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思うに、幸福とは、さらにもっと生きようとすることであって、生きていることの「条件」とはまったく違う。〔伴注:金があるから幸福とか、家族があるから幸福とか、友人がいるから幸福とか、誰かに認められているから幸福とか、そういう「何らかの条件」があるから幸福であると思うのは、ほんとうの幸福ではない。〕生きることのなかに「強度の差」(ギュイヨー)があって、生をより強く感じられる生き方がある。植物や鳥や、生きているものたちに感じるのはそれである。道端の草花を見てはっとしたことを、振舞と言葉と思考に反映させ、諸感覚の快を喜びに転換することである。
〔伴注:短歌や俳句、踊りなどの芸術や武道の鍛錬。連鎖していく気づきによって深まる生の密度。感覚と思考の成長。それらが「振舞と言葉と思考に反映させ」られることによって、自身の生命の中に定着していく。このことを幸福と船木亨は述べている。
「振舞と言葉と思考に反映させ」られることによってはじめて、生の密度が自覚的に深まると考えているわけである。身につく、という言葉の本来の意味はこういうことなのだろう。
そしていつも気づきの喜びのなかにいることを、幸福と呼ぶ。
〕
船木亨著『差異の哲学』に触発された私の言葉は、これで終わります。「気づき」が起こる心の位置を自覚すること、それが臨床の、初発の心の位置です。このみずみずしさ―初心を忘れないように私は心がけています。
思うに、幸福とは、さらにもっと生きようとすることであって、生きていることの「条件」とはまったく違う。〔伴注:金があるから幸福とか、家族があるから幸福とか、友人がいるから幸福とか、誰かに認められているから幸福とか、そういう「何らかの条件」があるから幸福であると思うのは、ほんとうの幸福ではない。〕生きることのなかに「強度の差」(ギュイヨー)があって、生をより強く感じられる生き方がある。植物や鳥や、生きているものたちに感じるのはそれである。道端の草花を見てはっとしたことを、振舞と言葉と思考に反映させ、諸感覚の快を喜びに転換することである。
〔伴注:短歌や俳句、踊りなどの芸術や武道の鍛錬。連鎖していく気づきによって深まる生の密度。感覚と思考の成長。それらが「振舞と言葉と思考に反映させ」られることによって、自身の生命の中に定着していく。このことを幸福と船木亨は述べている。
「振舞と言葉と思考に反映させ」られることによってはじめて、生の密度が自覚的に深まると考えているわけである。身につく、という言葉の本来の意味はこういうことなのだろう。
そしていつも気づきの喜びのなかにいることを、幸福と呼ぶ。
〕
船木亨著『差異の哲学』に触発された私の言葉は、これで終わります。「気づき」が起こる心の位置を自覚すること、それが臨床の、初発の心の位置です。このみずみずしさ―初心を忘れないように私は心がけています。
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