漢代の儒教は春秋の学を基本としていました。
春秋の学とは何かというと、春秋戦国時代において王朝の交替がどのように行われていたのかを研究する学問です。漢代初期には相剋関係で、前漢末の王弼以来は相生関係で正統な王室交替が行われると解釈されることとなりました。
いわゆる黄巾の乱は、火の徳を保持している漢王朝が滅亡して土の徳を保持するものがそれを嗣ぐという発想に基づいて、黄色い布のはちまきをして反乱を起こしたものです。
http://three-kingdoms.net/2059
この相生相剋理論は、後世からみると説得力があるように思えます。けれども、今そこにあるまるごとひとつの生命をみていく上では、非常に問題のある理論です。なぜかというと、五行すべてを具えることで始めて生命は成り立っているものだからです。五行の一つでも欠けては生命は成り立ちません。
古い黄帝内経の記載では五行を、土を中心とし、木火金水を東西南北とする五行論を用い、その相互関係を眺めていました。(素問:太陰陽明論)土を中心として一体の生命を眺めていたわけです。
ところが後代になると、春秋の理論がまるごと一つの生命の中に導入され、相生相剋理論と名づけられて、生命の中で機械的な対立関係が存在するかのように記載されることとなります。
春秋理論における相生相剋は実は、まるごと一つの生命の中に存在するものではなく、一つの生命が滅び次の生命に天命が交替する理由づけを行うための、あとづけの理論だったのです。この論の源流は先秦時代の鄒衍にあります。鄒衍はその思いつきの理論を用いて、次に天下を支配する王朝の特徴を述べ、諸候に説き歩き、大いにもて囃されたといいます。
それまではまるごと一つの生命をよく見るために存在していた陰陽五行論を、時間軸の中に置き換え、しかも支配する生命の交替に応用した鄒衍の罪は、万死に値するものであると言わなければなりません。また、愚かにもその空論をまるごと一つの生命に適用してしまった黄帝内経の作者の一部も、自らを恥じるべきでしょう。理論がそこにあるからとそれを検証することなしに適用してはいけない、肝に銘ずるべきです。この空論は現代の東洋医学にも今なおはびこっているため、ここに強く警句を発しているわけです。
五行の関係から人間が成り立っているという言葉を逆からみると、まるごと一つの生命を五つの観点から捉えなおしその関係性をみていくという言葉になります。実はこれが古代の視点だったのです。
これは陰陽でも同じことで、生命を観る時、陰陽のモノサシを用いてバランスよく見ていこうとすることが古人の方法でした。陰と陽とが存在し、それが組み合わさって生命ができているわけではありません。
このことは実は東洋医学千年の誤りであるだけでなく、儒教千年の誤りであって、改められるまでには、「万物一体の仁」こそが生命の本体であるということを自覚した、王陽明の「龍場の大悟」と。それを引き継いだ、伊藤仁斎を中心とする日本の民間思想家群を待たねばなりませんでした。
春秋の学とは何かというと、春秋戦国時代において王朝の交替がどのように行われていたのかを研究する学問です。漢代初期には相剋関係で、前漢末の王弼以来は相生関係で正統な王室交替が行われると解釈されることとなりました。
いわゆる黄巾の乱は、火の徳を保持している漢王朝が滅亡して土の徳を保持するものがそれを嗣ぐという発想に基づいて、黄色い布のはちまきをして反乱を起こしたものです。
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この相生相剋理論は、後世からみると説得力があるように思えます。けれども、今そこにあるまるごとひとつの生命をみていく上では、非常に問題のある理論です。なぜかというと、五行すべてを具えることで始めて生命は成り立っているものだからです。五行の一つでも欠けては生命は成り立ちません。
古い黄帝内経の記載では五行を、土を中心とし、木火金水を東西南北とする五行論を用い、その相互関係を眺めていました。(素問:太陰陽明論)土を中心として一体の生命を眺めていたわけです。
ところが後代になると、春秋の理論がまるごと一つの生命の中に導入され、相生相剋理論と名づけられて、生命の中で機械的な対立関係が存在するかのように記載されることとなります。
春秋理論における相生相剋は実は、まるごと一つの生命の中に存在するものではなく、一つの生命が滅び次の生命に天命が交替する理由づけを行うための、あとづけの理論だったのです。この論の源流は先秦時代の鄒衍にあります。鄒衍はその思いつきの理論を用いて、次に天下を支配する王朝の特徴を述べ、諸候に説き歩き、大いにもて囃されたといいます。
それまではまるごと一つの生命をよく見るために存在していた陰陽五行論を、時間軸の中に置き換え、しかも支配する生命の交替に応用した鄒衍の罪は、万死に値するものであると言わなければなりません。また、愚かにもその空論をまるごと一つの生命に適用してしまった黄帝内経の作者の一部も、自らを恥じるべきでしょう。理論がそこにあるからとそれを検証することなしに適用してはいけない、肝に銘ずるべきです。この空論は現代の東洋医学にも今なおはびこっているため、ここに強く警句を発しているわけです。
五行の関係から人間が成り立っているという言葉を逆からみると、まるごと一つの生命を五つの観点から捉えなおしその関係性をみていくという言葉になります。実はこれが古代の視点だったのです。
これは陰陽でも同じことで、生命を観る時、陰陽のモノサシを用いてバランスよく見ていこうとすることが古人の方法でした。陰と陽とが存在し、それが組み合わさって生命ができているわけではありません。
このことは実は東洋医学千年の誤りであるだけでなく、儒教千年の誤りであって、改められるまでには、「万物一体の仁」こそが生命の本体であるということを自覚した、王陽明の「龍場の大悟」と。それを引き継いだ、伊藤仁斎を中心とする日本の民間思想家群を待たねばなりませんでした。
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