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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

生命があって反応がある


さて、生命力の基盤があってはじめて、さまざまな反応が出ることができます。生命力の強弱や敏感さなどによって、その反応はさまざまに変化しています。ですから、基本的な生命力の状態を予測し、そこを踏まえないと、表現されている諸状態(反応や症状など四診を通じて見られるさまざまな表現)がどのような意味をもっているのか、評価することはできません。

言葉にするときに、このような前提を踏まえて解説してしまうと非常に繁雑となり、書きにくくなります。そのため、古典ではまるで一定の脉状というものが存在し、それに対応した病があるかのように書かれることになりました。そのような古典の文字面を信じた後代の人々は、それらの脉状に沿って症状や病が存在しているかのように誤まって理解し、記憶することになりました。それによってさらに多くの誤解や迷信が生じています。けれどもまたこの誤解を基礎としたまま、さらに多くの脉診に関する書物が書かれることともなってしまいました。

これらの迷妄を一掃する力を医師が持つのは、日本の江戸時代の、求道的な医師たちの誕生を待たなければなりませんでした。実際に見たものを見たものとし、見なかったものを見なかったものとする。事実そのものを断固として探究し、古典に対峙して探究する姿勢をもつことができるかどうか。そのことが問われてきたわけです。

このことは実は、現代の鍼灸師にも厳しく問われていることです。この書物で最初に掲げた「聖人を目指す志」をもてるかどうか、ということが問われています。この初心の一点こそが、東洋医学探究の基礎となるものだからです。

「聖人をめざす志」をもった求道的臨床家とは、自身の臨床を問い続け磨き続ける能力のある臨床家のことです。自信満々で人々を指導する臨床家のことではありません。厳しい自己批判に耐え、次は一歩でも確かな臨床をしようと、決意している臨床家のことです。

自己の慢心を捨て、自己の劣等感を捨て、ただあるがままにある自己を受容しなお、その内側に求道の炎を燃やす。そのような臨床家のみがこの、言葉を越えた臨床を切り開き、新たな東洋医学の道を開いていくことができるのです。
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