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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

『道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負うて陽を抱き、冲気、もって和することをなす。』《老子下篇第四十二章》福永光司氏はこれを『道が「一」すなわち一気を生じ、一気が分かれて「二」すなわち陰陽となり、陰陽の二気が交合して、陰陽の二気とともに「三」と呼ばれる冲和の気となり、その三と呼ばれる冲和の気が万物を生じる。したがって万物はそれぞれに陰の気を背負い、陽の気を抱え込み、冲和の気によって調和を保っているのである。』と解釈されています。《朝日文庫:中国古典選11》

道も、陰陽も、そして第三の気でもあるかのような冲気も、そのすべてがばらばらに個別の存在としてあるかのような解釈がここではされています。

一元流鍼灸術における解釈は違います。混沌として未分の状態(分けられない状態)にあるそれ、無明の闇の中にあるわれわれの認識能力によって、とりあえず一つの場、括りをつかむことが出来たとき、そこのところを「一が生じた」とします。一を生ずるということ、一括りを定めるということは、限りなく大切なことです。その括りの定めを行うことによってはじめて、陰陽五行という物差しを使うことができるからです。

一括りをじっと眺め続け違いを探し、もっとも大きな違い対極となる地点を探し出すこと。これが陰陽の観方です。男女とか光と影とか目立つ対極点を見つけ出しながらそこに取りすがってまた全体を見直してみますと、なんとなく全体の構造が見えてきます。対極点としての陰陽を定めることで微妙なグラディエーションがその一括りの場に存在していることがみえてくるわけです。陰陽を定めてじっと観ていくと、その中間が徐々に明らかになってきます。分けたくても分けれないところ、和合しているように見えるところ、そこが冲和の気と呼ばれる部分です。白と黒という陰陽関係で分けるならば灰色の部分、ぼんやりとしていて分けられないところです。

あえてこうやって分けて理解しようとしていますけれども、陰陽の最先端においても実は純陰純陽は存在しません。全体が冲和の気で満たされているわけです。これが万物の真の姿であるということなんですね。大いなる和合こそが存在なのだとここでは言われているというふうに、一元流では解釈しているわけです。
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