
肝木を中心とした生命観
【木の図】
肝木は人の内なる小さな気一元の存在
肝には陰陽があり、
根を養うものが脾腎、
枝を養うものが心肺
これは、今述べた、日本的な身体観を少し五行的に置きなおしたもので、清代の末期に人身一小天地の論として発表されていたものをまとめたものです。書物は《医原》。石寿棠の著作です。
病因病理を考えて弁証論治をしていくと、慢性病においては多くの場合脾虚・腎虚・肝欝という状態から悪循環を繰り返していることが見て取れます。これは現代人の型なのではないかとひそかに思っています。
後天の生命力である脾と、先天の生命力である腎という器が時代のスピードに追いつくことができないまま、肝気を張ってがんばっている状態であるともいえます。また逆に、肝気を張ってがんばり過ぎたために、脾腎の器が損傷されている状態を示しているとも言えます。
現代という、スピードの速いストレスの多い時代についていくには肝気を張ってがんばるしかない。古来からあまり大きな変化をしていない生命力の中心である脾腎の器は、それを支えるだけの力がなく疲れきっている。不健康の悪循環を生み出す社会システムがここにあるということもまた、このことは示していると言えます。
このような状況をうまく説明していくことのできる生命観が、「肝木を中心とした生命観」です。
肝木を中心とした生命観は、木〔注:肝〕が大地〔注:脾〕に根ざし水〔注:腎〕を吸い上げ天〔注:肺〕に枝を伸ばして太陽〔注:心〕を浴びている姿と相似しています。木はまた四季にしたがってその姿を変えますので、これもまた人間の生命を表現するにふさわしいものと考えられます。
中医学では肝木の暴虐がよく取り上げられていますけれども、肝木が枝葉根幹ともに充実していると、いわゆる肝気の暴虐は起こりにくいということはもっとよく理解されるべきでしょう。
上にも述べましたけれども、現代人において肝木が充実しているということは生活をしていく上で必要条件となっています。肝木が安定して充実していることによって、心肺脾腎の交流が守られ、心肺脾腎の充実によって、肝木としての身体の根幹もまたしっかりと充実した姿をあらわしていきます。
この社会からの保護者としての肝木の意義と、より大きな一本の木としての人体の有様をここに見て取ることができます。
■ まとめ
東洋医学における人間観は、このように全身をひとつの分けることのできない生命として把えているものです。病んでいる患者さんにも人生があり、圧倒的な生命がまずそこにあるわけです。一元流の弁証論治は、このような生命のあり方を理解し、それを応援するものでありたいと考えています。
東洋医学には東洋医学の人間観・生命観があります。それに従って病気に対する認識が行われてきたわけです。
東洋医学と西洋医学とがどのように関係していくのかは、その人間観に基づいて、皆様がそれぞれ自分自身で考えを深めていただくことを期待しております。
不妊治療においての西洋医学と東洋医学との関係のとりかたについては、《不妊!大作戦》(米山章子著 伴 尚志監修 たにぐち書店刊 2008年)の中で伴 尚志が明らかにしています。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://1gen.blog101.fc2.com/tb.php/296-cd44e2da