貪瞋癡の糞溜め人生
貪瞋癡の三毒に芯まで侵され、その糞溜めのまっただ中にどっぷり浸って生きていくことが、生きるということなのかもしれない。
友人は、五十代でもう先がないからと、今できることをするんだといって欲望の走るがままに走り出している。まるで、欲望が満たされて満足するときが来ることがあるかのように、疲れた身心に鞭を打って東奔西走している。まさに貪瞋癡の三毒が悪循環を起こして相乗作用で膨らんでいっているところをみている感じだ。けれども糞溜めをまだ味わい尽くしていないからと頑張っているわけだから何も言えぬ。自らの意思で選んだ糞溜め道中、一生そこを生きていくしかないのだろう。
何かに気づくということは、自分で気づこうとしないとできないもの。こんなに情報豊富な世界に生きてわざわざ糞溜めの中を選ぶというのもまた酔狂なのかもしれない。
貪瞋癡の三毒に芯まで侵され、その糞溜めのまっただ中にどっぷり浸って生きていくことが、生きるということなのかもしれない。
友人は、五十代でもう先がないからと、今できることをするんだといって欲望の走るがままに走り出している。まるで、欲望が満たされて満足するときが来ることがあるかのように、疲れた身心に鞭を打って東奔西走している。まさに貪瞋癡の三毒が悪循環を起こして相乗作用で膨らんでいっているところをみている感じだ。けれども糞溜めをまだ味わい尽くしていないからと頑張っているわけだから何も言えぬ。自らの意思で選んだ糞溜め道中、一生そこを生きていくしかないのだろう。
何かに気づくということは、自分で気づこうとしないとできないもの。こんなに情報豊富な世界に生きてわざわざ糞溜めの中を選ぶというのもまた酔狂なのかもしれない。
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