生命の側から見るということは、善悪を超えたところ、
すなわち善悪の彼岸に立って生命を見るという位置に立つこと。
知ー庵 抱石
師は言われた。
この濁流のまっただ中に悠然と咲く蓮の華のごとくあれ、と。
私は問うた。
先生はこの世を汚れたものと言われるのでしょうか。と。
師は言われた。
豊饒たる複郁たるこの生命の世界には
清も濁もない清濁一体なること
光あれば影が生ずるがごとし
この陰影の妙こそ生命の美そのもの
生命そのものである
清濁二分の分別心をこそ棄てよ
私は拝して辞した
すなわち善悪の彼岸に立って生命を見るという位置に立つこと。
知ー庵 抱石
師は言われた。
この濁流のまっただ中に悠然と咲く蓮の華のごとくあれ、と。
私は問うた。
先生はこの世を汚れたものと言われるのでしょうか。と。
師は言われた。
豊饒たる複郁たるこの生命の世界には
清も濁もない清濁一体なること
光あれば影が生ずるがごとし
この陰影の妙こそ生命の美そのもの
生命そのものである
清濁二分の分別心をこそ棄てよ
私は拝して辞した
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