一元流では現在あまり局所治療の問題を言いません。その理由は全身状態という場の中に手足頭などの局所が存在していると考えているためです。
このようなことを書くと当たり前じゃんと思われるかもしれませんが、ちょっと病院を覗いてみてください。内科や外科や皮膚科や眼科、歯科や耳鼻咽喉科などがあるではありませんか。
そう。病院の先生はこの当たり前の考え方をあまり重視していないんです。どうしてかというと、それぞれの専門科目で治療技術がそれぞれ発展してきたからです。そしてその理由は、患者さんの痛みや違和感などの訴えがその局所に限定して表現されているからです。
患者さんは素人ですから局所の問題に着目するのは当然と言えます。それに即応しようとするお医者さんたちも医学も、局所の問題の解決に血道を上げているわけです。これが現状です。鍼灸師さんなんかでも「治った」ことを強調する先生はそのように患者さんを見てそのように治療しているわけです。
痛みが取れても治ったのではない。鼻水が止まっても治ったのではない。痒みが取れても治ったのではない。生命をまるごと一つのものとして観るとき、実は治るということは有り得ないんですね。治るという言い方はおかしい。生命力が向上して新たなステージで生きられる状態となった。生活の質が高まった。こう言わなければならない。
このように考えてみるとよく理解できると思うのですが、全身状態をよく見てそれを高めることを目標とする治療においては、患者さんの生活態度、治療への取り組みが非常に重要となるわけです。治療家はあるときはその生命力を応援し、あるときは滞りを取り払いながら、患者さんの生活において焦点となるべきところを定めていきます。そうして、患者さん自身の生命力が身体を立て直しやすいように調えていくわけです。
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