熊沢蕃山:芸術大意遺編
ひょんなことから、熊沢蕃山の「芸術大意遺編」のことを知り、鍼灸という芸術を探究していくためにとても役に立つと思い、翻訳することにしました。ここでいう芸術とは、技術とその背景にある思想というほどの意味です。
江戸時代の士太夫である武士が修めるべき学問には、文武両道がありました。文の心の位置である徳は、仁です。武の心の位置である徳は、義です。徳というのは、心の根の質というほどの意味です。仁義の心を基本に持ち、諸々の芸術を修めなさい。そうすれば道のなんたるかも見えてくることでしょう。そう蕃山は語っています。
芸術というのは、道と呼ばれるまでに高め深められる、前の段階の技術のことを言います。蕃山は、弓馬書数礼楽詩歌という古代の芸術を通じて仁義の徳を修め、士大夫としての道を歩めと、この文章全体で人々を励ましてくれているわけです。
ー元流鍼灸術の裏テキストでは、本当に見るということはどういうことか、学ぶとは、施術とはと、心のあり方まで含めて詳細に解説されています。その心の位置、学術を深化させていく姿勢―バランスのとり方について、この書から学ぶことのできることがたくさんあります。
読み、学び、気付き、道を歩む、その第一歩をもう一度ていねいに踏み出していくきっかけになると嬉しく思います。
原文の段落の取り方は、原意とは異るように読めます。そこで段落を新たに作りなおし、大きな文章の括りを設けて、私が標題を付しました。目次として、冒頭に掲げておきます。熊沢蕃山先生の意がより明らかになっていると思います。異論があればご教示いただけるとありがたく思います。
■目次
芸術を学び道義を養う
神気を定め不動の念で学ぶ
剣術考
術の鍛錬
無物の理
無物の心は無敵
大道に学ぶ
自身の本体を知る
情欲を制す
おわりに
由来
跋
以下のファイルです。別画面にPDFファイルで開かれます。
http://1gen.jp/1GEN/banzan-geijutu.pdf熊沢蕃山:芸術大意遺編
ひょんなことから、熊沢蕃山の「芸術大意遺編」のことを知り、鍼灸という芸術を探究していくためにとても役に立つと思い、翻訳することにしました。ここでいう芸術とは、技術とその背景にある思想というほどの意味です。
江戸時代の士太夫である武士が修めるべき学問には、文武両道がありました。文の心の位置である徳は、仁です。武の心の位置である徳は、義です。徳というのは、心の根の質というほどの意味です。仁義の心を基本に持ち、諸々の芸術を修めなさい。そうすれば道のなんたるかも見えてくることでしょう。そう蕃山は語っています。
芸術というのは、道と呼ばれるまでに高め深められる、前の段階の技術のことを言います。蕃山は、弓馬書数礼楽詩歌という古代の芸術を通じて仁義の徳を修め、士大夫としての道を歩めと、この文章全体で人々を励ましてくれているわけです。
ー元流鍼灸術の裏テキストでは、本当に見るということはどういうことか、学ぶとは、施術とはと、心のあり方まで含めて詳細に解説されています。その心の位置、学術を深化させていく姿勢―バランスのとり方について、この書から学ぶことのできることがたくさんあります。
読み、学び、気付き、道を歩む、その第一歩をもう一度ていねいに踏み出していくきっかけになると嬉しく思います。
原文の段落の取り方は、原意とは異るように読めます。そこで段落を新たに作りなおし、大きな文章の括りを設けて、私が標題を付しました。目次として、冒頭に掲げておきます。熊沢蕃山先生の意がより明らかになっていると思います。異論があればご教示いただけるとありがたく思います。
■目次
芸術を学び道義を養う
神気を定め不動の念で学ぶ
剣術考
術の鍛錬
無物の理
無物の心は無敵
大道に学ぶ
自身の本体を知る
情欲を制す
おわりに
由来
跋
以下のファイルです。別画面にPDFファイルで開かれます。
http://1gen.jp/1GEN/banzan-geijutu.pdf熊沢蕃山:芸術大意遺編
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