生命を観ることから、古典は再構築される
五臓を組み合わせてみるということからは実は、生命の方から観るということは出てきません。生命の方から観るというところがあって始めて、五臓いう言葉で表現してみている「いのち」、
十二経絡という言葉で表現してみている「いのち」、を観ることができます。
壮大な仮説なのですね、東洋医学は。その仮説を検証あるいは再構築することなく「伝承」することに対する大批判の声を上げたのが、澤田健でした。「書物は死物なり、死物の古典を以て生ける人体を読むべし」(鍼灸真髄:代田文誌著 11p)これは、古典をきちんと信ずることを通じて、眼前の患者さんを診るということを澤田健が述べているものです。そのことを通じて、生命あるものとして古典を読み込んでいくわけです。
ここに古典そのものに生命を吹き込むという視点が生まれます。
そしてその視点を通じて、古人が本当に語りたかったこと、古人が実は語り尽くされていなかったこと、古人が語りすぎていたことなどが理解できます。古典の本来の本体である、患者さんの身心(場)にもとづいて、古典で書かれている古人の言葉の真偽が、我々の眼前に明らかになっていくわけです。
古典批判・古典検証はここから始まります。
伝承医学の再構築はこの次に来る課題となります。症状治療―治療法のつまみ食いから出てくるものではないのですね。
五臓を組み合わせてみるということからは実は、生命の方から観るということは出てきません。生命の方から観るというところがあって始めて、五臓いう言葉で表現してみている「いのち」、
十二経絡という言葉で表現してみている「いのち」、を観ることができます。
壮大な仮説なのですね、東洋医学は。その仮説を検証あるいは再構築することなく「伝承」することに対する大批判の声を上げたのが、澤田健でした。「書物は死物なり、死物の古典を以て生ける人体を読むべし」(鍼灸真髄:代田文誌著 11p)これは、古典をきちんと信ずることを通じて、眼前の患者さんを診るということを澤田健が述べているものです。そのことを通じて、生命あるものとして古典を読み込んでいくわけです。
ここに古典そのものに生命を吹き込むという視点が生まれます。
そしてその視点を通じて、古人が本当に語りたかったこと、古人が実は語り尽くされていなかったこと、古人が語りすぎていたことなどが理解できます。古典の本来の本体である、患者さんの身心(場)にもとづいて、古典で書かれている古人の言葉の真偽が、我々の眼前に明らかになっていくわけです。
古典批判・古典検証はここから始まります。
伝承医学の再構築はこの次に来る課題となります。症状治療―治療法のつまみ食いから出てくるものではないのですね。
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