勉強会の報告を、いつもていねいにしていただいて、ありがとう
ございます。
今回の話題は、伝統医学のキモである、生命の方から観るとい
うことでしたね。一つの生命を観ているということ、ここが大切。
ということを私は解説していました。
このことに気づいたのはとても古く、30年前、奈良で臨床を始
めた当初でした。そして観察と考察と勉学を深め、これは各国
の伝統医学の基本的な特徴であったという確信を今は持ってい
ます。
あるがままの生命は、言葉を超えてそこに存在しています。言
葉はその一部の状態を表現しているにすぎません。言葉にされ
たものは積み重ねやすいのですが、言葉にされずに抜け落ちて
いったものは、そのつど、言葉を手がかりにして考え気づいてい
く必要があります。
記憶された言葉を超えて、眼前にある実態である生命に迫る姿
勢が、この気づきを得るには大切になります。
伝統医学のアプローチはていねいで繊細です。診ている生命の
取りこぼしをしないよう、全面的にまるごと一つの生命としてみ
ようとしているためです。東洋医学でいうところの陰陽五行のこ
とです。ただ、これも、一元流のテキストにあるように、気一元
の生命を、二つの観点・五つの観点から眺め表現しようとしてい
るものであるという、読み方が大切になります。陰や陽があり、
木火土金水があり、それが重ね合わされて生命が存在している、
そう、考えているわけではないのです。本来は。
けれども残されている言葉は残酷なものです。生命の一部の表
現に実は過ぎないものなのに、言葉にするとそれがあたかも実
体として存在しているように見えてきます。言葉にすると強調さ
れてしまうわけです。そのため、言葉を読むときには、上記した
ように、「言葉を手がかりにして考え気づいていく」読み手の力
量が必要になるのです。
その力量の背景にあるもっとも大切なものは、心の姿勢です。
生命に学び続ける覚悟―わかってはいないという謙虚な姿勢が
それです。その謙虚さは、まだまだ理解し気づいていくことがで
きるという、心の器の大きさを実は示しています。
わかったと思ったときが、学びの終わり気づきの終わりの時で
す。今、わからないなぁという姿勢でい続けることこそが、不安
ではありますけれども、理解への道―気づきの姿なのです。不
安定なその「わからないという心の位置」こそが、新しい理解、
新しい気づきの、原点となるわけです。
たくさん勉強した人ほど、書物に読まれて、知識が増え、気づき
が失われやすくなります。学び続ける謙虚さという、柔らかな心
を失ってしまい、自分はわかっているという傲慢さを身につけて
しまうためです。
ですので、「やろうとしていると思うけど、できているかが分から
ない」と思いつつ、やり続けている今のその姿勢こそが尊いとい
うことになります。
生命の誕生から消滅までの大きな生命の動きの流れは、『一元
流鍼灸術の門』の、最初の方、「器」のところに書いてあります。
ここを押さえた上で、眼のまえの生命の今の変化している状態
を捉えて行きます。その際に肝木の身体観が便利であるという
ことは勉強会でも述べました。
生命のバランスを重視し、生命力を安定させ充実させることに
よって疾病を治療していこうとするものが、伝統医学です。養生
医学と呼ばれるわけですね。
ございます。
今回の話題は、伝統医学のキモである、生命の方から観るとい
うことでしたね。一つの生命を観ているということ、ここが大切。
ということを私は解説していました。
このことに気づいたのはとても古く、30年前、奈良で臨床を始
めた当初でした。そして観察と考察と勉学を深め、これは各国
の伝統医学の基本的な特徴であったという確信を今は持ってい
ます。
あるがままの生命は、言葉を超えてそこに存在しています。言
葉はその一部の状態を表現しているにすぎません。言葉にされ
たものは積み重ねやすいのですが、言葉にされずに抜け落ちて
いったものは、そのつど、言葉を手がかりにして考え気づいてい
く必要があります。
記憶された言葉を超えて、眼前にある実態である生命に迫る姿
勢が、この気づきを得るには大切になります。
伝統医学のアプローチはていねいで繊細です。診ている生命の
取りこぼしをしないよう、全面的にまるごと一つの生命としてみ
ようとしているためです。東洋医学でいうところの陰陽五行のこ
とです。ただ、これも、一元流のテキストにあるように、気一元
の生命を、二つの観点・五つの観点から眺め表現しようとしてい
るものであるという、読み方が大切になります。陰や陽があり、
木火土金水があり、それが重ね合わされて生命が存在している、
そう、考えているわけではないのです。本来は。
けれども残されている言葉は残酷なものです。生命の一部の表
現に実は過ぎないものなのに、言葉にするとそれがあたかも実
体として存在しているように見えてきます。言葉にすると強調さ
れてしまうわけです。そのため、言葉を読むときには、上記した
ように、「言葉を手がかりにして考え気づいていく」読み手の力
量が必要になるのです。
その力量の背景にあるもっとも大切なものは、心の姿勢です。
生命に学び続ける覚悟―わかってはいないという謙虚な姿勢が
それです。その謙虚さは、まだまだ理解し気づいていくことがで
きるという、心の器の大きさを実は示しています。
わかったと思ったときが、学びの終わり気づきの終わりの時で
す。今、わからないなぁという姿勢でい続けることこそが、不安
ではありますけれども、理解への道―気づきの姿なのです。不
安定なその「わからないという心の位置」こそが、新しい理解、
新しい気づきの、原点となるわけです。
たくさん勉強した人ほど、書物に読まれて、知識が増え、気づき
が失われやすくなります。学び続ける謙虚さという、柔らかな心
を失ってしまい、自分はわかっているという傲慢さを身につけて
しまうためです。
ですので、「やろうとしていると思うけど、できているかが分から
ない」と思いつつ、やり続けている今のその姿勢こそが尊いとい
うことになります。
生命の誕生から消滅までの大きな生命の動きの流れは、『一元
流鍼灸術の門』の、最初の方、「器」のところに書いてあります。
ここを押さえた上で、眼のまえの生命の今の変化している状態
を捉えて行きます。その際に肝木の身体観が便利であるという
ことは勉強会でも述べました。
生命のバランスを重視し、生命力を安定させ充実させることに
よって疾病を治療していこうとするものが、伝統医学です。養生
医学と呼ばれるわけですね。
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