理解できる範囲で論を立てる
脉を診ていてもそうですし問診をしていてもそうなのですが、どのように努力しても、自分が見ている範囲というのは意外に狭いものでしかありません。その狭さを自覚しながらその中で病因病理を立てて弁証論治をしていくわけです。
また逆に、弁証論治をしようとして集めた四診の資料が詳細過ぎて、まとめきれない場合もあります。
大切なことは、より正確にみるという努力だけではなく、バランスよく観るということです。自分の限界をしっかりと自覚しながら、何をどれだけの範囲で観ているのかをきちんと押さえておくようにすることです。
そのためにももっとも最初に押さえておかなければならないところが、「一」の範囲を規定するということです。
範囲を定めて、大切なところと大切でないところとを分けていく。あたかも遠くのものがぼやけて近くのものがはっきりと見えるような感じ。気の濃淡を見極めていく感じ。見えやすいものがよく見えて、見えにくいものがよく見えない。
それらの中で、もっとも見えやすいところ、明確なところ、すなわち気-生命力のもっとも薄そうな所やもっとも濃そうな所を中心として表現していきます。分かりやすいところ、目立つところから始めていくわけです。
「一」という範囲を決めて脉状を見、「一」という範囲を決めて論を立て、明らかなところを中心にして、病因病理を作っていくわけです。
見落としがちですがここは、非常に大切なところです。
自分自身が上手だと思ってしまうと、ちゃんと見てちゃんと弁証論治ができていると思いがちですが、それは誤解の始まりです。
いつもいつまでも、これでいいのだろうかと、患者さんの身体に聞き続け、病因病理を練り続けなければなりません。
基本は「自分が理解できている範囲」「見えている範囲」です。その内側で勝負する。勝負している。勝負せざるを得ないということを自覚する。だからこそ、いつまでも未熟者であることを自覚でき、いつまでも成長していけるのです。
脉を診ていてもそうですし問診をしていてもそうなのですが、どのように努力しても、自分が見ている範囲というのは意外に狭いものでしかありません。その狭さを自覚しながらその中で病因病理を立てて弁証論治をしていくわけです。
また逆に、弁証論治をしようとして集めた四診の資料が詳細過ぎて、まとめきれない場合もあります。
大切なことは、より正確にみるという努力だけではなく、バランスよく観るということです。自分の限界をしっかりと自覚しながら、何をどれだけの範囲で観ているのかをきちんと押さえておくようにすることです。
そのためにももっとも最初に押さえておかなければならないところが、「一」の範囲を規定するということです。
範囲を定めて、大切なところと大切でないところとを分けていく。あたかも遠くのものがぼやけて近くのものがはっきりと見えるような感じ。気の濃淡を見極めていく感じ。見えやすいものがよく見えて、見えにくいものがよく見えない。
それらの中で、もっとも見えやすいところ、明確なところ、すなわち気-生命力のもっとも薄そうな所やもっとも濃そうな所を中心として表現していきます。分かりやすいところ、目立つところから始めていくわけです。
「一」という範囲を決めて脉状を見、「一」という範囲を決めて論を立て、明らかなところを中心にして、病因病理を作っていくわけです。
見落としがちですがここは、非常に大切なところです。
自分自身が上手だと思ってしまうと、ちゃんと見てちゃんと弁証論治ができていると思いがちですが、それは誤解の始まりです。
いつもいつまでも、これでいいのだろうかと、患者さんの身体に聞き続け、病因病理を練り続けなければなりません。
基本は「自分が理解できている範囲」「見えている範囲」です。その内側で勝負する。勝負している。勝負せざるを得ないということを自覚する。だからこそ、いつまでも未熟者であることを自覚でき、いつまでも成長していけるのです。
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