第二章 言葉を越えて存在そのものに肉薄する
さて、東洋医学的鍼灸は求道者によって創始され、江戸時代の求道的な精神を背景にして、気一元の身体観とともに花が咲きました。
現代と同じように、江戸時代にはさまざまな学派や流派がありました。それぞれその派閥の論にのっとって論争していましたが、自説に固執していたわけではありません。このことは現代の自分自身の心を振り返ればすぐ理解できるでしょう。我々はただほんとうのことを知りたいだけであって、そのための方法として論争をしたり意見を述べ合います。そして自説を改めることを怖れることはありません。
求道的とは何かというと、真実を求めるということです。何かを前提にしていては真実を求めることなどできません。真実を求めるということは未だ自分は真実にいたっていないということを意味しています。だからこそ求めつづけることができるのです。
自分は未だ至っていない、だからより自分自身を磨き続ける必要がある。無知を知る、という言葉の意味の本体はここにあります。求めつづけるところに求道的な精神の所在があるわけです。つまり、求道的な鍼灸師はどのような道でも良いから今の不完全な自分をより完成度の高いものへと磨き上げたいと思っているのです。
そのためには、現代であれば西洋思想であれ精神分析学であれカウンセリングであれ、手当たり次第に勉強していきます。勉強する量があまりに多くてたいへんなため、自分の好奇心の及ぶ範囲で勉強するという限界はもちろん生じます。けれども、そのような限界の中で、勉強を重ねていくわけです。そうやって、人間理解への道をさらに歩んでいきます。治療とはなにか、治療効果が上がるとはどういうことか、といったことに対する理解もまたそのように探究し続けることによって深まっていくわけです。
現代の鍼灸師にも一人一派というほど多くの流派があります。所属している団体がどうであれ、問題は目の前の患者さんとどのように向き合い、治療の手を入れていくのかというところにあります。そしてその行為の背景には必ず、なんらかの人間観があります。
西洋医学的な人間観しかもっていない鍼灸師もいます。また、患者さんの主訴に対して暗記した経穴学を順次適用していくという、経験方を中心としたものがあります。古典にはこの方法の積み重ねられたものが、処方集としてうずたかく積まれています。特効穴治療もその中に入るでしょう。経穴学としてこれを学び、まとめたものとして穴性学が考案されもしています。この背景にあるものは、ある経穴は特定の症状に対して効果があるという考え方です。生命を見るのではなく症状や証候を見ているわけです。
弁証論治を行う人々は、それよりも少し広い範囲で患者さんを捉えようとしています。望診・問診・脉診・腹診・経穴診などを通じて全体的にその生命状況を理解しようとするわけです。そのような弁証論治をおこなうグループの中にも大きく分けると、二つ流れがあります。それは、望・聞・問・切という四診を通じて、その「疾病を理解」し、病名をつけて治療法をさぐっていくという「疾病理解のため」に弁証論治をおこなう方法と、四診を通じてその「生命状況を理解」し、その生命のバランスがとれるように生命力が向上できるようにと手を入れていくという方法です。私はこの後者のグループに属しています。
私がこのグループに属しているのは別に、私が望んで選択してそういうグループに入っていったということではありません。ただ、ほんとうの治療とは何か、ほんとうの鍼灸とは何かということを暗中模索していくことを通じて、徐々に理解が深まり、このような位置におさまっていっただけのことです。
中国の医書が大量に導入された江戸時代の医家も、同じように書物の海と実践の狭間であえぎながら、真実を求めていたのだと思います。そのころは、まず伝統的な医学の歴史を受容した上で、さらにそれを越えて、基本的な概念である陰陽五行論を否定したり、四診の基礎でもある脉診を否定したり、さらには経絡をも否定する人々も出現することとなりました。
現代よりもさらに過激で自由で原理的な批判が、江戸時代にはあったのだということは押さえておく必要があります。
そこには、実際に目の前にいる人間を診ながら人間理解を深めていくという姿勢がありました。別の言葉を使うならば、文字を通じて文字を越え、さらなるリアリティーを探究していったと言えるでしょう。そこにはまた、見えていないものを見えてないとするという正直さがありました。そのおかげで大陸風の観念論を越えていくことができたわけです。そしてそれでもなお見ていこうとする姿勢によって、外には経穴探索の勉強会を開くこととなり、内には上記した知の一点の確認に及ぶこととなります。
さて、前回までで明らかにしてきたように、求道に始まった鍼灸医学は江戸時代の日本の求道者たちの前に、気一元の生命観に基づいた新たな展開をもたらしました。その背景には、「陽明学の致良知と、禅の悟りの一点と、神道における禊跋とは「共通する一点」」を懐胎している江戸時代の知の結晶が基盤としてあります。
一個の求道的な生命において、仏教の本質と儒教の本質と神道の本質とが一つの無言の真理として自覚されたわけです。それによって、「自分自身の本体を磨き出」していきました。自分自身を磨き出すためには、今の自分自身を手放す必要があります。
そのはじめの一歩が、禊跋で行われます。神道の叡智が自らの穢れを払うということを啓示しています。自らの穢れ、その根本は何かというと、言葉とそれへの執着です。
よく考えていただきたいのですが、人間が生活していく上でもっとも頼りにしているものは言葉です。感情であれ理性であれ、すべて言葉を通じて構成されています。そしてこの文章も言葉を通じて語りかけています。
この文章を読んでいるあなたは、あなたがすでに理解している言葉の意味でこの文章を読んでいます。つまり多くの場合、あなた自身がすでにもっている言葉のカテゴリーの中にこの文章の内容を組み入れて、理解したつもりになっているわけです。
もし私が完全無欠に日本語を用いて表現できたとしても、それを理解するのはあなたの頭です。ということは多くの場合、あなたはすでに理解していることの中に私の言葉を組み入れ、理解できないことを排除しているわけです。より強くいえば、理解したいことだけをつまみ食いしているわけです。自分の理解できる言葉の範囲を越えることはいつもたいへん難しいことです。
けれども、この文章によって語られていることをほんとうに理解しようとするときには、自分自身の言葉の組成と異なるものがそこに存在していることを覚悟しなければなりません。理解とは実は自己の変革によってしか起こらないものなのです。そのような理解があって始めて、あなたは自分自身の限界をこえることができます。
このことを、「言葉を越えた理解」と表現しています。自分自身が作り上げている定義の牢屋、それが言葉です。その言葉を越えて存在そのものに触れる。そこに自分の意識の位置を建てつづける。これが「自分自身の本体を磨き出す」ということの内容です。自身がほんとうの意味で無知であることを知る、それが始まりなのです。
この、言葉を越えて存在そのものに肉薄する同じ姿勢が、四診においてもとられなければなりません。
勉強会をやっていると、自分自身の手を信じられない人が多くいることに気がつきます。このような自己の矮小化は、自分自身を磨いていく上では大切なことです。今に止まっていることはできないからこそ、勉強会にきているわけです。けれども、今見えている範囲を見えていると受け入れないと、それを拡充することはできません。師匠のようには見えてはいないけれども自分なりに確かに見えている、その積み重ねによって、より見えるようになっていくわけです。
今の自分を受け入れながら、それに止まることなくさらに自分を磨くということが、四診をする上で必須のこととなります。このあたりのことを伊藤仁斎は、「聖人の道は誰でも入ることはできる簡単な道だけれども、極めることは非常に難しい永遠の道である」と述べています。自分を信じて一歩を踏み出してみるけれども、あまりの難しさ判らないさに呆然としてしまう。けれども今の自分がすでに、永遠の道への貴重な一歩を踏み出している。その一歩より貴重な一歩は存在しません。その一歩をすすめることができる自分を信頼し、続けていくこと、それが道を歩むということです。
この両面の行為。自分自身の中においては、自分自身がすでにもってしまっている言葉を越えて自分自身本体に肉薄しなければ、自分自身の本体を理解することはできない、ということ。四診を通じて生命を理解しようとするときには、言葉を越えて存在そのものに肉薄する覚悟をもたなければ何も診ることはできない、ということ。この両者はその対象となるものは内と外とでまった異なります。けれども、その心の位置と探究し続ける姿勢とはまったく同じであるということが、理解されなければなりません。
「自分自身の本体を磨き出すことによって、自らの良知を鏡として人生を生きていく、それが陽明学における道を歩むということです。今この瞬間のリアリティをつかむということの中に禅の悟りの本質があります。それは自分を抜けて世界の中に落ちていく、世界が自分の本質であり自分はその中で生かされている生命にすぎない。そういう自覚。そこにおいて、自他は一体のものであり、自分の痛みは他者の痛み他者の痛みは自分の痛みであるという、大いなる生命のつながりを自覚することです。その一点に気付くことが悟りであり、その一点に気付き続けることが禊跋であり、その一点を鏡として今を生きていくことが致良知ということにな」るということへの気づきが、江戸時代の知の基盤にあったわけです。
そしてこの基盤にいたるために、自己の内面を祓い浄め、磨き出された自己の中心をもって、他者を診たわけです。日本における東洋の医学の基礎は、求道の精神に従ってこの一点を磨くことを自覚した、究極のリアリティーの探究にこそおかれなければなりません。
さて、東洋医学的鍼灸は求道者によって創始され、江戸時代の求道的な精神を背景にして、気一元の身体観とともに花が咲きました。
現代と同じように、江戸時代にはさまざまな学派や流派がありました。それぞれその派閥の論にのっとって論争していましたが、自説に固執していたわけではありません。このことは現代の自分自身の心を振り返ればすぐ理解できるでしょう。我々はただほんとうのことを知りたいだけであって、そのための方法として論争をしたり意見を述べ合います。そして自説を改めることを怖れることはありません。
求道的とは何かというと、真実を求めるということです。何かを前提にしていては真実を求めることなどできません。真実を求めるということは未だ自分は真実にいたっていないということを意味しています。だからこそ求めつづけることができるのです。
自分は未だ至っていない、だからより自分自身を磨き続ける必要がある。無知を知る、という言葉の意味の本体はここにあります。求めつづけるところに求道的な精神の所在があるわけです。つまり、求道的な鍼灸師はどのような道でも良いから今の不完全な自分をより完成度の高いものへと磨き上げたいと思っているのです。
そのためには、現代であれば西洋思想であれ精神分析学であれカウンセリングであれ、手当たり次第に勉強していきます。勉強する量があまりに多くてたいへんなため、自分の好奇心の及ぶ範囲で勉強するという限界はもちろん生じます。けれども、そのような限界の中で、勉強を重ねていくわけです。そうやって、人間理解への道をさらに歩んでいきます。治療とはなにか、治療効果が上がるとはどういうことか、といったことに対する理解もまたそのように探究し続けることによって深まっていくわけです。
現代の鍼灸師にも一人一派というほど多くの流派があります。所属している団体がどうであれ、問題は目の前の患者さんとどのように向き合い、治療の手を入れていくのかというところにあります。そしてその行為の背景には必ず、なんらかの人間観があります。
西洋医学的な人間観しかもっていない鍼灸師もいます。また、患者さんの主訴に対して暗記した経穴学を順次適用していくという、経験方を中心としたものがあります。古典にはこの方法の積み重ねられたものが、処方集としてうずたかく積まれています。特効穴治療もその中に入るでしょう。経穴学としてこれを学び、まとめたものとして穴性学が考案されもしています。この背景にあるものは、ある経穴は特定の症状に対して効果があるという考え方です。生命を見るのではなく症状や証候を見ているわけです。
弁証論治を行う人々は、それよりも少し広い範囲で患者さんを捉えようとしています。望診・問診・脉診・腹診・経穴診などを通じて全体的にその生命状況を理解しようとするわけです。そのような弁証論治をおこなうグループの中にも大きく分けると、二つ流れがあります。それは、望・聞・問・切という四診を通じて、その「疾病を理解」し、病名をつけて治療法をさぐっていくという「疾病理解のため」に弁証論治をおこなう方法と、四診を通じてその「生命状況を理解」し、その生命のバランスがとれるように生命力が向上できるようにと手を入れていくという方法です。私はこの後者のグループに属しています。
私がこのグループに属しているのは別に、私が望んで選択してそういうグループに入っていったということではありません。ただ、ほんとうの治療とは何か、ほんとうの鍼灸とは何かということを暗中模索していくことを通じて、徐々に理解が深まり、このような位置におさまっていっただけのことです。
中国の医書が大量に導入された江戸時代の医家も、同じように書物の海と実践の狭間であえぎながら、真実を求めていたのだと思います。そのころは、まず伝統的な医学の歴史を受容した上で、さらにそれを越えて、基本的な概念である陰陽五行論を否定したり、四診の基礎でもある脉診を否定したり、さらには経絡をも否定する人々も出現することとなりました。
現代よりもさらに過激で自由で原理的な批判が、江戸時代にはあったのだということは押さえておく必要があります。
そこには、実際に目の前にいる人間を診ながら人間理解を深めていくという姿勢がありました。別の言葉を使うならば、文字を通じて文字を越え、さらなるリアリティーを探究していったと言えるでしょう。そこにはまた、見えていないものを見えてないとするという正直さがありました。そのおかげで大陸風の観念論を越えていくことができたわけです。そしてそれでもなお見ていこうとする姿勢によって、外には経穴探索の勉強会を開くこととなり、内には上記した知の一点の確認に及ぶこととなります。
さて、前回までで明らかにしてきたように、求道に始まった鍼灸医学は江戸時代の日本の求道者たちの前に、気一元の生命観に基づいた新たな展開をもたらしました。その背景には、「陽明学の致良知と、禅の悟りの一点と、神道における禊跋とは「共通する一点」」を懐胎している江戸時代の知の結晶が基盤としてあります。
一個の求道的な生命において、仏教の本質と儒教の本質と神道の本質とが一つの無言の真理として自覚されたわけです。それによって、「自分自身の本体を磨き出」していきました。自分自身を磨き出すためには、今の自分自身を手放す必要があります。
そのはじめの一歩が、禊跋で行われます。神道の叡智が自らの穢れを払うということを啓示しています。自らの穢れ、その根本は何かというと、言葉とそれへの執着です。
よく考えていただきたいのですが、人間が生活していく上でもっとも頼りにしているものは言葉です。感情であれ理性であれ、すべて言葉を通じて構成されています。そしてこの文章も言葉を通じて語りかけています。
この文章を読んでいるあなたは、あなたがすでに理解している言葉の意味でこの文章を読んでいます。つまり多くの場合、あなた自身がすでにもっている言葉のカテゴリーの中にこの文章の内容を組み入れて、理解したつもりになっているわけです。
もし私が完全無欠に日本語を用いて表現できたとしても、それを理解するのはあなたの頭です。ということは多くの場合、あなたはすでに理解していることの中に私の言葉を組み入れ、理解できないことを排除しているわけです。より強くいえば、理解したいことだけをつまみ食いしているわけです。自分の理解できる言葉の範囲を越えることはいつもたいへん難しいことです。
けれども、この文章によって語られていることをほんとうに理解しようとするときには、自分自身の言葉の組成と異なるものがそこに存在していることを覚悟しなければなりません。理解とは実は自己の変革によってしか起こらないものなのです。そのような理解があって始めて、あなたは自分自身の限界をこえることができます。
このことを、「言葉を越えた理解」と表現しています。自分自身が作り上げている定義の牢屋、それが言葉です。その言葉を越えて存在そのものに触れる。そこに自分の意識の位置を建てつづける。これが「自分自身の本体を磨き出す」ということの内容です。自身がほんとうの意味で無知であることを知る、それが始まりなのです。
この、言葉を越えて存在そのものに肉薄する同じ姿勢が、四診においてもとられなければなりません。
勉強会をやっていると、自分自身の手を信じられない人が多くいることに気がつきます。このような自己の矮小化は、自分自身を磨いていく上では大切なことです。今に止まっていることはできないからこそ、勉強会にきているわけです。けれども、今見えている範囲を見えていると受け入れないと、それを拡充することはできません。師匠のようには見えてはいないけれども自分なりに確かに見えている、その積み重ねによって、より見えるようになっていくわけです。
今の自分を受け入れながら、それに止まることなくさらに自分を磨くということが、四診をする上で必須のこととなります。このあたりのことを伊藤仁斎は、「聖人の道は誰でも入ることはできる簡単な道だけれども、極めることは非常に難しい永遠の道である」と述べています。自分を信じて一歩を踏み出してみるけれども、あまりの難しさ判らないさに呆然としてしまう。けれども今の自分がすでに、永遠の道への貴重な一歩を踏み出している。その一歩より貴重な一歩は存在しません。その一歩をすすめることができる自分を信頼し、続けていくこと、それが道を歩むということです。
この両面の行為。自分自身の中においては、自分自身がすでにもってしまっている言葉を越えて自分自身本体に肉薄しなければ、自分自身の本体を理解することはできない、ということ。四診を通じて生命を理解しようとするときには、言葉を越えて存在そのものに肉薄する覚悟をもたなければ何も診ることはできない、ということ。この両者はその対象となるものは内と外とでまった異なります。けれども、その心の位置と探究し続ける姿勢とはまったく同じであるということが、理解されなければなりません。
「自分自身の本体を磨き出すことによって、自らの良知を鏡として人生を生きていく、それが陽明学における道を歩むということです。今この瞬間のリアリティをつかむということの中に禅の悟りの本質があります。それは自分を抜けて世界の中に落ちていく、世界が自分の本質であり自分はその中で生かされている生命にすぎない。そういう自覚。そこにおいて、自他は一体のものであり、自分の痛みは他者の痛み他者の痛みは自分の痛みであるという、大いなる生命のつながりを自覚することです。その一点に気付くことが悟りであり、その一点に気付き続けることが禊跋であり、その一点を鏡として今を生きていくことが致良知ということにな」るということへの気づきが、江戸時代の知の基盤にあったわけです。
そしてこの基盤にいたるために、自己の内面を祓い浄め、磨き出された自己の中心をもって、他者を診たわけです。日本における東洋の医学の基礎は、求道の精神に従ってこの一点を磨くことを自覚した、究極のリアリティーの探究にこそおかれなければなりません。
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