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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/


腎水を中心とする身体観は、臍下丹田の認識とも相まって大切なものです。後天の生命力の中心である脾と対比して、腎は先天の生命力の中心であるとされています。臍下丹田を人身の中心とし、そこに意識を置くことを重視する身体観です。この身体観は、健康法の極意でもあり、仏教―ことに禅とつながりの深いものとなっています。

この腎水を中心とする身体観の起源は、後漢中期、紀元100年頃に書かれた東洋医学の古典である『難経』という書物で前面に出ました。東洋医学のそれまでの古典である『黄帝内経』では、「命門」の位置が目に置かれていましたが、『難経』では、臍下丹田に置かれています。「命門」という重要な言葉の指示するものが、目から臍下丹田へと変化しているわけです。このことは、『難経』の作者が身体観の大きな変化を表現しようとしているものです。

『難経』ではこの臍下丹田を、「腎間の動気」と名づけ、「人の生命であり、十二経の根本で亅あるとしています。(六六難)十二経というのは生命力の流れる通路です。ですからこの言葉は、臍下丹田こそが生命の根本であると断じているものです。また、「上部に脉がなく下部に脉がある場合は、もし困窮している状態であったとしても害はありません亅(十四難)と、人身の根としての脉の位置である、尺位の脉を重視しています。尺位の脉は腎を意味していますから、これもまた腎であり命門の位置である、臍下丹田を重視した言葉であると言えます。

このように、「命門」の位置が目から臍下丹田へと移動したということの背景には、支那大陸への仏教の伝来があります。仏教における座の暝想の影響が、このような身体観の大転換をもたらしたわけです。その後、時代を下るにつれてこの臍下丹田を中心とした身体観は、暝想する際に意識を置く中心だけでなく、武道における身体の中心として、また健康法における意識の中心としても重視されることとなります。
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