fc2ブログ

一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

■Q&A一括りの人を見る


>私たちはこれから、『東洋医学で人を診る』ことを学ぼうとしています
>が、そもそも、この『東洋医学』というのは、どこからきて、どういっ
>た体系で語られているものなのでしょうか?


もともとは『東洋医学』というものがあるわけではありません。ただ身
体を診て治療する技術があっただけです。近代に入って西洋から医学が
導入されて、これまでの自分たちの医学とは人間観も方法論も大きく異
なるため、それを西洋医学と名づけ、これを東洋医学と名づけました。

東洋医学は、主に支那大陸で言語化されました。はじめは朝鮮半島を経
て、次に遣隋使などで大々的にこの医学が伝えられました。紀元5世紀
のころです。この医学は、徐々に日本に浸透していきます。禅僧を中心
として鎌倉時代から江戸時代の初期まで、日本人は支那大陸の文明を学
んでいます。あるいは日本に輸入された書籍から、あるいは実際に大陸
に留学して。


東洋医学の古典としては、「素問」「霊枢」が基本です。「黄帝内経素
問」「黄帝内経霊枢」とも、あるいは両方合わせて単に「黄帝内経」と
も呼ばれています。また「霊枢」は「鍼経」と呼ばれたり「九巻」と呼
ばれたりもしていますが、同じものです。もともとは何百年かにわたっ
て伝えられた伝統医学が、後漢時代にまとめられたものです。この「黄
帝内経」は、黄帝に仮託された問答形式として書かれていますので、後
漢時代に流行した「黄老道」という道教の元祖の思想流派がこのまとめ
において中心的にかかわっていたとみるべきでしょう。


支那大陸の医学の特徴は、人間を一つの括りとして、一括りの天地に対
する小天地として把え、天地を俯瞰して陰陽や五行を編み出すのと同じ
方法で、人間を分析し統合して把えようとしているところにあります。

これは、天地を観察するように人間をもともと観察していたものですが、
その体表観察の結果を当時最先端の思想である陰陽五行論にあてはめな
がら、さらに深く理解していこうとしたものです。ですから、伝統医学
を学ぶためにはその基礎概念として陰陽五行の構造を学ぶ必要がありま
す。このあたりのことが「一元流鍼灸術の門」に中心的に書かれていま
す。
スポンサーサイト



■『鍼灸真髄』の取穴法について


『一、沢田先生の取穴は極めて自由で、経穴の分寸にはあまり拘泥しなかった。反応のあらわれを仔細に観察して、あらわれた処に治穴を求めたのである。これは特に断つておき度い点である。』(凡例8p)

〔伴注:『鍼灸真髄』に書かれている何病にはどの経穴の効果が高いとか、邪の流れの話などは、この『仔細な観察』の結果手に入れたものを、澤田健がおしゃべりし、その言葉を代田文誌が書き留めたものです。鍼灸師が行うべきことは実は、その結論である吐き出された言葉を集立て整理したりして、それににすがることではありません。その結論を出すに至った過程、すなわち「反応のあらわれを仔細に観察する」ことです。これはつまり、自分がきちんとそれを診れるのかどうか点検すること。そのことを繰り返し踏み固めることです。この行為は最も基盤となることであり、言葉を読む―古典を読む―『鍼灸真髄』を読むことよりもはるかに大切なことです。自分の指を先にし、言葉を後にして、しっかりと観察を積み重ねること。その行為の果てに迷いながら出てきた言葉ほど大切なものはありません。揺らぎつつそこにほのかに立つ言葉を見つめつつ、再々度、臨床を通じ、自己の体験を通じて見つめていくこと。その体験の積み重ねは、どのような「真理」の言葉よりもはるかに貴重なものです。一元流鍼灸術はそこに依拠して語りはじめているものです。澤田健が常に言っていたという「書物は死物なり、死物の古典を以て生ける人体を読むべし」(凡例11p)という言葉はまさに『鍼灸真髄』にも当てはまることなのですね。〕
■四診について



四診についての解説はテキスト『一元流鍼灸術の門』の196pから書いてあります。
それとは別に要点をまとめてみたものを勉強治療会で板書しました。

ーーーーーーーーーーーーー

●生命にとって重要か
 1重要であり、急を要する→現代医学へ(交通事故などの
大けがの場合も含んでいますので、それを考えると理解しや
すいと思います)
 2重要でなく、時間がある→生命力を向上させる→気の偏在を調える

   1と2の岐路 皆、気虚の道を歩んでいる

〔伴解説:実際のところ、気虚が深ければ、外的な要因がわずかであっても疲れて倒れてしまいますよね。暑さ寒さや食べ過ぎや疲れなどの肉体的な負担や精神的な負荷によって、元気な人ではびくともしないようなことであっても、すぐに倒れてしまいます。亡くなる場合もあります。ですから、重要であり急を要するものなのか、重要でなく時間があるものなのかは、その患者さんの生命力によってそれぞれ、大きく異なることとなります。このことを考えると、生命力の充実度を測るということが、とても大切なことであり、診分けにくいものであるということが、よく理解される必要があります。〕

●症状が本人にとって重要かどうかは、関係ない。
  生命力の観点から、考えていく。

〔伴解説:症状名が定められていたとしても、気虚が深くなると、たくさんの症状を同時にかかえていることが多いものです。本人は諦めているような症状などはすでに、問診での訴えはなされません。

言葉を通じて訴えられることのないような身体の状態を土台として、今の生命状況が作られています。今の症状は、そのような生命状況を基礎として出ているわけです。これをいわば、症状
は氷山の一角であると表現したりします。

そのため、症状が重要ではない―症状に目を奪われていると、ほんとうの生命状況の厳しさが見えなくなる、と述べているわけです。

症状は四診の材料の一つにすぎないわけです。〕


●全身の問題か、部分の問題か(どれほど関わるのか)
 ・生命状況の変化に対応して症状は変化するのか
   時系列の大切さ
 ・症状も四診情報のひとつ
    
             ≪気の偏在を捉え
              気の偏在を調える≫

〔伴解説:すべての人は気虚があり気滞が同時にあります。気一元の生命の中に同時にそれが存在しているわけです。つまり、まんべんなく広がっている砂漠のようなものが生命なのではなく、気の濃淡をいつもかかえて変化しているのが生命であるということです。

心が動けば動いた先に生命が集まります。体が動けば動いた先に生命が集まります。その生命力はどこかから動かされたものです。その動かされた場所の生命力は以前よりも薄くなります。

すべての人が気虚をベースとしているということは、生命力=気が集まれば気滞が起こり、気滞が起これば、他の部分がおろそかになって、気虚になるという意味です。

全体の生命力の量が少なければ=気虚が深ければ深いほど、この気虚と気滞のまだらな状態は深くなります。このことがさまざまな病のもとになります。病と呼びますけれどもそれはそのそ
れぞれが日常の所作の延長にすぎないわけですね。これがいわゆる一気留滞説の本義です。〕

そのため、四診の目標はいつでも『気の偏在を捉える』ことにあり、処置の目標はいつでも『気の偏在を調える』ことにあるわけです。〕

と、こんな感じで解説をした気がします。理解されたでしょうか。
疑惑や疑問や批判、お待ちしております。>みなさま
■ 陰陽五行の海を泳ぐために

黄老道、道家の基本は天人相応に基づいた陰陽五行論です。

陰陽五行という言葉を聞くと勉強家はすぐに、陰陽とは何か五行とは何かと考えて、陰陽に該当する概念・五行に該当する概念を集め、それを積み重ねていきます。けれどもその探求方法に間違いが潜んでいます。

陰陽という言葉を用いる際にもっとも必要なことは、天人相応の場すなわち、気一元の場を、陰陽という相対的な二種類のものさしで眺めるということです。五行という言葉を用いる際にもっとも必要なことは、天人相応の場すなわち、気一元の場を、五行という立体的な五種類のものさしで眺めるということです。この探求方法を身につけない限り、陰陽五行を理解することはできません。「気一元の場」と呼ばれているものあるいは「気一元の場」という言葉で指定した生命場を一括りの場としてそれがすべてのものとして括り、その中を、陰陽という観点・五行という観点でバランスよく見ていくわけです。


このバランスが取れているか否かということを確認するためには、自分が何を見ているのかということを認識しなおすことが必要です。すなわちどのような一括りの場で物事を見ているのか、その一括りの括り具合は何かということを確認する必要があるわけです。

自分が何を見ようとしているのか、その一括りが見えてくると、それを二つの観点からぼやっとみるとか、五つの観点からぼやっとみるとかいうことがどのようなことなのか、理解できるようになります。


一括りの場を設定して、それを二あるいは五の観点から柔らかく分けてみていくということ。これこそが、古人が物事を理解していく上で行ってきたことでした。そしてそのバランスのよい観方は、現代においても興味深い情報を新たに得ることができるわけです。

《難経》は陰陽五行について詳細に説かれています。その《難経》を読み進む上でもっとも基本的な姿勢について《難経鉄鑑》で著者の広岡蘇仙は『一団の原気が、百骸を弥綸している状態の人は、健康な人です。もし少しでも充実していない部分があれば、それがすぐに病変を引き起こします。そのような時には、その人の生気をその部分に誘い導くようにすることが、その治療法となります。このような生気を候い知る方法が脉診であり、このような気の状態を説いている経典が《難経》です。』と述べています。

『一団の原気が、百骸を弥綸(びりん)している状態の人は、健康な人です。』『弥綸している〔訳注:すっぽりと糊で封をしたように継ぎ目も見せず包みこんでいる〕』。この一つの生命のぴっちりとした袋の中に、すべてがある、宇宙が今ここに存在しているということがこの言葉の意味です。これをまた小宇宙と呼んでいます。この小宇宙の内側を、陰陽というものさし、五行というものさしで柔らかく眺めることが陰陽五行論です。

陰と陽とが存在しているわけではないということ、木火土金水が存在しているわけではないということが大切です。目の前に存在している宇宙を、ただ二つの観点、五つの観点から眺めているにすぎないのです。この二つは、それを構成しているものである、五つは同時にそれを構成しているものであるとも言われています。けれども正確には、あたかもそれを構成しているものであるかのような言葉を用いて、「一つのもの」を同時に二つの観点五つの観点から見ているにすぎないわけです。

陰陽五行を生成論の視点〔注:生命の成り立ちを説明する考え方〕から書かれている厖大な書物が存在していることもまた事実です。学者はそのような妄想を好むものなのでしょう。けれども臨床家は目の前に存在している生命そのものを対象としているわけですから、そのような生成論に惑わされるわけにはいきません。今目の前に存在している生命を理解するために陰陽五行というものさしを利用していくという姿勢が必要なのです。

そしてこのことを解説しているものとして《難経》を読む姿勢が必要である、と《難経鉄鑑》の著者である広岡蘇仙は述べているわけです。

この人とブロともになる