知識を得ること知恵を得ること
一元流鍼灸術では、「一」ということを学びます。「一」の眼差しがすべてを貫通しています。このことを理解できるようにテキスト「一元流鍼灸術の門」は祈りを込めて作られています。
けれどもこれを理解することは、なかなか難しいらしいのです。難しい理由は、多くの場合これまでの勉強法にあります。言葉を暗記してそれで試験を受けて合格する。この繰り返しを勉強と称して行ってきた方がほとんどでしょう。社会的な要請としても、それがその人の技術のレベルを示すものとされてもいるわけで、免状などもそれを規準に与えられるようになっています。
これに対して一元流鍼灸術では、「一」の理解を通じて人間を理解するということに特化しています。応用自在の知恵である「一」に対する理解の方法を提供することによって、人間理解を個別具体的に行えるように工夫しているわけです。
知識というものは、この「一」に対する理解を、言葉を使って表現したことから始まります。ですから知識は本来、飾りでにすぎません。群盲が象を撫でて語った言葉の集合なのです。そのため、知識をいくら積み重ねても、目の前の人間を理解することはできません。
見て感じて表現する者として、そこすなわち対象が存在する場所に、自身を存在させることがなければ、始まりの理解は得られないわけです。暗記した言葉、文字として書かれている古典などは、その「表現された言葉」に過ぎません。表現された言葉をいくら積み重ねてみても、それだけでは存在そのものに肉薄することはできません。存在そのものは言葉を超越しているためです。
言葉は、存在しているものをパターン化し、その作成されたパターンに存在を当てはめてしまいがちです。これでは、理解にはなりません。パターンが作成される以前に存在はそこにあり、それを理解するために「仮に」パターン化された言葉でそれを表現しているに過ぎないからです。言葉は仮の姿です。仮の姿は―あたりまえのことですが―実在ではありません。この「実在」こそが本来の意味での「古典」であると、一元流鍼灸術では主張しています。つまり、目の前の患者さんこそが、ほんとうの古典なのです。
『易』の「繋辞上伝」には、「易は天地と準(なら)う。故に能く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す。」と述べられています。どういう意味かというと、六十四卦で構成されている「易」というものは、天地の完璧さを基準としてそれを表現しているものなので、天地の法則をすべて包み込んでいるものである。その解説書である本書『易経』は、実際にそこにある天文と地理とを観察することによって書かれているものである。ということです。
易はもともと、八卦〔伴注:一を八つの角度から眺めること〕から始まり、それを上下に合わせて六十四卦〔伴注:一を六十四の角度から眺めること〕に拡げられたものです。初めは解説などはありませんでした。その六十四卦のひとつひとつに周の文公が解説を書いたことが実際の『易』の始まりとなります。孔子がその解説にさらに付け加えて解説したので、『易経』と呼ばれることとなったとされています。けれども実際には孔子の孫である子思(紀元前483年?-紀元前402年?)とそのグループが最終的にその内容を書いたと考えられています。時代は、戦国時代、紀元前450年頃のことです。
この言葉を現代の私が解釈すると以下のようになります。自身が生き生かされているこの自分の位置、自分の生命を明らかに体験する中から、初めて瑞々しく生まれ出てくる生命-知恵によって再発見された生命-に触れることができる。これこそが存在そのものに触れることのできる位置である、と。
この生命を生きている私が、この私の生命を用いて全力で相手を理解しようとする。このことが知恵による人間理解の基本となるわけです。
言葉を多く積み重ねて記憶し、パターン化し、それをその人間存在に当てはめることは「人間理解」ではない。そのようなパターン化された思考に執着することは、「人間理解」とはまったくかけ離れたものであり、ほんとうの「人間理解」を阻害することになりやすいものです。
一元流鍼灸術では、「一」ということを学びます。「一」の眼差しがすべてを貫通しています。このことを理解できるようにテキスト「一元流鍼灸術の門」は祈りを込めて作られています。
けれどもこれを理解することは、なかなか難しいらしいのです。難しい理由は、多くの場合これまでの勉強法にあります。言葉を暗記してそれで試験を受けて合格する。この繰り返しを勉強と称して行ってきた方がほとんどでしょう。社会的な要請としても、それがその人の技術のレベルを示すものとされてもいるわけで、免状などもそれを規準に与えられるようになっています。
これに対して一元流鍼灸術では、「一」の理解を通じて人間を理解するということに特化しています。応用自在の知恵である「一」に対する理解の方法を提供することによって、人間理解を個別具体的に行えるように工夫しているわけです。
知識というものは、この「一」に対する理解を、言葉を使って表現したことから始まります。ですから知識は本来、飾りでにすぎません。群盲が象を撫でて語った言葉の集合なのです。そのため、知識をいくら積み重ねても、目の前の人間を理解することはできません。
見て感じて表現する者として、そこすなわち対象が存在する場所に、自身を存在させることがなければ、始まりの理解は得られないわけです。暗記した言葉、文字として書かれている古典などは、その「表現された言葉」に過ぎません。表現された言葉をいくら積み重ねてみても、それだけでは存在そのものに肉薄することはできません。存在そのものは言葉を超越しているためです。
言葉は、存在しているものをパターン化し、その作成されたパターンに存在を当てはめてしまいがちです。これでは、理解にはなりません。パターンが作成される以前に存在はそこにあり、それを理解するために「仮に」パターン化された言葉でそれを表現しているに過ぎないからです。言葉は仮の姿です。仮の姿は―あたりまえのことですが―実在ではありません。この「実在」こそが本来の意味での「古典」であると、一元流鍼灸術では主張しています。つまり、目の前の患者さんこそが、ほんとうの古典なのです。
『易』の「繋辞上伝」には、「易は天地と準(なら)う。故に能く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す。」と述べられています。どういう意味かというと、六十四卦で構成されている「易」というものは、天地の完璧さを基準としてそれを表現しているものなので、天地の法則をすべて包み込んでいるものである。その解説書である本書『易経』は、実際にそこにある天文と地理とを観察することによって書かれているものである。ということです。
易はもともと、八卦〔伴注:一を八つの角度から眺めること〕から始まり、それを上下に合わせて六十四卦〔伴注:一を六十四の角度から眺めること〕に拡げられたものです。初めは解説などはありませんでした。その六十四卦のひとつひとつに周の文公が解説を書いたことが実際の『易』の始まりとなります。孔子がその解説にさらに付け加えて解説したので、『易経』と呼ばれることとなったとされています。けれども実際には孔子の孫である子思(紀元前483年?-紀元前402年?)とそのグループが最終的にその内容を書いたと考えられています。時代は、戦国時代、紀元前450年頃のことです。
この言葉を現代の私が解釈すると以下のようになります。自身が生き生かされているこの自分の位置、自分の生命を明らかに体験する中から、初めて瑞々しく生まれ出てくる生命-知恵によって再発見された生命-に触れることができる。これこそが存在そのものに触れることのできる位置である、と。
この生命を生きている私が、この私の生命を用いて全力で相手を理解しようとする。このことが知恵による人間理解の基本となるわけです。
言葉を多く積み重ねて記憶し、パターン化し、それをその人間存在に当てはめることは「人間理解」ではない。そのようなパターン化された思考に執着することは、「人間理解」とはまったくかけ離れたものであり、ほんとうの「人間理解」を阻害することになりやすいものです。
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