
これまでお話ししてきたことは、このチャート図の上の部分までです。学ぶ姿勢、見る姿勢を調えて、臨床における立ち位置を定めます。そしてその立ち位置のまま、患者さんに返していく。実際のフィードバックを行い、その反応を再度手にし、考察を深めていく。その循環する作業をコツコツ継続していくことが、臨床を通じて学ぶということになります。
文字学問としての東洋医学の勉強も継続されることでしょう。けれども、それよりもはるかに重要なことは、臨床を通じて学び続けるということです。それによって文字学問を批判的にみることができますし、新たな発想を得ることもできます。
以前触れた「肝木の身体観」の発想は、このような臨床を通じて把握した成果のひとつです。
おそらくより大きな、けれども目立たない成果は、見るということ学ぶということにおける、心の位置を得ることができたことです。この位置においてはじめて私は、禅や儒教や神道を捉えなおし、統一的に理解していくことができるようになりました。
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