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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

12月に私がお話しするものは、「日本型東洋医学の原点」についてです。日本的東洋医学というと、平安時代に丹波康頼によってまとめられた「医心方」を思い浮かべる方も多いと思います。が、今回は江戸時代初期100年間ほどのできごとが中心となります。

その理由は、
1、「医心方」は丹波家代々に伝わる書物にすぎず、大衆的に論議されたものではなかった。
2、医学がはじめて市井の学問となったのは、江戸時代であり、その源流は室町時代に田代三喜が明への留学から帰国してもたらした、明医学にある。
3、この明医学を実学として使える医学とするために、田代三喜を含め日本の医家たちは格闘していた―この姿勢は中医学を実学とするために格闘している我々が学ぶべきことである。
4、 朱子学の理気二元論を儒学者が気ー元の生命観で剋服したように、気ー元の生命観が日本で育まれることとなった。ここに日本医学の基礎があり、その根底には禅の影響がある。
といったところにあります。

そこで今回の話の目的を、「言葉を越えて存在そのものを理解する」―江戸時代初期の求道者たちの姿勢からー元流鍼灸術を行ずるための基本的姿勢を学ぶ
というものにしました。

いわば、これからの東洋医学を構築していくための「志」をどこにおくのかということを先人に学ぼうというわけです。

この話の端緒は実は、澤田健にあります。私が鍼灸学校に入りたての頃に何回も読んでいた書物『鍼灸眞髄』に描かれている鍼灸師です。彼はそこで、「死物の古典を以て生ける人体を読むべし」と述べています。

彼が教科書とした書物『十四経発揮』『和漢三才図会』『難経鉄鑑』の三種類のうち、前の二つは現在も我々が学んでいる臓腑経絡学に相当します。『難経鉄鑑』では、気ー元の人間観が述べられています。テキストにもある六十六難の図は、その構造が表現されているものです。澤田健は、この図を毎朝黙座して眺めつづけると、すごいことがわかるよと教えていました。

直接的な登場人物は、『難経鉄鑑』の著者である広岡蘇仙とその道統です。けれどもその時代精神をより明確に表現しているものとして、時代精神の鼻祖である中江藤樹、その弟子の熊沢蕃山、君子の学として同時代に武士道を唱道した山鹿素行、そして、彼等の学び方をまっすぐに伝承して表現している石田梅岩を紹介します。

「志を立てる」ことの激しさと大切さについて考えてみたいと思います。
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