東洋医学は、先秦時代に誕生し、漢代にまとめられ、人間学、養生医学として現代に伝えられています。天地を一つの器とし、人身を一小天地と考えた天人相応の概念を基礎とし、それをよりよく理解するために陰陽五行の方法を古人は生み出しました。臓腑経絡学は、あるがままの生命である「一」天人相応の「一」を実戦的に表現した、核となる身体観となっています。
天地を「一」とし、人を小さな天地である「一」とするという発想が正しいか否かということは検証されなければなりません。
これは東洋思想の基盤である「体験」から出ています。
この「一」の発想は、古くは天文学とそれにともなう占筮からでています。また、多くの仏教者はこのことを「さとり」として体験しています。止観を通じて自己を脱し「今ここ」の全体性を体験しているわけです。そして多くの儒学者の中でも突出した実践家である王陽明は明確に、「万物一体の仁」という言葉で、この「一」を表現しています。日本においては、古代から江戸時代へと続く、神道―仏教(禅)―儒学(古義学)を貫く視座となっています。
視座とは、ものごとを理解し体験するための基本的な視点の位置のことです。東洋思想の真偽を見極めるためには、この「視座」を獲得する必要があります。それは、真実を求めつづける求道の精神を持ち続けることによってしか得ることはできません。この姿勢は実は、科学的な真理を求める人々に共通する心の姿勢です。実事求是―事実を探究し正否を定めていく上での基本的な姿勢です。
この心の位置を始めにおいて、我々はまた歩き始めます。東西の思想や医学を洗い直し、新たな一歩をすすめようとしているわけです。
医学や思想の基盤を問うこと、ここにー元流の本質は存在します。
体験しそれを表現する。その体験の方法として現状では体表観察に基づいた弁証論治を用い、臨床経験を積み重ねています。それを通じて浮かび上がってくるものが、これからの臨床を支える基盤となります。いわば今この臨床こそが医学の始まりです。
我々の臨床は自身のうちに蓄積された東西両思想、東西両医学の果てにあるものです。そして、この場こそが、まさに思想と医学が再始動する場所です。
臨床において我々は、何を基礎とし、何を目標とし、何を実践しているのでしょうか。この問いは、古典をまとめた古人も問い続けた、始まりの位置です。この始まりの問いに、再度、向き合っていこうではありませんか。
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