鍼灸道の構築に向けて
見るということを探究の基本としていくとき、鍼灸術は言葉を超えていくこととなりました。技術は伝えることはできますけれども、技術を超えたものは伝えることはできません。
日々、自分自身を形成し、向上心を持って変化し続けていく心を持ち続けるという、基本的な姿勢が大切です。
変化を怖れないということは、今の自分が未熟であるということを忘れない、ということでもあります。
そしてそれは、何者をも信じずただ見ることに特化していく、すなわち言葉を超え自分を超えていく心の位置に、自身を置き続けることを意味しています。
そのような姿勢をとるとき、鍼灸は技術であることを超えていきます。いわば、術から道へ、技術から生き方へと、そのあり方が飛躍していくわけです。
そしてこのような鍼灸道は、症状に着目せず、生命力の充実安定に着目することになります。症状は、生命力が向上する時と低下する時すなわち、身心が変化する時に現れる生命の揺らぎであることを理解しているためです。
このようにして、臍下丹田を中心とした気一元の人間観を基本とし、内なる樹をしっかり育てていくことを目標として、自身の身体とともに患者さんの身体を育てていく工夫を重ねていくわけです。
見るということを探究の基本としていくとき、鍼灸術は言葉を超えていくこととなりました。技術は伝えることはできますけれども、技術を超えたものは伝えることはできません。
日々、自分自身を形成し、向上心を持って変化し続けていく心を持ち続けるという、基本的な姿勢が大切です。
変化を怖れないということは、今の自分が未熟であるということを忘れない、ということでもあります。
そしてそれは、何者をも信じずただ見ることに特化していく、すなわち言葉を超え自分を超えていく心の位置に、自身を置き続けることを意味しています。
そのような姿勢をとるとき、鍼灸は技術であることを超えていきます。いわば、術から道へ、技術から生き方へと、そのあり方が飛躍していくわけです。
そしてこのような鍼灸道は、症状に着目せず、生命力の充実安定に着目することになります。症状は、生命力が向上する時と低下する時すなわち、身心が変化する時に現れる生命の揺らぎであることを理解しているためです。
このようにして、臍下丹田を中心とした気一元の人間観を基本とし、内なる樹をしっかり育てていくことを目標として、自身の身体とともに患者さんの身体を育てていく工夫を重ねていくわけです。
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一言お礼を伝えたくて、コメントしてます。
河図がさっぱり理解できず右往左往しているときに、杉山流三部書「先天について」にたどり着きました。大変わかりやすい訳文で、微々たるものですが既知の事柄と繋がったことで理解への糸口を掴むことができ、非常に助かりました。
わたしは鍼灸師なのですが、整形外科という職場柄、古典の勉強が疎かになりがちでして…難解な上に、疑問を持ったら立ち止まる私の性格が邪魔をしてしまい、なかなか進まず…まずわかりやすい資料を探し出すことに苦労するので、このように綺麗にまとめられているホームページは本当に助かります。
ブログ、ホームページともにこれからも学習に役立てささせていただきます。
有益で親切なコンテンツを生み出されていること尊敬し心から感謝します。
ありがとうございます。