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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

一元流鍼灸術の使い方2

古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかというと、体表観察を重視し、決め付けずに淡々と観るということに集約されます。今生きている人間そのものの全体性を大切にするため、問診が詳細になりますし、患者さんが生きてきたこれまでの歴史をどのように把握しなおしていくのかということが重視されます。これが、時系列を大切にし、今そこにある身体を拝見していくという姿勢の基となります。

第一に見違えないこと、確実な状態把握を行うことを基本としていますので、病因病理としても間違いのない大きな枠組みで把握するという姿勢が中心となります。弁証論治において、大きく臓腑の傾きのみ示している理由はここにあります。そして治法も大きな枠組みを外れない大概が示されることとなります。

ここまでが基礎の基礎、臨床に向かう前提となる部分です。これをないがしろにしない。土台を土台としてしっかりと築いていく。それが一元流鍼灸術の中核となっています。


それでは、実際に処置を行うにはどうするべきなのでしょうか。土台が基礎となりますのでその土台の上にどのような華を咲かせるのか、そこが個々の治療家の技量ということになるわけです。

より臨床に密着するために第一に大切なことは、自身のアプローチの特徴を知るということです。治療家の技量はさまざまでして、実際に患者さんの身心にアプローチする際、その場の雰囲気や治療家の姿勢や患者さんとの関係の持ち方など、さまざまな要素が関わっています。また、治療家によっては外気功の鍛錬をしてみたり、心理学的な知識を応用してみたりと様々な技術を所持し、全人格的な対応を患者さんに対して行うこととなります。

病因病理を考え、弁証論治を行うという基礎の上に、その様々な自身のアプローチを組み立てていくわけです。早く良い治療効果をあげようとするとき、まず最初に大切なことは組み立てた基礎の上に自然で無理のないアプローチをするということです。ここまでが治療における基本です。

さらに効果をあげようとするとき、弁証論治の指示に従って様々な工夫を行うということになります。それは、正経の概念から離れて奇経を用いる。より強い傾きを患者さんにもたらすために、処置部位を限定し強い刺激を与える。一時的に灸などを使い補気して患者さんの全体の気を増し、気を動きやすくした上で処置部位を工夫する。外邪と闘争している場合、生命力がその外邪との闘争に費やされてしまいますので、それを排除することを先に行うと、理気であっても全身の生命力は補気されるということになり、気が動きやすく導きやすくなる。

といったように、気の離合集散、升降出入を見極めながら、弁証論治で把握した患者さんの身体の調整を行なっていくわけです。

一言で言えば、気一元の身体を見極めて、弁証論治に従いながら、さらにその焦点を明確にしていくことが、治療における応用の中心課題となるわけです。このあたりの方法論は古典における薬物の処方などで様々な工夫がされており、とくに傷寒論の方法論は参考になるものです。
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一元流鍼灸術のテキストを何回か読んでみると、これが単純なことしかいっていないのが理解されてくると思います。通奏低音のように語り続けられているそれは、気一元の観点から見ていくんだよ。それが基本。それが基本。というものです。

基本があれば応用もあるわけです。ただ、応用を言葉で書いてしまうと、基本が入っていない人はその応用の側面のみを追及して結局小手先の技術論に終始することとなり、東洋医学の大道を見失ってしまうので、これまで書いてきませんでした。

基本の型があり、基本の型を少しづつ崩していって自分自身の型を作っていくということが安定的な着実な研究方法です。けれども臨床というものは不思議なもので、独断と思い込みである程度成果を得られたりするんですね。そしてそういう人ほど天狗になる。謙虚さを失ない、歴史に学ぶことをやめてしまう。もったいないことです。

基本的な型は現在入手できる「一元流鍼灸術の門」に書かれています。一元流鍼灸術は、東洋医学の根本を問いただす中から生まれています。それは、古代の人間理解の方法論を現代に蘇らせようとしているものであるともいえます。(そういう意味では、中医学とはその目標と方法論とがまったく異なるわけです。)

生きている人間を目の前にしてどのようにアプローチしていくのか。そこには実は、古代も現代もありません。ただ、現代人は知識が多く、それが邪魔をして、裸の人間が裸の人間に対して出会うということそのものの奇跡、神秘をないがしろにしてしまう傾向があります。小手先の技術に陥っていくわけですね。

そこで、古代の人間がどのように患者さんにアプローチしてきたのかということを現代に復活させようということを、一元流鍼灸術では考えているわけです。
一元流鍼灸術の目指すもの

一元流鍼灸術の基本は、気一元の観点で観るというところにあります。

その際の人間理解における背景となる哲学のひとつに、天人合一論があります。これは、天地を気一元の存在とし、人間を小さな気一元の存在としていわばホログラムのような形で対応させて未知の身体認識を深めていこうとするものです。

天地を陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとするのと同じように、人間も陰陽五行で切り分けて把握しなおそうとします。これは、気一元の存在を丸ごとひとつありのままにあるがままに把握しようとすることを目的として作られた方法論です。このことによく注意を向けていただきたいと思います。


この観点に立って、さらに詳しく診断をしていくために用いる手段として、体表観察を用います。体表観察していく各々の空間が、さらに小さな気一元の場です。天地を望み観るように身体を望み観、全身を望み観るように各診断部位を望み観る。この気一元(というどこでもドア)で統一された観点を、今日はぜひ持って帰っていただきたいと思います。

ここを基本として一元流鍼灸術では人間理解を進めていこうとしています。確固たる東洋医学的身体観に立って、過去の積み重ねの結果である「今」の人間そのものを理解していこうとしているわけです。

ここを基礎として、精神と身体を統合した総合的な人間観に基づいた大いなる人間学としての医学を構築していきたいと考えているわけです。
『生命の医学 ー 伝統鍼灸の挑戦』

この文章は、紹介用頁作成のためにつくられたものです。
以下の紹介用頁に、本文であるpdfファイルのリンクが張られています。
http://1gen.jp/1GEN/RONBUN/Life medicine.HTM

【目的】

生命は言葉以前にそこに存在しているものであり、分けて考えることはできません。分けて考えることはできないということは、言葉にして表現するといつも的外れとなり、その一部しか表現していないということを意味しています。

この「表現できない」ということを自覚しつつ、それを表現することから、伝統医学の学問的伝統が発生していると、私は考えています。

ここには、言葉に言葉をつないだプラトン以来のギリシャ哲学や、戦国時代末期から漢代に発生した春秋学、そしてそれに続く「学問と呼ばれる言葉の群れ」に対する根源的な批判が存在することになります。

「言葉」に対する強い警戒があって初めて、「言葉を越えて存在している生命そのもの」が、古人によってあるいはそれを嗣ぐ人々によって描かれている状況が見えてきます。そこにおいて実は、東西の言葉の使用法の垣根が初めて乗り越えられることとなります。

東西の伝統医学を統合し、望聞問切という四診―人間観察方法を通じて、まるごと一つの生命の動きを捉え記述していく。ここにこそ次代の生命の医学を築いていくための基礎があります。この文章はその基礎を明確にすることを目的としています。



【方法】

生命そのものをみる方法として、東洋医学の四診法を基本とし、それをまとめあげて弁証論治を作成することを通じて、私は人間理解としての鍼灸治療を行ってきました。それを伝えるための勉強会を運営していく中から発生した、基本的な課題および生命についての理解を、現時点でまとめてみたものがこの文章になります。

東洋医学といっても幅がとても広いものです。生命そのものを理解しようとして四診法を用い人間理解を通じて治療処置を定めていくという方法を私は探究し、一元流鍼灸術と名づけています。これに対して、生命そのものを理解するのではなく、対症療法としての治療効果を求める、狭義の西洋医学のようなものを、古典の文献の中に探し求め、伝統医学と称している人々もたくさん存在しています。私はそのような知識の寄せ集めではなく、人間理解の智慧の記載として伝統医学を読み込み、現代への活かし方を探究してきました。

ここでは現時点での、その成果をまとめ、これからの課題を提出してあります。生命の医学についての研究は、これからの時代の医学を担うものとなるでしょう。そこに、東洋医学の伝統鍼灸の側面から、未来を開くための提案を、私はしようとしているわけです。





【目次】

        はじめに

        第一章 日本医学の原点と思想的背景

        第二章 言葉を越えて存在そのものに肉薄する
            「いのち」と言葉
            知の構造の図

        第三章 生命の揺らぎ
            一の視点
            「一」の括り

        第四章 身体観
            はじめに
            三種の身体観
            脾土の身体観
            腎水の身体観
            肝木の身体観
                天地を結び天地に養われる肝木
                肝は人の生きる意志
                肝の活動を支える脾腎
                現代社会の病
                肝鬱は邪気か
                肝の化粧
                肝鬱二態

        第五章 観るということ
            視座の変化
            寸口の脉診
            陰陽五行で脉を診る
            生命力の変化を見る
            気一元の観点から観る

        第六章 弁証論治の土台づくり
            生命があって反応がある
            四診の評価はその体質によって異なる
            一次資料の質
            五臓の弁別

        第七章 生命の病因病理
            生命の器
            理解できる範囲で論を立てる
            情報は柔らかく握る
            見る前に語るなかれ
            言葉の距離感:遠近法の大切さ
            病因病理を書くにあたって

        第八章 処置する
            生命の弁証論治チャート図
            虚実補瀉
            好循環悪循環と敏感期鈍感期
            内傷病と外感病
            生活提言
            全身の生命力を調えることを目標とする
            あるがままに診、治す

        第九章 未来への課題
            治療目標
            医学の目的
            古典の読み方
            生命の弁証論治
            四診に根拠を求める
            養生の医学
            生の奇跡
            鍼灸道の構築に向けて
            知識を得ること知恵を得ること

        おわりに 生命の医学に向けて

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