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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

■東洋医学は生命の側に立つ医術である

東洋医学の治療効果を宣伝したいがあまり、治療技術という側面から東洋医学の
秘伝を探求する傾向があります。他の手技や治療技術あるいは民間療法でも西洋
医学でもこの同じ舞台、治療技術という側面から研究開発が行われています。そ
れと張り合いたい東洋医学家がいるということなんですね。

けれども未病を治すという言葉があるとおり、東洋医学の本態は生命力を増進さ
せるというところにあるのです。別の言葉を用いると、生命力の発条と病気とを
分離せず、生命の中に病気があり生命の涯(はて)に死があるという考え方を東
洋医学は基本的に採っているわけです。

生きている間は死んではいない、生きている。その生命をいかに生きるかという
ところが、今生きている人々の、個々人のお楽しみなわけですね。それに寄り添
うようにより活発に生きることができるように励ましていくということが、東洋
医学の本来の役目です。

そのために人間理解があり、そのために生命の中のどの部分がどのように病んで
いるのかという病態把握があるわけです。そしてこの生命を理解する方法論を
「弁証論治」と一元流鍼灸術では呼んでいます。病気はその生命の中の一部にす
ぎない。生きている生かされているから病があり困窮するところがあるのであっ
て、その逆ではないということが基本的な発想となります。

東洋医学の病気治しの基本は、病気を治すことにあるのではなくて、生命力を増
進させることによって増進された生命力が自然に病気を治していくと考えるとこ
ろにあります。そのために「東洋医学の人間学」を学び構築していこうとしてい
るわけです。


                    伴 尚志
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■東洋医学と中医学


東洋医学はその歴史の淵源をたどると、支那大陸に発生した思想風土に立脚して
いることが理解できます。

そしてそれは道教の成立よりも古く、漢代の黄老道よりも古い時代のものです。

現代日本に伝来している諸子百家は、春秋戦国時代という、謀略を競う血腥い戦
乱の世に誕生しているわけですけれども、東洋医学の淵源もその時代に存在して
います。

もちろん、体系化されていない民間療法的なものはいつの時代のも存在したこと
でしょう。それらが体系化され、陰陽五行という当時考えられていた最高の宇宙
の秩序に沿って眺め整理しなおされたのが、戦国時代の末期であろうということ
です。

それに対して中医学は、現代、それも1950年代にそれまで存在していた東洋
医学の文献の整理を通じて国家政策としてまとめあげられました。そしてそれ
は、毛沢東思想というマルクス主義の中国版をその仮面の基礎としています。

それまで延々と存在し続けてきた中国の思想史、ことに儒教と道教を毛沢東思想
は排撃していますから、中医学は実は根本問題としての人間観において、東洋医
学を裏切るものとなっていると言わざるを得ません。

東洋医学を深めれば深めるほど、実は毛沢東思想とは鋭く対立するものとなりま
す。また、中国共産党がその共産主義を先鋭化させればさせるほど、東洋医学と
乖離していくこととなります。現代は、その相方があいまいな位置にあり、臨床
の名の下で基本的な人間観を問うことなく対症療法に励んでいる、いわば、医学
としての過渡期にあると私は考えています。

このような中医学を越え、人間学としての東洋医学を再度掌中に新たにものする
ために私は、支那の古代思想に立ち返り、さらには、それを受容してきた日本
と、その精華である江戸の人間学に着目しています。東洋医学をその根本に立ち
返って見なおそうとしているわけです。


伴 尚志
■古典は月を指す指にすぎない


真理はここにあると指さす、その指が古典です。

人は、不安の中に生きているので、思わずその指に飛びついて、真理はここにあ
ると語り継いでしまいます。真理はここにあると、指さされている対象こそが大
切なのに、指にそのまま飛びついてしまうのです。指は目の前にあり、形になっ
ているので飛びつきやすいためでしょう。

そしてさらには、真理はここにあると指さしている指の指し方に興味を示す人々
が出てきます。彼は語ります、「本当の指さし方はこのように、右から左に大き
く流すようにして、ぴたっと位置を決めて指すものだ」と。「古人もそのように
指さすことによってこの真理をつかんだのである」と。

そのようにして、真理を指さす、指さし方が定められた。その際には大いなる会
議までもたれて、賢者たちが侃々諤々の大議論を行ったりもします。

あるものは左から右に指さすべきだといい、そこには陰陽の理があると根拠づけ
ました。

あるものは天地の関係の中から天上をまず指さした後に、大きく振りかぶるよう
に地を指すようにすること。それこそがここにある真理を指さす指のあり方であ
ると述べました。

あるものは、真理というのは変化するものであるのだから指さす場合にもその指
は止めるべきではなく動き続けているものでなければならないとしました。そし
てついには真理を踊る踊りが披露されることとなりました。彼は「動きの中にこ
そ真理がある」と、その指の動きを定義づけ、無駄のない動きとはいかにあるべ
きかという研究を続けることとなりました。

このようにして、膨大な真理の「指さし方の研究」が何千年にもわたって行わ
れ、古典として積み重ねられてきたわけです。先人の知恵と呼ばれるそれらは、
偉大なる古典の集積として崇められることとなりました。勉強家の古人の中に
は、その「指さし方」の書物を副葬品として、死後甦った後にも勉強できるよう
にと、埋葬させたものまでいました。

21世紀の現在、彼の墓が発掘されてその埋葬物が出てきました。偉大なる古典の
原典が出現したと大いに「指さし方」の学会を湧かせることとなったそうです。
「指さし方」の原典が判明した!と。


「真理」はその隣でいつ僕を見てくれるのだろうとじっと待ち続けました。けれ
ども、学会はそれどころではありませんでした。なにせ、世紀の発見がそこにあ
るのですから、真理などかまってはいられません。

輝ける真理、生命そのものが「いま、ここ」にある。それにもかかわらず、生命
そのものを見ることをせず、その真理の横でまるで真理から目をそらすように指
さし方の研究に励んでいる学者が大量に存在しているのはのは、なぜなのでしょ
うか。

これは、最初に真理はここにあると指さした者の罪なのでしょうか。それとも賢
人と呼ばれた人々が、実は指先を集めるだけで、真理などには興味もなかった、
その愚かさによるものなのでしょうか。


ある人は、仏典が積み上げられなければ釈迦の悟りは伝わらなかったと言いまし
た。仏典が伝わらなければ仏教は伝来していないと信じているのです。はて、仏
典がなければ真理はなかったのでしょうか?それなら仏典など一冊も存在してい
ない時代に生きて修業していた釈迦は、決して真理に到達することはなかったと
いうことなのでしょうか。

真理が見つけられたと伝えられた時、無上の覚りがこの人生の中にあると伝えら
れた時、あなたはどうするでしょう。その言葉を聞きにいくでしょうか。その指
さし方を眺めにそこに行くのでしょうか。それとも自らの「真理を求める力」を
用いて、自らのいのちに真正面から向かい合うのでしょうか。

私たちは一人一人がこの「いのち」の真理の上に立ち、それによって生かされて
います。ここを掘ること。今ここに存在している私たちのいのちを探究するこ
と。これが真理へのただ一つの道です。それ以外に真理を探究する道は存在しな
いのです。

                   伴 尚志    
■『蜘蛛の糸』その後:伴 尚志説


「芥川龍之介の著した『蜘蛛の糸』をご存知の方はたくさんおられると思いま
す。そしてそこから教訓を引き出そうとする、倫理的な方々もたくさんおられる
ようです。私も私の直感を通じて『蜘蛛の糸』その後談の屋上屋を重ねようと思
います。楽しんでいただけると嬉しいです。」


カンダタが蜘蛛の糸をお釈迦様に切られて落ちていった、その底は地獄だった。

けれどその同じ風景がお釈迦様にとっては、光と影が織りなす、色鮮やかな生命
曼陀羅であった。

カンダタはお釈迦様に蜘蛛の糸を切られて奈落の底に落ちていく中で、一瞬のう
ちに深い歓喜に包まれた。「あぁ、俺はもう救われる必要なんてないんだ!」い
つも何かにとりつかれたように突き動かされて行動していたカンダタ。大犯罪者
であるカンダタは、そのままの姿で―何ということだろうか!―救われてしまった
のであった。なんと表現することもできないような歓喜!が、カンダタをとらえ
て放さなかった。

「救われるというのはこういうことだったのか!」カンダタは地獄の底に落ちて
いく長く暗いいトンネルを通り抜けるような、無力な旅の中ではっきりと気付い
た。

「なんという喜びだろう!」救われる必要などなく、求める必要などなく、ただ
ありのままの愚かな自分を受け入れたカンダタにとって、もう恐いものなどなく
なっていた。

「救いや悟りなんてどうでもいい!俺こそがありてあるものそのものだったんじ
ゃないか!」カンダタは気づいた。自分が生命そのものであったということに。
生命の本体こそが自分自身であったということに。
自分自身以外に誰もこの生命の本体を知るものはいないということに。
まるで雷に打たれたようだった。家のドアを開けたらそこにダンプカーが突っ込
んできたような驚きだった。

「道徳なんてものはない、不道徳なんてこともない。あるのは在るという事実だ
けだったんだ」「ありてあるもの。存在の王。それが俺だ。」カンダタは地獄に
堕ちていきながら火の玉のようになっていく自分自身を感じ、そう思った。

「俺が傷つけたのは俺自身だった。俺が殺したのは俺自身だった。俺が焼いた家
は俺自身の家だった。俺が渇望したのは俺自身だったんだ!」カンダタはすべて
を悟った。

「地獄は俺自身の心だったんだ!なんてことだ!俺自身が地獄を作っていたん
だ!そしてそこに住んで俺は傷つき飢え殺し盗んできた。俺自身から!人を妬ん
で!」カンダタはいつの間にか号泣していた。自分の愚かさにあきれかえった。
そして以前の自分が憐れに思えた。

「なんてちっぽけな世界に住んでいたんだろう。心の汚れを洗う方法も知らず
に・・・」光の玉となってカンダタは地獄の底に落ちていった。

ふと気がつくと、カンダタは地獄の底で目が覚めた。いや、そこは地獄の底のは
ずだったというべきか。広い野原の丘の上でカンダタは目が覚めたのだ。たしか
にあの奈落に落ちていく感覚はもうすでになく、たしかな地面が広がっている。
雨上がりの後のような草の香りが世界を満たしている。すばらしい太陽が白い雲
の漂う空に輝いている。ここは地獄の底のはず、だった。

「なんて美しい世界なんだろう」カンダタは胸一杯に空気を吸い込んで思わず叫
んだ。するとまるでハイジのような少女が暖かいミルクをもってやってきた。彼
女は怖れを知らぬ愛らしい眼差しをカンダタにまっすぐ向けた。

「大丈夫?大きな音がしたからお星様が落ちてきたのかと思っちゃった!」そし
てさらにカンダタの眼をのぞき込んで言った。「どうぞ」

手に持っていたミルクを差し出した。カンダタはその優しさに震えて泣いた。
それは大盗族カンダタの「今の姿」だったのだ。

少女の姿でカンダタは、今日もお釈迦様が蜘蛛の糸を切られる慈悲の裁断を待ち
続けているという。

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私のfacebookへの書き込みが何故か消えています。
なにかの手違いで消えたのかもしれません。
この間の書き込みを読みたい方は、以下のアドレスに掲載されていますので、そ
ちらをご覧ください。 http://1gen.blog101.fc2.com/?sp

                 伴 尚志


■『蜘蛛の糸』芥川龍之介著



ある日、お釈迦さまは極楽の蓮池のほとりを散歩していた。はるか下には地獄が
ああり、犍陀多(かんだた)という男が血の池でもがいているのが見える。

 犍陀多は生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。し
かしそんな彼でも一度だけ良いことをしていた。道ばたの小さな蜘蛛の命を思い
やり、踏み殺さずに助けてやったのだ。

 そのことを思い出したお釈迦さまは彼を地獄から救い出してやろうと考え、地
獄に向かって蜘蛛の糸を垂らした。

 血の池で溺れていた犍陀多が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れ
てきた。これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸
命に上へ上へとのぼった。

 地獄と極楽との間にはとてつもない距離があるため、のぼることに疲れた犍陀
多は糸の途中にぶらさがって休憩していた。しかし下を見ると、まっ暗な血の池
から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって
近づいてくる。このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考え
た犍陀多は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下り
ろ」と大声で叫んだ。

 すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、彼は罪人
たちといっしょに暗闇へと、まっさかさまに落ちていった。

 この一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池を立ち
去った。 』
※これは、ダヴィンチWEBからの引用です。
(『トップ連載1分間名作あらすじ【1分間名作あらすじ】芥川龍之介『蜘蛛の糸』
――地獄から抜け出すチャンスをもらった男の運命は?【1分間名作あらすじ】芥
川龍之介『蜘蛛の糸』――地獄から抜け出すチャンスをもらった男の運命は?文
芸・カルチャー 更新日:2023/2/28』 https://ddnavi.com/serial/465032/a/)

蜘蛛の糸の原文も、無料で入手できるようですので、是非読んでみてください。

課題は、この蜘蛛の糸を切られたあとのカンダタの心理状況の記述です。どんな
気持ちをカンダタは抱いたのだろうか。自分の心に照らして考えて、書いてみて
ください。いわく、『蜘蛛の糸―その後』です。

私も考えてありますので、それは五月八日頃に発表します。

伴 尚志

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