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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

医学の目的


精神病理学者であり哲学者でもある木村敏は、新しい医学が必要であるとして「生の目的と価値を循る思索」に基づいた医学を提唱しています。なぜなのでしょうか。そこには、現代の自然科学的な医学が、ほんとうの意味で生に関わっていないのではないかという深刻な問いがあるためです。

「医学は、それが医療の学であろうとするかぎり、不可避的に人間の生命、あるいは生に関わらざるをえません。生きようとする意志、よりよい人生を生きたいという欲望、そして少なくとも当面、できることなら永遠に死を回避したいという願望、こういった目的意識と価値意識が、医療という行為を―おそらく人類発生のごく初期から―生み出し、やがてそれを医学という学問として発展させてきました。

・・・(中略)・・・

しかし、現代の自然科学的な医学ははたしてほんとうの意味で生にかかわっているのでしょうか。現代の医学は、個々の器官、個々の細胞、個々の分子レベルでの生命活動に対して、この上なく精密な研究を行っています。しかしそれが明らかにしようとしているのは、生命物質の物質的な生命機構にすぎないのです。ですから必然的に、病気はすべてこの生命機構の異常あるいは障害に還元され、この障害を取り除くことが医学の使命として要請されることになります。わたしたちが「生きている」という事態は、はたしてこのような自然科学的な手法で物質的生命機構に還元されうるものなのでしょうか。

わたしはいま、目的意識と価値意識が医療と医学を成立させたと言いました。目的論と価値観、この二つは客観的であることを至上命題とする自然科学が一貫して拒否してきたものです。ということは、医療と医学はその誕生のはじめから、いわばその「母斑(あざ)」として、自然科学との不協和音の刻印を帯びていたということではないのでしょうか。生と死の問題を除外した医学などというのは根本的な形容矛盾でしょうし、生と死の問題を反目的論的・没価値的な自然科学の枠内で論ずるのは、場違い以外のなにものでもないでしょう。生と死の問題に触れるとき、医学をその生誕以来ひそかに養い続けてきた隠れた哲学、つまり生の目的と価値を循る思索が、始めてその姿を明るみにだすのです。」(「からだ・こころ・生命」木村敏著 講談社学術文庫 54p~56p)

生と死の問題は実は個人の問題なのではなく、個人の属している集団である家族や民族、地域や社会さらには国家の問題として考えていくべきことです。医学を越えた死生観、生の目的とは何か、生の価値とはどこにおかれるべきなのかという問いが、深く問われる必要があるわけです。

分子生物学者である福岡伸一は端的に、「生命を分解して、部品を記述したからといって、生命がわかったことにはならない」(『生命に部分はない』A・キンブレル著 福岡伸一訳 講談社現代新書2434 「新書化によせて」5p)と述べています。

これらの生命の問いに答える東洋思想からの返答は、王陽明の「万物一体の仁」の観点に立ち返ることから得ることができます。
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