病因病理を書くにあたって
病因病理を書いていくにあたって、もっとも気をつけることは何かというと、症状を見るのではなく生命状況の変化を見、それを表現していくということです。
生まれてからこれまで患者さんは生きてきているわけです。ということは、圧倒的な生命力がそこに働いている、生きるということを赦されて生き続けているということです。
その生命の流れの中には、分厚く揺るぎなさそうな時期もあるでしょうし、少し踏み誤れば大病になるような綱渡りをしているような時期もあるでしょう。
その全体をまずゆったりとした眼差しで見ていきます。その流れがみえたら、弱った理由は何だったのだろう、強かった理由は何だったのだろう。ほんとうに弱ったのだろうか、ほんとうに強かったのだろうか。そんな風に症状を区切りにするのではなくその時期の生命状況を想像しながら書いていきます。
ぜったいに間違いのないことは、生まれてからこれまで生きてきた、ということです。この一言で病因病理が終わるのもいいかもしれません。そのようなつもりでいると、そこに表現したい揺らぎが生まれてきます。それをそのまま少しづつ書き綴っていくわけです。
基本的にはその生命力の盛衰の歴史を現時点まで眺めて記載するということになります。そのため、これを中医学で付けられた名前を借りて「病因病理」と呼ぶのはふさわしくないのかもしれません。
けれども患者さんは、症状を治してほしいとその身心を提供してくれています。ですから、その症状群を治すために理解すべきその生命の器の変遷を記載しているという意味で、やはり病因病理と名づけておく方が適切でしょう。患者さんともその方が情報を共有しやすいと思います。
さまざまな症状を呈する患者さんの現状が、なぜ引き起こされたのか。そのことをさまざまな角度から検証していく、そのような目的のために病因病理として、患者さんの生命の物語を書いていくわけです。
病因病理を書いていくにあたって、もっとも気をつけることは何かというと、症状を見るのではなく生命状況の変化を見、それを表現していくということです。
生まれてからこれまで患者さんは生きてきているわけです。ということは、圧倒的な生命力がそこに働いている、生きるということを赦されて生き続けているということです。
その生命の流れの中には、分厚く揺るぎなさそうな時期もあるでしょうし、少し踏み誤れば大病になるような綱渡りをしているような時期もあるでしょう。
その全体をまずゆったりとした眼差しで見ていきます。その流れがみえたら、弱った理由は何だったのだろう、強かった理由は何だったのだろう。ほんとうに弱ったのだろうか、ほんとうに強かったのだろうか。そんな風に症状を区切りにするのではなくその時期の生命状況を想像しながら書いていきます。
ぜったいに間違いのないことは、生まれてからこれまで生きてきた、ということです。この一言で病因病理が終わるのもいいかもしれません。そのようなつもりでいると、そこに表現したい揺らぎが生まれてきます。それをそのまま少しづつ書き綴っていくわけです。
基本的にはその生命力の盛衰の歴史を現時点まで眺めて記載するということになります。そのため、これを中医学で付けられた名前を借りて「病因病理」と呼ぶのはふさわしくないのかもしれません。
けれども患者さんは、症状を治してほしいとその身心を提供してくれています。ですから、その症状群を治すために理解すべきその生命の器の変遷を記載しているという意味で、やはり病因病理と名づけておく方が適切でしょう。患者さんともその方が情報を共有しやすいと思います。
さまざまな症状を呈する患者さんの現状が、なぜ引き起こされたのか。そのことをさまざまな角度から検証していく、そのような目的のために病因病理として、患者さんの生命の物語を書いていくわけです。
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