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一元流鍼灸術

一元流鍼灸術の解説◇東洋医学の蘊奥など◇HP:http://www.1gen.jp/

> > 〔注:ここではひとことで儒学と呼んでいますけれども、漢代
> > の儒学と宋代の儒学と神大の儒学ではその内容がとても大
> > きく異なります。

「神大」ではなく「清代」でした。
お詫びして訂正します。m(_._)m


> > > 「朱子学のその後」みたいな陽明学も禁止してたのですか?
> > > それは意外でした。それは少し臭いですね…。
> >
> > 陽明学は、朱子学の理解から出ていますが、王陽明の悟りを基
> > 本として、朱子学が実戦的なものになっています。
> >
> > 朱子学が人民を管理するための官僚のための学問であるのに
> > 比し、自らの心情に立脚するなど自己陶冶に努める側面が強い
> > ものです。
>
> 個人の考えに基づいて行動されると困るから、幕府としては
> 人の管理に便利な朱子学を選んだということですか。

五代将軍徳川綱吉の時代などは特に、朱子学を自ら学び実践
し、それを武家や人々に学ばせるという、学問的気風が育って
いました。

そのことから考えると、日本においては支那大陸とは異なり、自
らを律するものとしての朱子学の本来のありようがはじめから
花開いていたのではないかと思います。

支那大陸においては、宋元明清という時代推移のうち、元と清
とは異民族による支配の時代ですから、朱子学が統治理論とし
て使われたということもしょうがない側面があるのでしょう。

朱子学が堕落したのは、官学となり、科挙(官僚登用のための
国家試験)のための学問となって、新しい発想が生まれにくくな
ったためではないかと私的には考えています。

これは、中医学という名前での東洋医学の教科書化に似ていま
す。言葉を積み重ねる段階では、それまでのあらゆる学問を参
考にしつつ用心深く新しい言葉を作っていくわけです(朱子)。そ
れが教科書になってしまうと、その言葉の改革、磨き上げでは
なく、正しい理解と正誤判定がそこに入ってしまいます。いわば
科挙を通るための言葉が生じるわけです。無知を楽しむ余裕を
なくし、結論を追い求め、自分自身の心で感じ頭で考える前に、
答えを捜してしまうわけです。点数をつけられ評価されるため、
本当には理解していなくても記憶して解答を出していくという能
力が求められるためです。そしてそのような人が合格し、高級
官僚への道を歩むこととなります。

自己陶冶を通じて得た気づき―智慧を磨き上げて作った言葉
の群れが、知識に変化し、伝統として定着していく。それが官学
としての朱子学のあり方になったのではないかと思います。


自粛警察はまさにその礼から法への流れの途中に起こるもの
す。そして法としての言葉がしっかりできあがると、自由を求め
るへそ曲がりが発生してくるということもまた、人のありようなの
かもしれません。


このあたりの社会における生命のありさまを芸術的に表現する
と、「守」「破」「離」ということになるかも。

官学としての朱子学を「守」り科挙が行われた。

それを基盤にして「万物一体の仁」に気づいた王陽明には、朱
子学を突破する力があった(破)。

江戸時代にはさらに、聖人そのものになるための学問の側面が
強くなり、論語を通じて孔子自身に触れようとした人々が生まれ
た。ここにおいて朱子学が新たに自己陶冶の学問である古学と
して生まれ変わった(破から離へ)。

支那の聖人の道ではなく日本の古人の心に直接触れるという、
古学と方法としては同じだが、目的を異にする国学という学問
の流れが起こった(離)。

という感じでしょうか。

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