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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

〔注:ここではひとことで儒学と呼んでいますけれども、漢代の儒
学と宋代の儒学と神大の儒学ではその内容がとても大きく異な
ります。
そして、江戸時代に儒学に括られるものは、官学である朱子学
と、民間から発生した学問である伊藤仁斎の古学、その弟子筋
にあたる荻生徂徠の古文辞学、朱子学と陽明学との折衷の学
問などさまざまに分類されています。
けれどもここに触れることは繁雑になりますので各自調べてみ
てください。〕


> 「朱子学のその後」みたいな陽明学も禁止してたのですか?
> それは意外でした。それは少し臭いですね…。

陽明学は、朱子学の理解から出ていますが、王陽明の悟りを基
本として、朱子学が実戦的なものになっています。

朱子学が人民を管理するための官僚のための学問であるのに
比し、自らの心情に立脚するなど自己陶冶に努める側面が強い
ものです。


伊藤仁斎の古学は論語研究から始まります。ただ、論語を言葉
として読むだけではなく、実際に孔子がそこで何を思い感じ考え
ていたのかというところまで、探究しています。ここが大切なとこ
ろとなります。

古学ではいわば、孔子という聖人の心に近づくために、自分自
身の心に照らしながら『論語』を学んでいったわけです。一元流
鍼灸術でよく使われる言葉で表現するなら、言葉を越えて孔子
そのものに肉薄しようとした儒学、それが古学であるということ
になります。

当然その過程で、自己の心の有様を点検するという行為が入り
ます。そして自己を改革することによって聖人の心に近づこうと
するわけです。

そういう角度で論語という書物を読んでいたわけです。

古学の創始者である伊藤仁斎は、朱子が集め解釈した儒教の
オーソドックスな書物を、リアルな自己に照らしつつ読み直して
いったわけです。

この同じ作業を伝統医学において行うということが、一元流鍼
灸術がおこなっていることであり、目標としているところです。中
医学という古典を集めた観念的な言葉で語られた書物を、治療
というリアルな世界のなかで読み直していこうとしているわけで
す。


ちなみに、『養生訓』(1712年刊)を書いた貝原益軒(1630
年~1714年)が、晩年、自身の儒学思想をまとめるまで、気
一元論に触れることができませんでした。正学である朱子学の
圧力があったためです。
福岡藩のような江戸から遠い地域であっても、官僚の学問にそ
のような圧力があったわけです。


> 伴先生の論文「日本型東洋医学の原点 」に出ていた、林羅山という人が
> そのあたりの黒い思惑に関係しているのでしょうか?

林羅山は、幕府の威光を借りて朱子学を正統な学として広めよ
うとしただけだと思います。

〔注:ここからは、人民を統治するための学問である、あるいは
そのように利用された朱子学の内側からの解説となります。〕

平和というのは秩序があるということを意味しています。そして
秩序のなかには、人々がその地位におけるあるべき姿(理)で
存在している(気)という自覚が必要です。自分のノリを越えず、
他者を傷つけないという、「社会の相互関係における養生」のよ
うな節制が、そこには必要となります。

戦国時代―下克上なんでもありの自由な世界から、秩序ある平
和の世界への大転換の思想の基礎を、徳川家康は朱子学のな
かに見出したとも言えるでしょう。

朱子の著書を読んでみると、彼がいかに謙虚で、いかに丁寧に
学問を築いているかということが理解できます。孔子が戦国時
代に平和のあり方を希求した世界を構築したように、儒教は秩
序というもののあり方を、仁すなわち愛とその表現としての礼の
側面から、構築していったものです。

自分自身を戒めるための礼という側面が、あるべきあり方とい
う理念が構築されることによって、他者をも縛る法になり徐々に
強制力を持つようになるのは、現代社会でも同じことです。

自身の身を守ると同時に他者をも罹患させまいという道徳的な
要請であったマスクの使用や罹患後の謹慎(礼)が、いつのま
にか法で強制されるような事態になっていく(法)ようなものです。


ただその根本にある思いは、現代的な言葉でいえば愛に基づく
平和な理想社会を作り上げたいという願いであったということは、
確認しておきたいと思います。
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