メイリングリストという場:2021年
この勉強会は、会場で集い触れあいながら実技と勉強をするリアルの場(オフライン)と、メイリングリストで言葉のやりとりをする(オンライン)の場があります。昨年から今年にかけて、リアルの場での勉強がしにくくなり、メイリングリストでの勉強が中心になっています。
それでも参加費用に変化はないため、勉強会に「寄附」していると言われる人がいました。まさに、自ら主体的に参加していないということを表現している言葉ですね。
オフラインでの場所もオンラインでの場所も、あなたのためにあります。これを活用するかどうかはあなた次第です。今できることを一歩づつ。自分が勉強していること、感じていることをアップしていきませんか。
私は主催者ではありますが、参加者のひとりです。私が持っている情報を提供してはいますけれども、それがあなたに合うかどうかは私には理解できません。何かの発信が行われれば、それにそう言葉が出てくる可能性があります。けれども発信がなければ、私は私のまま言葉を出していくしかありません。
勉強会のカリキュラムや、これまで勉強して気づいてきたことなどは、テキストである『一元流鍼灸術の門』や一元流鍼灸術のWEBサイトそして会員になると配布されるこれまでのやりとりをまとめた裏テキストで述べられています。そしてさらに先に私は進もうとしています。それを眺めるだけでなく、自らの熱をそこに入れることが出きます。一元流鍼灸術を批判し再構成し深化させることに参加することができるわけです。その場としてオンオフ、両方の場が用意されているわけです。
2012年に「メイリングリストという場」という題名でこの場所の使い方を少し書いてあります。
その中で述べられている内容は以下の三種類です。
・勉強会の前には勉強会の時にやる内容が、予習と準備のため入ります。
・勉強会の後には、その感想などを投稿して意見の交換をすることができます。
・自身で症例を投稿して弁証論治の練習を行ったりしています。
それ以外に、自分の現在の課題をアップしてみるということもいいことだと思います。せっかく論文を募集し、懸賞金も付いているわけですから、それに乗らない手はないでしょう。何を課題にして勉強し何を感じているのか、そのことを表現していくなかで、自らの思考をまとめていくことができます。
上から目線で何かを教え理解させようとするのではなく、自発の芽を育ててくれるこのような場所は希有なことだと私は思います。しっかりと自らに問い、疑問を育て、その疑問と対決して自らの頭で理解していく、その過程を表現してみてください。
この勉強会を、楽しんで、活用していってください。
この勉強会は、会場で集い触れあいながら実技と勉強をするリアルの場(オフライン)と、メイリングリストで言葉のやりとりをする(オンライン)の場があります。昨年から今年にかけて、リアルの場での勉強がしにくくなり、メイリングリストでの勉強が中心になっています。
それでも参加費用に変化はないため、勉強会に「寄附」していると言われる人がいました。まさに、自ら主体的に参加していないということを表現している言葉ですね。
オフラインでの場所もオンラインでの場所も、あなたのためにあります。これを活用するかどうかはあなた次第です。今できることを一歩づつ。自分が勉強していること、感じていることをアップしていきませんか。
私は主催者ではありますが、参加者のひとりです。私が持っている情報を提供してはいますけれども、それがあなたに合うかどうかは私には理解できません。何かの発信が行われれば、それにそう言葉が出てくる可能性があります。けれども発信がなければ、私は私のまま言葉を出していくしかありません。
勉強会のカリキュラムや、これまで勉強して気づいてきたことなどは、テキストである『一元流鍼灸術の門』や一元流鍼灸術のWEBサイトそして会員になると配布されるこれまでのやりとりをまとめた裏テキストで述べられています。そしてさらに先に私は進もうとしています。それを眺めるだけでなく、自らの熱をそこに入れることが出きます。一元流鍼灸術を批判し再構成し深化させることに参加することができるわけです。その場としてオンオフ、両方の場が用意されているわけです。
2012年に「メイリングリストという場」という題名でこの場所の使い方を少し書いてあります。
その中で述べられている内容は以下の三種類です。
・勉強会の前には勉強会の時にやる内容が、予習と準備のため入ります。
・勉強会の後には、その感想などを投稿して意見の交換をすることができます。
・自身で症例を投稿して弁証論治の練習を行ったりしています。
それ以外に、自分の現在の課題をアップしてみるということもいいことだと思います。せっかく論文を募集し、懸賞金も付いているわけですから、それに乗らない手はないでしょう。何を課題にして勉強し何を感じているのか、そのことを表現していくなかで、自らの思考をまとめていくことができます。
上から目線で何かを教え理解させようとするのではなく、自発の芽を育ててくれるこのような場所は希有なことだと私は思います。しっかりと自らに問い、疑問を育て、その疑問と対決して自らの頭で理解していく、その過程を表現してみてください。
この勉強会を、楽しんで、活用していってください。
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このゼミでは何を学ぶことができるかというと、それは人間を診る技術です。治療の前に患者さんをよく診てその状態を判断する必要があります。そのあたりのことを東洋医学の歴史的な人間観を踏まえながら実技とともに勉強していこうとするわけです。
勉強の方法は、テキストの講読と、実際に人に触れてみることで行われます。ゼミの後半になると、自分自身を症例として、その弁証論治を自分自身で書いていくことによって、実際の弁証論治の書き方とともに、患者さんの気持ちも学べます。また、それをメイリングリスト上で行いますので、他の人がどのようなところで引っかかり、どうやってそこから抜け出していくのかということを学ぶことができます。
やってみるとわかるのですが、人間を診る弁証論治を作り上げることができるようになると、治療法などは工夫次第でいくらでも広がります。何でもいい得意な手段を使えばいいわけです。
そのあたりのキメができるところまで学んでいただければ嬉しく思います。
勉強の方法は、テキストの講読と、実際に人に触れてみることで行われます。ゼミの後半になると、自分自身を症例として、その弁証論治を自分自身で書いていくことによって、実際の弁証論治の書き方とともに、患者さんの気持ちも学べます。また、それをメイリングリスト上で行いますので、他の人がどのようなところで引っかかり、どうやってそこから抜け出していくのかということを学ぶことができます。
やってみるとわかるのですが、人間を診る弁証論治を作り上げることができるようになると、治療法などは工夫次第でいくらでも広がります。何でもいい得意な手段を使えばいいわけです。
そのあたりのキメができるところまで学んでいただければ嬉しく思います。
一元流鍼灸術の勉強会は二本立てで行われています。参加者が実際に集う一月に一回の勉強会と、メイルのやりとりを通じて行われるメイリングリストによるものです。
一元流鍼灸術の勉強会では、メイリングリストが非常に大切な役割を果たしています。メイリングリストでは上記した弁証論治の実際について対話形式で指導が行われて、治療経過もアップされています。また、勉強会の感想や疑問などがあげられ、それに対する解説が行われています。また、代表の雑感などがアップされることもあります。
ですから、一元流鍼灸術の勉強会に積極的に参加するためには、インターネットにつながっているパソコン環境が必要となります。一ヶ月に100通以上のメイルのやりとりが行われており、時に爆発することもあります。
実際の勉強会になかなか参加できない方でも、メイリングリストでは積極的に参加している方もいます。また、表面的には参加できなくとも、読むことを継続されている方もいます。さまざまな形で関わり学ぼうとしている方がいるわけです。そしてどのような形であれ我々は歓迎しています。
『一元流鍼灸術の門』は、読むたびに新しい発見がある実践の書であるため、本当の理解に到るのはなかなか難しいようです。ことに現代の思考法と異なる思考法を学習するわけですから、現代人である、自身の発想の癖を乗り越えるところが難しいようです。
『一元流鍼灸術の門』は年初の一月から読み始め年末には読み終えます。一年が一サイクルになります。
実技は初歩的な指導をスタッフが行い、毎回さらにその自身の実技の腕を深めていけるように工夫するということになります。触れて行う体表観察が中心で、脉診・腹診・経穴診・背候診が中心になります。これらは組み合わせて行われ、実際に経穴に触れたときの脉状の変化、経穴にアプローチした前後の処置経穴および診断経穴の変化についても、それぞれが実際に触れながら学びます。
書物は読むことでセンスがあれば理解できますけれども、実技は一人ではできません。実技を身につけ磨くためには、実際の一元流鍼灸術の勉強会に参加するしかありません。
ある程度理解が進んできた人は、まず自身の問診を作成し、また勉強会の場で再度問診をした後、体表観察と組み合わせて一元流のホームページに掲載してあるような弁証論治を作成していただきます。ここが学ぶことの終着地点でありまた始まりの場処となります。ここに至って初めて人間理解の方法の全体像を把握することができるわけです。この詳細の指導はメイリングリストで行われます。
存在に肉薄する古人の方法は、現代思想に比して見劣りがするものではありません。惜しむらくは、経典に対する信仰心からか、経典をその時代の思想潮流の中で読みこなしきれず、せっかくの宝物を病気治療の方法を探索する道具としてしか利用し得てこなかった、我々後人の怠慢が、経典の価値を引き下げてしまいました。
臨床の中から古典を読まなければならない。人間理解の中から古典を読み解かなければならない。そう一元流鍼灸術は主張しています。
一元流鍼灸術の勉強会では、メイリングリストが非常に大切な役割を果たしています。メイリングリストでは上記した弁証論治の実際について対話形式で指導が行われて、治療経過もアップされています。また、勉強会の感想や疑問などがあげられ、それに対する解説が行われています。また、代表の雑感などがアップされることもあります。
ですから、一元流鍼灸術の勉強会に積極的に参加するためには、インターネットにつながっているパソコン環境が必要となります。一ヶ月に100通以上のメイルのやりとりが行われており、時に爆発することもあります。
実際の勉強会になかなか参加できない方でも、メイリングリストでは積極的に参加している方もいます。また、表面的には参加できなくとも、読むことを継続されている方もいます。さまざまな形で関わり学ぼうとしている方がいるわけです。そしてどのような形であれ我々は歓迎しています。
『一元流鍼灸術の門』は、読むたびに新しい発見がある実践の書であるため、本当の理解に到るのはなかなか難しいようです。ことに現代の思考法と異なる思考法を学習するわけですから、現代人である、自身の発想の癖を乗り越えるところが難しいようです。
『一元流鍼灸術の門』は年初の一月から読み始め年末には読み終えます。一年が一サイクルになります。
実技は初歩的な指導をスタッフが行い、毎回さらにその自身の実技の腕を深めていけるように工夫するということになります。触れて行う体表観察が中心で、脉診・腹診・経穴診・背候診が中心になります。これらは組み合わせて行われ、実際に経穴に触れたときの脉状の変化、経穴にアプローチした前後の処置経穴および診断経穴の変化についても、それぞれが実際に触れながら学びます。
書物は読むことでセンスがあれば理解できますけれども、実技は一人ではできません。実技を身につけ磨くためには、実際の一元流鍼灸術の勉強会に参加するしかありません。
ある程度理解が進んできた人は、まず自身の問診を作成し、また勉強会の場で再度問診をした後、体表観察と組み合わせて一元流のホームページに掲載してあるような弁証論治を作成していただきます。ここが学ぶことの終着地点でありまた始まりの場処となります。ここに至って初めて人間理解の方法の全体像を把握することができるわけです。この詳細の指導はメイリングリストで行われます。
存在に肉薄する古人の方法は、現代思想に比して見劣りがするものではありません。惜しむらくは、経典に対する信仰心からか、経典をその時代の思想潮流の中で読みこなしきれず、せっかくの宝物を病気治療の方法を探索する道具としてしか利用し得てこなかった、我々後人の怠慢が、経典の価値を引き下げてしまいました。
臨床の中から古典を読まなければならない。人間理解の中から古典を読み解かなければならない。そう一元流鍼灸術は主張しています。

肝木を中心とした生命観
【木の図】
肝木は人の内なる小さな気一元の存在
肝には陰陽があり、
根を養うものが脾腎、
枝を養うものが心肺
これは、今述べた、日本的な身体観を少し五行的に置きなおしたもので、清代の末期に人身一小天地の論として発表されていたものをまとめたものです。書物は《医原》。石寿棠の著作です。
病因病理を考えて弁証論治をしていくと、慢性病においては多くの場合脾虚・腎虚・肝欝という状態から悪循環を繰り返していることが見て取れます。これは現代人の型なのではないかとひそかに思っています。
後天の生命力である脾と、先天の生命力である腎という器が時代のスピードに追いつくことができないまま、肝気を張ってがんばっている状態であるともいえます。また逆に、肝気を張ってがんばり過ぎたために、脾腎の器が損傷されている状態を示しているとも言えます。
現代という、スピードの速いストレスの多い時代についていくには肝気を張ってがんばるしかない。古来からあまり大きな変化をしていない生命力の中心である脾腎の器は、それを支えるだけの力がなく疲れきっている。不健康の悪循環を生み出す社会システムがここにあるということもまた、このことは示していると言えます。
このような状況をうまく説明していくことのできる生命観が、「肝木を中心とした生命観」です。
肝木を中心とした生命観は、木〔注:肝〕が大地〔注:脾〕に根ざし水〔注:腎〕を吸い上げ天〔注:肺〕に枝を伸ばして太陽〔注:心〕を浴びている姿と相似しています。木はまた四季にしたがってその姿を変えますので、これもまた人間の生命を表現するにふさわしいものと考えられます。
中医学では肝木の暴虐がよく取り上げられていますけれども、肝木が枝葉根幹ともに充実していると、いわゆる肝気の暴虐は起こりにくいということはもっとよく理解されるべきでしょう。
上にも述べましたけれども、現代人において肝木が充実しているということは生活をしていく上で必要条件となっています。肝木が安定して充実していることによって、心肺脾腎の交流が守られ、心肺脾腎の充実によって、肝木としての身体の根幹もまたしっかりと充実した姿をあらわしていきます。
この社会からの保護者としての肝木の意義と、より大きな一本の木としての人体の有様をここに見て取ることができます。
■ まとめ
東洋医学における人間観は、このように全身をひとつの分けることのできない生命として把えているものです。病んでいる患者さんにも人生があり、圧倒的な生命がまずそこにあるわけです。一元流の弁証論治は、このような生命のあり方を理解し、それを応援するものでありたいと考えています。
東洋医学には東洋医学の人間観・生命観があります。それに従って病気に対する認識が行われてきたわけです。
東洋医学と西洋医学とがどのように関係していくのかは、その人間観に基づいて、皆様がそれぞれ自分自身で考えを深めていただくことを期待しております。
不妊治療においての西洋医学と東洋医学との関係のとりかたについては、《不妊!大作戦》(米山章子著 伴 尚志監修 たにぐち書店刊 2008年)の中で伴 尚志が明らかにしています。