全身の生命力の問題について一元流鍼灸術では頻繁に語っています。人間が生きるか死ぬか、その事がもっとも深い問題であると考えているためです。
しかし、人間の病というものは、その生死とは深く関係しなくとも、怪我をすれば痛み、できもができると不安になるものです。
いちおう、小さな怪我やできものなどは、小さいものですから基本的に陰陽の観点で見分けていくようにします。生命力がそこに集まるということは(一時的には)陽気が強くなるということを意味しています。陽気が強くなると熱を持ちます。陽気が強くなりすぎると欝滞して痛みとなります。全体であれ部分であれ、陰陽のバランスが取れていることが、その規模としてはもっとも生命力が充実している状態なのですが、怪我などがあるとこのような形で修復しようと身体はするわけです。修復力が過剰となると、痛みがきつくなりますけれども、怪我は速く治ります。修復力が不足していると、痛みはきつくありませんが、怪我の治りも非常に遅くなります。またあまりに修復力が不足している場合には、痛みも感じないということになります。老人の骨折などがこの代表的な例です。まぁ、老人といってもその生命力の充実度にはさまざまなレベルがあり個人差も大きいわけですけれども。
規模が大きく構造体をとっているものに対しては、このような陰陽という観点だけではなく、五行の観点を取り入れるとより説明がしやすくなります。
たとえば、子宮筋腫などは表面から触ると大きくなったり小さくなったりしているわけですけれども、病院にいってレントゲンなどで診てもらうと大きさは変わっていないと言われます。
鍼灸師が診ているものは、その中心となるできものだけではなく、それを取り巻いている生命体です。この生命は、修復作用が強くなると痛みを出し、弱くなると痛みが消え、さらに弱くなると冷えて動きが悪くなってきます。筋腫などの場合は生命力の弱りから出ているものなので、痛みが出ることはあまりありません。痛みが強いということは、それだけ隣接部位を侵襲していると考えられます。
さて、この中心にあるものを腎の位置、それを取り巻いているものを肝の位置などとして、筋腫そのものを一元の場としてみていくと、その修復状況がどのレベルのものであるかということが見て取りやすくなります。〔注:この肝腎というのは、場の深さの表現であって、五臓の肝腎とは直接的には関係ありません〕
お医者さんからは変化ないといわれている部分は要するに芯の部分、腎の位置となります。この芯が取れてこないと本当には治って行かない。けれどもその芯を取るためには、その部位に生命力が集まる必要があるわけですね。ただ、この場合、生命力が集まるということは、流れとしての生命力が集まるということになります。カレーを作るときに玉ができる、その玉を溶かすためにかき混ぜる感じです。そのようにしないと芯が溶けてこない。
鍼灸などをして筋腫の大きさが変わるというときの第一段階は、この流れをよくして玉の表面に集まっている有象無象を流し取っていくということです。そして、この状態を継続させることによって、筋腫は太りにくくなり、最後には流れる生命の渦の中に溶かされていくことになると期待するわけです。
カレーの玉などの場合も、あまりにも溶けにくいときにはお玉などでそれをつぶすようにします。同じように筋腫などがある場合にもそこに鍼をして潰れやすくすることが必要な場合もあるわけです。
まぁ、玉があまりにも大きいときは、かっこ悪いので取って捨ててしまいます。これなどはいわゆる手術して筋腫を除去するということにあたるわけです。
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