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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

観るということ―章門を契機にして


> 章門を見るのは何を見てるのでしょうか?
> 章門、脾の募穴?臓会など、ありましたが。
> お願いします。


章門に限らず、「見る」という時、ただ見るということが基本になります。

ただ、ただ見るというだけでは見る目標が定まりませんし、何も見ていないのと同じようになってしまいます。

そのため、全体を診てその身体の歪みがどのあたりにあるのだろうかということを調べていきます。それが弁証論治の全行程です。

それでは、弁証論治の全行程の中で体表観察はどのような位置を占めるのでしょうか。

それは、実際に身体に表れている、その表情を読んでいく、そこから情報を読み返していく、という位置となります。この意味については後述しています。

問診や時系列の問診では言葉のやりとりですので頭の中で考え整理していくこととなります。

それに対して切診では、実際に体表に現れているものを見るということになります。

ただ見て、何かを感じ取った時、それが「なぜそこに表現されているのだろう?」という方向から考えていくわけです。ここが大切なところです。

章門が臓会であったり脾の募穴であったりという情報は後付けのものです。参考程度にしかなりません。その患者さんの全体の身体の中のその位置にどうして今その表情が出ているのか、ということが考えなければならないことです。章門は肝の相火の上辺にありますので、肝の相火の問題と考えることもできます。肝経上の経穴ですのでそれとの関係で考えることもできます。帯脉の上に位置しますのでそれとの関係とも考えられます。大包の下にありますので脾の大絡との関係と考えることもできます。右の衝門は肝臓の位置するところですので肝臓の反応が出ている。左の章門は膵臓の位置するところですので膵臓の反応が出ている。そんな風な発想をすることもできるでしょう。

大切なことは今なぜそこに反応を出しているのだろうかとそれを不思議に思う気持ちです。この気持ち―違和感を大切にしながら、他の弁証論治の項目や体表観察と組み合わせて身体の状態を理解していこうとするわけです。

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