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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

■ 胃の気と死脉


両手首の寸口の脉を用いて脉診をします。脉診をするときに、
一元流鍼灸術ではよく、胃の気を診るという表現をします。胃の
気を診るということは、その脉状を呈している人の生命力の状
態を診ているということです。


生命力の状態とは何かというと、バランスが取れているのか、
元気そうかどうかということになります。生命力がいかにバラン
スがよくても動きがない脉状のものは、衰えてきているものです。
バランスが非常によくみえる理由は、生命力が衰えきって、生
命力の表情を脉状という表面に表現することができなくなってい
るためです。基本の生命力が衰えているわけですから死脉とな
ります。重篤な慢性病の末期によく出ます。きれいで浮沈のバ
ランスが取れている脉状なので、あれっと思います。もう他界し
かけている患者さんの現状とは、まったく合わない状態が、脉
状としては表現されているわけです。死期が迫っているときに出
るきれいな脉状、これは胃の気の絶えた状態の脉状です。古典
に書かれてはいません。そういう意味では、特殊な死脉というこ
とになります。けれども、このような脉状を死の直前に呈してい
たという、鍼灸師の報告は意外と多く聞いたことがあります。記
憶しておいてください。



学校で教わる死脉には、七死の脉というものがあります。いわ
ゆる古典に書かれている死脉です。


弾石(石を弾くような非常に堅い脉状)
解索(散乱してしまい捉えがたい脉状)
雀啄(チチチときて指に痛い脉状)
屋漏(ポタポタと粘って滴るような渋った脉状)
蝦遊(去来が明確ではなく、動きが不安定な脉状)
魚翔(去来する魚影のような不安定な脉状)
釜沸(沸き上がるお湯のように散じていく脉状)

と七種類挙げられています。上文から理解できるようにこれら
は、胃の気がまだあるため、困窮し、激しい表情を出している
(出すことができている)脉状です。このようにいかに苦悶の表
情を脉状では示していても、生命力を建てるように治療をするな
らば、全身の状態が回復していくとともに、治まってきます。


七死脉として脉状の名前が挙げられていると、それがあるよう
な気になって、一生懸命探したりします。けれども、見つかるこ
とは非常に稀でしょう。七死脉のような派手な脉状となる以前の、
微細な変化が脉状には表現されます。テキストの215ページか
ら書かれているものがそれです。


大切なことはしかし、脉状を分け言葉にするということではあり
ません。「それぞれのバランスが取れていて、個別の脉状として
診えにくいとき、それを胃の気の通った脉状であると考え」(21
6ページ)ています。そこに向かっているすなわち「一」に向かっ
ているのか否か、というところが問題となります。


脉診の心構えとして、テキストの次の行にはもっと大切なことが
書かれています。すなわち「もっとも重要なことは、生命力を診
ると心に定めて診ることです。これを胃の気を診ると私は呼んで
います。生命力を診るのだと心に定めて診るとき、脉の診え方
が大きく変わるのは、まこと不思議なことです。」(216ページ)


脉診というものはこの、胃の気の絶えた一本の棒のような脉状
と、胃の気の充実した一本の棒のような脉状との間におこる生
命力の状態を診ているわけです。その人の状態によって、激し
く強く表現されることもありますし、微細な表現でわかりにくい人
もいます。そのそれぞれがその生命力の表現=胃の気の表現
であるわけです。


診るたびに脉状が変化する人もいます。古典ではこれを怪脉と
呼んでいます。気虚がきつくて生命の揺らぎが大きい人です。
根が弱いため、気分が変化するにつれて脉状も変化してしまい
ます。フワフワとしていて変化が大きいわかりにくい脉状です。
どの臓の気虚なのかは次の問題です。もちろん心臓病の人もい
ます。けれども病名のまだ付けられない段階での弱り方が出て
いる場合の方がはるかに多いということは、ここまで読んでこら
れた方は理解されていることと思います。
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診断地点は、全身の生命の縮図


萩谷さん 加藤さん いつも勉強会の報告をありがとうございます。m(_._)m

kさんが書かれている、「肝木の身体観と難経鉄鑑の六十六難の図(杉山流の行灯の図も)は同じものである」「どれも生命を観て描いたものだから」という言葉はとても大切です。

kさんがいわれているとおり、「どこに焦点を当てて表現するのかで、図も違ったものに見えるけれど、見ているものは生命で、すべての図の元である、」ということなのです。

生命を観るということは、私たちは日常的な臨床で行っていることです。それをどのような角度から捉えなおしていくのか、ということが、生命を構造的に観ていくということの意味です。

時代によってもっとも大切なものがなにかということが変化してきたということは、二つ前のお話しで述べています。すべては気一元の生命についての話であり、一人ひとりが臨床で捉えている生命そのものの解説です。その中で、それぞれの古人が重視しているものが異なるため、語り方が変化し、それを図にしたものが異なってくるわけです。


そして、このことに気が付くためには、図を見ても図に囚われていてはいけない。図を離れて一つの生命である人間を見、その気一元の生命を見ることのために図を利用するという視点が必
要である。ということになります。生命が先、図が後。生命が先、言葉は後からつけたものということです。生命を見ようとし、見えた生命を表現するために工夫されたものが言葉であり図である。そうでなければいけない。ということです。

「生命を見ようとし、見えた生命を表現するために工夫されたもの」ということから今回より具体的なものとして、脉診の話をすることとなりました。生命を見るというと観念的になりがちですので、脉を診るということに置きかえていったわけです。

一元流鍼灸術では、四診における診断地点を、全身の生命の縮図であると考えています。今回の話で出てきた、脉処もその一つです。背候診における背部、腹診における腹部、経穴診における十二原穴、尺膚診における尺膚、舌診における舌も、いわば小さな気一元の場所として捉えているわけです。

それぞれに表現における特徴はありますが、気一元の場所であるからこそ、先人が診断地点として遺してくれている。そう考えているわけですね。
考えることを止め、そしてまた観る


伴「気一元の観点から胃の気の脉診、臍下丹田から肝木の身体観まで、その関連性について行っています。図示されているものとしては、杉山流の行灯の図と難経鉄鑑の六十六難の図と肝木の身体観は同じものの異なる表現である」

佐藤「私はこの3つが同じものを表現している、ということがまだ理解できていないようです。と言うか、肝木の身体観について理解できていないようです。


特に肝木の身体観と三焦との関わり、加えてこれを考えていたら、十二経絡と臓腑、三焦についても分からなくなってきて混乱してきました。」

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混乱をきたした時には、考えることを停止することをお薦めします。考えることを停止して、観ることに帰ります。そうすると、目の前の生命を観ていたということ、気一元の生命を観てこれを表現しようとしていたということがおもいだされてくることでしょう。時代によってさまざまな角度がつけられてきたわけですけれども、すべては生命を表現しようとしてきたものなのですね。

・脾胃中心の時代(先秦時代紀元前300年ころ:『素問太陰陽明論』)があり、
・仏教伝来にともなう臍下丹田―腎中心の観点を提示された時代(「後漢:紀元後100年ころ」)があり、
・人の生きる意志を重視した肝木を中心とした観点が提示された時代(清代1600年代、日本の江戸時代)があります。

臓腑を中心とする観方としては、脾胃→腎命門→肝木と推移しているようにみえますけれども、実は同じように患者さんを診、生命のありようを表現しているものであると考えています。

私たちも患者さんを診、その生命のありようを観て、「後進の得」としてすべての生命観を掌に入れて、観ることができます。そして、その多彩な観点を推し進めることもできるわけです。

言葉に囚われて、その言葉の解釈に走るようだったら、考えることそのものをやめます。考えが止んで生命を観る心の位置を確かに掴むことができたとき、古人の表現の濃淡、その表現の中心はどこにあるのかといったことを読み直ていくわけです。

一元流鍼灸術はそのようにして組み立てられていったものなのですね。
失敗の研究

弁証論治を起てて、さぁ治療するぞというとき、ふたたび迷うことがあります。
それは、弁証論治そのものは自信を持って起てられたんだけれども、果たしてその方針で主訴の解決に至るのだろうかという疑問です。

実は、歴代の医家の症例集などを読む理由の多くは、このあたりの頭の柔軟性を広げるというところにあります。

実際に患者さんに出会うと、目の前の患者さんが困難に直面している局所に着目してしまい、それを何とかしたいという欲が出てくるわけです。そこで、弁証論治と実際の治療との乖離が生まれてきます。弁証論治は起てたのだけれども雑駁な治療をしてしまい、何をやったのか実際のところはわからないという事態に陥るわけです。

これが臨床家の一番の問題となります。治ったけれどもその理由がわからない。治せなかったけれどもその理由がわからない。これではいつまでたっても臨床が深まることはありません。

病因病理を考えて弁証論治を起てるときに多くの場合、全身状況の変化を追うということに主眼がおかれてきます。そのため、実際に患者さんが困苦している部位と全身とがリンクしているのか否かというあたりに確信がもてなかったりするという事態が起こります。また、リンクしていると思えても、実際そうなのかどうか。果たしてそれで治療として成り立つのだろうかという不安がよぎります。

そのような時の心構えとして、

1、問題点を整理しなおす
2、臨床は失敗例の積み重ねであると腹を括る(これでだめなら次の手をといつも考えておく)
3、治療処置を後で振り返って反省できるようなものに止める
4、ひとつひとつ自分が何をやっているのか確認しながら手を進める

ということが必要となります。上手に失敗することができると、問題の所在が明確になります。弁証論治に問題があればそれを書き改めます。処置方法に問題があればそれを工夫します。治療頻度の問題であればそれを改めます。上手に失敗することができるとそこに、さまざまな工夫の花を咲かせる事ができるわけです。

下手に成功すると、安心してしまい、次もこの手でいこうなどと思い、臨床が甘くなります。反省もしにくくなり、成功例の積み重ねのみを自慢する、宗教家のような臨床家に成り下がってしまうわけです。

大切なことは、上手に失敗し続けること。その積み重ねが自分自身の本当の力量を高めていくということを知ることなのです。

「患者さんの身体から学ぶ」方法論の確立

患者さんの身体から学ぶというとき、その方法論として現代医学では、臨床検査やレントゲンやCTなどを用います。筋肉骨格系を重視するカイロなどでは、その身体のゆがみや体運動の構造を観察する方法を用います。東洋医学では望聞問切という四診を基にしていきます。一元流でこの四診を基にし、生育歴(時間)と体表観察(空間)とがクロスする現在の人間の状態を把握します。

これらすべては、人間をいかに理解していくのか。どうすれば人間理解の中でその患者さんに発生している疾病に肉薄していけるか。そのことを通じて、その患者さんの疾病を解決する方法を探るために行われます。

一元流鍼灸術の特徴は、生きて活動している気一元の身体がそこに存在しているのであるということを基本に据え続けるというところにあります。


東洋医学はその発生の段階からこの全体観を保持していました。そして、体表観察を通じて臓腑の虚実を中心とした人間観を構成していきました。臓腑経絡という発想に基づいたこの人間観こそが東洋医学の特徴であり、他の追随を許さないところであると思います。

「患者さんの身体から学ぶ」この営為は、東洋医学の伝統となっています。そもそも、東洋医学の骨格である臓腑経絡学が構成されていった過程そのものがこの「患者さんの身体から学ぶ」という営為の積み重ねた末の果実なのですから。

ただ、この果実には実は一つの思想的な観点があります。生命そのものを観、それを解説するための観点。それが生命を丸ごと一つとして把え、それを陰陽という側面、五行という側面から整理しなおし再度注意深く観ることを行う、ということです。

この、実在から観念へ、観念から実在へと自在に運動しながら、真の状態を把握し解説しようとすることが、後世の医家がその臨床において苦闘しながら行ってきたことです。

一元流鍼灸術では、その位置に自身を置くこと、古典の研究家であるだけでなく、自身が後学のために古典を書き残せる者となることを求めているわけです。

古典を学び、それを磨いて後学に手渡すことを、法燈を繋ぐと言います。

この美しい生命の学が、さらなる輝きを21世紀の世界で獲得するために、今日の臨床を丁寧に誠実に行なっていきましょう。

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