生命の弁証論治
東洋医学、ことに金元の四大家以降に明確にされてきたものに弁証論治があります。弁証論治は現代中医学では、症状を鑑別してその原因となる証候名を定め、証候の鑑別診断を通じて、証候を選択し、過去の医家たちの証候に対する治療方法を参考にして治療方法を求める、という手続きをとります。
西洋医学と同じように、症状を取るための便利な「引用文献的思考方法」の一つに、中医学の弁証論治は現在なっているわけです。
本来の弁証論治は、四診合参することによって、その人の生命力の偏在を明らかにすることに主眼が置かれなければなりません。人間理解を目的としたものであって、症状の解説や症状とりの方法という矮小化されたものであってはならないのです。そのため、中医学的な症状の弁証論治に異議を唱えて新しい弁証論治を提案し、生命の弁証論治と私は名づけているわけです。
この生命の弁証論治において始めて、養生医学の基礎としての弁証論治が成立します。日々の生活の質を高めていくためにはどうすればいいのか、症状に振り回されることなく、日々の生活の質を改善し自己改革していくためにはどうすればよいのか。その生命状況を解説することのできる弁証論治が、ここに成立するわけです。
症状を治療するという概念は、表面的な生命の揺らぎを表面的な方法で対処することを目的とする、小手先の発想となります。けれどももちろんこの発想が患者さんに歓迎され、患者さんが求めるものであったということも事実です。しかしこのあたりの小手先の技術はもう、西洋医学に任せておけばいいと私は考えています。
東洋医学はより深く生命の神秘を求めていく力を内包しているためです。生命の弁証論治に基づいて、よりよい生活を送れるように生活提言をしていく―養生医学、未病を治療する医学に東洋医学の本道を求めていくべきなのではないでしょうか。
この生命の弁証論治とそれに基づく養生医学こそがまさに、東洋医学の成果をもっともよく表現することができるものであると考えています。
東洋医学、ことに金元の四大家以降に明確にされてきたものに弁証論治があります。弁証論治は現代中医学では、症状を鑑別してその原因となる証候名を定め、証候の鑑別診断を通じて、証候を選択し、過去の医家たちの証候に対する治療方法を参考にして治療方法を求める、という手続きをとります。
西洋医学と同じように、症状を取るための便利な「引用文献的思考方法」の一つに、中医学の弁証論治は現在なっているわけです。
本来の弁証論治は、四診合参することによって、その人の生命力の偏在を明らかにすることに主眼が置かれなければなりません。人間理解を目的としたものであって、症状の解説や症状とりの方法という矮小化されたものであってはならないのです。そのため、中医学的な症状の弁証論治に異議を唱えて新しい弁証論治を提案し、生命の弁証論治と私は名づけているわけです。
この生命の弁証論治において始めて、養生医学の基礎としての弁証論治が成立します。日々の生活の質を高めていくためにはどうすればいいのか、症状に振り回されることなく、日々の生活の質を改善し自己改革していくためにはどうすればよいのか。その生命状況を解説することのできる弁証論治が、ここに成立するわけです。
症状を治療するという概念は、表面的な生命の揺らぎを表面的な方法で対処することを目的とする、小手先の発想となります。けれどももちろんこの発想が患者さんに歓迎され、患者さんが求めるものであったということも事実です。しかしこのあたりの小手先の技術はもう、西洋医学に任せておけばいいと私は考えています。
東洋医学はより深く生命の神秘を求めていく力を内包しているためです。生命の弁証論治に基づいて、よりよい生活を送れるように生活提言をしていく―養生医学、未病を治療する医学に東洋医学の本道を求めていくべきなのではないでしょうか。
この生命の弁証論治とそれに基づく養生医学こそがまさに、東洋医学の成果をもっともよく表現することができるものであると考えています。
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