fc2ブログ

一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

次に、得た情報のまとめ方について解説していきます。

望聞問切のいわゆる四診で得た情報は、一次情報です。けれども術者の四診能力によって、その一次情報についての信頼性には、基本的に大きな差異が出てきます。

術者の得手不得手がそのままあらわれるわけです。

問診や時系列の問診は、患者さんとの言葉を用いた対話によって成立しています。言葉というものは実は、人によって微妙に異なる意味をもっているものです。語っている患者さんの価値観、聞いている術者の価値観という、微妙にずれをもった価値観が問診に反映されることとなるということは、よく気をつける必要があります。

この価値観の相違は、患者さんと術者の年齢が異なるとより大きくなります。同じ言葉でももっている意味が異なってくるわけです。また、文化の違い、美的感覚の違いも、表現された言葉に違いをもたらします。患者さんによっては、正直には答えづらい状況が、問診項目の中にたくさん出てくる場合があるわけです。

東洋医学をよくかじっている患者さんなどの場合は、その独自の解釈が問診に反映されてしまうことがあります。それによって実際の状態が、見えにくくなる場合も多々あります。

いずれの場合も、虚飾を剥ぎ取る必要があります。けれども、その虚飾を剥ぎ取る術者の行為そのものが問診に影響を与えてしまいます。そのため、問診を捨て、体表観察だけに頼って処置をするという場合もよく出てくるわけです。


体表観察は、患者さんの現在の身体と術者との交流―感応を基礎としています。「第三章 生命の揺らぎ」で、生命は揺らいでいるものであると述べています。その中で、揺らぐ生命が揺らぐ生命を見ているのであるということを前提として「四診に表現されているものすべてが、生命の揺らぎを表現しているものであるということです。あるいはもっというと、四診で捉えていることを通じて、その生命の揺らぎをそのまま捉えていこうとする、これが東洋医学の基本的な方法である」と述べました。


四診を通じて正確な情報を得ることそのものが非常に難しいものです。また、得ることができたとしても、その正確な情報そのものが生命の揺らぎによって揺らいでいるわけです。ですから、一次情報であるからといって、それをそのまま鵜呑みにすることはできません。けれども、得た情報の信頼度に差があることを前提としつつ、それを基礎としてまとめていかなければならないわけです。

その信頼度には軽重があり、術者の力量がそこで問われます。問われるのは、問診力や体表観察の能力だけでなく、得た情報を自己批判的に眺めることができるかどうかという自己観察力―自己批判能力がより重要な課題となってきます。ほんとうはどうかということを求めつづけること。この求道的な精神がまたここで必要になるわけです。

自分はほんとうに患者さんのことを捉えられているのだろうか、ということを術者はいつもいつまでも問い続けることとなります。そのように問いつつ、今、得られている情報で諦めること。そこを一次情報として基盤とせざるを得ないと諦めることから、弁証論治は始まるということが理解されなければなりません。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://1gen.blog101.fc2.com/tb.php/235-f2ddf5a2

この人とブロともになる