
この絵図は、江戸時代中期の管鍼法の創始者である杉山和一作である《杉山流三部書》の〈医学節用集:先天〉というところに書かれている図です。
これは行灯(あんどん)です。胴の長い四角柱の明かり取りのを思い浮かべてください。一番てっぺんには蓋がされており、これが華蓋すなわち肺に形容されています。そして行灯は三層に分けられておりまして、一番上が上焦、真ん中が中焦、一番下が下焦に割り当てられています。
この下焦の一点は、行灯の明かりの基となる火です。火は油を必要とします。それによって長時間輝き続けるわけです。この油の部分が腎精、火の部分が命門の火です。この一点の火が輝くことによって行灯が全体として光を発するわけです。
《難経》には腎間の動気として紹介されているものがこの、一点の火。生命の中心となる腎の陽気です。
この《医学節用集》には、『腎間の動気を候うには、大体医師の手で臍下を診、先ず医師の気を鎮めて候っている手と心とを一体にして考えていくと理解することができる。』と書かれています。
『医師の気を鎮めて候っている手と心とを一体にして考えていく』という方法は、経穴診においてその生命力を診る際にも欠かすことのできないとても大切な技法であり心構えです。
これは「観る」ということを実際に工夫して行っている人のみが語れる言葉だと思います。
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