難経』ではこの臍下丹田を、「腎間の動気」と名づけ、「人の生命であり、十二経の根本で亅あるとしています。(六六難)十二経というのは生命力の流れる通路です。ですからこの言葉は、臍下丹田こそが生命の根本であると断じているものです。また、「上部に脉がなく下部に脉がある場合は、もし困窮している状態であったとしても害はありません亅(十四難)と、人身の根としての脉の位置である、尺位の脉を重視しています。尺位の脉は腎を意味していますから、これもまた腎であり命門の位置である、臍下丹田を重視した言葉であると言えます。
このように、「命門」の位置が目から臍下丹田へと移動したということの背景には、支那大陸への仏教の伝来があります。仏教における座の暝想の影響が、このような身体観の大転換をもたらしたわけです。その後、時代を下るにつれてこの臍下丹田を中心とした身体観は、暝想する際に意識を置く中心だけでなく、武道における身体の中心として、また健康法における意識の中心としても重視されることとなります。
脾土の身体観
脾土を中心とする身体観は、四角形の中心に脾土を置くという、東洋思想ではもっとも古い身体観です。気一元の場の中に、東西南北の位置を想定し、中央に脾土をおくものです。これは東洋医学の最古の古典である『黄帝内経』の中でも、もっとも古い記述に属します。北を玄武、東を青龍、南を朱雀、西を白虎と、象徴的な名前を付けて呼ぶことがあります。ここには、天を見てこれを名付けているような印象があります。星座のイメージです。日本で発見されたキトラ古墳や高松塚古墳では、石室の天井に星とともに描かれています。
中央に脾土をおくのは、古代において食がいかに大切であったかを想起させます。その土地の食べ物をいただき、その土地に生きその土地に埋葬される。土人すなわち中心の人、あるいは土民の生き様を尊重したものであると思えます。中央は黄色で表現され、古代の聖王の中心が黄帝であることも、この中央脾土を重視するという、あたりまえの姿勢を想起させるものです。
東洋医学ではこの脾と胃とを、後天の生命力の中心であると考えています。食事を摂りそれを消化して全身に栄養として送り、不要なものを排泄する。脾胃の機能はまさに生きている人の身体全体を養う、大切なものです。
金元の四大家として尊称されている名医である李東垣は、この脾胃の大切さに目覚めていました。そのため、脾胃を中心とした身体観に基づく東洋医学の考え方を『脾胃論』という象徴的な題名の書物としてまとめています。
脾土を中心とする身体観は、四角形の中心に脾土を置くという、東洋思想ではもっとも古い身体観です。気一元の場の中に、東西南北の位置を想定し、中央に脾土をおくものです。これは東洋医学の最古の古典である『黄帝内経』の中でも、もっとも古い記述に属します。北を玄武、東を青龍、南を朱雀、西を白虎と、象徴的な名前を付けて呼ぶことがあります。ここには、天を見てこれを名付けているような印象があります。星座のイメージです。日本で発見されたキトラ古墳や高松塚古墳では、石室の天井に星とともに描かれています。
中央に脾土をおくのは、古代において食がいかに大切であったかを想起させます。その土地の食べ物をいただき、その土地に生きその土地に埋葬される。土人すなわち中心の人、あるいは土民の生き様を尊重したものであると思えます。中央は黄色で表現され、古代の聖王の中心が黄帝であることも、この中央脾土を重視するという、あたりまえの姿勢を想起させるものです。
東洋医学ではこの脾と胃とを、後天の生命力の中心であると考えています。食事を摂りそれを消化して全身に栄養として送り、不要なものを排泄する。脾胃の機能はまさに生きている人の身体全体を養う、大切なものです。
金元の四大家として尊称されている名医である李東垣は、この脾胃の大切さに目覚めていました。そのため、脾胃を中心とした身体観に基づく東洋医学の考え方を『脾胃論』という象徴的な題名の書物としてまとめています。