仏教における治病
サブコースで、仏教における治病ということでまとめていまして、
それを通じて感じたことを書き留めたメモです。今とこれからの課題ですね。
★仏教における治病とは何か
仏教において病というのは衆生のありようそのものを言う。
つまり、悟りを開いていないものはすべて病である。
仏教的な治病とは、悟りを開いてこの生命の喜びを直接感じ取れるようになること。
★なぜお釈迦様は治病を軽視されたのか
耆婆が上手に病を治療していたがそれを禁止した
その理由は、病というものが天あるいは神あるいは過去生がその業を現世に顕わしたものであって、その病を受け止めきることによってカルマが解けていくことを教えるため。
★救いとは治病ではないのか
ゆえに救いとは、救いそのものであって、何かが与えられることではない。
「何か」のために救いがあるのではなく、ありのままにそこにいる覚悟を決めることそのものが救い。
肉体的な治病とは大きな懸隔があるものである。
★仏教的な救いと悟りとの違いは何か
救いは悟りに至るための方便
悟りは完全に救われていることの自覚
★悟りは人生の目標になりうるのか
悟りは今ある自分自身に明(あきら)めること
今の自分自身を明らかに知りそこから人生を始める決意をすること
これは目標ではなく、今の位置を受け入れることにすぎない。
★仏教の目標とは何か
すべての人が悟りの歓喜を知り
その人生を無上のものとして楽しめるようになること。
天上天下唯我独尊とはこのこと。
★仏教は人に何を教えようとするのか
人はそのままでとても美しく完璧であるということ。
★日本医学はどこまで気づき、どこまで純化しどこまで堕落していたのか
医学的な治病とは多くの場合目先の苦痛目先の違和感を取り去ることに集中する。
これはもちろん患者さんの望みであり、病気の本体なのだが、その深奥に入り込む医者はいない。
西洋医学の浅薄、古方派の下賤はここにある。
がしかし、治病を超尅する視点を与えることができずにいたずらに治療行為を遷延させる医家は論外〔注:自分の生命の価値をおとしめているもの〕ではある。
サブコースで、仏教における治病ということでまとめていまして、
それを通じて感じたことを書き留めたメモです。今とこれからの課題ですね。
★仏教における治病とは何か
仏教において病というのは衆生のありようそのものを言う。
つまり、悟りを開いていないものはすべて病である。
仏教的な治病とは、悟りを開いてこの生命の喜びを直接感じ取れるようになること。
★なぜお釈迦様は治病を軽視されたのか
耆婆が上手に病を治療していたがそれを禁止した
その理由は、病というものが天あるいは神あるいは過去生がその業を現世に顕わしたものであって、その病を受け止めきることによってカルマが解けていくことを教えるため。
★救いとは治病ではないのか
ゆえに救いとは、救いそのものであって、何かが与えられることではない。
「何か」のために救いがあるのではなく、ありのままにそこにいる覚悟を決めることそのものが救い。
肉体的な治病とは大きな懸隔があるものである。
★仏教的な救いと悟りとの違いは何か
救いは悟りに至るための方便
悟りは完全に救われていることの自覚
★悟りは人生の目標になりうるのか
悟りは今ある自分自身に明(あきら)めること
今の自分自身を明らかに知りそこから人生を始める決意をすること
これは目標ではなく、今の位置を受け入れることにすぎない。
★仏教の目標とは何か
すべての人が悟りの歓喜を知り
その人生を無上のものとして楽しめるようになること。
天上天下唯我独尊とはこのこと。
★仏教は人に何を教えようとするのか
人はそのままでとても美しく完璧であるということ。
★日本医学はどこまで気づき、どこまで純化しどこまで堕落していたのか
医学的な治病とは多くの場合目先の苦痛目先の違和感を取り去ることに集中する。
これはもちろん患者さんの望みであり、病気の本体なのだが、その深奥に入り込む医者はいない。
西洋医学の浅薄、古方派の下賤はここにある。
がしかし、治病を超尅する視点を与えることができずにいたずらに治療行為を遷延させる医家は論外〔注:自分の生命の価値をおとしめているもの〕ではある。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://1gen.blog101.fc2.com/tb.php/21-dcd6aad0