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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

生活提言


生活習慣は、日々いつも行われていることです。ですから、一時的な鍼灸の治療よりも当然大きな影響力を身体に対してもっています。そのため、養生的な生活を行うことと鍼灸治療の頻度を上げることとは、車輪の両輪のように大切なこととなります。

治療家の側としては、患者さんの身体における中心である臍下丹田を充実させるように努めつつ、気の厚薄―すなわち生命力の濃淡を調えることを目標としていきます。患者さんは、生活習慣で得た現在の心身を用いて生活しています。治療家は、より充実した人生を送れるよう、そこに介入しているわけです。

健康は目的ではなく手段です。よりよい充実した人生を送るための手段です。ですから治療家は、今できる全力を鍼灸を用いて行いますけれども、患者さんの人生ですから、すべての決断を患者さんが握るようにします。そうすべきであると、私は考えているわけです。

治療家として行うこのあたりのことを器の概念を用いて述べるならば、中心を定め、より敏感で、より大きく、よりきめ細かな生命をもたらすように努力する、という表現となります。それを通じて治療家は、現時点での「まるごとひとつの生命」を少しづつ磨いていこうとしているわけです。

完璧な人生が存在しないように、完璧な健康は存在しません。いつもゆらゆら揺らぎながら、生の淵をさまよいながら、人は生きています。その揺らぐ頼りない生を、少しでも安定した方向にもっていけるよう、患者さんとともに挑戦しているわけです。

弁証論治は、現在の「まるごとひとつの生命」の状態に対して、どのように手を入れていくとより活発な充実した生命を患者さんが手に入れることができるのかと考え、たてられます。現時点のライフステージの上ではじめて、弁証論治がたてられることとなるわけです。

治療家はその弁証論治を手にして、患者さんの気の厚薄―すなわち生命力の濃淡をそのつど見極め、処置していくわけです。
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